ワッチョイ無 加農榴弾高射速射 旧日本軍火砲を語る30
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>>125
ええ…ハッタリじゃなくてマジでやってたのコレ… 砲口から弾丸突っ込むてのは遺棄するときの常套手段でしょ
規定の弱装は弾丸を飛ばせる薬量だし
どんだけ減らしても仰角や砲身のコンディション次第で外に飛び出ちゃうしで
普通に駐退機のテンション抜いて弾を砲口から突っ込んだだけじゃろ こういうのって入れやすいように砲弾を先端から突っ込むものかと思ったが、
まあ弾底信管だとそれじゃあ効果薄いってか、砲弾のケツガンガン叩くのって怖いわなw
先叩くのも危険は大差ないがw
砲弾て砲身の山径に対してオーバーサイズだから、簡単に挿し込んだ程度じゃ効果ないよね
弱装弾だとちょうどよく止められる保証ないし これ信管が弾頭じゃない?砲口からガンガンガンガン叩いて押し込んで最後に信管装着では? 信管ついてついていなければ,TNTは鋸で切れるくらい安全とか。敏感で危険なのはピクリン酸じゃ? 砲腔オーバサイズの銅帯なんて柔らかいから,叩けば砲口に入るだろうな。 よくよく考えたら、弾頭抜いた薬莢突っ込んで撃てばいいんじゃない?
速射砲はそれで撃てるそうだし いや、それだから装薬量調整難しくて砲弾わけて撃っても程よく砲口に引っ掛からない、な前の話かと いや、それだから装薬量調整難しくて砲弾わけて撃っても程よく砲口に引っ掛からない、な前の話かと それこそ異物を砲腔に突っ込んで敵に使用させなきゃいいわけ。PAK38/97で空薬莢マズルブレーキに刺した写真あり。 少なくともその写真の砲は誰かが転がってた砲弾を砲口に突っ込んだだけに見えるな……
リング(の跡?)もきっちり3本分見えてるし PAK38/97なんて5cm対戦車砲ベースにマズルブレーキ装着してさえ安定性に欠けた。マズルなし射撃は危険きわまりない 脚をオリジナルの軽合金から鋼製にして剛性強化はしてるけどね そこまでするなら尾栓壊した方が早いんじゃないかと思ってしまう。 ボ式山砲も閉鎖器と照準器外して滅失してシナ軍放棄。鹵獲した日本陸軍が部品新造して装備化 蘭印で鹵獲したやつが蘭兵特殊工具引き渡さなかったから、十個に分解できるものが三個でガ島搬送不能だろう? おそらく、大陸で鹵獲した個体も特殊工具まで入手してないだろう。独立山砲兵二十大隊の詳細はわからん。 九四式山砲のガ島投入の話は未聞…四一式とボ式は判明してるが。 十榴の現地記録は戦史叢書にあるんだったか、九一式はガチ。一式47mmも二門送付したが重すぎて搬送断念。砂浜に埋めたとか丸の記事 ラ式37mmも埋めたとか言われてるし情報が錯綜してるな 一木支隊に配属された京都の独立速射砲大隊が、やはり運ぶ乗り換え断念して海岸で埋めたとか、内陸に運んだとか錯綜してる 児島さんの中公新書で一木支隊がM3軽五両撃破したとされるラ式が、実際は九四式とか。 歩兵第二十八連隊の速射砲中隊と
独立速射砲第八中隊の話が錯綜してるんだろうかね ガ島陸戦での対戦車戦闘の詳細はかなり前のスレに詳しいよ。米軍戦車部隊の記録書き込みの人や日本の陣営は一軍さんのレス 九九式小銃、軽機の最も早い投入例のひとつのはず。47mm速射砲も。大本営直轄部隊だから新装備優遇されてたんだろうな >>146-151
児島襄「太平洋戦争」は自宅の閉架積層の底ですぐに参照できませんが、
一木支隊残部(熊大隊)が参加した9/13の川口支隊夜間攻撃の際のことだとすれば他の資料から迫ることが出来そうです。
「戦史叢書」「陸戦史集」によれば熊速射砲中隊と独立速射砲中隊は
この攻撃では砲兵隊に編入され熊大隊の直接指揮下から除かれているようです。
13日の夜間攻撃の際に砲兵隊は射撃をしない予定ではありましたが、
西南方向への移動を命じられて中川の敵陣攻撃や対戦車戦闘に備えていました。
対戦車戦闘について両資料には記述が見られませんが、
(A)ロバート・レッキー「日本軍強し」によれば東の方からの石渡大尉(大隊)の攻撃は
「第三海兵大隊の75mm曲射砲と戦車の反撃を受けて敗退した」とあります。
(B)ttp://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-M-Guadalcanal.htmlによると、
歩兵第百二十四連隊第一大隊に対する反撃に第一海兵戦車大隊の軽戦車が投入されある程度成功したものの、
同じルートで繰り返し出撃したため日本軍の47mm砲により3輌が失われたとあります。
(C)OSCAR E. GILBERT「MARINE TANK BATTLES IN THE PACIFIC」では、
戦車大隊B中隊と本部小隊の計5輌が投入されたものの歩兵の援護が無く、
1輌は日本の対戦車砲の徹甲弾が砲塔の装甲を貫通し、
他の1輌は日本兵の肉薄攻撃を受け川に転落し、
そして別の1輌も無力化(理由は言及なし)され、
2輌のみが歩兵の陣地まで戻ることが出来たとあります。
この日本軍は歩兵第四連隊第二大隊としているようです。(私の拙い英語力の解釈では)
米側資料から見ると、M3戦車の攻撃を受けたのは第百二十四連隊第一大隊か歩兵第四連隊第二大隊で、
投入された戦車が5輌、撃破されたのが3輌ということになりますね。 使用された日本側の対戦車砲とは何か?ということになると
(A)石渡大尉の大隊というのは存在しないようです。
ただ第三海兵大隊(砲兵)の75mm砲を相手にしたのは攻撃経過図では歩兵第四連隊第二大隊と
歩兵第百二十四連隊第三大隊であり、
前者の第七中隊長が石橋中尉ですからこれを指しているのかも知れません。
この大隊なら野砲一中隊を伴う計画でしたが、果たして実現したかどうか?
但し西南に移動していた砲兵隊の速射砲中隊2個の一部が来援した可能性はあるかも知れません。
(B)戦車を撃破したのは47mm砲としていますが、
この資料はタイポ岬で破壊した日本軍兵器の中に47mm砲を挙げていて、
戦史叢書などで75mm砲4門、37mm砲1門破壊とする海兵隊戦史からの
抜粋との食い違いが見られる点が気にかかります。
しかし海兵隊のある程度公式な資料でもあるようで悩ましいところです。
歩兵第百二十四連隊第一大隊は連隊砲中隊(2個小隊欠)と速射砲中隊の1個小隊を持つ計画でしたから、
砲兵隊の来援が無くても37mm砲と75mm砲を持っていた可能性があります。
(C)戦車の動きに関しては一番詳細ではありますが、全体の戦況はそれほど詳しく記されていません。
この資料では対戦車砲の口径には言及していませんから、
配属の野砲による射撃の可能性と砲兵隊の速射砲中隊2個のいずれかの来援の可能性が考えられることになります。
いずれにしても手元資料から特定することはできませんでした。 47mmが撃破した可能性もあるわけか…児島さん記述では独立速射砲ラ式が6両中5両撃破と書いてた 十月十六日の揚陸で以前のと併せて十五榴15門、十加3門、軽戦車10両となった。と防衛研究所PDFにあるねに それで射程みじかい四年式はさっそく撃ったところ、米軍報復で瞬殺されたとか亀井宏が書いてた 海兵隊の砲兵も弱かったんだけどね
75mmパックハウザーやし
それに負けるっちゅう事は、もうダメダメな作戦だったっていう話ですわな。 いや、フランス設計GPF155mmカノンやM1917 155mm榴弾砲ライセンス製造を配備してた。射程対抗上日本は十加投入。十五加は揚陸不能だったろうし 米陸軍が重砲持ち込んでるんだな。ガダルカナル日記の155mm榴弾砲射撃ジャンプはかなり危険きわまりない映像 恐らく陸軍の火砲だね
海兵隊の砲兵は第11砲兵連隊が専ら主力で、火砲は75mmパックハウザー
第二師団の攻撃を前に、陸軍の第23師団の一個連隊を入れてるからその時だろうね
http://www11.plala.or.jp/Gang-Ho/history/ww2/guadalcanal/guadalcanal01.html
独ソや英国に比べると海兵師団の砲兵はだいぶ弱い
その代わり歩兵が多い
件の速射砲の件もそうだけど、三回の総攻撃は殆どこの第一海兵師団に撃退されてるんだよな M101 105mm榴弾砲とM3 37mm砲も
あと迫撃砲
一木支隊の頃から持ちこんでるよ
M3 37mmはキャニスター弾で一木支隊壊滅に貢献してる
あと陣地周りはマイクロフォンを配備してるので
日本軍の位置と襲撃は筒抜け >>154
> いずれにしても手元資料から特定することはできませんでした。
誠実な態度だなあ。
情報ソースを明らかにせず断定するよりも、はるかに価値がある。 思草社の「ガダルカナルの戦い」で米陸軍155mmカノン砲口に糸で十字張ってる写真あり。砲尾から覗いて照準、平射見込んでいるんだろうと… >>162 え、105mmもか?写真からみてアッツ、ブーゲンビル島あたりと思っとった。北アフリカより投入早いのな >>165
wikiですまんが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%B7%9D%E6%B8%A1%E6%B2%B3%E6%88%A6
イル川渡河戦で既に
32門の75mm榴弾砲と105mm榴弾砲からなる砲兵大隊は揚陸済みであった
とある、37mmはまだ二門
迫撃砲は詳細不明だが砲撃の記述がある
これにM3軽戦車5両
連合軍は連日白昼、リバティ船で輸送だから
川口支隊の頃にはこんなもんじゃない >>162
節子後ろ二つは歩兵砲や
砲兵戦は出来ない
まぁ確認したら105mm砲もあった様だけどイル川では専ら75mm砲やね あ、俺もWiki確認したら105mm砲もあった様だけど、ね M2軽戦車との混成であったことが写真で確認できる。残敵掃討のM3蹂躙攻撃で生き残った一木支隊兵士の記録があるね。 M2A4の写真あHあるけど、一木支隊との戦闘に使われたという確証はあるのかね? それはわからんけど、米兵も日本の遺棄した糧食でしのぐ補給逼迫した状況だから、ある装備は使ったというのが自然と思うよ 米105mm榴弾砲ガダルカナル写真は未見なんだよ。それこそアッツ、ブーゲンビルのやつはあるけど。wikiは更新されてくから侮れないね >>171
そうだね
ただ、写真に写っているので使われた、みたいな断定されるともにょる >>172
少なくともイル川戦で射撃したのは75mmパックハウザーだし第一海兵師団の編成にも無いんだよなぁ
あるとしたら増派されたかだがその記録も見つからない 105mm Howitzer BattalionのT/O D31は1942年7月1日付かあ ガ島でボフォース40mm機関砲操作してたのは帰順インド兵だったと戦記で読んだ。亀井宏のだったかな?転輪ゴムのない遺棄写真があって燃えたものか… 最悪の戦場に奇蹟はなかったも面白い。ガ島で餓え衰えてヨレヨレのはずが日本60kgより重い80kgの南京米俵担いで確保したり >>158 九六式十五榴の射程が辛うじてヘンダーソン飛行場に届くから攻撃発起ですと 第二海兵師団が陸軍との混成か…米105mm榴弾砲投入は真偽半々てとこか?おれは疑わしいに一票 >>161 みると第二海兵に編入陸軍アメリカル沿岸砲兵F中隊がM1918 155mmカノン装備らしい。105mm榴弾砲装備ではある >>161 みると第二海兵に編入陸軍アメリカル沿岸砲兵F中隊がM1918 155mmカノン装備らしい。105mm榴弾砲装備ではある >>155
米側資料は日本側の状況をどれだけ把握しているか不明ですから、
撃破数は別としても少なくとも何かしらの証言を得て書いたと思われる児島襄氏の独速説の方が現時点では有力でしょうね。
その場合でも米戦車の投入方面や日本側の独速や熊速の砲兵隊編入からみて
熊大隊主力の戦闘では恐らく無かったとは言えそうです。 >第244沿岸砲兵F砲兵中隊(155mm野砲)
第244沿岸砲兵連隊F中隊
野砲というか加農で、第14軍団の軍団砲兵だね >>183
補足
「Guadalcanal 1942?43: America's first victory on the road to Tokyo」より 「U.S. Marine Corps World War II Order of Battle: Ground and Air Units in the Pacific War, 1939-1945」
によると
アメリカル師団(第245〜247野戦砲兵大隊(105mm)を含む)が到着した期間は
1942年10月13日〜1942年12月8日になってる。
第1海兵師団に第245〜247野戦砲兵大隊(105mm)が配属されたのは、
1942年11月12日から1943年2月8日までとされているな。 とどのつまり ガ島戦に米105mm榴弾砲投入されているけど、イル川戦にはありえないってことかねぇ wikiでソース77にあげられてる「戦史叢書」の南太平洋陸軍作戦1のp.277には
>第五大隊(一〇五粍榴弾砲)とあるけど、
David N. Buckner「A Brief History of the 10th Marines」p.126には
第10海兵連隊第5大隊は、1943年6月14日にニュージーランドのPahautanuiで再活性化されて
105mm榴弾砲を装備した、とあるな。 有意義なレス応酬だね 歴史検証には資料のつきあわせが第一。公式文書が正確とは限らないし ちなみに>>187の「戦史叢書」のソースは
Frank O. Hough「PEARLHARBOR TO GUADALCANAL」p.275〜
となってるな >>163
>情報ソースを明らかにせず断定する
「歴史群像」とかによく書いてるK氏ですね >>166
川口支隊の頃って、まだ連日のように輸送船着てないんよ
飛行場が稼働し始めて第二次ソロモン海戦やるまで
ガダルカナル島に米軍は夜間こっそりしか近づけなくて鼠輸送なんや
どんぐらいかというと日本軍駆逐艦が日中もガダルカナルをうろついてるぐらい(なおB-17が必死で襲撃してる) 一応「陸戦史集」の方でも8/9の時点で米軍は75mm榴弾砲2個大隊と
105mm榴弾砲1個大隊を橋頭堡の中央に置いて全周射撃が出来るよう配備したとあります。
情報の出所は明記されていませんが恐らく「戦史叢書」と同じでしょう。
しかし同じ「陸戦史集」の一木先遣隊戦闘経過要図では105mm榴弾砲は記入されていません。
川口支隊の攻撃の際には
ttp://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/Guadalcanal/USMC-M-Guadalcanal-5.html
に105mm榴弾砲の存在と1,992発をエドソンリッジの防衛に発射したと記述がありますね。 105mmは
第一海兵師団の師団砲兵の第11海兵連隊の所属、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%B5%B7%E5%85%B5%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%BB%8D)
イル川の頃からいますよ
この105mmは
「血染めの丘(エドソンの丘)の戦い」Battle of Edson's Ridge
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Edson%27s_Ridge
の方にも出てくる
James J. Keatingが指揮した 3rd Battalionが特に活躍した模様
https://en.wikipedia.org/wiki/James_J._Keating
James J. Keatingはこの105mmを使った英雄的行為でメダルを貰ってる
Battle of Edson's Ridgeまでの増派は
1500人の歩兵で砲兵はいない
英語wikiでも海兵隊の砲兵連隊は75mmと105mmの構成で最初から上陸していたとして記述されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Tenaru
although most of the divisional artillery was landed, consisting of thirty-two 75 mm and 105 mm howitzers Gordon L. Rottman「US Marine Corps Pacific Theater of Operations 1941?43」p.27には
1942年始めに、第10、第11両海兵連隊の第5大隊が105mm榴弾砲装備で活性化されたとあるな。 James C. Rill「A Narrative History of the 1st Battalion, 11th Marines During the Early History and Deployment of the 1st Marine Division, 1940-43」p.53には
(パックハウザーより)重い105mm榴弾砲を装備する第11海兵連隊第5大隊は、彼らの榴弾砲を水陸両用トラクターによって上陸海岸に運ばなければならなかった
とあるから当初から上陸しているね。 米105mmでスレが伸びるのか?おれは駐屯地にある風景みたいなものと思ってた。特撮マニアとか参入してんのかいな? 土浦でリアルに三八式野砲、改造三八式対面したときは勃起しそうにはなったがww >>166>>169-171
ガ島の米戦車ですが、OSCAR E. GILBERT「MARINE TANK BATTLES IN THE PACIFIC」
の記述や写真キャプションによると、A中隊がM2A4、B中隊がM3A1装備。
一木支隊、川口支隊とも迎撃したのはB中隊とのことですからM3A1ということになりますね。
なぜA中隊も使用しなかったのかよくわかりませんが拙い英語力で読み取る限り
「戦車は師団予備隊とされ続け日本の爆撃や艦砲射撃の標的となることがあった」
「古い軽戦車の設計者は熱帯の足首まで浸かる汽水の中で製品を維持する問題を考えたことが無かった」
「塩水や潮風でサスペンションがフリーズするため動かさなくてはならない」
とか、燃料問題、に言及しています。
M2A4を名指ししてはいませんが、戦車、特に古いM2A4は悪条件下での長期間の保守や使用に不安があったから
出来るだけM3A1で対処していたと勘ぐることも出来そうです。 >>200
M3A1装備のB中隊のみが参加して、A中隊のM2A4は使われなかったわけね。
>特に古いM2A4は悪条件下での長期間の保守や使用に不安があったから
なるほどね。 M2A4の生産時期は40年5月〜41年3月なので、古いたって最悪でも2年4ヶ月しか経ってない
ガダルカナルに持ち込まれるまでは比較的平穏な環境下で取り立てて問題になるほどの劣化もないはずで
サスペンションに関しては誘導輪以外は基本的に同じだからサスがフリーズする可能性はどっちも同じよ
M3A1とM2A4は砲塔旋回が装填手の手動から動力式になったこと
戦車長兼砲手だったのが、戦車長兼装填手に役割が変わったこと
つまり戦闘システムとして全く異なる戦車になったのな(M3無印とM3A1の差でもある)
密林で対歩兵戦するならそりゃM3A1使いたいじゃろ >>202
>2年4ヶ月しか経ってない
>取り立てて問題になるほどの劣化もないはず
断言しますなあ。
そんなもんかね? >>202
> 密林で対歩兵戦するならそりゃM3A1使いたいじゃろ
当初から密林での対歩兵戦闘を真剣に考えてたってわけか。 乗員の役割が違う型の戦車の前線投入を控えるほど
戦闘力に差があると見ていたわけだな。 >>201
単に私が勘ぐっているだけで大した根拠はありませんからご注意を。
「古い戦車」というフレーズがたった一つあるだけの軽い話です。
もしかしたら単純にB中隊の近くが激戦地になっただけのことかも知れません。 >>199 辛うじて本官は問題多々あれ、事件起こすことなく業務に邁進しておる。いまのところ懸案されることなし。非常時は打電す。 ガ島で一番必要なのは大砲でも戦車でもなく糧秣と医薬品と砲兵トラクター トラクターがあっても牽くものがないと…
いやまあ非本来的な使い途は多いけど
そして、トラクターで移動したら痕跡がはっきり残るんであっという間に航空攻撃の餌食 旧車戦車マニア戦史マニアが集ってるのかな?お台場旧車天国いけば、九五式軽戦車撮影用とか米105mmいくらでも拝める。シュタイアーとか。 >>211 重砲に牽引車があったから、かろうじて運用できた。もっと軽量な野砲山砲速射砲が人力頼みでさっぱり威力ふるわなかったとは言える >>211
ニューギニアだとどうだったんだろう?
フィリピンでは?マレーでは?
などと考えたり ニューギニアは日本軍進軍禁止の島
米豪軍が進出できたのは、工業力と医療技術力と輸送力の3つとも高かったから 宗主国の米英仏が幹線道路完備してたところの侵攻作戦。砲兵展開は概ね良好だよ。飛行場も人の褌で相撲をとる、がラバウル占領以降通用しなくなる 日本陸軍、海軍は航続力が長いから判断がかなり甘いが、侵攻作戦は敵飛行場占領がベース。手堅い手法であるが、それの範囲超えると日本軍の造成力にあまり計画が瓦解するわけ >>207
初期のm3a1はキャニスター積んで無いとかいう話もあったけど、実際どうなんだろ?
俺は何が必要かわからないし全部積んでったじゃ無いかと思ってるけど >>202
>サスペンションに関しては誘導輪以外は基本的に同じだからサスがフリーズする可能性はどっちも同じよ
誘導輪を接地させた理由ってなんでしたっけ?
接地圧が変わらないなら湿地にハマる可能性は同じでしょうね。 フィリピン?
とりあえず北はバターン半島の手前−サンラファエル線、南はサンタクルス−タール線で停止
徹底閉鎖して放置する
マニラへ入ってもマニラ湾が閉鎖されている以上、マニラ市民を飢餓させないようにするだけり量の糧秣輸送が不可能だから
※おそらく80万人以上(下手すると100万人以上)居て、周りにはゲリラがうんざりするほど。このため、鉄道輸送でも養うことは不可能
ルソン島は野戦鉄道(軽便鉄道)
南は主要地だけ占領して、あとはゲリラ戦となるから通常戦闘+無線発信場の空爆+厳重な海上閉鎖 マレー作戦なんて電撃戦なんて嘘報道で敵飛行場占領とともに陸軍航空隊が制空権確保南下して地上部隊が追従したのなんか一目瞭然 海軍設営隊が完成まじかで米軍に奪われたヘンダーソン飛行場の奪回が日本陸海軍意図。豪との遮断も ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています