第一次世界大戦について語るスレ 6
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>>593 基本的にマスコミの扇動で民衆が動いて良かった事は殆どないやろ >>592 ポピュリズムにどう対応するかは近代以降の民主主義の課題だよなあ Q)日露戦争でロシア側は未だ余力があったの? A)そんなことはありません。我が国は主に英国米国から 借金をしていましたが、ロシアもフランスから多額の借金 をしていました。首都から数千km離れた場所に数十万の遠征軍を 維持するのは、相当な財政的負担と思われます。 露西亜にとっては、早く終戦にしたかったでしょう。 ==== 【日本】 ■戦前金保有量→1千万ボンド ■借金→4千万ポンド(米英) ※戦費は2億円。その40%が8千万円が海外からの融資 【露西亜】 ■戦前金保有量→1億ボンド ■借金→3千万ポンド(仏)+2千万ポンド(独) https://en.wikipedia.org/wiki/Russo-Japanese_War ロシア帝国といい、ハプスブルク帝国といい、密告者や体制への転向者に報酬と免罪が与えられるようなお国柄だから、帝国の維持コストは当時の日英の比ではない 税金と公債で得た国庫の資金と資産額から、営利企業でいうところの引き当てを差し引かないと実力はわからない 密告しなければシベリア送り! というわけで、シベリアで木の数を数えるコストを調べればいい? どう調べればいいのかは判らんが 第一次世界大戦における賠償の流れ ・1914年9月 パリ前面に迫った独による対仏賠償請求案(9月案) 仏北部沿岸、資源地帯、独、ベルギー国境地帯の割譲 独が発行した国債の支払代行と100億マルクの賠償金 仏の武装解除と国内要塞の解体 英との軍事、経済の関係を破棄 独主導による中央ヨーロッパ経済同盟への参加 アフリカの仏、ベルギー植民地の委譲 ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの併合(べは国境地帯の割譲、オは属国化の案も有) ・1918年3月 ブレスト-リトフスク条約 独とソ(露ボルシェビキ)、中欧諸国との講和条約 フィンランド、バルト諸国、ベラルーシ、ウクライナの領土権放棄(実質はドイツへの譲渡と軍の駐留) 露・土戦争で得た旧トルコの返還(うちアルメニア、アゼルバイジャン、グルジアは独立) 3億マルクの賠償金 ・1918年8月 ブレスト-リトフスク条約 追加 60億マルクの賠償金 バクー油田の原油の引き渡し(生産量の1/3) ・1916〜1918年 ブカレスト条約 独とルーマニア バルカン戦争で得たルーマニア南部をブルガリアに返還 オーストリアハンガリーへの領土の割譲 ルーマニア国内の通行権 同盟側との関税同盟に参加 全余剰穀物の引き渡し 独に油田の権利を90年譲渡 ドイツ人官僚と顧問によるルーマニアの政策決定権と解雇権の譲渡 ・1918年11月 連合国と独の休戦協定 仏、ベルギー、アルザスロレーヌ地方からの15日以内の撤兵 兵器の引き渡し 捕虜の無条件解放 ブレスト-リトフスク条約とブカレスト条約の破棄 ・1919年6月 ヴェルサイユ条約 独は同盟国の責任を全て負う ベルギーへの賠償(独からの提案) 連合国への[高額]な賠償金の支払い(独からの提案) 独国境線を開戦前(1914年8月3日以前)に戻す 独国境沿いの多民族地域の帰属を投票により決定 ポーランド、仏への領土割譲 損害を受けた仏炭鉱の賠償としてザール地方炭鉱の所有権を有期で譲渡 ブレスト-リトフスク条約とブカレスト条約の破棄 国外資産と植民地の放棄 軍備制限と監視、非武装地帯を設ける 国際的な金融・経済組織からの排除 賠償金の額は償還委員会が1921年5月までに決定する ・1919年9月 サンジェルマンアンレー条約 連合国とオーストリア・ハンガリー二重帝国との講和 ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、スロベニア、クロアチア、セルビアの独立 (ただしハンガリーのドイツ語圏はオーストリアに残留) ルーマニア、イタリア、ユーゴスラビアへの領土割譲 植民地だった天津を中華民国に返還 独との政治・経済・軍事同盟の禁止 軍備の制限 オーストリアは経済が破綻して支払い能力がなかったのでオーストリアで生産された資材、 家畜で賠償。 ・1919年11月 ヌイイ=シュル=セーヌ条約 連合国とブルガリアとの講和 セルビア、クロアチア、スロベニアへの領土割譲 ブカレスト条約で得たブルガリア北部をルーマニアに返還 ブカレスト条約の破棄 損害賠償の一環としてギリシャ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニアへ 数千頭の家畜を譲渡 鉱山破壊の賠償でセルビア、クロアチア、スロベニアへ年50000tの石炭 賠償金22億5000万フラン 軍備の制限 ・1920年6月 トリアノン条約 連合国とハンガリーとの講和 イタリア、ルーマニア、チェコスロバキアへの領土割譲 (セルビア、ユーゴスラビア、クロアチア人の居住地域もそれぞれの民族国家に割譲?) 割譲した領土における資産、司法権の放棄 外国資産の放棄 賠償金2億マルク(1924年に確定、支払い能力が無いため1930年に取り消し) ・1920年8月 セーヴル条約 連合国とトルコとの講和 ブレスト-リトフスク条約の破棄 ドイツ資本の石油採掘権、鉄道の経営権の伊仏英への委譲 連合国金融委員会による国家財政管理(財政破綻寸前であったことも原因) 軍備の制限 特権的関税の廃止と関税の自由化 外国資産の放棄 海外の属領、属国の放棄 サンジェルマンアンレー条約に記載された家畜リスト 1.イタリア政府へ 3?5歳の乳牛4,000頭/1,000頭の未経産牛/生後18ヵ月から3年の間に50匹の雄牛/1,000頭の子牛 1,000個の労働用の去勢牛/2,000匹の豚 2.セルビア・クロアチア・スロベニア政府へ 3?5歳の乳牛1,000頭/300頭の未経産牛/生後18か月から3年までの雄牛25頭/1,000頭の子牛 500頭の労働用去勢牛/1000頭の労働馬/1000頭の羊 3.ルーマニア政府へ 3?5歳の乳牛1,000頭/500頭の未経産牛/生後18か月から3年までの25匹の雄牛/1,000頭の子牛 500頭の労働用去勢牛/1000頭の労働馬/1000頭の羊 資材は後にリストが出たはず 賠償対象になった資材は海底ケーブル、鉄鋼、木材、マグネサイト、各種建材など ヴェルサイユ賠償編 ・1918年11月 独側の賠償額想定 ベルギー、フランスに10億マルク 無制限潜水艦戦の損害賠償に380億マルク ただし独には200億マルク委譲の支払い能力はない ・1919年2月 独外相の想定 戦争による荒廃の賠償のみで連合国の戦費分の賠償ない ・1919年5月 独側から連合国への提案 賠償金1000億マルク 開戦前の領土保証 フランスの炭鉱への賠償 ・1921年初頭 償還委員会が金額確定までの一時金として200億マルクを請求 ・1921年1月 連合国側より2260億マルクを提案(償還委員会とは別) 独は300億マルクを提案 ・1921年5月5日 償還委員会は「ドイツとその同盟国の総責任」として1332億マルクの賠償を決定 この時点で連合国側はドイツと同盟国に支払い能力が無いことを把握していて賠償は A,B債権(合計500億マルク)C債権(残り)に分けられA,B債権の支払いが限界だ ろうと考えております。 ・1922年4月 ブルガリア 賠償金1億7300万フランを支払い (1924年に5億5000万フラン+連合国駐留費用2500万フランに減額 更に1925〜29年に4億1000万フランを支払って1932年のローザンヌ会議で残りは免除) オーストリア、ハンガリーは支払い能力なしトルコは1923年のローザンヌ条約でやはり免除 ・1922年12月 ドイツの賠償のうち石炭と木材の支払いが停止 償還委員会は賠償がデフォルトしたと宣言してルール地方の占領を決定 ・1924年4月 ドーズプラン ドイツに対して強硬なフランスが孤立し始めアメリカが主導 ルール地方からの撤退、債権の棚上げ賠償金支払いの一時免除と年間支払額の減額 アメリカ資本の流入とドイツ経済の健全化へ ・1929年2月 ヤングプラン 長期的な賠償支払い計画、80年で58億1400万マルク(ライヒスマルク)の支払いに減額 ・1931年 ハインリヒ・ブリューニング暴れる ・1932年 ローザンヌ会議 賠償金を1932年まで支払った分に加え30億の支払いで終了することで同意 1932年までに支払った賠償額は推定678億マルク(西ドイツ政府による)ドイツ国民のGNPの2.4% ・1933年 ちょびひげ、賠償金の支払いを拒否する ・1953年6月 西ドイツ政府 東西統一後に賠償金支払いの再開を約束 ・1995年 ドイツ政府、賠償金の支払い再開 ・2010年10月3日 賠償金支払い終了 2クールくらいにまとめられるかと思ったがセンスが無かった >ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの併合 第二帝国の領土欲も大概だなあ >>609 領土欲もそうだが、加減を知らないのは第二、第三帝国とも大差無い。 ゲルマン民族世界一ィ主義の行き着く先は要注意やなぁ。 ドイツに限らずナポレオンの時もタレーランが苦労してた様に 軍人の感覚に任せると賠償が行き過ぎちゃうんだろうね ベルギー、オランダ、ルクセンブルグはドイツ系民族が多数住んで関係で一民族一国家の 時代なので併合を考えるのは当時としては有りかなと。 ただ領土的な野心が無いわけではなく、1918年以降、ドイツ主導のヨーロッパ再編を妄想し だして、オーストリア・ハンガリーと連邦国家を作り中央ヨーロッパからトルコ、スエズ運河ま でをドイツ主導の経済圏を作る構想をしています。 >>611 WW 1でもフォッシュあたりはドイツの分割を主張してた 結局本土が戦火に見舞われた訳でも無いのに多額の賠償だけが残ると敗北感より屈辱感が勝るんやろな どっちが先に殴ったか定かでもない恨みが積もり積もって300年ですからねえ フランスはドイツと言う国家をこの世から消しさりたいと考えて、ドイツはフランスと言う 国家をこの世から消し去りたいと考えているのですよね。 統一が遅れたドイツの方が攻撃的になりがちですが、フランスも根性が悪い所があり ますよね。 >>614 そういうテキトーで無根拠な思い込みをまあ アホなレイシストは呼吸をやめればいいのに 衝突のスパンが短いのでご先祖の恨みだけでなく、自分たちが受けたことへの恨みなんですよ。 キリが無いので独仏合同旅団で手打ちをしたり、恨みをリセットしてEUを設立したわけですけど。 ドイツの一極化などで新たな恨みが生まれているのは何とも。 アジアより全然マシ 独仏が攻撃的で根性が悪いなら日中韓はどういう言葉で表せばいいのかオレノ拙い語彙では思い浮かばない すぐにアジアって括るなよ 極東以外のアジアが迷惑に思うよ 独仏だって、ロシアが居なければ今でも敵対してるだろ ロシアがいなければなんて突飛な仮定を持ち出さないと持っていけない時点で馬鹿らしい 自分で言っていてもう少しまともな反論は無いのかと情けないと思わないのか >>623 ロシアというより米ソ両大国やろね それらに対抗するための方法論としてNATOやEUを重視する必要があり仲良くなった 翻ってアジアは中国が共産主義な上に大国化してきて韓国が一気に擦り寄ってる情勢 ヨーロッパと同列に考えるなんて無理無理 一笑に付してもらっても構わないが、もし核を無効にする秘密兵器が開発されたら、また各国は通常兵器で戦端を開くのかなぁ? 今も通常兵器で戦端を開いてるだろ 違うのは大規模徴兵制で揃えられた大規模陸軍の価値が大幅に復権する点 >>626 しかしなぁ・・面と向かって撃ち合うのもイヤだが、コーラ片手にハンバーガー齧りながらのオペレーターが操縦するドローンやプレデターなどの無人機に、ゲーム感覚でミサイル撃ち込まれて戦死するのも哀しいよなぁ。 >>627 中世の騎士「農民兵が引き金引くだけのクロスボウで戦死するのは嫌やなあ…せや教会に禁止してもらおう」 当時でも四肢の一部や顎などの顔の欠損は補綴して社会復帰が限定的に可能だったわけですが 四肢の全欠損、毒ガスの後遺症、重度のやけど、精神障害、視聴覚障害は社会復帰が難しくて 廃兵院などでその生涯を終えたそうです。 たしかフランスだけで30万人ほどいて、戦後の補償が大変な負担だったそうです。 なので>>627 さんには「ジョニーは戦場へ行った」をお勧めします。 WW1を舞台とした原作は絶版ですが、死に方だけではなく生き残り方も考えさせてくれます。 それでも小説のモデルとなった方よりはマシな人生だったわけですが。 [SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS…] ロシアビヨンドに大祖国戦争で四肢欠損をした傷痍軍人の話があった ttps://jp.rbth.com/history/82147-dainijisekaitaisen-go-soren-no-shoui-gunjin ロシアを屈服させた後、すぐに兵力を西へ送らずに まずバルカン半島から処理して、次にイタリアを屈服させてから フランスをラインとイタリアから攻めるべきだった。 バルカン半島はどれくらいで片付いてイタリアはどれくらいで片付いてフランス攻撃の準備が整うのはいつなの 時間がたつとアメリカ人も戦車もどんどん増えるよ あとギリシャもイタリアも片付いたとしても沿岸の警戒が必要な地域で兵力が完全に集中できるかというとそうでもないよね ドイツの思う通りに買ってたとしても、ベトナム戦争が欧州内で起こって泥沼になってただけだと思った 障碍者に厳しいドイツ第三帝国でも、傷痍軍人に対して同じ扱いをすることはできなかった ってあたりはかなりの矛盾だよなあと思った まあやったらやったで反軍反戦運動になったんだろうけど 障害者に厳しいったってそれで迫害の対象になるのは基本先天的なものだろ 千絵送れとかユダヤ人とかジプシーとか 我が国の場合は、後天的な傷痍でも万歳三唱が終わったらお国の為に自決しろと言われたわけですよ >>631 むしろ欲張って割譲地拡げたのが問題。 東部の安全確保にポーランド占領、バルト三国の独立承認だけなら、東部から西部へ移送出来る兵力と装備は倍になった。だからといってミヒャエルが成功したとは限らないけどね。 いずれにしろバルカン、イタリアで限りあるリソースを消耗するのは賢明とは言えない。 >>625 世界中の核を一瞬で爆発不能にする構想って実際あるよ、妄想に近いけど >>636 本来腹を切ってこの世から綺麗に消え去るのは将軍・士官だけで十分なのに 一兵卒にまでそれを強要したのが昭和の陸軍の過ちだなあ 大正時代に日本で大きな戦争が起きていたらどうだったんだろ? >>640 陸軍が西部戦線に大規模な援軍を出していれば、戦後は人材の確保がいかに重要かを理解しただろう。 ドイツ軍の塹壕に銃剣突撃する地獄絵のような経験をすれば、流石にね。 言語的にあまり密接なコミュニケーションは取れず 派兵されたとしても数十万人みたいな規模にはならないだろう日本兵は大攻撃には参加させられないと思うけど ポルトガル軍は55000名が西部戦線に派兵されてカイザーシュラハトの主攻目標にされたけど死者は2160名だった "塹壕に銃剣突撃する地獄絵図"が派兵期間中全くないとは思わないにしても よく定型文みたいに使われるが"数万人が数日で溶ける戦闘"に日本軍が使われるとは思わないな 日本陸軍は日露戦争で1度の会戦で万単位での損害を出す戦闘を経験している 日露戦争の戦訓を踏まえつつ第一次世界大戦の欧州戦線の塹壕戦にどのように対応できたのかは興味深い 昔は「正々堂々だった戦い」が血みどろになり、 今は、戦争という手段が過去のものになり、 再び「正々堂々の必要性が課題」になっている。 正々堂々とした奴から死んでいって、 隠れたり逃げ回る人たちのほうが生き残ったり買ったりするようになってきたわけで これは正直戦術の変化で兵器が当たりやすくなればなるほど臆病な奴のほうが有利になるという 我が国の旧軍は勇敢な人間は真っ先に玉砕戦場に送られて死んでいく世界だったからなあ 陸軍のお偉いさんは日露戦争の数年後に戦いを総括してわが軍に足りないのは精神力だと思ったそうね 海軍ともどもほんと日露戦争の直後から道を誤ってるね 日本の軍事・政治・国民世論の終わりの始まりが日露戦争だと思うの そして第一次の火事場泥棒→シベリア出兵→満州事変...と深みに嵌まっていくと >>649 世論はともかく、指導層は日露までは正気を保ってたと思うよ WW1で火事場泥棒に徹したのが失敗。誰かがどっかで書いてたけど、戦闘機のパイロットの養成&派遣だけでもやっておけば相当違ったはず 我が国の旧軍の勇敢な人間は偉い人が多くてしれっと生き残っているのが謎 特攻隊を送り出す側も「必ず俺も逝くから」と言っていたがしれっと死に損ねて生き残ってるのが大半だよね >>650 うん、そう思う。 従って以下のように修文します。 ×日露戦争が ◯日露戦争戦後処理の過程から >>647 士気喪失による兵卒の潰走が多数見受けられたそうだからね、そこで精神力強化の発想に至った そこまではそう間違ってない(日露戦争時点では) 総力戦時代になって戦争の変化や国力の制約もあるとはいえ、その後は…… なのも確かだけど How acoustics detected artillery in WWI Some of their creative innovations included wrapping the microphone in camouflage netting to cut wind noise and turning an ammunition box into a microphone that was well-tuned to the low frequencies of the artillery explosions. https://m.phys.org/news/2019-05-acoustics-artillery-wwi.html >>654 どっかで読んだ話でソースはないんだけど。 WW1 総力戦を間近で見た日本の観戦武官たち 「あぁ、こりゃ日本にはムリだわ...」 「でも無理だとは口に出せないし...」 ↓ 「精・神・力!!!」 牧野伸顕日記だったと思うのですがベルサイユ会議派遣団がWW1の戦場跡を案内されたとき 同行の武官が「ここで得られる戦訓は何万人戦死者を出そうと最期に旗を立てた国が勝ち」みたいな ことを発言したことが残ってますね。 昭和に入ってどなただったか総力戦の論文(総力戦研究所とは別物)を著した際も動員可能兵力 について論じるだけで産業の戦時体制は研究されないままでしたね。 わずかに石原莞爾が私的に軍産協力の動員体制を研究しましたけど失脚で途絶えてます。 わずか十年前の日露戦争全期間に生産した砲弾総量を一日かそこらで撃ち尽くしちゃうのがWW1だもんなあ・・・ だから、陸海ともに砲兵中心の火力戦では勝てないと考えたから、航空機を利用することでより少ないリソースで相手にダメージを与える方向に努力することになった でも、航空機の燃料はガソリンで日本ではほとんど石油は産出しない。その中での石油禁輸で首が締まったので一か八かの対米開戦にって流れに 当時の発電は水力がメインだし、陸上交通でも自家用車はごくわずかで、国鉄の貨物輸送量(トンキロ)をトラックが上回ったのがようやく1930年代後半 石油製品、特にガソリンの需要は航空機と軍用車両が中心だった >>650 研究用としてフランス製のスパッド、ニューポール戦闘機を輸入して戦車もルノー甲型と乙型を輸入している。 菱型戦車とかドイツのA7Vみたいなゲテモノではなく無難なのを選んでる。 日露戦争と言えば、砲弾足りないから戦艦の砲身から拳銃撃って的に当てて訓練していたんだっけ 内筒砲射撃訓練と言いまして。 砲操作と連動する小銃弾発射装置(歩兵銃ではない)を砲身にセットして 艦砲の弾道データを小銃の弾道に換算して訓練します。 高価で交換が大変な砲身の消耗、大口径砲弾の温存、訓練時の誤射の 危険などを避けるためにどこの海軍でもやってる一般的な訓練法です。 >>657 無理なら無理でできないことをやる必要はない 北ベトナムが機甲決戦を行わなかったように WW1の時代は精神疾病を虐待で矯正治療するという粗野な時代だったので 塹壕の泥水で凍傷になり毒ガス戦にマスク一枚で対抗するというとんでもない環境への理解がなかったんだよ。 凄惨さを伝えるテレビも無いし後方では騎士道の戦争と思われているから理解もされない。 ベトナムネタは1968年に米陸軍が撤退開始してから北ベトナムの機甲師団が強化されて末期にはT54主体の機甲師団と携帯地対空ミサイル装備の北ベトナム軍に欠陥品の多いM72LAWと遺棄兵器で対抗という悲惨さ。 米国が匙投げたせいで北がソ連の援助物資活用して押し切りがち 勇敢な奴から機関銃の露に消えていって、 臆病ゆえに生き残った将兵だけで戦線維持強いられるとなれば 勇敢さのパラメータなんて邪魔以外の何物でもない 西部戦線のイメージは、機関銃に薙ぎ倒されれる若い志願兵達なんだが、戦死者の大半は、普通の砲弾wと瓦斯弾による それにしても機関銃陣地への突撃の無謀さ加減は、開戦10年前の日露戦争で観戦武官達が報告していたはず 解っていたはずなのにやっちまったのは、英仏独の将軍達は、ド田舎者と黄猿の戦争なんか参考にならんと思ったのかね 40年以上の平和が士官・将校を馬鹿にしたとしか思えない 70年以上平和が続いてる今の欧州は・・・ 日露戦争最大の戦訓は 「機関銃と砲で防備された要塞でも砲撃と突撃で陥落する」という事実だからな 緒戦でベルギーの要塞群が次々と陥落した事は攻勢側に出る事に自信を付けたし 単純な"突撃無謀論"は後知恵過ぎると言うか戦訓の分析を間違ってると思う 第一次世界大戦で苦戦したのは機関銃で防護された強固な単一要塞ではなくて 機関銃で防護された一線では脆弱だが連続した塹壕線であって旅順要塞の戦闘とは微妙に異なるんだよ 旅順の時は要塞に向かって地道に塹壕を掘り進んだんじゃなかったっけ >>674 そりゃ戦術や戦局だけみたら要塞突撃突破は有効だよ でもそのあとの戦後経済に与えるダメージが大きすぎるというのが >>675 地道に塹壕を掘り進めただけでロシア兵が降伏したと思ってるの? 最終局面でも重砲や工兵の支援を受けながらも突撃で堡塁を陥落して決着してるよ >>676 要塞に突撃するのが戦後経済にダメージ? 第一次世界大戦のリエージュ要塞戦でドイツ軍がどういう経済的ダメージを受けたんだよ 第一次世界大戦全体で見てこの戦闘だけで特別なダメージを受けたのか? 戦術的な話と経済的な話を無理矢理繋げてる様にしか感じない 戦争自体が極めて不経済な行動なんであって要塞攻撃に限らないのでは? >>677 傷痍兵のその後かかるコストを見ないふりしてるって話 それらを切り捨てられたのはわが国くらいで ナチスドイツですら票の問題で重視せざるを得なかったわけだし >>678 だから別に要塞や塹壕を攻撃する事にだけ特に関係するわけじゃないじゃん 反論のつもりなのか知らんけどその時点で的外れだよ >>674 攻撃側が塹壕掘りながら肉薄して煙幕や霧に紛れてまもり突撃すれば鉄条網を抜けて突破可能。 ということに気付くまでに流した血の教訓は高かったのだし、その後防御側は鉄条網や毒ガスを使い攻撃側は戦車を開発する流れ 鉄条網は最初からあったのか後から使い始めたのかどっちだよw 少しは自分のいいたい事を整理してから書け 電車の中で書き込んでてまもりの部分脱字したすまん。 鉄条網や雑草燃やすバーナー改造した火炎放射器やお手製鈍器類など攻防双方とも生き残る為になんでも戦力化するから戦術に定石なし >>677 なんで噛みつかれてるのかよく分からないんだけど 674の二行目に砲撃と突撃が挙げられてて塹壕がなかったので書きました 塹壕なしの突撃はうまく行ってなかったよね WW1をきっかけに先進国陸軍の戦術は大きく変化した これは歩兵突撃による損害を許容できなかったということに他ならない 英国では徴兵制は兵士の質が下がるのでやりたがらなかったが 軍に志願してくるのが熟練労働者やホワイトカラーや貴族という 愛国心を持った社会的地位の高い人間が多く(しかも士官の死傷率は兵士のそれよりも高かった) この層があまりにボロボロ死んでくのを見て徴兵制を決めたという 英国としてはナポレオン戦争の時のように、国民兵同士の消耗戦は大陸の同盟国に任せて、自国は敵国の経済封鎖と同盟国への経済支援に徹して、最後の決戦でプロの常備軍を大陸に派遣したかったのだろうね 20世紀の総力戦はそんな英国の思惑を許さなかった IWM OBJECT CATEGORY Photographs RELATED PERIOD First World War Serch corrections https://www.iwm.org.uk/collections/search?query=& ;pageSize=30&style=image&filters%5BwebCategory%5D%5BPhotographs%5D=on&filters%5BperiodString%5D%5BFirst%20World%20War%5D=on >>687 徴兵制っていうのは国家が損耗していい人間を選別して最悪死んで来いと命令するという冷酷な行為である なんてのはずっと言われてることだからな >>691 泥沼の総力戦では選別する余裕が無くなった それが20世紀欧州にとっては最大の誤算、最悪の悲劇、最低の喜劇 ヴィルヘルム自体開戦前の電報で欧州戦争は惨劇と言ってる 欧州戦争は起こってしまったハルマゲドン、冷戦期の核戦争なのだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる