軍事雑誌総合スレ 第33号
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【アベノ・クーデター】 北海道、震源の真上で山崩れ3800カ所、まるで北朝鮮の核実験場のようだ!
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536892350/l50
戦車で首都を包囲するのも、電話でテレビ局を包囲するのも、法的にはクーデター。 そういえばコンバットマガジンって昔あったけど作品を書く奴らの画力が上田とゲンブン以外はからっきしで
見るに堪えないものだったな。 >>17兄やん、それコンバットコミックの事や。コンバットマガジンはエアガン専門誌で今も存続してると思う。 歴史群像ならでは、の記事が読みたいんだが
丸とかにも載ってる記事と方向性が変わらないんなら
なんだかなあ 今月号のパンツァーではアメリカ軍のM1A1エイブラムスは何処で演習してもサンドイエローで、
湾岸戦争以来ずっと同じ迷彩塗装か?
20年ぐらい前のテレビゲーム戦闘国家改のM1A1エイブラムスを思い出した。
一方ノルウェー軍のレオパルト2は緑の迷彩であった。
それもまた戦闘国家改のレオパルト2の迷彩とほぼ同じであった。 >>25
日の丸の轍って装軌まで扱うのか?
てっきりソフトスキンだけかと思ったが、まあそうしないとネタが続かないか・・(まだ「くろがね四起」や陸王サイドカーがあるだろうに)
て事は、いつかはBUNさん節のチハたん解説もやるわけか >>31
機雷や地雷の専門誌は絶対に出ないと断言できる! 雑誌の方向性に合わせて書く内容を変える
とかまったく考えてないライター MAMORの漫画&アニメ特集ですんどめ自衛隊って漫画は載ってないな
単行本一巻の帯には、世界に誇る勃起力を見よとか専守防衛エロスとかいざセーシを懸けた戦場へとか書いてあるが 丸の戦艦ムック、艦豚に尼で星1つけられててワロタ
たしかに物足りない本だが、
艦これの元ネタが載ってないから星1はさすがに気の毒だなw 企画力の無さだよなあ
出す側がいろいろとわかってない 企画する人間の視野が狭いんだろう
客観的な視野が持ててない >「艦これの大和は何でいつもマストを傘に模した、傘型電探を持ち歩いているのか、
>同じく大和と武蔵が海辺で寝転んでいるイラストでは、錨ではなくブイが繋がっている
>のは何故か」という疑問には答えてくれません。
し、知るかよ!w ったくアニメオタクは気持ち悪いなあ
この前、近所の富士急ハイランド行ったんです。富士急ハイランド。
そしたら人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たら垂れ幕が下がってて、瑞雲展示中、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、瑞雲引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
プラモデルだよ、プラモデル。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で富士急ハイランドか。マジでおめでてーな。
よーしパパ瑞雲丼頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、50円やるからその席空けろと。
富士急ハイランドってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
コーヒーカップの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、瑞雲丼大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当に富士急ハイランドを楽しみたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。
富士急ハイランド通の俺から言わせてもらえば今、富士急ハイランド通の間での最新流行はやっぱり、
陰部露出、これだね。
陰毛バラマキ。これが通の頼み方。
陰毛バラマキってのは陰毛が多めに入ってる。そん代わり睾丸が少なめ。これ。
で、それに大盛り(金)。これ最強。
しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、陰毛でも食ってなさいってこった。 1/5発売の歴群買って来た
「世界戦史」はこれまでの古代・中世ネタから時空飛びすぎだろ まだ近世のマスケット銃からライフル銃までの戦術の変化とかネタはありそうだが
いきなりABLEとかレーザー兵器に飛ぶとはな 歴群の95式記事
あれだな、記事もそうだけど見出しが特におかしいんだ
>騎兵の機械化を念頭に、快速・好打の機動戦車として産声を上げるはずだった九五式軽戦車が、なぜ「歩兵の火力支援」を主眼とする体系の中に組み込まれてしまったのか。
95式は軽兵と機甲の共用装備が念頭であり、騎兵の機械化だけが主ではない。
騎兵装備の重装車の後継と機甲部隊の機動戦車との要求が近いので共用装備を目指すが
騎兵=いいねこれ
機甲=装甲うすい役立たず
(このへんの議論の元ネタは加登川氏の帝国陸軍機甲部隊)
結果、機甲が妥協して正式化されましたが、当の騎兵は95式とは【別に】、捜索連隊向けの94式軽装甲車の後継として97式軽装甲車を開発。
(じゃあ、最初から95式は機甲の要望を入れ重装甲化し、騎兵は独自に97式軽装甲車を作ってれば良かったものを・・・なぜ自分で賛成した95式軽戦車とは別に97式軽装甲車を作ったんだか・・・)
(記事を書くなら、この謎を解いて欲しかった…)
あと、独立混成第一旅団の母体が騎兵?
第3/第4戦車大隊って第1/第2戦車旅団からの新編/派遣が基礎でしょ(独混の前)
さらに歩兵戦車学校の教導部隊が母体だったりだし
どこらへんが騎兵が母体なんだろう?
(そのあたりの説明は記事になし・・・) 定説、通説に真っ向から挑む珍説を載せて
「・・・の真実」とやらで売ってきたのが歴群
この15年で出版業界は売り上げ半分になったとかだけど
歴群の出版部数が1/3になったのは、このやり方がミリオタに嫌われたからなんだね。
15年前といえば古峰、大塚が書き始めた頃でもあるけど。
95式軽戦車は誰が書いたのかなと思ったら、やっぱり古峰かw あの人、しばらく前も赤軍の戦車隊の編成でいい加減なツィートしてたんだよね
薄弱な根拠や思い込みで自信満々に断定するから、ひっかかる人がいる パンツァーずっと定期購読してたんだろうに。
結局、洋書買って読まないと正しい知見は得られないってとこが悲しいね。
95式軽戦車も洋書買って研究しないと珍説ばら撒くことになる?? >51
いやこれ加登川氏の「帝国陸軍機甲部隊」に既に第13回軍需会議の経緯が載ってるし
同書に、独立混成第一旅団編成以前の戦車旅団増設についても載ってたはず。
(もともとの戦車旅団の編成拡大について、これになければ、学研ムックの「帝国機甲部隊」の方にあるはず)
どうも小峰氏は、加登川氏の「帝国陸軍機甲部隊」の95式採用時の議論を元ネタとして、他のスペック系記事付け加え、この記事を書いたように見受けられるのですが・・・
資料以前に、正しい知見を得るには正しい読解力が必要というだけの話ではないか?
ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
89式中戦車は遅すぎ(そもそもその遅さが機動戦車としての95式軽戦車の開発原因)なので新編部隊の編成車両としては不適当
とはいえ全部、95式軽戦車で揃えるには時間と予算が不足しており、94式軽装甲車で部隊の車両数を水増した可能性も捨てきれないと思います。
(確かもとの第3/第4大隊編成時の理由がそれだったような・・・)
この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。 確か、第1戦車旅団の新編時に
歩兵戦車学校の教導部隊をベースに第1大隊、第2大隊を編成
その後
第1大隊から細胞分裂増殖で、第3大隊=第1戦車旅団
第2大隊から細胞分裂増殖で、第4大隊=第2戦車旅団
その後、第3/第4大隊は大陸に送られ、そこで独立混成第一旅団に
だったような記憶…
もし、この記憶が正しければ独混第一は歩兵戦車学校の直系であり、騎兵の系譜ではないという事になります。
(一部で騎兵を組み込んだ可能性はありますが、主流は歩兵戦車学校とみるべき)
つまり機械化騎兵とするのではなく、最初から機甲部隊としての機動戦車部隊と認識するべきではないかと。
(95式軽戦車の目指した機動戦車本来の姿であり、騎兵機械化ではない)
(※ただし本来の機動戦車部隊だったからと言って機甲側が95式軽戦車で満足していたという話で決してない) そもそも騎兵が95式軽戦車で騎兵の機械化を拡大したというのであれば
なぜ、騎兵は95式軽戦車の【後に】、わざわざ97式軽装甲車を開発し
それを騎兵連隊の直系である捜索連隊に装備させたのか?
この疑問を明らかにしなければならないはず。
この97式軽装甲車の開発配備という現実を見れば、むしろ・・・
95式軽戦車は文句を言いつつも機甲側が便利に使ってしまい機甲部隊の拡充に寄与し、せっかく賛成した騎兵の機械化には結局、殆ど廻ってこなかった。
従って騎兵は独自に97式軽装甲車を開発し捜索連隊に配備し、騎兵の機械化に辿り着いた。
とみるべきではないでしょうか。 97式軽装甲車が存在せず、各師団の捜索連隊も95式軽戦車が配備されていたのであれば、小峰氏の記事にもそれなりの説得力があると思うのですが・・・
現実には97式軽装甲車が存在し、多数の師団の捜索連隊に配備されているのですよ・・・ これらから、95式軽戦車はあくまで機動戦車であり、騎兵戦闘車にはなれなかった戦車であると考えます。
うん、小峰氏の結論からは真逆ですな。 >>52
>この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
>ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。
本文を見たら
>この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。そして騎兵の機械化であるため、
>装備する戦車は全て機動戦車である九五式戦車とされた。
これによると、騎兵旅団の機械化であって、戦車はそれに加えたものだから、
戦車部隊の由来を調べる必要はない、そもそも関係ないという考えなんだろう。
>ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
>編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
これも本文を見ると、
>しかし、肝心の装甲戦力を担う九五式軽戦車の生産不足から当初は低速の八九式中戦車が配備されたことから、
>旅団の戦車部隊は自動車化歩兵の乗るトラックに路上では追随できず、最も重要な自動車化歩兵との協同作戦能力ができなかった。
とあって、九四式軽装甲車への言及はないから、関係ないと思っているのでは? 今月の丸別冊の「雷電・飛燕」だけどBUNさん解説の飛燕の中で熱田32型は水メタ噴射を採用していない(だからハ140より
トラブル要因少ない)って書いてるけど、あれなんかの勘違いじゃないの? >59
>戦車部隊の由来を調べる必要はない、そもそも関係ないという考えなんだろう。
えー・・・
だって独混一旅の近接戦闘3個大隊のうち、2個が戦車大隊で1個が自動車化歩兵大隊
つまり2/3は戦車大隊なんだぜ。
どう考えれば無関係になるんだ??
しかも、今回の記事はその戦車の記事ではないのか???
>しかし、肝心の装甲戦力を担う九五式軽戦車の生産不足から当初は低速の八九式中戦車が配備されたことから、
>旅団の戦車部隊は自動車化歩兵の乗るトラックに路上では追随できず、最も重要な自動車化歩兵との協同作戦能力ができなかった。
それ…第1/第2大隊の話じゃね?
もともと歩兵学校戦車教導部隊をベースにした戦車第1大隊と第2大隊があり89式等を装備していて、それを拡大し第3、第4大隊を新編、その時に95式を配備
第一戦車旅団は、たしか第1大隊(89式他)と第3大隊(95軽+不足分は94軽車)
第二戦車旅団も、第2大隊(89式他)と第4大隊(95軽+不足分は94軽車)
そしてそこから独混一旅を新編するにあたり新型車輌を装備する第3/第4大隊を抽出
と記憶していますが…
後で本棚から「帝国陸軍機甲部隊」とか各種資料を引っ張り出してみるか・・・ 高校の時にクラスに学年で3本の指に入る可愛い女子がいた。かなりド田舎の農業高校…
その娘は毎日お母さんに車で送り迎えしてもらって通学していていつも学校の裏門から出入りする。
裏門は県道に面していて県道から校舎までは150mくらいある。その間は砂利が敷かれた道で県道への出口は急な登り勾配。
結構、砂利が深く出口が急勾配なので県道へ出る時にタイヤが空転するシーンがよく見れた!
可愛いあの娘が乗った車の前輪が勢いよく空転して砂利を後方へ蹴り飛ばしながら発進して行くシーンを毎日見て興奮した。
ある日、県道へ出るのにいつもよりも手前で一旦提出して発進しようとした時は凄かった。
普段は少しの空転もこの日は2mぐらい空転して発進して行った。
発進と同時に周囲に砂利を跳ね飛ばしながら『ズドドドドドドッ!ズズドドドーッ!』と激しい音を立てながら少しずつ前進して県道まで登り走り去って行った。
さらにスリップにより物凄い砂埃を立ててしばらくの間周囲が煙っていた。そのシーンを間近で見た時は激萌えだった。
可愛いあの娘の乗った車がタイヤを空転させて物凄い砂埃を巻き上げ砂利を跳ね飛ばして少しずつ前進して行くシーンがたまらなかった!
見に行くとタイヤが空転したところの砂利は無くなり地面の地肌がでていた。そのスリップ跡は2mぐらいあった。
我慢できずトイレへ直行した。
なにも分かりません。 この流れからは、機械化騎兵ではなく、機動戦車部隊が目的であったとしか読み取れない・・・
そして、それなら95式を機甲にとられた騎兵が、別途97式軽装甲車を作って騎兵連隊を母体とする捜索連隊に配備したのも納得できるんだが・・・
どうも、資料探しても、97式軽装甲車の開発経緯は94式軽装甲車の後継としか見つからないんだよなぁ・・・
95式軽戦車も主ではないが騎兵の機械化が目的の一つであったのに、なぜ94式の後継とされず、別途97式軽装甲車が作られたのか・・・
だれかこの謎を解いてくれ 暇つぶしに出会い系を見ていたら、中学時代の友人だったY子のプロフを見つけた。
HNや趣味などは適当だったけど、写メを見た瞬間Y子だと分かった。
私の地元の名前が書かれてあり、今も在住と書かれてあるのでまず間違いない。
これはすぐに連絡を取らなくてはと思い、すぐに貼られていた捨てアドにメールをした。
私 :「Y子だよね?覚えてるかな、中学で一緒だった○○だよ。」すると、すぐに返事があった。
Y子:「○○ちゃん?うわー懐かしい!」
私 :「あの掲示板で見つけてびっくりしたよ!変わってないね〜やっぱり可愛いなぁ。今はどうしてるの?」
Y子:「学校に通ってるよ」
私 :「あっ、じゃあもしかして□□大学?家近かったよね!」
Y子:「そうだよ!」
私 :「すごい!中学から成績優秀だったもんね〜」
Y子:「そんなことないよ。しかも最近、裏の道路が工事中で勉強に集中できないんだ。」
私 :「裏の道路って□□通り?」
Y子:「そうそう!なんか新しいお店作るみたい。」
私 :「そうなんだぁ。コンビニの隣ってずっと空き地だったもんねぇ。」
Y子:「うん。○○ちゃん、よく覚えてるね。」
私 :「だってY子の家にはしょっちゅう遊びに行ってたじゃん!中学近かったし、隣の公園でサボってアイス食べるのとか最高だったよね。(笑)」
最後に来たメールを見た時、私は背筋が凍った。
Y子:「特定した。ありがとう」 そう、虚言癖というより病気だな。
ついこの間、国本さんには九七式中戦車の本なんか出せないとか
偉そうに断言していたのは誰だったのか。
自分は九五式軽戦車間違いだらけというのはww >66
いや、なんかの根拠があるのかもしれませんよ
1個だけの自動車化歩兵大隊が、実は騎兵からの改編だったとか
その記録があるのかもよ。
記事ではなにも根拠を出してくれてませんが
なので、そんなのがあるかどうかは全く不明ですが
(それがあったとしても主力の2個戦車大隊が歩兵戦車学校の流れというのは変わらないので2:1で騎兵不利)
(さらに独立混成第一旅団の初代旅団長 藤田進少将はフランス帰りの生粋の歩兵科だったりするだなぁ)
(次の旅団長 篠塚少将なんて前職は近衛歩兵第一旅団長でこれも生粋の歩兵科)
(その次の酒井少将もフランス帰りの歩兵科。※彼の時にチャハル作戦)
(最後の旅団長も歩兵科で、以前陸軍戦車学校長をやってた人)
(あれ?騎兵の要素が欠片もないお(困 そうやって逃げ道みたいなもの作ってやるから
文三が各誌でほら話ばかり書き続けるわけで
そろそろ引導渡せよ。 >69
良く嫁
本当に逃げ道あると思いますか?>68に
例えそんな資料があっても、それだけじゃ機械化騎兵とまで言うのは不足と書いちゃってますよ、私は(陰険
たとえ自動車化歩兵1個大隊が騎兵改編でも、その上の旅団長が全員歩兵なのですよ。
(元戦車学校長までいる)
歩兵将校が指揮し、戦車学校教導部隊の流れを組む戦車大隊を主力とする部隊が機械化騎兵部隊?
騎兵要素がどこにある?
もう無理ありまくり
編成やドクトリンを兵器から読み解こうとして間違えるパターンだぬ 兵団レベルの騎兵部隊の機械化なら、昭和14年秋の騎兵集団の隷下部隊の自動車編制への改編だよなあ
>編成やドクトリンを兵器から読み解こうとして間違えるパターン
あの人の間違えてる記事のパターン、ほぼこれ。
いや、全部これかもw 「帝国陸軍機甲部隊」ひぱりだしてきた。
一部、私の記憶に間違いがありました
1)独混一旅の第3/第4戦車大隊の初期装備車輌は89軽式戦車(=89式中戦車※時期的に軽戦車とされていた)、92式重装甲車、94式軽装甲車の混合
したがって小峰氏の89式が追随できなかったという記述は正しい。
しかし、そうなると独混一旅が95式軽戦車を装備していた期間は非常に短くなり
時系列的に、よけいに独混一旅の本質が機械化騎兵として編成されたという主張が成り立たなくなりますが…
つか本文の
>この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。そして騎兵の機械化であるため、
>装備する戦車は【全て機動戦車である九五式戦車】とされた。
が嘘じゃん。89式軽戦車(=89式中戦車)いるじゃん
2)97式軽装甲車の開発要望時期
第17回会議で新軽装甲車の開発要望が出ていた模様
ただし、これも時期的には95式軽戦車の採用後の話であり、95式があるのになぜ?の答えにはなりませんでした。
つか13回会議の95式仮採用決定後の話というのが明確になり、謎は深まっただけ そういや歴史群像でプロホロフカ戦車戦はなかった、
パウルカレルの捏造だって珍説が載ったことがあったなー 「かつてソ連軍が言っていたような」大戦車戦はなかった
というのは現在は定説だと思うが >74
それ、
ポロホロフカ近辺での戦車戦はあったが、その内容はパウルカレルの書いたようなものではなかった
ってやつだろ。
それは自体は珍説でもなんでもないやん。
それにポロホロフカ戦車戦の実態は独ソ両方の記録が見つかって90年台あたりから次第に明らかになってきてたやん。
もっと言えば、ソ連側の当時の発表もずいぶん違ってたから、ドイツもソ連もどっちもどっちだから、
あえて言えば「パウルカレルとソビエト共産党によるねつ造だった!」くらいに誇張した方がセンセーショナルな記事として面白いかったかもしれん。 そういえば、ムッソリーニが監禁されていた(スコルツェニーが救出)
カンポ・インペラトーレ・ホテル。
山崎もホテルって書いてるけど
昔の記事では、「あれはホテルではない山荘である」とか本文に書いてあったな
あれも珍説か。
イラストにはカンポ・インペラトーレ・ホテルって記載されてて
読者が混乱してた。 プロホロフカは数十両のドイツ戦車に
数百のソ連戦車が断続的に攻撃をしかけ、
射的状態でやられたってのが実態だっけ
まあ見方によっては大戦車戦か
ただ歴史群像に載ってたのは
プロホロフカ付近での戦車戦は
全く起きてないって説だった気が
うろ覚えだけど >78
付近というのを日本的感覚で捉えるか、独ソの東部戦線的にとらえるかで大きくかわると思う。
だって東部戦線、ランドマークがなにもないもん・・・
日本で付近といえば数キロ圏内だろうけど、あちじゃ視認範囲内になにも無いというのもザラ
(〜岬沖ってのに感覚的に近いものを感じる) >この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。
自動車化歩兵である独立歩兵第一連隊も調べました。
こっちも歩兵将校(寺倉歩兵大佐=前歴は歩兵学校研究部)率いるれっきとした歩兵だった・・・
(ただし軽装甲車中隊を独自に保有)
騎兵旅団どこいった〜?どこ〜??(´・ω・`)
騎兵旅団をどう機械化すると独立歩兵第一連隊になるの???
つか、この時点で解隊や改編された騎兵旅団ないし、騎兵旅団を参考にして新編としても編成に共通点が無さすぎ。
編制としても、むしろ通常の歩兵連隊に近く、通常の歩兵連隊に軽装甲車中隊を加えたものです。
(歩兵3個大隊/歩兵砲中隊/速射砲中隊/軽装甲車中隊)
指揮官も歩兵科だし
これでどう考えれば騎兵旅団的な運用をしようとしてたと考えられるのか?
どう考えても騎兵の機械化じゃなくて、歩兵の機械化だよね。
私のような旧軍騎兵を専門としない素人がちょっと調べただけで騎兵要素がどんどん潰されていくなぁ >この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。
自動車化歩兵である独立歩兵第一連隊も調べました。
こっちも歩兵将校(寺倉歩兵大佐=前歴は歩兵学校研究部)率いるれっきとした歩兵だった・・・
(ただし軽装甲車中隊を独自に保有)
騎兵旅団どこいった〜?どこ〜??(´・ω・`)
騎兵旅団をどう機械化すると独立歩兵第一連隊になるの???
つか、この時点で解隊や改編された騎兵旅団ないし、騎兵旅団を参考にして新編としても編成に共通点が無さすぎ。
編制としても、むしろ通常の歩兵連隊に近く、通常の歩兵連隊に軽装甲車中隊を加えたものです。
(歩兵3個大隊/歩兵砲中隊/速射砲中隊/軽装甲車中隊)
指揮官も歩兵科だし
これでどう考えれば騎兵旅団的な運用をしようとしてたと考えられるのか?
どう考えても騎兵の機械化じゃなくて、歩兵の機械化だよね。
私のような旧軍騎兵を専門としない素人がちょっと調べただけで騎兵要素がどんどん潰されていくなぁ つうか、古峰資料何も調べずに自分の気の向くまま書いてるだろ。 >この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。
自動車化歩兵である独立歩兵第一連隊も調べました。
こっちも歩兵将校(寺倉歩兵大佐=前歴は歩兵学校研究部)率いるれっきとした歩兵だった・・・
(ただし軽装甲車中隊を独自に保有)
騎兵旅団どこいった〜?どこ〜??(´・ω・`)
騎兵旅団をどう機械化すると独立歩兵第一連隊になるの???
つか、この時点で解隊や改編された騎兵旅団ないし、騎兵旅団を参考にして新編としても編成に共通点が無さすぎ。
編制としても、むしろ通常の歩兵連隊に近く、通常の歩兵連隊に軽装甲車中隊を加えたものです。
(歩兵3個大隊/歩兵砲中隊/速射砲中隊/軽装甲車中隊)
指揮官も歩兵科だし
これでどう考えれば騎兵旅団的な運用をしようとしてたと考えられるのか?
どう考えても騎兵の機械化じゃなくて、歩兵の機械化だよね。
私のような旧軍騎兵を専門としない素人がちょっと調べただけで騎兵要素がどんどん潰されていくなぁ ちなみに「帝国陸軍機甲部隊」ではp61-p62にかけて
教育総監の訓示など一次資料をもとに
混成旅団野第3/第4大隊は主兵たる歩兵連隊を支援する共同戦闘が主務とし、機甲部隊というよりも自動車化歩兵部隊であったと結論しています。
本書は古い本ではありますが、一次資料をふんだんに使用し考察しており、これに異を唱えるというのであれば
それなりの新資料の発掘と論理的考察が必要と思われます。
なお、95式軽戦車の仮正式制定の会議(第13回軍需審議会)についてはp66-p70にかけ詳細に記述(むろん古峰氏以上の分量)
なお、本会議の結論としては
騎兵側意見
・現在の仕様で十分(速度重視)
戦車側意見
・戦車隊装備としては不適当(装甲重視)
・しかし装甲自動車隊の装備としては適当
結論
・軽装甲車や装甲自動車にかわるものとして可決
しかし、上記に書いたように混成旅団は機械化騎兵ではなく、そもそもが自動車化歩兵でした。
ここは配備の不適当を指摘すべきなのに、95式が配備されたのは混成旅団が機械化騎兵だからだ!に飛ぶのか???
もしくは混成旅団を機械化騎兵にしようとしていた!になるのか???
(混成旅団の本質と機械化騎兵であると主張するというのはそういうことなんでしょ?)
