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1961年当時の国連の職員数は1400名に満たなかった。一番多く人を
出していたアメリカで371人、次がイギリスで124人、以下フランス92人、
インドが62人、ソビエトが61人、台湾52人。
正規職員の他にボーナスなしとか通訳とか一般職とかが5000人くらい
居たけど、各拠点の現地雇用だろうし。人的資源でも地理的条件でも
ニューヨークの本部吹き飛ばされたから立て直せないって規模にはな
らない。第一回の国連総会はロンドンだったし。

国連全体が開店休業なのではなく、常任理事国のひとつは内戦状態、
ひとつは国民ごと消滅、ひとつは核戦争をおっぱじめた張本人というグ
ダグダな安全保障理事会と、それを通さないと動かせない国連の軍事
行動の決議が機能不全に陥っていた、と。それが「国連」アメリカ特別
派遣軍の編成の遅れになったのではないかと。

国連を合衆国再建に使いたいアメリカ、逆に阻止したいソビエト、国民
党に押しかけられた台湾状態になって「独立どこー」になるであろうアル
ジェリアから何にでもクチを挟もうとするフランスとか。超ウザそう。

核兵器、核燃料の回収にはイギリスも動いただろうし、ポラリスミサイル
の弾頭にせよ原潜の燃料にせよアメリカ頼みだったことも勘案するなら
むしろ主導したかも。アメリカも後始末に巻き込む任せるならマンハッタ
ン計画以来の付き合いのあるイギリス一択だろうし。

64年の冬と比べるなら4000万人を余分に生かす能力があったのが、63
年のアメリカなので、合衆国がなくなって州レベルの群雄割拠になる前
に、核兵器は片付いてたんじゃないかなあ…でないと、真っ先に核の目
標にされるのは国連軍になるわけだし。