それでは先の金剛型の続き。「史実の扶桑型戦艦って傑作なんだな」と思える話。


「史実の扶桑型戦艦って傑作なんだな」と思える話。

――扶桑型戦艦――

当初、扶桑型戦艦は国産戦艦の性能の出遅れを挽回すべく、英国ヴィッカース社に依頼し
最新の建艦技術を習得しようと言う動きがあったが、契約は成立しなかった。
時期的に仮にこの時点でヴィッカースに発注していた場合、確実に接収されていたことを考えると
後世の目線では不幸中の幸いだったと論じられる事もあるが、
いずれにせよ、英国の優れた建艦技術を習得するという目論見は頓挫し
結局主砲を購入、これを武器にした最新鋭戦艦を独自に建造することとなった。

扶桑型戦艦「扶桑」 起工1912 竣工1916
常備排水量29,500t 船体190×29.7m
最大速力 21.0kt 40,000HP 直結タービン2基4軸 混焼缶24基
45口径34.3cm砲 連装 6基(毘式34.3cm連装砲)
50口径15.2cm砲 単装16基
40口径 7.6cm砲 単装 6基
53,3cm魚雷発射管 単装 6基
舷側 152−254mm、砲塔254mm

英国から提示されたのは、トルコへの輸出戦艦用に設計されていた34.3cm連装砲MkY。
購入自体はスムーズに決まったが、難航したのはの主砲の配置についてであった。
当初は最も効率の良い全主砲中心線背負い式配置にするつもりだったが、
そもそもこの時点で日本は背負い式配置を取った戦艦の建造経験が全くなく
いきなり全主砲中心線背負い式配置かつ世界最大級の戦艦を建造する、と言うのは誰が考えても無謀だった。
かと言って挑戦しなければ何時まで経っても背負い式配置を実現出来ないし、砲数も12門を確保したい…結果として、
後部砲塔のみ背負い式にし2基、背負い式砲塔の後ろに1基、前部砲塔1基、船体中央に梯形配置で2基という
特異な配置を選択することとなる。超12インチ砲を搭載しながら中心線配置を取らなかった事により
河内型戦艦と同様に聊か半端であると内外から論われ、「準超弩級戦艦」と揶揄されることとなる。