軍艦の食事について語るスレ71食目
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ワッチョイ
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47 [無断転載禁止]©2ch.net
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VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>643
訓練用魚雷は今も各国ともそんなもんだぞ。
出すのが煙じゃなくて電波に変わったくらい。 戦艦「大和」の発案者の一人、松田千秋少将が、対米戦を行うとどうなるのか研究した結果をそのとおりに発表したら
陸軍の東条が「けしからんことを言うじゃないか!お前たちは!」と怒って会議場を出てったらしいね。
自分に都合のよくない結果を受け入れる度量の無い人間をああいうポストに就かせるのが日本の弱さの一因。
「大和」のメシが美味かったというのは、やっぱ大型の釜で一気に炊き上げるのがよかったのかな。
海軍のメシをさんざん食ってきた古参の下士官たちでも「大和」に転勤して驚くのは、その図体の大きさ云々でなく
メシの美味さだったとういうね。 >>641
つまりライカと同等か
どんだけぼったくりやねんライカ…
まあ魚雷並みの家とか相当の豪邸だろうが
航空魚雷だと、運ぶ艦攻と値段が近いぐらいだし
魚雷は訓練で発射しても再使用されたぐらい超高価
帳簿で保有数を厳密に管理 東京湾で炎上したタンカーを沖に引っ張り出して撃沈処分した時の米製魚雷が一発一億円って報道だった
それを四本発射して一発は故障投棄、一発は行方不明で命中は二発
戦時中ならまあこういう事もあるだろって話だけど当時のマスゴミは海上自衛隊を叩きまくったね〜 ハ201が潜水時モーター1250馬力で13ノット
93式酸素魚雷は520馬力で15分作動する
ということは酸素魚雷の機関を3台に発電機をつなぎ
酸素ボンベを12本搭載しておけばAIPとして
全力で1時間水中走行できる 魚雷で沈める船の価格考えたら家一軒なんて安いもんだろ 魚雷が貴重と言われるのは、値段の他に潜水艦一隻あたりの搭載本数の要素もある。
あんまり積んでないからなるべく節約推奨。 >>643-644
米海軍の魚雷もそうだった様子。
試験に使う魚雷は試験専用の魚雷で、実際に使う魚雷とは
全く違う物だったのだとか。
そんな物だから、実際に使われた魚雷が
・当たらない
・当たっても爆発しない
・調定した深度よりも深く潜る
・近接信管も作動しない
なんて問題が見過ごされていたんだとか。 第三図南丸「アメリカの魚雷とか10発くらっても平気ですわw」 輸送船に魚雷と謂うと
船体にぶち込まれた不発の魚雷を
自らのクレーンで引っこ抜いて帰還した宗谷の話を思い出す 複雑巧緻な空気魚雷は生産拡大が難しいからと
じゃあ商船向けには電池魚雷で、と92式電池魚雷を試作したはいいが
戦時にいざ量産すべーと見渡すと生産資材が他に転用されてて、量産は無理
あらかじめ汎用蓄電池は隅の角を斜めに削いで53センチ径の鋼管にするりと入るように規格を作っとくとか
電池魚雷に転用できる汎用モーターを別の一般用補機に統制型として普段から量産しておくとかせんといけないのねw 板倉潜水艦長だったけか、”ああ、伊号潜水艦”で読んだ記憶があるんだけど、
当時の伊号潜水艦には酸素魚雷と電池式魚雷の
混載が出来なかった、って話だな。 >>657
海軍がマジメに戦争の準備を始めたのが41年10月で、開戦が12月だからな。
何もかも準備が整うわけがない。 >>654
いや帝国海軍の場合は、弾頭は付け替えてたけど訓練用も本番も同じ魚雷使いまわしてたのよ
だから帳簿を付けて厳密に管理してた
整備履歴とか残しとかないといざというとき使えない あゝ伊号潜水艦は面白可笑しく読めたけど
続あゝ伊号潜水艦は笑えなかった
あゝ伊号潜水艦に書かれていたのではないが
板倉艦長が鮫島指令に届けたウィスキーの瓶を
戦後鮫島指令が着の身着のままで
ボロボロになりながらも
そのウィスキーの瓶を日本に持ち帰った話は泣けた 当時の魚雷は同じ型式でも一本毎に走行特性が違うから癖を理解した上で発射する職人芸なんだよな
平時は模擬弾頭の訓練で魚雷の一本一本を知れるけど
戦時は工場で試験した仕様書を信じて調整する事になる >>658
板倉艦長は電池式魚雷による世界初の撃沈(ベーリング海、伊2潜による)を記録した艦長。
戦後は食糧欠乏のなか、一日にサツマイモの薄く切ったのを2、3切れという食生活をしつつ職探し中に
東京の街中で倒れたこともあったらしいね。栄養不足による貧血だったか。
病院から出たあとの奥さんへの手紙には「情けない、こんなことならもっと減食訓練しとくべきだった」みたいな。
海自の潜水艦「はやしお」の公試の責任者に任命されたときは酒をいっさい絶って任務に打ち込まれたらしいね。 「沈黙の艦隊」のやまとはMk.48魚雷50本近く積んでなおかつハープーンまで積んでいたのは
原潜というペイロードの大きさからだろうか 映画Uボートじゃ魚雷がグリスまみれだったけどなんであそこまで塗りたくっていたのやら
日本軍だと信管の調定に使われているグリスが熱気で柔らかくなってで早発になることがあったとか
グリスの品質がらみのトラブルが少なくなかったみたいだね そりゃ潮っ気の中にいるようなもんだから油分切らせばあっという間に錆びるからな
なお、どこぞの海軍ご自慢の酸素魚雷はアナログの極致の制御部が油分厳禁だったという説を聞いたことがある
ステンレスが使えるわけでもないのにそれでどうせいとw
超精密機械だから無論毎日磨くわけにもいかない… 魚雷は発射管に装填して海水注水までやって、撃たずに引っ張り出す事もあるからな。
そらグリスでモスボールよ。 注水後に発射中止になると、その晩寝ずに魚雷を
分解整備しないといけなくなるらしいね。 一方米国での場合、魚雷発射管に押し込んだ魚雷は
必ず発射してた模様。
「こんな小さな船にまで魚雷撃ち込んできやがった!」
と、驚いていたのは日本の船乗りです。 米軍は脱出したパイロットを救助するため南シナ海一帯に哨戒網も兼ねて潜水艦を45隻も配置していたというからね
マタ30船団みたいに一度に7隻から魚雷攻撃を受けて壊滅なんて事も起きるんじゃ食糧弾薬なんか届くはずもなし そんな中、昭和20年3月にもなって南方原油の還送に成功した
富士山丸と光島丸はすごいよな。
1万トン級の大型タンカーなのに。
光島丸が持ち帰った重油がなかったら、大和は沖縄に出られなかったかもしれない。
そっちの方が良かったかどうかは別にして。 >>674
大和の沖縄行きの燃料はタンクの底の廃油を無理やり詰め込んだらしいぞ。
本来は満州から大豆かすを本土に輸送する部隊の燃料だったらしいが。 魚雷にお神酒を供えるのが帝国海軍の駆逐艦乗りたち。
司令として「時雨」に乗艦したある将官は日ごろはガラの悪い下士官たちが神妙にお神酒を供える姿に襟を正された、と。 >>675
それは、場合によっては往復も可能にするための追加分だろ。
現場の判断で入れた奴。廃油じゃなくて帳簿外だけど。
