軍艦の食事について語るスレ71食目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
!extend:on:vvvvv:1000:512
!extend:on:vvvvv:1000:512
前スレ
軍艦の食事について語るスレ70食目
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1523774161/
関連スレ
戦争・兵役を通じて広まった食事 43皿目
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1503567107/
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1505144185/
ワッチョイ
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47 [無断転載禁止]©2ch.net
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1505097089/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 関ヶ原で西軍につき、改易で浪人となった立花宗茂。
日々の米に困ってしまった家臣は、粥にすることにした。
それを見た宗茂は、
「おれの健康のこととか気にしないでいいから。食いたかったら自分で飯に汁かけるし。明日から普通の飯に戻せよ。」 安土桃山期の奇人にして天才である茶人、丿貫(へちかん)は自身愛用の手取り釜で粥や雑炊をも炊いていたという。
これぞ帝国海軍機関科名物、ヤカン飯の元祖である。 手取釜って鉄瓶だろうにコゲ付かせたら洗う厄介さは飯盒どころじゃないね
だから粥とか雑炊なのか… 無加工の鋳鉄なら、アルミとちがって焦げを焼き切ることできるから案外大丈夫かも
あと、焦げ付きの香ばしさが旨いお茶の隠し味だったのかもしれんよw アルミの方がはるかに焦げ付き易いしな
フライパンもアルミ製のはせいぜいパスタのソース合わせるくらいにしか使えん >>355
当時のものだと状態が良いものを入手するのは大変そうだな >>340
軍隊みたいにたくさんの飯盒を並べて、火にかけるときには、へこみ同士を使って熱の通り道を作ってやると効率がいいらしい。 飯ごうで米を炊いた後に副菜を米に乗せて(または蓋に盛って)供するイメージがあるんだが 旧軍見てると、蓋に入るのは味噌汁である場合が多いな。
副菜はご飯の上か、中蓋に盛る。
一人分二合で飯盒が四合炊きだから、半数の飯盒で米を炊いて、
残りの半数で味噌汁や副菜を調理する。
できた味噌汁や副菜を蓋や中蓋に分けて、四合炊き上がった米の半分を
味噌汁や副菜料理した飯盒に移す。
朝の場合は朝食後、もう一回米を炊く場合が多い。
行動中の手間を減らすために、昼の分も炊いておく。
ただし、南方だと昼までに腐ったり、冬の満州だと毛皮の飯盒覆いを付けていても
カチコチに凍ったりして難儀したそうな。 今から百年以上前に作られた飯盒だが
基本的な材質と形が変わっていないのが凄い
最初にあの形を考えたのは誰なんだろ? あの形の飯盒はスイスが起源らしいけど傭兵の国だけにああいう装備の発達が早かったんだろうね
日本独自のものだとばかり思っていたら西部戦線異状なしとか欧州の映画によく出ていた 以前どこかのスレで、飯盒「炊爨」だと正論を言うAV女優が、飯盒「炊飯だろ」と言う頭悪そうな男優たちにヤられまくるAVには萌えた、と言う書き込みがあって、なんか解るような気がしたのを思い出した。 欧州だと基本食器、いざという時湯を沸かしたり
スープぐらいは作れる程度の用途だろうな ヨーロッパの軍隊だとパン焼き部隊が段列にいた
分隊や班レベルで炊事を行う日本軍は特殊な部類なのかも 戦場と部隊によって違うよね。
一次大戦の西部戦線みたいな塹壕戦なら、炊事部隊がまとめて作って
配食するし、なんなら戦線後方にパン工場が作られたりする。
二次大戦でも単独行動が多い山岳猟兵とかの類だと、わりとガチで
自炊したりする。 日本だと飯盒と呼ばれてなぜか特別視されるが、
欧米じゃあれはただのメスキットだからな
野外用食器兼緊急的な調理器具というか 小麦粉を各自に支給されても飯盒でパン焼きしようとしたら丸ごと入る大きな窯が必要で現実的じゃないからね
日本軍は戦場でも個々に炊飯したから非効率で煙で位置がばれたなんて書いてる本もあったけど補給態勢の差だろうに 戦記読むと、ドイツ兵とか意外と飯盒でジャガイモ湯がいて食ってるな。 >>371
人間一人あたりの所要カロリーなんてどこも変わらんし、構築されたシステムの結果としての優劣は厳然と存在するでなあ
毎日の食事の調理にほぼ全員が夕食だけで二時間は費やすとかアホか馬鹿かと
燃料ロスも多いし燃料が尽きればたちまちお手上げだし、米食なんて軍隊としては論外だわ 兵食にはパンが向いてるのは明治どころか幕末には言われていたこと。
「将来海軍を興すに当たっては水を浪費する炊飯を止めて是非パン食にすべし」
という先覚者はいくらもいた。問題は、パンばかり食わせると将兵の士気が
露骨に下がること。 士気が下がるどころか、自殺攻撃を命じても反乱を起こさなかった日本水兵が
ほぼ唯一反乱を起こしかけたのがパン食の導入である。 >>375
飯炊くのみなら小一時間もあれば十分だろうが、
燃料集めて火を熾してコメを砥いで、ってやってたらそれぐらいはかかるべ >>378
一人でやる訳ではなく多人数でやるんやで。 日本陸軍でも、基本的には
後方で作った食事を前線に持って行くんだそうだ。
ただし、前線が進む速度に後方兵站がついていけないのは
いつもの話でね・・・ 乾パンを導入できたんだからパンを作って送り込むインフラがあったのになぁ残念 だが当時の日本でパンが親しまれていたのって東京や大阪、横浜、神戸といった欧米の居留民が住んでいた都市位じゃねーの? シベリア出兵の時は、特に冬の時は
パンを主食にさせてた様子。
ご飯だと、食う前に凍っちゃってダメなんだって。
パン食の時は、パンにつけて食う”嘗め物”と言う副食が
つくんだけど、バターや砂糖に”くりぃむれもん”なる物が
添えられたんだとか。 煎餅は携帯料食として作ることは出来んかったのかな
東北だと鍋とか汁に煎餅を入れて食っていたような気がするけど
時間があれば湯を沸かして汁物にして食って
時間がなければそのまま齧ってもいいし
仮に割れて粉々になっても湯を入れれば味付きのお粥になるんじゃない?
一から米を研いで火を起こさなければ食えないご飯より手軽だし
パン食より煎餅の方が日本人に馴染みが有ると思うけど せんべいは携帯糧食として、携帯性を満たしてないと思う。
4食分も携行したらそれだけで背嚢がいっぱいになりそう。 どまあ、こう考えて行くと、インスタントラーメンの、レーションとしとの優秀さが判るよなあ 煎餅自体は古代の戦闘糧食ではあるんだがな
あとパンでの反乱未遂も毎食パンに変更という極端なことしたからだし >>389
毎食パンに耐えられるようにしないとダメだろ 青森のせんべい汁みたいにスープに入れるとすぐ柔らかくなる南部せんべいならレーションになり得たかもね
元々飢饉に備えて備蓄しておくようなものだから日持ちするし
南方の戦場じゃ結局カビただろうけど 日本の兵食史だと 煎餅は昭和初期に研究され
昭和10年には冬季の満州で試験されて、好評だったとのこと。
但し乾パンや圧縮口糧の生産が間に合わないときの手段としての研究の為
実戦ではあまり使用されなかった
とある 圧搾口糧の爆弾アラレってポン菓子のことなのね
最近知ったわ >>390
明治の始めの頃の話だからな
毎食米が食えると聞かされたのに毎食饅頭食わされてる感覚なんだろ
艦なら米の調達に不自由があるわけでもないし
数年後でも少し乾パンを食事に挟むくらいなら問題視されなかったみたいだし極端はよくない 昭和の御世でもたまに出るパン食は不評で、副食に人気の高い
汁粉をつけてゴキゲンをとっていたそうな。 納税者の立場からすればゼータク言ってんじゃねえ、と
結局、三食まともに食うことのできない貧農なんてそういなかったのだなぁ…
栄養対策で玄米にしたらコイツらパン食以上に文句たらたらなんだろうなあ 軍隊行くと口が肥えると言われたのはせいぜい大正までのイメージ。 新聞の相談コーナーに
「息子が徴兵から帰ってきたら、肉が食いたい魚が食いたいと贅沢ばかり言って困ってます」
とか言うのがあったとか聞いた。 回答:平時なら軍隊取られたの次男坊以下だろうから、嫁取らせてさっさと自立させなさい パン食に下士官兵がサポタージュを行なったのは明治16年
税金が金納になったのは明治6年
それまでの米≒お金って意識は強烈に刷り込まれていただろうから、待遇悪化給与カットと同じに感じるのは仕方がない 石原莞爾が満州を手に入れたかったのは
退役した農家の次男三男が耕して農業をする土地が欲しかったと謂うのも動機のひとつだと
「地開く」?だかに書かれていたな 宮沢賢治と似たような理想を夢見てた男だよな、石原莞爾は。
賢治の理想を実際に実現しようとした感がある。2人とも国柱会員か。
賢治は当時は珍しかったキャベツを栽培して売り歩き、石原は当時は高価だったキャベツを自腹で兵食に取り入れた。 アメリカ海軍のネイビー・シールズにいた人の手記を読んだが
訓練は厳しいなんてもんじゃないな。常人ならばほぼ確実に脱落する。あんなの乗り越えられるのはスーパーマンだけだろ。
手記で見る日本海軍の海兵団の訓練はイメージもできるし自分でもついていける感じ(読むのとやるのじゃ違うだろうけどさ)。
自分はラグビーと野球の経験者にすぎんが、農家や漁師出身の人たちには「海兵団は楽だった(艦船勤務は別、キツイと言う)」
と言う人たちもいるね。
作戦任務に就いているシールズの携帯糧食の一例は
ビーフ・ジャーキー、チキンヌードル、エナジー・バー、水、ピーナッツ、レーズン。
今晩が作戦開始という日の昼食は大盛りスパゲッティ、緊張して食えんなんて奴はものの役に立たんとか。 オマハ・ビーチの時は、緊張と船酔いで食えなかった兵の方が生き残る確率は高かったそうだけど。 >>404
未消化な胃袋の中身が腹の中にぶちまけられるから、ヤバいんでしたっけ。 腹に食いものが入っている状態で撃ち抜かれると腹腔内に飛び散って手の施しようがなくなるというね
現代でも腸を引っ張り出して丸洗いするってくらいで昔の野戦病院じゃまず無理
抗生物質があっても腹膜炎を起こして高熱と激痛にさいなまれのたうちまわって死ぬとか
自分が食べたスパゲティを見ちゃった人もいただろうね… シールズと海兵団では、もともと目指すものが違うでしょ。 特殊部隊は当日はゼリーとかサプリで済ませているイメージがある
自分なら塩おにぎりヲ所望スだが
帰還時の晩飯は豪勢だろうな アフガンで取り残された兵士が一人だけ帰還したニュースを見た事が有るけど
これはシールズ隊員だったのかな?
昔は特殊部隊と謂えばグリーンベレーだったのに
最近はあまりグリーンベレーの名前を聞かなくなったような気がする >>409
直接的な戦闘はデルタやシールズがやるようになって久しい
グリーンベレーは本来の敵地に味方を増やす仕事に専念してる グリーンベレーはスーパーマンの集団
そう考えていた時期が俺にもありました いわゆる”特殊部隊”は、あまり有名になっちゃ困る存在ですから・・・ ホースソルジャーって小説に米軍特殊部隊が出てくるけど北部同盟の各部族に武器や懐柔する為の物資を補給したり先鋒務めたり細々と活動してる ベトナムの頃のモンタニヤード(山岳地帯の少数民族)兵の養成やね >>409
このときに戦死したシールズ偵察部隊の隊長の名がイージス艦に命名されてるね、マイケル・マーフィー大尉。
ヒギンズ(この人は海兵隊、国連監視団長)って艦の取材記事で見たんだけど、MiA行方不明の隊員たちのため
日本で言う陰膳っていうのか、彼らがいつ帰って来てもよいように、とそのための食事をきちんと準備してるってことだった。 1950年代終わり、日本のプロ野球球団の西鉄ライオンズというチームの本を読んだんだが
日本一になった記念のパーティーで暴れまわって、会場の日本旅館のふすま、たたみ、を滅茶苦茶にした話があった。
日本海軍の空母航空隊とか駆逐艦の連中の雰囲気を、この時期の若者たちはまだ持っていたということか。
ヤクザとケンカするとか、飲みに行って暴れる(芋掘り?)とか、さすがに現代の日本の若者はそんなことはせんのやろね。
戦艦「大和」の最後の攻撃に付いて行った駆逐艦の1隻(「冬月」だったと思う)では戦闘前夜の無礼講で
けっこう激しいケンカも有ったというね。狭いとこに若い奴らが押し込まれてればストレス発散も派手になるか。
西鉄というチームの若い連中も福岡でも旅館借り上げの宿舎みたいなとこに雑魚寝してて殺伐とした雰囲気が有ったというし。 新日本プロレス旅館破壊事件ってのがあって、1987年の出来事だ
あんまり軍隊とか関係ないんじゃないかなw 西鉄ライオンズ全盛期の平和台球場はすごかったらしいやん
エラーでもするとスタンドから日本酒の五合瓶投げつけられたとか あるにはあるね、剣菱は結構見かける
ただ5合瓶は焼酎のイメージつよいね 五合だとノンベは一人で飲んじまうからなあ
そして試合が終わる頃にはベロンベロン
50年前の博多原人の大虎なんておっかなくて近寄りたくないな 西鉄の選手たちはトンネル・エラーした野手も、打ち込まれて降板する投手も
胸を張って堂々とベンチに戻ったらしいな、スタンドでヤジる観客たちを睨み付けながら。
スタンドの怒った観客たちから、その5合瓶とか一升瓶、缶ビールが飛んで来るんで頭あげとかないと危なかったからだとか。
西鉄の雑魚寝の宿舎では甲板整列ではないが、戦争経験ありの先輩たちに正座させられて説教されることも有ったらしいが
ある1人のルーキーはアグラかいたままその先輩とやらを睨み付けて「威張るヒマ有ったら練習せんとレギュラー取られますよ」。
この人、宿舎で初任給やもらった賞金を窃盗されて、なじみの料亭に下宿。美味いものを食うのは人生においてとても大切なことだ、と。
時には市場に付いてったり、板場でアヒルをやったり。
解説者になったあとアメリカのアリゾナで合宿をするチームに付いてったときはわざわざキッチン付きの部屋を借りて
日本から材料も持ち込んで、日本食に飢える選手たちのためにカレー、湯豆腐、水炊きなどを供して「内職」。
若い頃の「料亭修行」のおかげか玄人はだしの腕前、との声も。若い選手たちは材料費のみ、コーチ監督からはごっそりいただくという商法で
そこそこいい小遣い稼ぎにはなったという。芸は身を助く、だな。 カレーやシチューみたいに誰がどう作ってもそこそこ美味なものと違って客に出せるレベルの和食となるとなかなか難しい
でも料理学校なら一年で済むところ料亭で学ぼうとすると怒鳴られ小突かれながら下積み十年とか無茶な話になりがち
軍隊式で数ヶ月で叩き込まなかったら店だっていつまでも半人前で居てもらっちゃ困るだろうにね 実際料亭で10年かかるのが料理学校で1年で済むなら学校出を採用するだろ 駆逐艦「暁」に乗ってたという主計の人がそういうこと書いてたな。
料理はセンスも重要なので、何年修行したとかそういうのはあまり関係ないんじゃないかとか何とか。
この人は洋食コック上がり、厳しい横浜の航空隊で何だかんだと殴りに殴られ嫌気がさしたところに駆逐艦に転勤。
「暁」は司令駆逐艦、前歴を知る士官の一人から「好きなようにやっていいから美味いものを作ってくれよ」と言われ大張りきり。
士官用の食事ではあるがハンバーグとかシチューとかありあわせの材料で洋食を作ると喜ばれ、艦でも大切にしてくれた、と。 料理の修業は1年ぐらいで後は板前としての修行だろうw 軍艦の主計兵は普通の板前と違って栄養学とかを勉強するから
下士までやって満期になった後は、料理屋じゃなくて病院とか
大きな施設とかからの引き合いが多かったそうな。 軍隊の主計兵は基本的に大量調理ばっかりだから何年やっても給食のおばさんレベルだろうけど
栄養学や衛生や整理整頓について叩き込まれているから料理界じゃ即戦力なんだろうね
中卒で街の寿司屋で修行したなんて板前だと調理師免許持ってないしくわえタバコで寿司握ったりする 全国料理学校協会ってのがあるでしょ
全国調理職業訓練協会と全国調理師養成施設協会ってのもあるけど 一般的に料理学校というのは家庭用の調理技術習得学校で
生徒も主婦などが多い
専門家育成とか職業訓練的な要素はないと思うぞ 正確にはそうかもしれないけど一般的なのかな
普通はそういうの料理教室って言わないか 基本的に調理師学校は厚生省等の認定を受けたプロ養成校で、調理だけでなく包丁研ぎなどの基礎や衛生、調理理論なども学び、卒業時に調理師免許が取得できる所がほとんど。
料理学校はカルチャースクール的な料理を教えるための教室。 簡単な見分け方としては、ネーミングもあるが学費が全然違うな 太平洋航路の客船のコック⇒伊号潜水艦の主計(伊363潜)⇒米軍厚木基地のレストランのコック長
みたいな経歴の人もいるな。
この人の海軍時代のニックネームは「三六三潜愚連隊」。
道場六三郎氏や「京味」の西健一郎氏も、お若い頃はかなり負けん気の強いお兄さんだったというし
こういう仕事は気性の激しい、喧嘩っ早い奴が向いてるのかね。 海軍は少人数で大量調理を切り回すんで板前みたいな荒っぽい感じだったのかな
陸軍じゃ徴兵したけど軍隊の秩序になじまずどうしょうもないヤクザもんが厨房や雑用関係に送られたというけど
そんなのが戦地に行かず食糧にも困らず終戦まで生き残ってるそうで理不尽… 他にも食材等なるべく良い物ゲットする為もあるんじゃね?
変に押し切られて酢同然になった酒とか腐りかけな食材掴まされたらアカンし
当時のやっちゃ場や魚市場だとそういうのでなければ立ち回れなかったのもあるだろうし 陸軍の炊事場にヤカラが多いのは、海軍で言う所のギンバイしにくる兵隊を
追い散らすためだぞ。 ちなみに海軍の兵隊が厨房にたかりに来る中で一番人気はタマネギだったそうだが
陸軍では梅干だったらしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています