〈2月号〉 イスラエルはパレスチナ人を迫害しているのか?
https://blog.goo.ne.jp/shofar_tsunobue/e/aa528d6fde270eff7d02ecc6d05b0d54

一般的には、「ユダヤ人はアラブ人の貧農から土地を買い叩いた」とか、
「ユダヤ人はアラブ人を追い出して入植地を建設した」とか言われていますが、それは事実ではありません。
アラブ人の人口が急増したのは、大規模なユダヤ人の入植活動が始まり、労働力が不足するようになって以降のことです。
ヨルダン、イラク、シリアから何万人ものアラブ人たちが職を求めてパレスチナに流入してきました。
その結果、現在パレスチナ人と呼ばれるアラブ人の人口が増えたのです(第一次大戦後から第二次大戦勃発までの期間に、
パレスチナのアラブ人人口は75.2%増加しています。人数で言うと、38万人の増加です)。

第4回 「イスラエル・ユダヤの歴史 (3) ―オスマントルコ帝国時代編―」
http://yonochurch.life.coocan.jp/israel-04.html

ユダヤ人の移住によって地域が開発されると、中東では、オスマン・トルコ帝国の衰退に伴い、
多くの地域が貧困に陥り、そこからアラブ人が職を求めてパレスチナになだれ込んで来ました。
現在の「パレスチナ人」の多くは、その時に移ってきた人たちの子孫なのです。

パレスチナ問題の実態
http://www.bfpj.org/know/israel/reality/

農場ができると、仕事を求めて周辺の土地から移民(多くの場合アラブ人)が集まり始め、人口も爆発的に増えていきました。

第一次世界大戦と英国統治下のイスラエル
https://shikaoichurch.com/2017/09/07/israel-1900-1914/

人口統計からうかがえるのは、ユダヤ移民の増加に伴い、地域全体の人口も大幅に増加していることです。
シリア、ヨルダン、エジプトなど周辺地域からのアラブ人の人口流入がユダヤ移民以上にあり、この時期、ユダヤ人は常に少数でした。

ユダヤ移民によって、荒れ地が緑化され、湿地帯が干拓され、町ができ、人々が集まり、仕事が生まれてくる。
地域全体が活性化するなかでの人口流入だったことが分かります。

少なくとも、1948年以前、ユダヤ人が、武力でアラブ人を追い出して侵略した、という事実はどこにも見当たりません。