元々積載されていた燃料は、光島丸から移した1300トンが半分以上を占める。 なまじ往復分の燃料を積んでいたものでその分の予備浮力が減っちゃったし
沈没の際に漏れ出た膨大な重油で助かる者も助からなかったんだから皮肉というかなんというか
他の艦艇に補給できるよう積んだんだという説を書いてる人もいたけど敵前で給油なんかできるはずもなし
出撃直前の姿すら米偵察機に撮影されてる有様 未だに片道の重油しか積んで無いとか
説明する人がいて草 大和には沖縄へ届けるための医薬品も大量に積み込まれていた
主計兵とシオノギ製薬の社員が日本中を駆け回って
歯磨き粉や生理用品他を出航間際まで積み込んだと
靖国神社の奉賛会だよりに書かれていた
左側の人が沖縄は見捨てられたと言っているけど
沖縄を見捨てたのでは無くて
日本が力尽きただけなんじゃなかろうか? 京都のじいちゃんの弟さんが沖縄で戦死した俺からすると、
見捨てたとか言われるのは大いに不愉快だな。 >>679
本気で座礁する気なら積まないほうが良いみたいよ。 >>682
そもそも座礁する気なんて全くない。
計画では沖縄に突入して艦砲射撃後、物資揚陸して佐世保に帰還。
実現可能かどうかは置いといて。 座礁して砲台にと言っても戦艦の主砲って船体がある程度以上傾くと旋回不能になるから
沈没するよりはと座礁してみたところで全くの役立たずになる可能性が高いんだよね
戦艦伊勢みたいにいい感じに着底しても15度も傾斜していて大和の主砲だったら旋回できなくなってる >>680
土人がごねてるだけだから理屈は通じない
終戦まで沖縄を見捨ててなんかいないしなあ
陸軍は手の差し伸べようがなくなって本土決戦準備に移行してるけど、
海軍は最後まで特攻隊を送り出し続けた >>676
正月には鍬を磨いて座敷に上げ座布団に座らせて御神酒を備える百姓。
戦時中の写真で落下傘に御神酒を備える空挺部隊の姿もあったし、
射撃初めの前に戦車に御神酒を備えてる陸自の戦車隊も。
日本人の民間信仰だろう。 沖縄を見殺し、捨て石にするなら、あの時期に天号作戦したりしないし、あそこだけで2000機も特攻機を本土から飛ばさない
本土防空の要の舞台まで九州南部に派遣してるし
沖縄の防衛戦に当時の可動戦力を無理してでも投入してる
米軍の方でも沖縄向け特攻機の基地を叩くために一時的にB29の攻撃先を九州に切り替えてるほど それよく言う人いるけどさ、実際は時間稼いだほど戦力差開いて不利になるんよな。 沖縄が本土防衛の為の時間稼ぎなら
わざわざ第32軍を編成したりしないだろ
第9師団が台湾に引っこ抜かれてしまい
史実以上の防衛戦は出来なかった
その結果を沖縄を見捨てたとか本土防衛の時間稼ぎと謂うのは酷だと思う 本土へのたかりネタにムキになっても仕方あるまい
沖縄はすっかり韓国化してしまい本土から
金を巻き上げること以外何も考えない 沖縄なら普通に米の二期作が出来るし本土じゃ高くつくトロピカルフルーツ栽培が路地でできるし
耕作してない土地もまだまだあるし真面目に取り組めばけっこうな可能性があるのに今一つ熱心じゃないね
補給基地として良い場所に位置してるんだから生かさなきゃもったいない >>696
働いたら敗けだと思ってる連中に言っても無駄 >>696
価格競争で内地の農家に勝てないなあ
花卉に関しては善戦している 台湾は砂糖生産が盛んで
内地へのお土産に砂糖を持って帰ると喜ばれたらしいが
オレが知らないだけなのかもしれないが
沖縄からのお土産に砂糖を持って帰って喜ばれたとかないのだろうか? 沖縄に行ったら、米はみな内地からの輸入だって言ってたけど ある駆逐艦の主計兵は、自分が上陸して食べ歩いた範囲では台湾バナナこそ世界一の美味だと言ってたな。 何かの本で、台湾の基地に赴任した兵が、台湾に上陸したら日本では貴重品のバナナが大量に売ってあったので、赴任する基地への土産にバナナを買っていって、みんなから笑われたと言う逸話があったのを思い出した。 昭和40年代でもバナナは八百屋の奥に鎮座する高級フルーツだったからねえ
コレラ菌が検出されたという事で大量のバナナが港で焼却処分とか昭和の爺には有名な話
その際自衛隊が火炎放射器を持ち出したとか兵器類が意外と身近だった
昭和25年でも平均月給1万円の時代にバナナはキロ千円だったそうで今なら末端価格キロ数万円か もひとつ思い出した。
台湾から内地に部隊移動があったとき、内地は食料不足だからと、弁当がわりにバナナをたくさん買い込んで内地に戻ったそうな。
で、鹿児島あたりから汽車に乗って、途中で昼頃に隊員がバナナを食べ始めたら、他の乗客がみんな、羨ましそうな目をして見ている。
それに気付いた隊長が、自分等は台湾から帰ってきたばかりで、内地は食料事情が悪いと聞いたので向こうで買ってきたのだが、皆さんの目の前でたべてすみませんでした、といってその車両に居合わせた乗客にもバナナを配ったら、大喜びされた・・と言う話。
当時ただでさえ高級果物な上に、さらに戦争で物資が逼迫した状況でのバナナは、もらって嬉しかっただろうな。 老舗の果物問屋の地下にバナナ熟成用の倉庫が残っていて昔はストーブ炊いて良い感じに熟成させていたというね
青いバナナなんかほっとけば熟成するもんだけどそこは日本人なりのこだわりで絶妙に加減していたとか
今はそんなことしなくなってるから高かったなりに美味だったみたいだねえ >>699
歯が欠けそうな岩石のよな黒砂糖の塊もらった記憶が。
黒砂糖は珈琲、紅茶に入れても味が濁ってマズいし使い勝手が悪い、限定されるのよね。 ♪か〜わい魚雷と、一緒に積んんだ〜、
あ〜おいばななも、黄色くう〜れ〜た〜
そう言えば、昔なんかで読んだ記憶があるな。
関東大震災の時に街を歩いていたら、バナナの臺が壊れてて
そこからバナナを分けてもらった、なんて話を。 暮れになると親父に付いてアメ横へ年末年始の買い出しに行った
日頃は高級品で食えないバナナだけど
バナナの叩き売りでデッカイひと房を買って帰れたのが嬉しかった
大晦日に年越しそばを食った後に食べた程良く熟成したバナナは本当に美味かった(*´∀`*) 叩き売りしてたのは熟れすぎた奴であんまり日持ちしないイメージ グロス・ミッチェル種に病気が流行ったせいでキャベンディッシュ種に切り替わったけど
そのキャベンディッシュでもまた病気が出てるんだよな 種のある野生種で味が良くて病気に強いのを選抜して
選抜に成功したら即3倍体化、という技術が出来たらなあ プロトプラスト融合とかで耐病性遺伝子の導入で良くね? 大きなスーパーに行けば外人用なのか加熱調理用バナナや赤バナナが並んでる時代になったね
自宅でバナナを育ててみた事があるけどひと夏で背丈を超えるし大きなプランターが根でパンパンになるほど成長する
こんなの畑で育てたら土地がすごい荒れそうだね アフリカの南西部ではバナナを優先的に育てて
その葉っぱなどが肥やしになった土壌でイモや豆を育てるらしいな。
その地域のバナナは堅いか味が悪いかでとても喫食に耐えるものではないので
全部ビールにしてしまうということだった。清潔な水が手に入りにくい地域での貴重な飲料。 いつの間にやらバナナスレになっとる・・
_:(´ω`」 ∠):_ バナナは甘くて食べやすくて量が多いの三拍子揃ってるからね よくUボートものの物語でバナナ出てくるけど
そんなのどこから輸入してるんだ? 4本煙突平甲板駆逐艦は高速なところを買われてバナナボートになった >>721
映画のUボートにも出てきたな
スペインの港で補給を受けたあと、艦内に吊してた
対岸のアフリカ辺りから買ってくるのが手っ取り早そうだな 全くなんで日本は対米開戦なんかしたんだろうなあ
日米通商条約破棄の時点で少し自重してドイツの戦争推移を生暖かく見守れや バナナは完全栄養食って事でオリンピックの選手団が大量に持ち込んだなんて話があるくらいだけど
意外と低カロリーなので仮に1500kcal摂ろうとすると20本近く食べなきゃならない
戦場じゃバナナはおやつだね 美味しくて腹が膨れるから嗜好品としては最高でしょ
主食にしてる地域は軒並み火を通したり潰してかさを減らしてる 実際ニューギニアで孤立しサバイバルしてた部隊によるとバナナは甘過ぎて常食とするには辛いそうな
逆にバナナ目当てに寄ってきた獣を狩る方が良かったとさ バナナは意外に繊維質豊富で、大量に食うとお通じが良くなりすぎて、かえってダイエットになるとか。 >>730
北方戦線で米麦庫に直撃弾を喰らって、内地に帰るまで汁粉のオンパレードだったという駆逐艦「響」みたいな話だな。
粥なら毎食出てきても何とかなるが、毎食汁粉汁粉ではね。
上陸でバナナを手に入れた水兵や下士官たちは、風通しの良い場所にそれらをぶら下げて保存したらしいね。
いかにほかの奴らに見つからない場所を確保できるかキモ。
軽巡の「大淀」に乗り組んだ一人の少年兵はそれを見事にやり遂げてる。
普通なら見つかってぶん殴られてバナナは没収、となるところをこいつは巧くやり遂げてる。
これくらい目端の利く奴だからこそ、あれらの戦闘からでも生き残って、沈没した「大淀」からも生還できたのかもな。
まあ運もあるだろうけどさ。 どっかのスレに「日本兵の記録として『ソロモン諸島ではナマケモノを狩猟して食べた』と書いてあった」
などとあったが、動物の分布からしてこれはあり得んから
樹上性有袋類のクスクスという動物だろうなあ >>731
フィリピン1945では、米が満足にないのでバナナ粥ばっかり食べていた兵隊達が
どんどん痩せていったという話があるね。
主食にはならんのかね? 1945のフィリピンは
バナナどころか南方春菊(ざっそう)以外に食い物がなくて
現地人の村を略奪して米を手に入れても
末端への米の配給は週にマッチ箱一杯だったとか聞いたけどな それは1945でも夏くらいだと思われ。
>>734の話はマニラが落ちる頃のバギオ周辺の話だから、3月頃かな? 山本七平の軍記だと飢えた日本兵が椰子の先端の芽を切り取って食べて枯らすので、恨まれた 弓兵団の人の本によると
インパールでも現地人に山賊行為してたな 日本軍が現地民に恨まれているのって戦後連合軍側の国が宣伝した事もあるけど
現地民に直接迷惑掛けまくってる部分はどうにも言い訳できないね
米軍なんか豊富な物資を残して行ったので神扱いしてた島国もあるのに 終戦後のフィリピンじゃ
捕虜の日本兵を現地民から護衛するのに
武装した米兵が警護に当たってたとか聞くな >>739
でもフィリピンの反日ゲリラなんかは、終戦後に
「我々は日本軍を追い出した時、アメリカの再支配も拒否するべきだった」
って言葉を残していたりする。
おまえらが追い出した訳でもないのにな。 >>739
米軍はベトナムに爆弾も食い物も大量にぶち込んだのに憎まれてるぞ
そもそもあの地域は食糧が豊富だったのは差し引いてもな >>741
それを言うなら韓国や北も、戦勝国ではないけどな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています