そもそも奇跡の生還自体も、当時の日本人の肉体強度を考えれば全然珍しいことでもない。
当時の日本人は慢性栄養失調と食生活の貧困で、おかずらしいおかずといえばせいぜい
イワシが関の山で、そのイワシに多量に含まれるカルシウムのために当時の日本人の強度は高くなり
米軍の30-06弾の零距離射撃でも致命傷を負わせることができない位に頑強になっていた。
中国人や欧米人は肉や緑黄色野菜を摂取していたために、平時の栄養と健康はキープされていたものの
6.5mmの弱装弾でさえ即死するほどの貧弱な体格だったため、日本軍は歩兵用弾薬のアップデートの必要がほとんどなく
結果7.7mm弾の採用も他国のサル真似という形となった。
坂井三郎が12.7mmのヘッドショットを喰らっても生還できたのは、まさに当時の日本人の平均的強度の域を出ていない。
通常兵器での日本人の殺傷が困難であることを知った米軍は、太平洋戦線の兵士に小銃に変わって火炎放射器を大量に配備し
更に焼夷弾で日本全土ごと焼き尽くすという戦術に転換し、かろうじて勝利をおさめた。
そして戦後は日本人の食生活の欧米化を推進し、その結果日本人の強度は残念ながら低下の一途をたどってしまった。