1942年の今日、米軍爆撃機により初めて日本本土空襲が行われました


ドーリットル爆撃隊が日本本土空襲

1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃以来、日本軍は太平洋戦域で快進撃を続けた。
米国軍部は国内の戦意を高めようと、日本本土の空襲を企てたが、航続距離の短い通常の空母艦載機での実行は難しい。
そこで、航続距離の長い陸軍の中型爆撃機B25を空母に載せ、日本本土を奇襲する作戦を立てた。

指揮を命じられたジェームズ・ドーリットル中佐は42年4月18日、日本軍の哨戒線ぎりぎりまで近づいた空母ホーネットから16機のB25を率いて飛び立ち、
東京、川崎、横須賀、神戸、名古屋を爆撃することに成功した。
ドーリットル爆撃隊は当初から空母への帰還を考えず、中国大陸に離脱した後、搭乗員はパラシュートなどで脱出した。
しかし、8人が日本軍の捕虜になり、うち3人は処刑された。

日本側は爆撃の被害を秘密にしたが、戦後の調査で死亡約90人、負傷約460人、全半焼家屋290戸という大きな損害が明らかになった。
また、本土爆撃に大きなショックを受けた日本軍部は、制海圏拡大を狙ってミッドウェー攻略作戦を発動、これが戦局の大きな転換につながった。

https://www.jiji.com/jc/v2?id=20110803end_of_pacifi_war_10