軍艦の食事について語るスレ71食目
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戦争・兵役を通じて広まった食事 43皿目
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レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47
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ワッチョイ
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47 [無断転載禁止]©2ch.net
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1505097089/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 割と前から不思議に思ってるのが、欧米人は日本のあんこみたいに豆を甘く味つけするのって考えられない調理法らしいんだけど、そしてそれ言うなら肉料理なんかも同様のような気がするんだけど、
スキヤキとかテリヤキとかヤキトリとか、砂糖醤油はいきなり受け入れられて大人気だよね 確かに日本と異なり欧米では砂糖を加える料理は少ない
しかし例えばアメリカでは、ビネガーと唐辛子などの簡単なバーベキューソースがある一方で、カンザスシティなど一部では糖蜜を使った甘いソースが愛されている
欧州でも肉料理にオレンジなどの果実を使ったソースはポピュラー
フランスでは日本の「ソース」が最近人気を伸ばしている
甘酸っぱい食味が好まれたらしい 欧米では、
朝食はブレックファースト
昼食がディナー
夕食がサパー
って所が多い、って聞いた。 >>299
それは本当にカビが生えているのではあるまいか? >>304
保釈になったゴーンも焼き鳥好きだな。食いに行ってないのか? ここはドイツのアルフレッド・ウェゲナー極地海洋研究所が運営する3番目の研究施設、ノイマイヤーV南極基地。
野菜の栽培が行われているのには、壮大な目的がある。
地球の大気圏外で食料を育てる方法を研究するためだ。
いつの日か人間が火星に到達したときに、宇宙飛行士がそこで青果を栽培して食べられるかどうかを確かめようとしている。
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/19/031900033/ph_thumb.jpg
火星への有人飛行の際には生鮮品の確保のためにも船内での栽培は必須かもな。
飛行中だけでなく、現地探査中にも生鮮品は要るんじゃないか?
潜水艦でもこういうのできればいいんだろうけど、スペース考えたら無理か。
あるいは何百年か先の未来の潜水艦では艦内で野菜や果物を育ててたりしてな。 >>310
南極の基地での野菜栽培なら、昭和基地でも1次隊の時からやってる。
潜水艦内での野菜栽培なら、伊号潜水艦内でモヤシを栽培してた、なんて話もある。
日本海軍の調理の教科書に、モヤシの栽培方法が書いてあるぐらいだし。
実際、ソ連(当時)の宇宙ステーション内で野菜を栽培した、なんて話もあるし。
レクリエーションとして、宇宙船内での植物栽培は有っても良いかも知れない。
しかしそれを食物のメインには出来ないと思うよ、少なくとも
今の所はね、不作が怖いしさ。
”バイオスフィア2”って大規模実験があったんだけどさ、あれこれと不具合があって
完全閉鎖系での自給自足生活は難しい、少なくとも今の所って
結果が出たはずなんだよ。
バイオスフィア2実験に関しては、各自で調べてください。 ロシアはモヤシを食わず奉天で壊血病に
日本は森鴎外のせいで脚気に
日露ビタミン戦争 タイフーン級戦略原潜でも艦内で小麦を育ててたけど、ありゃ食用でなく乗員の慰安用なんだってな。
いや初めは艦内でいろんなもん栽培できないかの実験だったそうだけど。
艦内で植物を育てるのは乗員たちから好評だったらしい。 イギリス人「俺達がラムにライム果汁加えた様にウォトカにライム果汁入れたのを飲んでりゃ壊血病の予防になったんじゃねーの?(テキトー)」 太平洋戦争中の米海軍も大戦中盤ぐらいまでは前線の艦艇への生鮮食品の補給がままならず、
単調な保存食品や冷凍食品に依存して乗組員の士気をかなり下げましたしな。
例えば最前線の駆逐艦だと、朝食は大体ベーコンスクランブルエッグに食パンの組み合わせでしたが、
ベーコンはともかくスクランブルエッグは缶入りの乾燥粉末卵を水で戻して焼いた物だったので、
本物の卵を使って焼いたのと比べれば味は今一つだったし、パンにしても焼き立てでは無く、
