使用された日本側の対戦車砲とは何か?ということになると

(A)石渡大尉の大隊というのは存在しないようです。
 ただ第三海兵大隊(砲兵)の75mm砲を相手にしたのは攻撃経過図では歩兵第四連隊第二大隊と
歩兵第百二十四連隊第三大隊であり、
前者の第七中隊長が石橋中尉ですからこれを指しているのかも知れません。
 この大隊なら野砲一中隊を伴う計画でしたが、果たして実現したかどうか?
 但し西南に移動していた砲兵隊の速射砲中隊2個の一部が来援した可能性はあるかも知れません。

(B)戦車を撃破したのは47mm砲としていますが、
この資料はタイポ岬で破壊した日本軍兵器の中に47mm砲を挙げていて、
戦史叢書などで75mm砲4門、37mm砲1門破壊とする海兵隊戦史からの
抜粋との食い違いが見られる点が気にかかります。
 しかし海兵隊のある程度公式な資料でもあるようで悩ましいところです。
 歩兵第百二十四連隊第一大隊は連隊砲中隊(2個小隊欠)と速射砲中隊の1個小隊を持つ計画でしたから、
砲兵隊の来援が無くても37mm砲と75mm砲を持っていた可能性があります。

(C)戦車の動きに関しては一番詳細ではありますが、全体の戦況はそれほど詳しく記されていません。
 この資料では対戦車砲の口径には言及していませんから、
配属の野砲による射撃の可能性と砲兵隊の速射砲中隊2個のいずれかの来援の可能性が考えられることになります。

 いずれにしても手元資料から特定することはできませんでした。