軍艦の食事について語るスレ71食目
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ワッチョイ
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47 [無断転載禁止]©2ch.net
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VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured まあ昔は、昔つっても19マ0年代後半ぐらいまで、消費期限だの賞味期限だのの概念は無かったも同然でしたからね
見た目カビてなくて、嗅いでみて腐臭がしなけりゃオッケー、的なさ
だから缶詰瓶詰め類とか煙草なんかは、どうも製造年代とか何年モノとか気にしてなかったみたい 味は落ちるけど缶が膨らんでない限りは大丈夫と聞いたことがある 味が落ちる、つまりは変化するってことは何かは起きてるんだよなあ…… 近年まで東南アジア製缶詰が加熱不十分で膨らむとかメッキが溶けて腹痛を起こすなんてあった
でも戦前生産の缶詰が発見されて密閉を保っていたなんて事もあるしきちんと作られていれば持つんだろうね
NHKのガッテンでサバ缶だったか賞味期限が切れてからが美味しいなんて語っていた人もいたくらい ん、でもな
少なくとも明治位までは、日本の缶詰技術は欧米の様に安定していなく、高く売るために海外製品のデザインを模倣した物が多かった、と聞いた記憶がある 戦前の日本製模倣品に欧米市場が混乱したことがあるんで戦後になってもモノマネと言われ続けたね
品質的に欧米産のものに比肩する品ですらあっち風じゃないと売れないとモドキ商標で売ってた
シルクやツナ缶なんかは品質に自信があったのか日本製を強調した商標が多いけど まぁ、当時の一般的な認識的に黄猿が作った工業製品なんてね……。 鮭缶のデザインが赤いのは、かつて缶詰に鉛丹を塗ってた頃の名残なんだとか。 軍艦でも艦毎の飯の美味い不味いの差はあったのかなぁ
なんて事を、今乗ってる司厨長の飯が不味くてふと思った
大人数で作ってれば味も平均化されるんだろうか 陸軍だと委任会計で、部隊長の一存で予算の割り振りが決まったから
張り切り部隊長だと演習に予算を振って飯の予算を削ったりして
部隊ごとの落差が激しかったというが艦はどんなもんやろね 動画で自衛隊の潜水艦は6時間シフトってやってたけどなんでそんな勤務なのやら
6時間の勤務、6時間の休憩待機、6時間の睡眠で一日18時間体制だそうで食事も六時間おき
食事だけは最高レベルってのも確かにそうしないと神経やられそう… 地球はだんだん遅くなって来てて
外部と切り離されて自由にさせておくと
一日22時間くらいの生活サイクルになるそうだ。 >>97
フェルミ研究所だな。ケンジ君シリーズのゾンビ編の続きが早く見たいw >>97
何故8時間交代にしないんだろうね?
担当の時間帯が変わらないことに支障があるのだろうか 勤務時間が8時間なのは良いだろうが
休憩待機が16時間も有ると時間を持て余してしまうんじゃない?
水上艦艇のようにトレーニング出来るわけじゃないしな >>101
米国のSLBM搭載潜水艦だと、SLBMサイロの周辺が
ランニングをするのに調度いいんだとか。 勤務中に休憩無いから6時間にしてるんじゃないかね?
あと1日18時間なのは勤務時間を固定化すると完全に昼夜逆転する乗組員がいて不平等とか?
出港から入港までずっと夜勤は休暇中の私生活に影響出そう 大和ミュージアムの隣にある潜水艦を見に行った事があるけどすぐ外に出たな
実際はあの狭さに加え乗員で混み合って何やら臭いというしさらに変則的な勤務とかキツすぎる
厨房は公開してなかったと思うけど食事が良くても耐えられそうにない
現役の人にはほんとにお疲れさまとしか… 男の体臭と生活臭と便臭が混然一体となってこの世の地獄に >>106
特定の方面のテクノロジーだけが一方的に発達することは考えにくいから、その前提条件が非現実的
ファンタジー世界を想像して楽しむ主旨なら、もう少し詳細に条件を設定してくれないと何とも言えない 仮にステルス艦が出来ても、光学ステルスが
出来ない限り、潜水艦が不要になるとは考えにくい。
潜水艦の強みは、水中に姿を消せる事だから。 自分が買い置きしているSPAM缶は光学ステルス缶なのか、全く食卓には上がってこないのですが ・ ・ ・ 昨夜スパムを四角く切っておでんに入れたら案の定しょっぱくてアンバランスだった
スパムのレシピは無限大とか言って実は塩加減=スパムの量になるのでけっこう難しい
大汗かいて塩が欲しい状態ならそのままで美味なんだろうけど今の時期はね〜 >>112
刻んで適量入れるような使い方じゃないとね おでんだったら豚肉のだしのほうが抵抗があるな
塩っ気は塩抜きするか水の量で調整するしか無いじゃんと 冬はオデンに限るなあ
旧日本軍ではオデンは配食されたんだろうか?
卵、大根、こんにゃく、竹輪、ジャガイモ、昆布だし、が基本かな 。1937年(昭和12年)発行の大日本帝国陸軍調理教本「軍隊調理法」では、がんもどき・こんにゃく・大根・里芋・竹輪麩を、削り節・醤油・砂糖のダシで調理するおでんが「関東煮」と表記されており、田楽とは別となっていた。 軍隊でおでんとか出したら具の内容とそのデカさで喧嘩始めそう… 戦前のおでんにミカンだのトマト入れたらモメてたろうね〜
ラバウルやガダルカナルにはアボカドやパパイヤが実っていたというから入れていたかもだけど 火通した(加熱した)方が食中毒のリスク減らせるからしゃーない おでん的なものにトウガラシ、ショウガ、みかんの葉、ココナツミルクを入れて >>118
現代の自衛官なら、お好み焼きに焼きそばが入るか否かで揉めると思うw
広島風お好み焼きっていうネーミングは関西人が広めてるとか?広めてないとか?w >>118
意外と、雑煮で揉めたりして。
まぁ、大体地方の連隊でまとまって動くから、雑煮も
その地方の物になるのかも知れないんだけどね。 >>126
大阪人だけど広島風お好み焼きとは言わないな、広島焼きっていう。 ブラジル移民のお正月って昔TVで流したけど雑煮は豆ばっかりでおせちは鳥の丸焼きとか似ても似つかなかった
移民一世は本物を知っているので貧しい現地食材で何とか再現しようとして二世三世はそれをそのまま引き継いで
今の世代が日本に働きに来て本物を味わって雑煮やおせちってこういう料理だったのかと納得していた
結局その土地で手に入るもので作るしかないからいろんなものができちゃうんだろうね 日本陸軍での話だけど、正月の餅を戦線の末端まで送るのが大変だった様子。
とある主計将校が餅が黴る理由を突き詰め、”黴ない餅”を考えたんだが
その方法で作った餅が全部黴てしまい、そのとある主計将校は
責任をとって腹を切る準備までした、とかなんとか。
そして本当に黴ない餅が出来たのは、たしか60年代だと思う。 70年代後半にいたっても真空パックの餅が黴びたなんて普通にあった 食品加工会社なら例外なくカビ対策に苦しんでるだろうねえ
作業に関わる従業員に一人でもルール守らん奴がいるとカビ発生でロット全量廃棄とか悲惨な事に
ただ昔はカビても表面削るとか焼けばOKって事でカビたモチを普通に食べてたもんだけど 餅について言えば防カビの気体をクッションにしつつ漏れを視覚化した個別包装のなんと画期的な事か!!! 砂糖をたくさん混ぜた固くならない餅って田舎の爺さん連中の大好物だった
日持ちしないからめったに作らず希少価値があったようだけど世代的に甘けりゃ良かったのかも そういえば、日本陸軍の糧食にあった”粉末餅”って、どんな物だったんだろ。
水を入れて練ると餅になる、って話なんだけど。
それと”潜水艦かたぎよもやま話”に書いてあったんだけど、缶入りの餅なんてのが
あった様だね、どんな物か食べてみたい様な気がする。 サラダチキン感覚でかぶりつける、低カロリー低糖質な海産物ってないものか。
かまぼこ?w 麹粉末を餅にまぶしておけば、カビが成長しても味噌になるか甘酒になるのでは? >>139
定期的にそうやって完全に無関係な話題を唐突に振るのってなんかの病気なの? 単なる巻き寿司を恵方巻とか言って売っちゃってるのは何となく気に入らん ただの巻き寿司を迷信に則って呪術的な作法で食べるのが恵方巻きだろ 大阪でも一部エリアの習慣で知らない大阪人も多かったらしいな
それをコンビニFCが加盟店いじめに悪用してるだけで客は置き去り 恵方巻きって口に入るか入らないかの太巻き寿司を作らせ
恵方だからと芸者にくわえさえ面白がるって下品なお遊びに発していると聞いて意地でも買わなくなった >下の口に食わすのか…
フニャフニャだと難しいですよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 大阪で生まれ育って38年だけど、子供の頃は節分にはイワシと散らし寿司食べてたな。
まぁ、どこぞの宗教の教祖の誕生日を祝ってケーキ食ったりSEXしたりする風習もあるし
やりたい人は好きにすればいいと思う。 >>146
航空食に使われてた巻き寿司は細巻きだ、と聞いたんだが。
「太巻きにするには具の準備が大変」
とか言う理由で、かんぴょうの細巻きとかが出されたんだとか。 >>154
マジか。真っ先に死に行くんだから、もっと良い物を食べさせればいいのに。 一昨年だったか某ワンフェスでまさにラボール巻きなるものを売っていた
これが最後の食事かよみたいな気分にさせてくれたな高かったし >>155
特に戦闘機の場合だけど、操縦しながら食べるので
片手でヒョイヒョイつまんで食べられる細巻きとかが好まれたみたいだよ。 >>155
作戦と聞いていたが、やはり俺達は十死の捨て駒か
俺らの知らない事をコイツらが知ってやがる >>156
米軍の航空食よりかはマシかも。
連中に用意されてたのは、チョコや
キャンディーの類だった様子。 >>159
生きて帰ったら少なくとも量については充分食える連中と比較すんのもなぁ 水筒にお粥を入れて持っていけば水分とカロリー両方取れるのにと思ったり >>84
それ日中戦の抗州上陸作戦の時じゃなかった?
中身がドロドロになってたって話。 >>166
零戦内にサイダーを持ち込む場合、あらかじめ
王冠を少し開けて置かないと大変な事になる。
って、坂井三郎さんが言ってた。 海軍のサイダーって栓が開閉可能なやつと王冠式のがあったみたいだね
リサイクルの簡単なラムネ瓶もあったものの機内で開けるのは厄介だから艦内専用かな てか海軍のサイダーとかラムネって炭酸ガスで作った炭酸水に砂糖と香料ぶっこんで密造してるイメージ 家電の店で炭酸水を作るやつといっしょにいろんなシロップ売ってるね
その気になればラムネ瓶入りのコーラとかファンタとか造れたろうに
コーラは薬臭いと不評だったようだけど 消火器に使われてた炭酸ガスを使ってラムネを作っていた、なんて話は聞いた事がある。 珊瑚海海戦の教訓で
井上成美中将が消火剤と消化ポンプの強化が必要と提唱したけど
その教訓が生かされずに
ミッドウェイでは電源が落ちて消火ポンプが止まり被害が拡大したそうだが
当時の海軍艦船は炭酸ガス消火器の普及はどれほど進んでいたんだろ? 日本の空母の場合、下向き煙突の排煙を冷却する為の海水をくみ上げる
大きなポンプが標準装備されているので、
「これを消火に使えたらな・・・」
という意見があった様子。 ガソリン火災にお水を掛けるのはよろぴくないから、艦載機や
水偵積んでる艦を中心に二酸化炭素消火器の普及が進んだんじゃなかったっけ? 炭酸ガス消火器は屋外ではろくに使えないし屋内でも人を退避させてからじゃないと使えないのがね
格納庫なんかで人が消火作業やってるとこで作動させたらみんな死んじゃうし実際にそういう事故が起きてる
戦前から泡消火器や粉末消火器もあったはずだけど大量に用意できなかったという事だろうねえ ミッドウェーだと消火剤を添加した海水を使っていなかったんじゃないかな?
飛龍の火災を消火していた駆逐艦が離れた途端に火の勢いが増したらしいし
もし駆逐艦が消火剤を添加していた海水を使っていたら
消火を止めた途端に火の勢いが増す事は無かったんじゃなかろうか? >>84
>>165
「日本軍の牛肉缶詰」と言えば、1894年の日清戦争でようやく帝国陸軍も牛缶(大和煮)を主要な糧食として
採用し始めましたが、膨大な需要に国内生産が追い付かず、急遽牛肉が豊富で安価な米国に追加生産分を
外注する事に。
この牛缶は所謂西洋式の塩漬け牛肉やコンビーフではなく、日本から取り寄せた醤油で煮しめた本格的な
牛肉大和煮缶詰でしたが、生憎肝心の日清戦争が想定より早く終結したために、米国で生産した分の多くは
日本に輸出される事なく不良在庫と化しました。
しかしそれから4年後の1998年に勃発した米西戦争では、米軍も急速な大規模動員を行ってキューバや
フィリピンに派兵したものの、兵站面では後手後手に回る事が多かった為、倉庫で眠っていた牛大和煮缶も
米兵の糧食として供出され、速やかに消費されました。
もっとも、米西戦争の時点では軍用糧食を始めとする保存食料の品質管理が疎かであり、古く傷んだ缶詰や
糧食を食べて健康を損なう将兵が続出した事が戦後の調査で問題視されました。
その為、米西戦争後の米軍では食品管理に対する新たな法制度を制定して、糧食の鮮度向上と賞味期限の
把握を徹底させる事になったのです。 >>179
日露戦の陸軍将校❨多門二郎だったか❩の手記に牛肉大和煮の缶詰がスパム扱いされている記述があったな
戦争初期は食料不足で苦しんだようだがそれが改善されてくると、支給されるのは大和煮、親戚から送られてくる慰安物資も大和煮だらけ
もう大和煮ばかりで本当にうんざりしてくるとか 当時の世間一般じゃ牛缶って安価なもんじゃ無かったろうにね今ですら小さいの三缶千円くらいだし
どうせなら良いもん送ってやろうとしたら牛缶しかなかったかな
ツナ缶サバ缶やサンマ蒲焼缶は無かったのか >>182
まあそんなとこ
当時は缶詰自体が高級品だったから、さんまだのサバだのそれこそ肥料にするような安価な魚を缶詰にする発想が湧きにくい
北洋では蟹工船が輸出用のカニ缶原料をフル操業で漁獲していたわけだが(もうちょい先か?) 英仏では缶詰が商品化された1810-20年代辺りから、最初期の海産物の缶詰としてオイルサーディン缶が
作られていたらしいですね。
最初期の缶詰だと缶内部の金属が溶出して鉄臭い味になりがちでしたが、オイルサーディンだと煮込んだ
イワシの周りの分厚い油の層が盾となり、鉄臭さが中身に染み込むのを防ぐ為、イワシの味が落ちず製造
し易かったとか。
開缶して屋外でもそのまま食べられる魚の缶詰が日本軍でも糧食として普及したのはずっと後らしいですが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています