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ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈下〉のamazonレビュー

「ユダヤ人は荷造りしてヨーロッパから消え去るべきである。ロシアに行けばよい。ユダヤ人に関する限り、私はいささかも哀れみを感じない。(略)我々がヨーロッパ全体の問題に注意を払うのは至って自然なことである。
ユダヤ人をドイツから追い払うだけでは十分ではない。彼らの撤退基地を我々の門前に許すことはできない。どんな形にしろ彼らの浸透の危険性だけは取り去っておきたいものである。」
これは上巻368頁に記された、1942年1月27日におけるヒトラーの発言である。
一方、下巻451頁の巻末年表には次のように記されている。
「1942年1月(20日)ヴァンゼー会議でユダヤ人絶滅計画(最終的解決)を作成」矛盾しているではないか!

ユダヤ人問題の最終的解決とは、占領したロシアへの強制移住を意味していたのだ。ポーランド地域に建設された収容所群はユダヤ人のロシア移住の中継地点であり、
勝利の日まで彼らを労働力として利用するための施設であった。
だが同盟国であるはずの日本が独ソ戦に参戦しないどころか中立国アメリカを参戦させたために移住計画は頓挫。
過剰収容となったポーランド地域の収容所ではシラミによって媒介される発疹チフスが恒常的に蔓延し、最大の収容所であるアウシュヴィッツでは4年間で約13万人(1日平均90人)が死亡した。
全ての収容所には、シアン化水素ガス(殺虫剤ツィクロンB)を用い、シラミの付着した囚人服を消毒する為の燻蒸処理室が設置されており、ドイツ人はそれを単にガス室(Gaskammer)と呼称していた。
ナチス収容所から「死体の山」と「ガス室」を発見した連合軍が、それを格好の宣伝材料に「ユダヤ人大虐殺」、「殺人ガス室」というプロパガンダを全世界に報道したのだ(当然、連合軍はナチス収容所からガス殺死体を一体も発見していない)。

大戦中のナチス収容所では、最大で約70万人が犠牲となり、その多くがユダヤ人だった。それは歴史的悲劇ではあるが、決して絶滅政策に基づく数百万人規模の大量虐殺が行われていたのではない。
ヒトラーがユダヤ人のロシア移住を命じていた決定的な資料が現存しているにもかかわらず、なぜその事実を無視し、全く何の物証もない絶滅計画の存在に固執するのか理解できない。