後方で一括して焼いた食パンを艦内の冷凍庫で冷蔵し、それを必要な分だけ切り取り焼き直して
提供するという状態でした。
大戦終盤になるとその辺かなり改善されましたが、大量の艦艇が集結した沖縄戦が始まると、余りの
艦艇の多さにさしもの米海軍も兵站が追い付かなくなり、また粉末卵のベーコンスクランブルエッグと
冷凍パンに逆戻りした艦も多かったとか。 大戦末期のアメリカ海軍は空母や上陸用艦艇が優先、巡洋艦や駆逐艦は1日2食になることもあったらしいしな。
ハワイを出撃する艦艇にはパイナップルなど生鮮品を積んでいくように、みたいに艦隊司令部が通達を出してるけど
これ自腹で買ってけということか。日本海軍だと南方に出撃する艦艇が瀬戸内海の島々でミカンを買ってったりしてるけど。 >>316
粉末卵は今一つどころか、手記読むとすっげー不評だな。
加熱しても固まらないから、ゲロ状の物体になるのだそうだ。
そこにスパムを入れるとよりゲロっぽくなるらしい。 粉末卵ってなんか水加減がかなり厳密だそうで緩いと焼いても固まらず少ないと粉っぽくて食べられたもんじゃないらしい
何かの戦争映画で民間人が受け取って、アメリカ人は何でも缶詰にしてしまう…と呆れたり感心したりしていた 今も業務用の乾燥全卵って売ってるけど使い方が難しいようで賛否分かれてるね
同じ業務用なら割ってあるのを一斗缶に入れた液卵もそこそこ安いし使いやすい
冷蔵庫や食糧庫の大きさに限りがある山小屋とか潜水艦用かな 海自の護衛艦では入港前に「入港ぜんざい」が出るが
帝国海軍の伊号潜水艦では入港直前の料理がその粉末卵を使った卵料理。
しかしそれに対する不満を表す手記が皆無(少なくとも自分が読み漁ったかぎりにおいて)なのは
潜水艦乗りたちにとって入港、上陸への期待感、高揚感には粉末卵の不味さを吹っ飛ばす威力が有ったということか。
もっともすぐれた船乗りにしてもっとも強いストレスを受けるであろうドルフィン・マークの航海者たち、古今東西、あらゆる潜水艦乗りたちに敬礼! 当時の潜水艦では、長期になるとそれでもご馳走だったのかも知れん。 そんな使い勝手の悪い缶入り粉末乾燥卵も、孤立し飢餓に苦しむ日本兵がゲットすればたちまち
彼らの命を繋いだ大ご馳走だったりしましたしな。
とある孤島に孤立し補給も絶たれた日本兵の小部隊が、ある日大きな木箱がいくつも海岸に漂着
しているのを見つけてそれを回収し、木箱を開けたら多数の缶詰が出てきました。
そして大喜びしながら缶詰を開けてみたものの、その中身は訳の判らない黄色い粉だったので、
英語の読めない日本兵たちはてっきり火薬や何かだと思って落胆し、しばらく放置していました。
しかしその後いよいよ食料が底を付きかけていずれ全員餓死しかねない・・
という状況になりかけた時に、誰かが「ひょっとしたらあの缶詰の中の粉は食えるんじゃないか?」
と言い出したので、一番腹の減った者が清水の舞台から飛び降りる覚悟で口にしてみる事に。
その結果食ってみても特に腹を壊さないし、何だか卵の味がするのでどうやらこれは乾燥させた
卵の粉末だという事が判り、それから粉末卵を水で戻して焼いて食べたりして不足していた食料を
補う事ができたので、彼らは餓死を免れ終戦を迎えられたという話がありました。 野球は好かんが仕事の付き合いで行ったプロ野球、西鉄ライオンズの稲尾和久氏の講演は面白かった。
親父さんと二人で別府湾に漕ぎ出したとき(狙いはタイ、スズキ)昼飯食おうとしたら
親父さんが「ちょっと待て」と即席の仕掛けを作って小魚(名前忘れた)を2、3尾釣りあげてくれたのを刺身でおかずにしたのが美味かったとか
日頃のおかずは魚のアラとか魚のホネのふりかけばっかりだったのがプロ入りしたら肉ばっかり食えてうれしかった、とか。しかもおかわり自由。
1度2軍落ちしたら肉は無し、野菜の煮っころがしみたいなのばかりでしかもメシは1杯盛り切り。絶対1軍に戻ってやる、と。
日本海軍は少なくとも下士官兵は同じもん食ってたわけだからそこのとこは良かったのかな。
怖いオジサンも乗艦したばかりの下っ端も同じもんを食う。メシの柔らかいとことか副食のいいところとかは班長に行く感じではあったとしても。 >>323
暮しの手帖第2世紀35号だったかな、その手記を読んだ事があります。
「ぜひ飯盒の蓋で焼いた卵焼きの写真を〜
とその手記に書いてあったので、実際にその粉末卵を使って
飯盒の蓋で焼いた卵焼きの写真が、モノクロでしたが載っていました。 飯盒を使って煮炊きするのは日本だけらしくてちょっと驚いた
欧米の軍隊じゃ基本的に食器として使うだけなんだってねえ
それならあんな大きさ必要ないだろうに バッカンで配食とかしてんのも日本海軍だけだったのかな。
各部署で下っ端がそれをさらに各々の皿や茶わんに配食する。
太平洋戦争中のアメリカ海軍なんかどうやってたんだろう?
何か兵でも下士官でもメシの時間になったら自分で食堂に行って自分で食事(ホットドッグとかフルーツとか)
をめいめいが取っていく、みたいなの予想するんだが。クリーブランド級軽巡乗員の手記にそんな記述があったような気が。 旧軍も平時は弁当箱だったな飯盒
野外演習で持たされる弁当は麦飯に梅干し、おかずに
スルメの佃煮や鉄火味噌などを添えたものだったとか 光文社の陸軍いちぜんめし物語にその辺の記述があるね
ところで鉄火味噌って何だ? 赤味噌・砂糖・味醂・唐辛子・煎り大豆・牛蒡などを
カラカラになるまで炒めたもの、らしい 陸軍の飯盒でも、将校飯盒は元々が2合サイズで、中には煮炊きできないタイプがあった
兵式飯盒が生きたのも、下士官兵の大部分が農村出身で、普通に煮炊きできる能力が備わってたのが大きいんだろう 今の自衛隊用の飯ごうも2合タイプで、主に食器として使ってるようだな
ちょっと大きい弁当箱サイズ
https://tatezakura.jp/SHOP/B048.html 日本でも基本的に食器だとは聞いているけれど、徳川慶喜も銀の飯盒で米を炊かせていたんだよな >>328
アメリカなら海軍は知らんが、陸軍なら映画「史上最大の作戦」や「ウインドトーカー」などで、各自が食器を持って並んで、炊事兵から柄杓で入れてもらうシーンがあるな。
海軍の艦内でも似たようなもんじゃなかったのだろうか。 林間学校で飯盒で炊いたご飯にカレーを掛けて食べたのはイイ思いで
だけど毎食毎食飯盒でご飯を炊くのは面倒くさそう
大人になった今、野外でカレーを食うのなら
サトウのご飯とボンカレーを湯煎して食うのが良さそう 飯盒で炊飯すると洗うのが厄介
清潔な水がふんだんにあればいいけど戦場ではどうしていたのやら 現代では腰に吊す訳ではないから、小判型や四角にすればいいのにとも思うが
あれはあれで、凹みの部分で薄くなるので片手で掴みやすかったり、背嚢とかに入れやすかったりとか
取り回しが良いのかな? 飯盒を腰に付けた事はないなあ
背嚢に縛る為の金具が付いてる 粥は嵩張るからな。
白ご飯なら飯盒に半分でいい所、お粥だと一杯にしないと同じカロリーを摂取できない。 >>343
なるほど
確かにあれは困窮を凌ぐためのもので、肉体労働に備えるものじゃないんだね >>342
一食分が米七粒ってのは粥と呼ばないのか? 関ヶ原で西軍につき、改易で浪人となった立花宗茂。
日々の米に困ってしまった家臣は、粥にすることにした。
それを見た宗茂は、
「おれの健康のこととか気にしないでいいから。食いたかったら自分で飯に汁かけるし。明日から普通の飯に戻せよ。」 安土桃山期の奇人にして天才である茶人、丿貫(へちかん)は自身愛用の手取り釜で粥や雑炊をも炊いていたという。
これぞ帝国海軍機関科名物、ヤカン飯の元祖である。 手取釜って鉄瓶だろうにコゲ付かせたら洗う厄介さは飯盒どころじゃないね
だから粥とか雑炊なのか… 無加工の鋳鉄なら、アルミとちがって焦げを焼き切ることできるから案外大丈夫かも
あと、焦げ付きの香ばしさが旨いお茶の隠し味だったのかもしれんよw アルミの方がはるかに焦げ付き易いしな
フライパンもアルミ製のはせいぜいパスタのソース合わせるくらいにしか使えん >>355
当時のものだと状態が良いものを入手するのは大変そうだな >>340
軍隊みたいにたくさんの飯盒を並べて、火にかけるときには、へこみ同士を使って熱の通り道を作ってやると効率がいいらしい。 飯ごうで米を炊いた後に副菜を米に乗せて(または蓋に盛って)供するイメージがあるんだが 旧軍見てると、蓋に入るのは味噌汁である場合が多いな。
副菜はご飯の上か、中蓋に盛る。
一人分二合で飯盒が四合炊きだから、半数の飯盒で米を炊いて、
残りの半数で味噌汁や副菜を調理する。
できた味噌汁や副菜を蓋や中蓋に分けて、四合炊き上がった米の半分を
味噌汁や副菜料理した飯盒に移す。
朝の場合は朝食後、もう一回米を炊く場合が多い。
行動中の手間を減らすために、昼の分も炊いておく。
ただし、南方だと昼までに腐ったり、冬の満州だと毛皮の飯盒覆いを付けていても
カチコチに凍ったりして難儀したそうな。 今から百年以上前に作られた飯盒だが
基本的な材質と形が変わっていないのが凄い
最初にあの形を考えたのは誰なんだろ? あの形の飯盒はスイスが起源らしいけど傭兵の国だけにああいう装備の発達が早かったんだろうね
日本独自のものだとばかり思っていたら西部戦線異状なしとか欧州の映画によく出ていた 以前どこかのスレで、飯盒「炊爨」だと正論を言うAV女優が、飯盒「炊飯だろ」と言う頭悪そうな男優たちにヤられまくるAVには萌えた、と言う書き込みがあって、なんか解るような気がしたのを思い出した。 欧州だと基本食器、いざという時湯を沸かしたり
スープぐらいは作れる程度の用途だろうな ヨーロッパの軍隊だとパン焼き部隊が段列にいた
分隊や班レベルで炊事を行う日本軍は特殊な部類なのかも 戦場と部隊によって違うよね。
一次大戦の西部戦線みたいな塹壕戦なら、炊事部隊がまとめて作って
配食するし、なんなら戦線後方にパン工場が作られたりする。
二次大戦でも単独行動が多い山岳猟兵とかの類だと、わりとガチで
自炊したりする。 日本だと飯盒と呼ばれてなぜか特別視されるが、
欧米じゃあれはただのメスキットだからな
野外用食器兼緊急的な調理器具というか 小麦粉を各自に支給されても飯盒でパン焼きしようとしたら丸ごと入る大きな窯が必要で現実的じゃないからね
日本軍は戦場でも個々に炊飯したから非効率で煙で位置がばれたなんて書いてる本もあったけど補給態勢の差だろうに 戦記読むと、ドイツ兵とか意外と飯盒でジャガイモ湯がいて食ってるな。 >>371
人間一人あたりの所要カロリーなんてどこも変わらんし、構築されたシステムの結果としての優劣は厳然と存在するでなあ
毎日の食事の調理にほぼ全員が夕食だけで二時間は費やすとかアホか馬鹿かと
燃料ロスも多いし燃料が尽きればたちまちお手上げだし、米食なんて軍隊としては論外だわ 兵食にはパンが向いてるのは明治どころか幕末には言われていたこと。
「将来海軍を興すに当たっては水を浪費する炊飯を止めて是非パン食にすべし」
という先覚者はいくらもいた。問題は、パンばかり食わせると将兵の士気が
露骨に下がること。 士気が下がるどころか、自殺攻撃を命じても反乱を起こさなかった日本水兵が
ほぼ唯一反乱を起こしかけたのがパン食の導入である。 >>375
飯炊くのみなら小一時間もあれば十分だろうが、
燃料集めて火を熾してコメを砥いで、ってやってたらそれぐらいはかかるべ >>378
一人でやる訳ではなく多人数でやるんやで。 日本陸軍でも、基本的には
後方で作った食事を前線に持って行くんだそうだ。
ただし、前線が進む速度に後方兵站がついていけないのは
いつもの話でね・・・ 乾パンを導入できたんだからパンを作って送り込むインフラがあったのになぁ残念 だが当時の日本でパンが親しまれていたのって東京や大阪、横浜、神戸といった欧米の居留民が住んでいた都市位じゃねーの? シベリア出兵の時は、特に冬の時は
パンを主食にさせてた様子。
ご飯だと、食う前に凍っちゃってダメなんだって。
パン食の時は、パンにつけて食う”嘗め物”と言う副食が
つくんだけど、バターや砂糖に”くりぃむれもん”なる物が
添えられたんだとか。 煎餅は携帯料食として作ることは出来んかったのかな
東北だと鍋とか汁に煎餅を入れて食っていたような気がするけど
時間があれば湯を沸かして汁物にして食って
時間がなければそのまま齧ってもいいし
仮に割れて粉々になっても湯を入れれば味付きのお粥になるんじゃない?
一から米を研いで火を起こさなければ食えないご飯より手軽だし
パン食より煎餅の方が日本人に馴染みが有ると思うけど せんべいは携帯糧食として、携帯性を満たしてないと思う。
4食分も携行したらそれだけで背嚢がいっぱいになりそう。 どまあ、こう考えて行くと、インスタントラーメンの、レーションとしとの優秀さが判るよなあ 煎餅自体は古代の戦闘糧食ではあるんだがな
あとパンでの反乱未遂も毎食パンに変更という極端なことしたからだし >>389
毎食パンに耐えられるようにしないとダメだろ 青森のせんべい汁みたいにスープに入れるとすぐ柔らかくなる南部せんべいならレーションになり得たかもね
元々飢饉に備えて備蓄しておくようなものだから日持ちするし
南方の戦場じゃ結局カビただろうけど 日本の兵食史だと 煎餅は昭和初期に研究され
昭和10年には冬季の満州で試験されて、好評だったとのこと。
但し乾パンや圧縮口糧の生産が間に合わないときの手段としての研究の為
実戦ではあまり使用されなかった
とある 圧搾口糧の爆弾アラレってポン菓子のことなのね
最近知ったわ >>390
明治の始めの頃の話だからな
毎食米が食えると聞かされたのに毎食饅頭食わされてる感覚なんだろ
艦なら米の調達に不自由があるわけでもないし
数年後でも少し乾パンを食事に挟むくらいなら問題視されなかったみたいだし極端はよくない 昭和の御世でもたまに出るパン食は不評で、副食に人気の高い
汁粉をつけてゴキゲンをとっていたそうな。 納税者の立場からすればゼータク言ってんじゃねえ、と
結局、三食まともに食うことのできない貧農なんてそういなかったのだなぁ…
栄養対策で玄米にしたらコイツらパン食以上に文句たらたらなんだろうなあ 軍隊行くと口が肥えると言われたのはせいぜい大正までのイメージ。 新聞の相談コーナーに
「息子が徴兵から帰ってきたら、肉が食いたい魚が食いたいと贅沢ばかり言って困ってます」
とか言うのがあったとか聞いた。 回答:平時なら軍隊取られたの次男坊以下だろうから、嫁取らせてさっさと自立させなさい パン食に下士官兵がサポタージュを行なったのは明治16年
税金が金納になったのは明治6年
それまでの米≒お金って意識は強烈に刷り込まれていただろうから、待遇悪化給与カットと同じに感じるのは仕方がない 石原莞爾が満州を手に入れたかったのは
退役した農家の次男三男が耕して農業をする土地が欲しかったと謂うのも動機のひとつだと
「地開く」?だかに書かれていたな 宮沢賢治と似たような理想を夢見てた男だよな、石原莞爾は。
賢治の理想を実際に実現しようとした感がある。2人とも国柱会員か。
賢治は当時は珍しかったキャベツを栽培して売り歩き、石原は当時は高価だったキャベツを自腹で兵食に取り入れた。 アメリカ海軍のネイビー・シールズにいた人の手記を読んだが
訓練は厳しいなんてもんじゃないな。常人ならばほぼ確実に脱落する。あんなの乗り越えられるのはスーパーマンだけだろ。
手記で見る日本海軍の海兵団の訓練はイメージもできるし自分でもついていける感じ(読むのとやるのじゃ違うだろうけどさ)。
自分はラグビーと野球の経験者にすぎんが、農家や漁師出身の人たちには「海兵団は楽だった(艦船勤務は別、キツイと言う)」
と言う人たちもいるね。
作戦任務に就いているシールズの携帯糧食の一例は
ビーフ・ジャーキー、チキンヌードル、エナジー・バー、水、ピーナッツ、レーズン。
今晩が作戦開始という日の昼食は大盛りスパゲッティ、緊張して食えんなんて奴はものの役に立たんとか。 オマハ・ビーチの時は、緊張と船酔いで食えなかった兵の方が生き残る確率は高かったそうだけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています