将校が被服費から作ったカーキ戦時軍服は別にして、日露戦争中の官給品カーキ服は
・夏服(軍帽覆いと夏衣袴を本来の白からカーキへ変更)
・大外套
この2種類
カーキ色の19年式(33年式)の軍衣袴は官給品には無かったかと

大外套を着る程は寒く無い時期は濃紺の19年式軍衣袴で過ごすが迷彩効果が・・・
その時は19年式軍衣の上に無理やり夏衣を着たと
夏衣の前(ホック掛け)を閉じる事が出来なくなるのでホックの間に紐を通して編上げ靴の様にして閉じた
これは映画「203高地」でも部分的に再現されていましたよ
官給品カーキ服は現地に渡ってから支給され、内地に帰還する際には返却するのが基本だったと

本格的なカーキ服は38年式陸軍戦時軍服(>>453がそれ)
しかし、支給開始は日露戦争には間に合わず・・・
明治39年には正式な陸軍軍服に昇格しましたが、濃紺生地の在庫が大量に有った為、カーキ色の部分を濃紺にした代用軍服が暫く生産されました
(28連隊の混在の理由か?)
これは明治45年に着用が禁止されるまで使われました

作品が日露戦争の何年後なのかは分かりませんが、数年程度(明治45年まで)なら内地で濃紺軍服は不自然では無いと思います
色よりも形が19年式軍衣袴のままなのが気になるかな?