ちなみに混成旅団は95式だけではなく、89式も配備されていたことは前述の通り
こうなると、89式を今後の新中戦車と交代させつつ、95式を混成旅団における騎兵任務に充てるつもりであったと推測できるわけです。
これはその後の戦車連隊や戦車師団の運用とも合致しております。
となると混成旅団は「自動車化歩兵を主力とし、中戦車を支援戦車に、軽戦車を捜索(騎兵)として配備した諸兵科連合の機械化(自動車化)歩兵部隊である」という結論になるのではないであらうか。 改めて調査し考察したら私自身が最初に主張した
「混成旅団は機動戦車部隊の機甲部隊である」
から後退し、なんか自動車化歩兵まで退化してしまいましたが・・・
その後の混成旅団の問題は、89式に代わる支援戦車(ちはたん)が配備される前に
つまり本来想定されていた運用が可能になる装備が整う前に実戦投入され、
支援戦車の役割を機動戦車でる軽戦車で代用しようとしたが、
やはり木村大佐(13回会議の戦車側の出席者)の主張した通り
やっぱ無理だったね。
という話であり、やはり騎兵の話は無関係っぽいなぁ
やっぱ騎兵の機械化は騎兵連隊から捜索連隊への改編の流れで理解しないとダメだよなぁ ちなみに「帝国陸軍機甲部隊」ではp61-p62にかけて
教育総監の訓示など一次資料をもとに
混成旅団野第3/第4大隊は主兵たる歩兵連隊を支援する共同戦闘が主務とし、機甲部隊というよりも自動車化歩兵部隊であったと結論しています。
本書は古い本ではありますが、一次資料をふんだんに使用し考察しており、これに異を唱えるというのであれば
それなりの新資料の発掘と論理的考察が必要と思われます。
なお、95式軽戦車の仮正式制定の会議(第13回軍需審議会)についてはp66-p70にかけ詳細に記述(むろん古峰氏以上の分量)
なお、本会議の結論としては
騎兵側意見
・現在の仕様で十分(速度重視)
戦車側意見
・戦車隊装備としては不適当(装甲重視)
・しかし装甲自動車隊の装備としては適当
結論
・軽装甲車や装甲自動車にかわるものとして可決
しかし、上記に書いたように混成旅団は機械化騎兵ではなく、そもそもが自動車化歩兵でした。
ここは配備の不適当を指摘すべきなのに、95式が配備されたのは混成旅団が機械化騎兵だからだ!に飛ぶのか???
もしくは混成旅団を機械化騎兵にしようとしていた!になるのか???
(混成旅団の本質と機械化騎兵であると主張するというのはそういうことなんでしょ?)
ちなみに混成旅団は95式だけではなく、89式も配備されていたことは前述の通り
こうなると、89式を今後の新中戦車と交代させつつ、95式を混成旅団における騎兵任務に充てるつもりであったと推測できるわけです。
これはその後の戦車連隊や戦車師団の運用とも合致しております。
となると混成旅団は「自動車化歩兵を主力とし、中戦車を支援戦車に、軽戦車を捜索(騎兵)として配備した諸兵科連合の機械化(自動車化)歩兵部隊である」という結論になるのではないであらうか。 つか、そろそろダイアモンドアイが出てきても良さそうなのですが・・・
みんな、私がだれだかもう判ってんだろ?
ほら、さあ
(うずうず) ちなみに「帝国陸軍機甲部隊」ではp61-p62にかけて
教育総監の訓示など一次資料をもとに
混成旅団野第3/第4大隊は主兵たる歩兵連隊を支援する共同戦闘が主務とし、機甲部隊というよりも自動車化歩兵部隊であったと結論しています。
本書は古い本ではありますが、一次資料をふんだんに使用し考察しており、これに異を唱えるというのであれば
それなりの新資料の発掘と論理的考察が必要と思われます。
なお、95式軽戦車の仮正式制定の会議(第13回軍需審議会)についてはp66-p70にかけ詳細に記述(むろん古峰氏以上の分量)
なお、本会議の結論としては
騎兵側意見
・現在の仕様で十分(速度重視)
戦車側意見
・戦車隊装備としては不適当(装甲重視)
・しかし装甲自動車隊の装備としては適当
結論
・軽装甲車や装甲自動車にかわるものとして可決
しかし、上記に書いたように混成旅団は機械化騎兵ではなく、そもそもが自動車化歩兵でした。
ここは配備の不適当を指摘すべきなのに、95式が配備されたのは混成旅団が機械化騎兵だからだ!に飛ぶのか???
もしくは混成旅団を機械化騎兵にしようとしていた!になるのか???
(混成旅団の本質と機械化騎兵であると主張するというのはそういうことなんでしょ?)
ちなみに混成旅団は95式だけではなく、89式も配備されていたことは前述の通り
こうなると、89式を今後の新中戦車と交代させつつ、95式を混成旅団における騎兵任務に充てるつもりであったと推測できるわけです。
これはその後の戦車連隊や戦車師団の運用とも合致しております。
となると混成旅団は「自動車化歩兵を主力とし、中戦車を支援戦車に、軽戦車を捜索(騎兵)として配備した諸兵科連合の機械化(自動車化)歩兵部隊である」という結論になるのではないであらうか。 「歴史群像」2017年6月号掲載「日本陸軍装備変遷史」(古峰文三)より
「…一般には発生した事実をつなげて、南方島嶼の防衛戦は初期の水際撃滅志向から、
ペリリュー島、硫黄島などで見られた後退防御、持久戦術へと転換したと考えられ、
本土決戦ではヒステリックな全軍特攻主義によって再び水際邀撃を志向した
との認識が強い。しかし実際には、陸軍が本格的に敵の大規模上陸に対抗する総合的な
研究を完成させたのは本土決戦計画からだったともいえる。
ノルマンディ戦の情報から得られた教訓は、圧倒的な艦砲射撃と航空攻撃によって
上陸海岸後方での部隊移動が極めて困難で、内陸に控置した予備兵力を上陸海岸へ
増援に送り出すことができないという厳しい現実だった。
連合軍上陸前のドイツ軍部内でも議論となったこの問題が改めて検討された結果、
上陸海岸無防備放置戦法は放棄され、海岸陣地の強化と火力の集中が図られている。
南方の島嶼に輸送された師団が内地に残していった野戦重砲などが比較的豊富に
存在していたため、海岸陣地の支援火力は比較的充実したものとなっていた。」
南方に送られた師団の中には野戦重砲を装備していたものがあったの?
あと、同じ号に掲載されている編制の記事を見ると、本土決戦用として、
昭和20年4月の「第二次兵備」で、歩兵師団ながら機動力を活かして敵を打撃する
「機動師団」が8個も編成されていて、敵の制空権下での機動を考慮して師団直轄の
機関砲隊を編制に加えていて、
あと、「決戦兵団」と呼ばれた第三十六軍って海岸近くに配備されてましたっけ?
「上陸海岸後方での部隊移動が極めて困難」
「内陸に控置した予備兵力を上陸海岸へ増援に送り出すことができない」
って教訓を得ていたんですよねえ? 自分の認識では、日本陸軍の野戦重砲は、師団隷下ではなく
独立の野戦重砲兵連隊だけに配備されていたと思うんだが… 気になるのは、
>南方の島嶼に輸送された師団が内地に残していった野戦重砲
ってどんな資料を見て書いたのかってこと。 「歴史群像」2017年6月号掲載「日本陸軍装備変遷史」(古峰文三)より
「…一般には発生した事実をつなげて、南方島嶼の防衛戦は初期の水際撃滅志向から、
ペリリュー島、硫黄島などで見られた後退防御、持久戦術へと転換したと考えられ、
本土決戦ではヒステリックな全軍特攻主義によって再び水際邀撃を志向した
との認識が強い。しかし実際には、陸軍が本格的に敵の大規模上陸に対抗する総合的な
研究を完成させたのは本土決戦計画からだったともいえる。
ノルマンディ戦の情報から得られた教訓は、圧倒的な艦砲射撃と航空攻撃によって
上陸海岸後方での部隊移動が極めて困難で、内陸に控置した予備兵力を上陸海岸へ
増援に送り出すことができないという厳しい現実だった。
連合軍上陸前のドイツ軍部内でも議論となったこの問題が改めて検討された結果、
上陸海岸無防備放置戦法は放棄され、海岸陣地の強化と火力の集中が図られている。
南方の島嶼に輸送された師団が内地に残していった野戦重砲などが比較的豊富に
存在していたため、海岸陣地の支援火力は比較的充実したものとなっていた。」
南方に送られた師団の中には野戦重砲を装備していたものがあったの?
あと、同じ号に掲載されている編制の記事を見ると、本土決戦用として、
昭和20年4月の「第二次兵備」で、歩兵師団ながら機動力を活かして敵を打撃する
「機動師団」が8個も編成されていて、敵の制空権下での機動を考慮して師団直轄の
機関砲隊を編制に加えていて、
あと、「決戦兵団」と呼ばれた第三十六軍って海岸近くに配備されてましたっけ?
「上陸海岸後方での部隊移動が極めて困難」
「内陸に控置した予備兵力を上陸海岸へ増援に送り出すことができない」
って教訓を得ていたんですよねえ? 「歴史群像」2017年6月号掲載「日本陸軍装備変遷史」(古峰文三)より
「…一般には発生した事実をつなげて、南方島嶼の防衛戦は初期の水際撃滅志向から、
ペリリュー島、硫黄島などで見られた後退防御、持久戦術へと転換したと考えられ、
本土決戦ではヒステリックな全軍特攻主義によって再び水際邀撃を志向した
との認識が強い。しかし実際には、陸軍が本格的に敵の大規模上陸に対抗する総合的な
研究を完成させたのは本土決戦計画からだったともいえる。
ノルマンディ戦の情報から得られた教訓は、圧倒的な艦砲射撃と航空攻撃によって
上陸海岸後方での部隊移動が極めて困難で、内陸に控置した予備兵力を上陸海岸へ
増援に送り出すことができないという厳しい現実だった。
連合軍上陸前のドイツ軍部内でも議論となったこの問題が改めて検討された結果、
上陸海岸無防備放置戦法は放棄され、海岸陣地の強化と火力の集中が図られている。
南方の島嶼に輸送された師団が内地に残していった野戦重砲などが比較的豊富に
存在していたため、海岸陣地の支援火力は比較的充実したものとなっていた。」
南方に送られた師団の中には野戦重砲を装備していたものがあったの?
あと、同じ号に掲載されている編制の記事を見ると、本土決戦用として、
昭和20年4月の「第二次兵備」で、歩兵師団ながら機動力を活かして敵を打撃する
「機動師団」が8個も編成されていて、敵の制空権下での機動を考慮して師団直轄の
機関砲隊を編制に加えていて、
あと、「決戦兵団」と呼ばれた第三十六軍って海岸近くに配備されてましたっけ?
「上陸海岸後方での部隊移動が極めて困難」
「内陸に控置した予備兵力を上陸海岸へ増援に送り出すことができない」
って教訓を得ていたんですよねえ? ちなみに「帝国陸軍機甲部隊」ではp61-p62にかけて
教育総監の訓示など一次資料をもとに
混成旅団野第3/第4大隊は主兵たる歩兵連隊を支援する共同戦闘が主務とし、機甲部隊というよりも自動車化歩兵部隊であったと結論しています。
本書は古い本ではありますが、一次資料をふんだんに使用し考察しており、これに異を唱えるというのであれば
それなりの新資料の発掘と論理的考察が必要と思われます。
なお、95式軽戦車の仮正式制定の会議(第13回軍需審議会)についてはp66-p70にかけ詳細に記述(むろん古峰氏以上の分量)
なお、本会議の結論としては
騎兵側意見
・現在の仕様で十分(速度重視)
戦車側意見
・戦車隊装備としては不適当(装甲重視)
・しかし装甲自動車隊の装備としては適当
結論
・軽装甲車や装甲自動車にかわるものとして可決
しかし、上記に書いたように混成旅団は機械化騎兵ではなく、そもそもが自動車化歩兵でした。
ここは配備の不適当を指摘すべきなのに、95式が配備されたのは混成旅団が機械化騎兵だからだ!に飛ぶのか???
もしくは混成旅団を機械化騎兵にしようとしていた!になるのか???
(混成旅団の本質と機械化騎兵であると主張するというのはそういうことなんでしょ?)
ちなみに混成旅団は95式だけではなく、89式も配備されていたことは前述の通り
こうなると、89式を今後の新中戦車と交代させつつ、95式を混成旅団における騎兵任務に充てるつもりであったと推測できるわけです。
これはその後の戦車連隊や戦車師団の運用とも合致しております。
となると混成旅団は「自動車化歩兵を主力とし、中戦車を支援戦車に、軽戦車を捜索(騎兵)として配備した諸兵科連合の機械化(自動車化)歩兵部隊である」という結論になるのではないであらうか。 >この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。
自動車化歩兵である独立歩兵第一連隊も調べました。
こっちも歩兵将校(寺倉歩兵大佐=前歴は歩兵学校研究部)率いるれっきとした歩兵だった・・・
(ただし軽装甲車中隊を独自に保有)
騎兵旅団どこいった〜?どこ〜??(´・ω・`)
騎兵旅団をどう機械化すると独立歩兵第一連隊になるの???
つか、この時点で解隊や改編された騎兵旅団ないし、騎兵旅団を参考にして新編としても編成に共通点が無さすぎ。
編制としても、むしろ通常の歩兵連隊に近く、通常の歩兵連隊に軽装甲車中隊を加えたものです。
(歩兵3個大隊/歩兵砲中隊/速射砲中隊/軽装甲車中隊)
指揮官も歩兵科だし
これでどう考えれば騎兵旅団的な運用をしようとしてたと考えられるのか?
どう考えても騎兵の機械化じゃなくて、歩兵の機械化だよね。
私のような旧軍騎兵を専門としない素人がちょっと調べただけで騎兵要素がどんどん潰されていくなぁ >>52
>この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
>ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。
本文を見たら
>この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。そして騎兵の機械化であるため、
>装備する戦車は全て機動戦車である九五式戦車とされた。
これによると、騎兵旅団の機械化であって、戦車はそれに加えたものだから、
戦車部隊の由来を調べる必要はない、そもそも関係ないという考えなんだろう。
>ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
>編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
これも本文を見ると、
>しかし、肝心の装甲戦力を担う九五式軽戦車の生産不足から当初は低速の八九式中戦車が配備されたことから、
>旅団の戦車部隊は自動車化歩兵の乗るトラックに路上では追随できず、最も重要な自動車化歩兵との協同作戦能力ができなかった。
とあって、九四式軽装甲車への言及はないから、関係ないと思っているのでは? >51
いやこれ加登川氏の「帝国陸軍機甲部隊」に既に第13回軍需会議の経緯が載ってるし
同書に、独立混成第一旅団編成以前の戦車旅団増設についても載ってたはず。
(もともとの戦車旅団の編成拡大について、これになければ、学研ムックの「帝国機甲部隊」の方にあるはず)
どうも小峰氏は、加登川氏の「帝国陸軍機甲部隊」の95式採用時の議論を元ネタとして、他のスペック系記事付け加え、この記事を書いたように見受けられるのですが・・・
資料以前に、正しい知見を得るには正しい読解力が必要というだけの話ではないか?
ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
89式中戦車は遅すぎ(そもそもその遅さが機動戦車としての95式軽戦車の開発原因)なので新編部隊の編成車両としては不適当
とはいえ全部、95式軽戦車で揃えるには時間と予算が不足しており、94式軽装甲車で部隊の車両数を水増した可能性も捨てきれないと思います。
(確かもとの第3/第4大隊編成時の理由がそれだったような・・・)
この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。 いいかげんうざい
自分のツイッターかブログでやってくれ 歴群の95式記事
あれだな、記事もそうだけど見出しが特におかしいんだ
>騎兵の機械化を念頭に、快速・好打の機動戦車として産声を上げるはずだった九五式軽戦車が、なぜ「歩兵の火力支援」を主眼とする体系の中に組み込まれてしまったのか。
95式は軽兵と機甲の共用装備が念頭であり、騎兵の機械化だけが主ではない。
騎兵装備の重装車の後継と機甲部隊の機動戦車との要求が近いので共用装備を目指すが
騎兵=いいねこれ
機甲=装甲うすい役立たず
(このへんの議論の元ネタは加登川氏の帝国陸軍機甲部隊)
結果、機甲が妥協して正式化されましたが、当の騎兵は95式とは【別に】、捜索連隊向けの94式軽装甲車の後継として97式軽装甲車を開発。
(じゃあ、最初から95式は機甲の要望を入れ重装甲化し、騎兵は独自に97式軽装甲車を作ってれば良かったものを・・・なぜ自分で賛成した95式軽戦車とは別に97式軽装甲車を作ったんだか・・・)
(記事を書くなら、この謎を解いて欲しかった…)
あと、独立混成第一旅団の母体が騎兵?
第3/第4戦車大隊って第1/第2戦車旅団からの新編/派遣が基礎でしょ(独混の前)
さらに歩兵戦車学校の教導部隊が母体だったりだし
どこらへんが騎兵が母体なんだろう?
(そのあたりの説明は記事になし・・・) >51
いやこれ加登川氏の「帝国陸軍機甲部隊」に既に第13回軍需会議の経緯が載ってるし
同書に、独立混成第一旅団編成以前の戦車旅団増設についても載ってたはず。
(もともとの戦車旅団の編成拡大について、これになければ、学研ムックの「帝国機甲部隊」の方にあるはず)
どうも小峰氏は、加登川氏の「帝国陸軍機甲部隊」の95式採用時の議論を元ネタとして、他のスペック系記事付け加え、この記事を書いたように見受けられるのですが・・・
資料以前に、正しい知見を得るには正しい読解力が必要というだけの話ではないか?
ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
89式中戦車は遅すぎ(そもそもその遅さが機動戦車としての95式軽戦車の開発原因)なので新編部隊の編成車両としては不適当
とはいえ全部、95式軽戦車で揃えるには時間と予算が不足しており、94式軽装甲車で部隊の車両数を水増した可能性も捨てきれないと思います。
(確かもとの第3/第4大隊編成時の理由がそれだったような・・・)
この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。 >>52
>この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
>ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。
本文を見たら
>この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。そして騎兵の機械化であるため、
>装備する戦車は全て機動戦車である九五式戦車とされた。
これによると、騎兵旅団の機械化であって、戦車はそれに加えたものだから、
戦車部隊の由来を調べる必要はない、そもそも関係ないという考えなんだろう。
>ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
>編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
これも本文を見ると、
>しかし、肝心の装甲戦力を担う九五式軽戦車の生産不足から当初は低速の八九式中戦車が配備されたことから、
>旅団の戦車部隊は自動車化歩兵の乗るトラックに路上では追随できず、最も重要な自動車化歩兵との協同作戦能力ができなかった。
とあって、九四式軽装甲車への言及はないから、関係ないと思っているのでは? 外道のLansとしては、ダイヤモンドアイの外道照身靈波光線を受けて
ばぁれたかぁ〜!
をやりたかったのですが・・・
なにか涌いてしまいましたねぇ >>109
だまれカス
必死みりゃすぐわかんだよボケ
死ね >>52
>この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
>ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。
本文を見たら
>この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。そして騎兵の機械化であるため、
>装備する戦車は全て機動戦車である九五式戦車とされた。
これによると、騎兵旅団の機械化であって、戦車はそれに加えたものだから、
戦車部隊の由来を調べる必要はない、そもそも関係ないという考えなんだろう。
>ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
>編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
これも本文を見ると、
>しかし、肝心の装甲戦力を担う九五式軽戦車の生産不足から当初は低速の八九式中戦車が配備されたことから、
>旅団の戦車部隊は自動車化歩兵の乗るトラックに路上では追随できず、最も重要な自動車化歩兵との協同作戦能力ができなかった。
とあって、九四式軽装甲車への言及はないから、関係ないと思っているのでは? 歴群の95式記事
あれだな、記事もそうだけど見出しが特におかしいんだ
>騎兵の機械化を念頭に、快速・好打の機動戦車として産声を上げるはずだった九五式軽戦車が、なぜ「歩兵の火力支援」を主眼とする体系の中に組み込まれてしまったのか。
95式は軽兵と機甲の共用装備が念頭であり、騎兵の機械化だけが主ではない。
騎兵装備の重装車の後継と機甲部隊の機動戦車との要求が近いので共用装備を目指すが
騎兵=いいねこれ
機甲=装甲うすい役立たず
(このへんの議論の元ネタは加登川氏の帝国陸軍機甲部隊)
結果、機甲が妥協して正式化されましたが、当の騎兵は95式とは【別に】、捜索連隊向けの94式軽装甲車の後継として97式軽装甲車を開発。
(じゃあ、最初から95式は機甲の要望を入れ重装甲化し、騎兵は独自に97式軽装甲車を作ってれば良かったものを・・・なぜ自分で賛成した95式軽戦車とは別に97式軽装甲車を作ったんだか・・・)
(記事を書くなら、この謎を解いて欲しかった…)
あと、独立混成第一旅団の母体が騎兵?
第3/第4戦車大隊って第1/第2戦車旅団からの新編/派遣が基礎でしょ(独混の前)
さらに歩兵戦車学校の教導部隊が母体だったりだし
どこらへんが騎兵が母体なんだろう?
(そのあたりの説明は記事になし・・・) >この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。
自動車化歩兵である独立歩兵第一連隊も調べました。
こっちも歩兵将校(寺倉歩兵大佐=前歴は歩兵学校研究部)率いるれっきとした歩兵だった・・・
(ただし軽装甲車中隊を独自に保有)
騎兵旅団どこいった〜?どこ〜??(´・ω・`)
騎兵旅団をどう機械化すると独立歩兵第一連隊になるの???
つか、この時点で解隊や改編された騎兵旅団ないし、騎兵旅団を参考にして新編としても編成に共通点が無さすぎ。
編制としても、むしろ通常の歩兵連隊に近く、通常の歩兵連隊に軽装甲車中隊を加えたものです。
(歩兵3個大隊/歩兵砲中隊/速射砲中隊/軽装甲車中隊)
指揮官も歩兵科だし
これでどう考えれば騎兵旅団的な運用をしようとしてたと考えられるのか?
どう考えても騎兵の機械化じゃなくて、歩兵の機械化だよね。
私のような旧軍騎兵を専門としない素人がちょっと調べただけで騎兵要素がどんどん潰されていくなぁ ちなみに「帝国陸軍機甲部隊」ではp61-p62にかけて
教育総監の訓示など一次資料をもとに
混成旅団野第3/第4大隊は主兵たる歩兵連隊を支援する共同戦闘が主務とし、機甲部隊というよりも自動車化歩兵部隊であったと結論しています。
本書は古い本ではありますが、一次資料をふんだんに使用し考察しており、これに異を唱えるというのであれば
それなりの新資料の発掘と論理的考察が必要と思われます。
なお、95式軽戦車の仮正式制定の会議(第13回軍需審議会)についてはp66-p70にかけ詳細に記述(むろん古峰氏以上の分量)
なお、本会議の結論としては
騎兵側意見
・現在の仕様で十分(速度重視)
戦車側意見
・戦車隊装備としては不適当(装甲重視)
・しかし装甲自動車隊の装備としては適当
結論
・軽装甲車や装甲自動車にかわるものとして可決
しかし、上記に書いたように混成旅団は機械化騎兵ではなく、そもそもが自動車化歩兵でした。
ここは配備の不適当を指摘すべきなのに、95式が配備されたのは混成旅団が機械化騎兵だからだ!に飛ぶのか???
もしくは混成旅団を機械化騎兵にしようとしていた!になるのか???
(混成旅団の本質と機械化騎兵であると主張するというのはそういうことなんでしょ?)
ちなみに混成旅団は95式だけではなく、89式も配備されていたことは前述の通り
こうなると、89式を今後の新中戦車と交代させつつ、95式を混成旅団における騎兵任務に充てるつもりであったと推測できるわけです。
これはその後の戦車連隊や戦車師団の運用とも合致しております。
となると混成旅団は「自動車化歩兵を主力とし、中戦車を支援戦車に、軽戦車を捜索(騎兵)として配備した諸兵科連合の機械化(自動車化)歩兵部隊である」という結論になるのではないであらうか。 >>52
>この問題は、独混第一編成以前の、第1/第2戦車旅団新編時(つまり第3/第4大隊の編制経緯)を調査する必要があるはずです。
>ここを調べなければ、独立混成第一旅団の母体が機甲(歩兵)か騎兵かの断言はできないはず。
本文を見たら
>この旅団の本質は。騎兵旅団を機械化し戦車を加えたものだった。そして騎兵の機械化であるため、
>装備する戦車は全て機動戦車である九五式戦車とされた。
これによると、騎兵旅団の機械化であって、戦車はそれに加えたものだから、
戦車部隊の由来を調べる必要はない、そもそも関係ないという考えなんだろう。
>ちなみに独立混成第一旅団が機械化騎兵としてみる根拠になりそうなものといえば
>編成装備が、95式軽戦車と、94式軽装甲車からなっており、94式軽装甲車が騎兵採用車輛であることぐらいなのですが・・・
これも本文を見ると、
>しかし、肝心の装甲戦力を担う九五式軽戦車の生産不足から当初は低速の八九式中戦車が配備されたことから、
>旅団の戦車部隊は自動車化歩兵の乗るトラックに路上では追随できず、最も重要な自動車化歩兵との協同作戦能力ができなかった。
とあって、九四式軽装甲車への言及はないから、関係ないと思っているのでは? これは小峰文三が発狂して荒らしてるんだろうな
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