支那事変においては

戦力、特に戦闘機が足りないがゆえに

本来ならば一撃に全力かつ大兵力を以て実施すべきところを、そうはできないので

戦闘機と空戦に強い二座機(水偵含む)を第一波として敵の抵抗を減殺する事により

第二波の攻撃機(搭載量大きな攻撃の主力)につける戦闘機を節約し

全体的な戦闘機不足を解消する

という戦術が、山口少将が航空隊の司令官になる前から採用されていた
これを踏まえた場合に限り

(原因は違えど)理想的な大兵力による攻撃ができず

防空機のために直掩の戦闘機を節約したい

という状況において即時発進の意見具申が単に「さっさと敵空母を撃破したい(これだけでも空母同士の戦闘の基本ではありますが)」という以上の価値を持つのではないか
敵空母の撃沈や爾後の防空まで含めたより多くの目的を読み取れるのではないか
と思いました

そして支那事変の勃発から何年も経つのだから、それが雷爆同時攻撃や空母の集中運用並みには
理論化、テキスト化されていても良かったのではないでしょうか
そうすれば、南雲中将も違う決断ができたのではないでしょうか