ワッチョイ無 加農榴弾高射速射 旧日本軍火砲を語る30
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そりゃドイツは陸軍国だからね
ガダルカナル周辺海域に突如現れたとしても、海軍国の日本とまともに勝負できる訳がない
そうじゃなくて海軍国の陸軍ってやっぱりショボいんだなぁと、思うわけよ
陸軍国の海軍がショボい様に逆も然り
例えば件のイル川渡河戦とかだと
>> 日本軍の攻撃の真正面にいたのは海兵隊リー・ダイヤモンド伍長、ジョン・リバース一等兵とアルバート・シュミット二等兵の3名であり、
この3名により200名以上の日本兵が戦死したとされる。
この戦闘で3名は名誉勲章(メダル・オブ・オナー)に次いで高位である海軍十字章を受章しているが、リバース一等兵は戦死、シュミット一等兵は手榴弾を受け片目を失明、もう片方の視力もほとんど失い、
ダイヤモンド伍長は戦闘が始まってすぐ腕に被弾した後さらにシュミットの視力を奪ったのと同じ手榴弾によって片腕を失う重傷を負った。 >>241
一木支隊に関しては、ノモンハンで壊滅後、上陸作戦用の部隊として訓練されてきたから実質海兵隊
海兵隊同士で戦ったのだから「陸軍」の所属部隊がこの海兵隊に負けてもおかしく無い >>242
Uボートにドカチンされまくる日本艦艇が脳裏に浮かばないでもない 訂正しよう
海洋国家の陸軍は少数精鋭のイメージだな
一度に送り込める数が限られるから
軽武装・弱体だけど練度は高い
だから小さい拠点に攻められて少数対複数になっても意外と粘りを見せるけど、基本的に空挺部隊とかみたいに戦力としては貧弱なのでソ連軍みたいに戦車・野戦重砲兵部隊多数持つガチンコの重装備の陸軍国家の陸軍と戦うと勝負にならない ショボいというのは、弱小というベクトルのショボい、ね
勿論日本陸軍の練度を疑うものでは無い
だけど基本的に軽装備過ぎる
陸軍だけど諸外国の海軍陸戦隊みたいなもん >>248
同じ海軍国家のイギリス陸軍は、基本的には弱小だが確かにここぞという時には重装備陸軍に化ける
エルアラメインの時には凄まじい重砲戦力と機甲戦力で攻めて、さながら陸軍国の姿を見せた 一度に送り込める数が限られてたのは
制空権が無かったから
夜間は日本の方が有利で夜間だけ日本の制海権があった
夜間中に往復しないといけないので
駆逐艦輸送しかできなかった
それ以上にダメだったのが
ジャングルを長躯移動するので
交戦時に碌な装備が無かいどころか
食料すら無かく、交戦する頃には相当疲れている ダンケルク撤退の時に何もかも失ってからは、急速に陸軍増強した
でも欧州大陸での負けっぷりは、確かに海軍国の陸軍は弱小で、陸軍国の陸軍には叶わないという事を体現してたよね
ドイツ軍は数も多いし戦車も砲兵もリソース割いてる
水上艦艇をあまり作らなくていい分だけ恵まれてるよなと
日本が陸軍国家だったら、プチソ連軍みたいになってた筈 すまんIDが何故かコロコロ変わる
荒らしではない
>>250
もし日本が陸軍国家で空軍と陸軍に傾注しまくっていたら、かえって海軍国家路線よりも善戦してたかもね
水上艦艇の足りない分を、Uボートと爆撃機で補って制海権をゲットして、陸軍国の美味しいところだけ頂くと。
山本権兵衛までは、日本も陸軍国家路線で、海の守りは海岸砲が専ら主力だったんだけど、それ以降は完全に海軍路線になってる >>253
パイがデカ過ぎるから、海軍国の陸軍でもソ連以外の陸軍国を圧倒できる陸軍が揃えられるだけ
つまり化け物
でも開戦前の平時はやっぱり糞雑魚で、火砲はm1897野砲だったから、やっぱりアメリカといえども海軍国の陸軍はショボくなりがちである
普通の国が海軍国やるならまずそれ以下。陸軍は軽歩兵主体になる 日米英以外だとイタリア、オランダ、スペイン辺りが海軍国か?
オーストラリアとかカナダとかどうなんだろ? >>256
その中だとカナダ以外は二次大戦中の軍艦名が浮かんでくるが、
カナダだけは一隻も思い当たらないな。 イタリアは半々といったところじゃない?
陸軍も海軍も中途半端。
意外なのはポーランドって実は超ガチンコの陸軍大国でフランスとほぼタメなんだよな
弱小ってイメージあったけど当時の日本も、まさかあのヨーロッパの新生大国が…、って反応だったらしい(まるでフランス敗戦の折みたいに) 基本的に陸で対立し得る強国と接してるなら大概陸軍国になってるよ
フランスとかも海軍強いけどそれ以上に陸軍国だし
フランスぐらいの陸海比重がいちばん良かった気がする
ドイツほど陸に振り過ぎないけど、しっかり重装備の大陸型の陸軍
それでいて海軍力ではドイツなど同級陸軍国を圧倒できる分は確保 スレ違い延々と続けてるとキャニスター弾でグズグズ仏にするぞぉ。散弾銃の何倍くらいの威力なんだろか? 粒が散弾銃サイズよりずっとでかいから、当たったら腕一本や顔半分飛びそうではあるけど キャニスター弾って全盛期の遺物なんだってね。有効射程が極端に短いとか。それをしつこく運用してた米37mmが活躍した。他国では徹甲弾威力不足で陳腐化した口径なのに カフカス山脈でバイキング師団がトーチカ銃眼潰しに3.7cm PAK35/36使ってるのとか。戦車も来れない山岳だと、軽くて重宝したんだろ >>263
半田陣地の戦いで一門47mm速射砲の散弾をぶちまけてソ連兵をなぎ倒しまくったらしい
多分日本軍の第二次大戦中、中国軍相手以外で最高のキルレシオをマークしてる筈だよ
でも該当する散弾が見つからない… ふつうの榴弾じゃね??小口径榴霰弾とか制式化されてねぇだろ 速射砲だけにつるべ落としで猛威振るったんでないかなぁ… >>268
たった二個小隊+警官隊のわずか100名の日本軍相手に、ソ連軍一個大隊大苦戦
しかも土塁で防護しただけの簡単な築城を、ソ連は分厚い鉄筋コンクリートで防護された永久要塞で日本軍最大の抵抗拠点とまで評価してる(事実誤認)
対中国軍除いたらマジで日本軍における大戦中最大の寡兵無双 因みに交戦したのは恐らく一個大隊程度と見られるが、それでもこの戦いで一個軍団を一昼夜食い止めたという結果を残している
速射砲一門と機関銃少々の二個小隊で一個軍団の進撃をこれだけ遅延させるとか強過ぎる 四五式十五加が空砲撃ってソ連兵倒したとか、あったな。空砲で殺傷できるのか?とも思うけど、 至近距離なら鼓膜くらい破れそうだけど、そんな状況想像できないな。 高温高圧高初速の燃焼ガスを敵兵に吹き付けることにはなるね。砲陣地前まで踏み越られて窮余の射撃とか >>262 粒が大きいサイズだと、治癒してもシモ・ヘイヘなみの顔になるとか 半田陣地は「戦史叢書」でも軽掩蓋を有する若干の火器掩体と交通壕により構築され、
半田川川岸は改修の際に対戦車断崖とされていたといいますから、
ソ軍戦史の「要塞」評価もある程度理解できるものです。
「関東軍潰滅す」マリノフスキーによる半田陣地の評価は、
「高さ3メートルの土塁をめぐらした要塞」
「2〜3メートルごとに鉄筋コンクリート製の砲門と射撃台があった」
「拠点の前端と両翼は鉄条網のある対戦車壕で守られていた」
「ケットンカイ川両岸は対戦車防御のための急斜面を持ち、地雷が敷設され、ところどころ有刺鉄条網を施した丸太の柵がめぐらされていた」
とあり、日本側の資料とある程度一致していると読むこともできます。
攻撃部隊は第79狙撃師団の先遣支隊第165狙撃連隊の第2大隊で、
当初は日本側観測で戦車3〜4輌、火砲5〜6門に支援された1個中隊。
これは11日0500頃より攻撃を開始したものの日本軍の低伸弾道火砲による濃密な火網の火制下にあって」頓挫し、
更に泉澤小隊の逆襲もあり一時防御に転じました。
そこで攻撃部隊主力は迂回して進んだものの戦車と砲兵は後方に残され、
守備隊前面には新たに2個中隊を増強し1700ころ完全に包囲する態勢となっています。 後方に取り残されたとされる戦車も一部は迂回に成功していた様子で、
南下した戦車は北斗山の山砲により自走砲2、戦車3を失い後退しています。(日本側記録か?)
支援戦車は第一梯団に指定されていた第214戦車旅団のT26でしょう。
僅か2個小隊ながら適切に防御された陣地に籠った日本軍に、
これまた僅か1個中隊で攻撃したわけですから頓挫するのは当然。
2個中隊を増強してからの戦況はソ軍にとっては順調のようです。
それでも「関東軍潰滅す」ではこの章に『正面攻撃失敗の樺太作戦』と題名を付けていますから、
意外な苦戦を強いられた認識を持っているのは確かと見ていいと思います。
12日朝にはソ軍側認識では日本軍守備隊を撃滅したことになっていますが、
日本側資料では残存人員は脱出し、損害は戦死将校2、下士官以下20、戦傷9、不明5とされます。
途中後退した警察隊は別とした数字と思われますが、半分程度は脱出したことになりますね。
戦果は日本側観測では150以上。仮に1/3が実情だったとしても善戦ですね。 速射砲もさることながら重機の威力もやぶさかででなかったかと、日本兵数でいうと異様な比率 重機が警察署に四挺あるが、じっさい陣地に据えられてた一挺が真相だったか 警察と言っても、所謂治安維持の為の警察ではなく、国境警備の為の準軍隊
武装も軍隊に準ずる小銃や機関銃で武装してる
4丁も機関銃小隊の編成だったんだろうな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%A2%83%E8%AD%A6%E5%82%99%E9%9A%8A 陸軍の陣地配備一丁と警察で保有してる四丁が予備としてあった、てことだろうか… 赤道以南の一式47mm配備状況が知りたいが。ガ島ほかラバウル、蘭印ではあったのか?補給途絶ニューギニアやブーゲンビルはなかったみたいだが 47mmの制式化が1942年5月
開戦時点では「試製一式機動四十七粍砲」だったという
新砲塔チハもあくまでフィリピン派遣用に牽引砲より優先して暫定的に早急配備した結果に過ぎない 毎日新聞社「日本の戦史」で南方にて輸送船から吊ってる写真はあるが、地域わからず。戦力になってるのは甚だ疑問だが、ガ島に送られてるのは事実らしい。 日本の戦史別巻兵器大図鑑で小銃擲弾用タ弾がブーゲンビル島に届いてたとか。隊で二発のみですと… 豪軍が山砲用タ弾でマチルダ貫通試験したのはニューギニア鹵獲のやつか? 小口径は下請けやら協力会社が多く造ってて未来永劫不明の部分が多い。大阪造兵廠の本読んで、後期には納品された小口径を検品する機関と化していたとも 南満州は大阪直系であるが、遠隔地。十五糎高射砲とか室蘭、広島の日本製鋼ほか民間メーカー製造のものは検査官を派遣させてたよう 重い砲を大阪に集めて検品するより、技官を現地に廻したほうがコスト安くつくだろうし。必ずしも常駐のこともない。 >>283 。それは一億人の昭和史別冊 不許可写真史だな。新兵器として一式47mm写真公表が不許可 ちなみにおなじ版元、日本の戦史姉妹本だから、目くじら立てることもない 褌一本で山砲射撃双眼鏡観測してる下士官だかの下半身を墨塗、「ズ(現文ママ ツに濁点)ボンをはかすこと」なる香ばしい検閲官筆入れとかあるね 輜重車押してる三人くらいの兵隊が褌ずれてて検閲黒線マーカーしてる写真も笑える 南満洲造兵で八八式七高、四一式山砲は製造してたろう。並んだ工廠内写真がある。自緊砲身でないのは造れた。四年式十五榴製造可能性も高い。一貫生産は無理だったようだが。製造図面は下付してる。 チハ造ってたくらいだから製造難易度は遥かに高いもんを。ほとんどノックダウン生産かもだが 佐山本判明一割増が小口径で実際の製造数であったろう。中口径大口径は生産できる施設が限られるので数門ていどの誤差だろう。 九二式十加や八九式十五加も佐山本記述とじっさい実際大してかわらんものと思う。山砲、野砲、速射砲、高射砲は記録より多そう。 国民党むけに向けに余剰兵器輸出と数門四年式生産で大陸に何門かあったのち、奉天兵工廠接収だから継続製造はきわめて可能性が高い。 前スレで砲身素材だか大阪に返却せよ!指示とかあるから加工技術や精度はまったく信用されてなかったんだろうけど>南満州 wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 昭和十八年なっても四年式十五榴製造してたんだな…佐山本で十七年十月までのデーターはあるけど >>301 このup主は新資料を発掘したんかいな?90年代panzer誌で九五式野砲など佐山記述と大幅に異なる532門とかあるし 20年まえは九四式山砲累計生産が660門あまりが最新の研究成果で判明とかだった。大阪造兵廠のみの数字だろうね >>301
戦争中でこの生産数か
やる気なさすぎだろ… その動画見たけど情報量すごいな
ただ迫撃砲の生産で主力である軽迫の分が抜けていたり野砲が九〇式だけだったり
なんか特定の砲以外は追ってないのかなというのが気になった
(きちんと「その他の砲」として合計額には入れてるようだけど、迫撃砲の割合算出するのに軽迫抜きはさすがに問題あり)
陣地高射砲と野戦高射砲もいっしょくた気味の紹介になってるし
本人は違いが判ってるんだろうけど客層考えたら若干不親切な作り >>305
動画の※欄にも誰か書いてたけど、支那事変始まってからずっと陸軍の造兵と開発は戦時体制なんだよ
つまりあれが精一杯で、あれ以上やろうとしたら45年度計画みたいな量優先の数合わせになってしまう
いくら大量に作れたとしても、野砲や榴弾砲の代わりに迫撃砲、山砲や歩兵砲の代わりに爆弾投射機
速射砲の代わりにパンツァーファウストの出来損ない、擲弾筒の代わりに瀬戸物の手榴弾じゃ戦争になりませんわ ちゃんと迫撃砲は大台に乗ってるあたり戦時の体は成してる。
迫撃砲ってとにかく安くて量産向きだから通常火砲の不足を埋めるのにも使われるから まぁ日本の場合、大砲量産しても弾の供給が追いつかんしな。
独ソと比べりゃ砲の生産数は文字通り桁違いだが、弾は更にもう一桁違う。 >>310
優良装備部隊のはずの海洋編制師団や海上機動旅団で
配備予定の中迫軽迫を曲射歩兵砲と九九式小迫で代用するようになっちゃうから
わざわざ訂正する必要すらないかもしれず
でも軽迫は作ってることは作ってるんだよな
大造第一だけで九四式が17年10月までに累計609門、量産に入ったばかりの九七式も同159門製造 >>308
擲弾筒の代わりは竹製迫撃砲やで!
弾頭も竹だからエコロジー!(殺傷は中の石ころで行う) 90年代前半までは造兵関係者も多く存命でボケてない御仁がネット普及以前に情報発信してたからね。パンツァーの桑原記事なんて数字はともかく貴重な記録。機密保持と終戦の資料焼却で関係者すら正確な数量を把握してた人間が少なかったはず >>305 ふだんの民需の規模が列強最低クラスだから、不相応なインフラ整備なんて貧乏国で無理。いざ戦時なっても増産できないんだよ。鉄鋼とか… イタリアと似てる国情。資源も乏しいのは同じ。日本の航空機生産数なんてかなり。関東大震災と世界恐慌あとの軍拡ではソ連、ドイツに次ぐ スペインみたいに枢軸寄りで高みの見物決めて独伊やら英国に輸出しまくりで
外貨を稼ぐとか方法は無かったのかいな?
缶詰とか粗悪な船とか黒糖とか雑貨でいいのに 手近なお得意様な中国と戦争してる時点でそんな脳みそ有るわけねえだろ 石鹸箱とか櫛やらセルロイド製品、蜜柑や鮭やら海産物缶詰はアメリカ市場で安価なためかなりのシェアだったね 缶詰→稼げるカニ缶はソ連と競合してヤバめ
粗悪な船→国内需要で手一杯
黒糖→国内需要で手一杯
雑貨→生糸と綿織物以外ゴミ
つんでるなコレ… それが可能な権力構造なら東条首相は戦争回避に成功しとるよ 当時の日本はいまの100均で売ってるようなもんアメリカにちまちま輸出。大陸でぶっぱなす三八銃の弾代にしてたようなもん 砲弾は順次1段階低質な材料に替えて大増産態勢になってはいた
徹甲は特殊鋼製APHE→弾丸鋼製APHE→信管と内蔵炸薬をオミットして弾丸鋼製AP
榴弾は弾丸鋼→鋼性銑鉄で幸い完全な銑鉄弾まで行かない内に終わってる
しかし最終的に装薬が不足してどうにもならなくなる感
やっぱり最後は迫撃砲と爆弾投射器にアンパン地雷 >>318
世界恐慌下のブロック経済化が進む中で、中国がアメブロックに
取り込まれそうになったからの支那事変だべ。
だからアメリカがあんなに熱心に中国を支援するし、
対米戦争にも繋がる。 鋼の需要量を賄いきれず銑鉄使うような国力でよく戦争したなぁ ドイツをそんなに悪しざまにバカにしちゃ可愛そうだろ >>325
設備増やす話はあったんだけどね。
一次大戦後の造船不況で、当時の鉄鋼生産力ですら過剰になったのだよ。 >>325
砲弾鋼や装甲の質低下は殆どの参戦国でやってるよ、特にソ連は酷かった
日本は生産量の絶対数が少ないだけ品質低下も少ないし、大戦後半は特殊鋼APHEの生産を再開したりしている
早期に新型APの製造を断念したのが一因ではあるけど >当時の鉄鋼生産力ですら過剰になったのだよ
戦間期はそんなに鋼需要ないのか…
過剰なら値が下がって、下がった分需要が増えるってならなかったの? >>329
鉄が安くなってもだ、例えばレールの需要は増えないじゃろ?新規に鉄道を敷くとかじゃないと増えない
道路無いんで自動車もあんまし増えないし、船舶はWW1時のがクソ余ってるから世界的に需要がない。 そらそうよ。
みんな大好き大阪砲兵工廠(実は民生品も作ってた)が
大正15年の大人員整理で従業員1.6万人から2600人になって
この時できた穴が戦争勃発後まで尾を引いているくらいだもの。 悲しいなぁ…
公共事業とかで生産力を吸収できなかったものか 船舶改善助成施設なんかは吸収しようとした努力の一環で、
船舶建造に戦時の徴用、改造を前提とした設計を前提に
補助金出したりしたけど、一次大戦後の不況〜昭和恐慌〜
世界恐慌と続く時代だったからねぇ。
ちなみにこの時期に少しでも失業者対策にしようとして、あえて機械化を
進めずに、人力重視で道路整備を推し進めた結果が、日本の土木近代化を遅らせて
戦争中の飛行場建設とかで泣きを見る事になった。
失業対策に機械ではなく人を使う工公共事は、ドイツのアウトバーンや
アメリカのニューディールでも行われた、不況対策としては正しい方法なんだけどね。 フォード式に工場労働者の賃金を上げて購買力を高めて工業製品を買えるようにするとか
日本だと思いつかないからなあ そうだ!
スイスみたいに義勇軍という名前の傭兵を輸出だ!
みんなやってる >>334
いまの日本でも出来てないなw
氷河期世代を痛めつけて第三次ベビーブームと50年先までの市場を潰しちまったし。 >>331
うかつに人を減らすと、のちのち大変なことになるんだよな
最近だとコレ。
https://pbs.twimg.com/media/D3jNoIBUEAAUVVt.jpg
50代が居なくなったら、もう鉄道維持できないやろ。 >>332
軍隊の存在それ自体が国家最大の公共事業みたいなもんよ
軍の兵器調達予算≒工業製品の総需要、みたいなもんだ
ちな大正末の二度の軍縮で、陸軍の人員10万人近く削減
大戦後不況と関東大震災の衝撃の下で軍が吸収していた人間が直接の数だけでこれだけ世間に溢れたら、そりゃ不況に追い打ちになるわなと
軍縮は軍の近代化予算の捻出という目的もあったが、これだけ組織が縮小すれば調達費や仕事量は増えるわけがないというね
そしてまた負の遺産としては、砲兵などの支援兵科の陣容の低下と有事に拡大させる余地が壊滅的にされたというね
331の挙げた大阪砲兵工廠の人員なんて端的な例 >>337
保線業務は下受けに丸投げすりゃあいいんじゃね〜(投げやり)
てかまあ実際そんなもんだろうし
しっかしひでえ世代構成だなw
もうなるようになるべえとしか
高齢化と人口減少で首都圏以外の鉄道網維持できるかも今後怪しいし そもそも第一次大戦の戦訓からして火砲冷遇は決まっていたようなものだから、第二次大戦も火力戦の一面を呈したのがそもそもイレギュラーなんだよ
本来なら歩兵・工兵の戦線広範囲に渡る浸透突破で火砲はどちらかというと奇襲性を損なわない程度の使用だった
夜襲も戦訓の一貫だったとBUNが言っていた 奇襲性を損なわない集中運用はどこでもやるし
WW2の火力戦とは臨機に応じた集中射で
火砲の数以上に砲と弾薬の機動性と何よりも整った通信機能と測地そして間接射撃技術であり
そっちの面で非常に残念だったというのが我が国の砲兵である 150万発の記録的な準備砲撃を行ったソンムの戦いでは、英軍は1日に戦死2万を含む7万人超の損害を被った
一方で砲撃を集中的にかつ短時間で切り上げたブルシーロフ攻勢や1918年春期攻勢なんかは将来的な戦争の在り方を表すには十分過ぎるインパクトでな…
どうしようもならん重拠点にはしっかり攻城砲は備えてあるんだし、史実程度の数でも日本軍的には「絶対的に見て少ない」でもこれで十分と考えていた節がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています