ワッチョイ無 加農榴弾高射速射 旧日本軍火砲を語る30
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戦車じゃないんだから対戦車砲の待ってる場所にまで行く必要はないのよ?
もちろん手配りのミスでそうなる可能性はあるが
山砲を人力で運んでいった場合は機関銃一丁が歓迎してくれるだけで終わるのよ
そして極めて重要なことなんだが、歩兵砲と前線直協火砲を混同してないか?
歩兵砲はその歩兵の抱えるものだから歩兵にどこまでもついていくが
直協火砲は仕事が終わったら別の隊のお手伝いに下がるんだ
こっちの中隊の手伝いしたら向こうの中隊、場合によっては別の大隊や連隊に向かう
キロメートル単位の距離を動くのだよ。だからこそ移動速度も求められる
また鉄条網で戦車が止まるなら、歩兵だってそこで引っかかる
戦車の鉄条網踏破能力が求められるのは、踏み潰して鉄条網に突破口開いて後続の歩兵の道を作るためなんで
随伴砲兵にその能力は求められない(できても困らんが、鉄条網に榴弾打ち込んで粉砕するのが仕事や
そしてだ、対戦車障害物が有るからなんだというの?
世界中の戦場で対戦車障害や対戦車砲を犠牲を出しながらも攻略して進んだのが各国だ >>364
低鉄条網ってただのピアノ戦巻いただけだよ
履帯に溶けて絡まって戦車を動けなくする
前線っていうけど火砲が機関銃に洗礼を受けると言っているわけだよね?
そんな距離では当然対戦車砲も対戦車障害物もわんさかの「前線」以外の何者でもないよ そういえばなんかのシナ戦線戦記で、後方にいた連隊砲隊が奇襲でボコボコにされて文字通り全滅した時に「そりゃ歩兵の支援が無くて砲兵だけならそうなるわ」と著者が回想してたのは興味深かった
連隊砲隊って歩兵としてはクッソ弱いんだな >>331 それで支那事変あとの増産で熟練旋盤工で給料うなぎ登り。砲身削ってた職長クラスでいまの金で月給70万以上くらいだったかな?朝八時から夜七時までが定時。プレス機の轟音と金属粉末舞う過酷な職場ではあったとか >>366 騎兵銃はおろか拳銃すらほとんど携行してないだろうね。銃剣のみ。 そら砲兵が歩兵に襲われたら弱いわな。
ナポレオン時代でブドウ弾いっぱい持ってて、20世紀よりも直接戦闘を戦えた砲兵でも
騎兵の接近を許したらひとたまりもなかったというし。
むしろ敵砲兵を潰すのが騎兵の役目の一つだったり。 題名は忘れたけど、大阪工廠の証言集があって数か月前図書館で借りたのよ。新聞記者が著者の。元アパッチ団、作家のヤン・ソギルのとかある 「夜を賭けて」借りて読了のあとだったから、なかなか感慨深いもんがあったけど 山砲といえば、当然歩兵との共同戦果にはなるがガダルカナル島での希有な善戦例があるよね
「11月3日03:30 ガダルカナル島の戦い
第三十八師団の歩兵第二百三十連隊第二中隊、山砲兵第三十八連隊第六中隊は、海岸線沿いに海兵第2大隊の陣地を攻撃してこれを撃破。
戦死者4名、負傷者1名
米軍側:戦死者約70名」
第三八師団といえば、支那事変・香港・蘭印作戦と渡り歩いた実働経験豊富な師団だよね その本読んでて工程が細分化されてて多能工ではないから、ほかの職種のことが互いに分かってない記述が多い。砲弾ひとつとっても中グリ専門、外面研磨、帯塗りやら。職工スキルの柔軟性はなかった模様。その工程で余っても、火ィ噴いたほかにヘルプで廻せない 大阪砲兵工廠って調べると色々面白いよな。
明治26年に初めて近代兵器を輸出してたり(マカオのポルトガル軍向けに山砲弾)。
明治35年に日本初の組合が出来ていたり。
大正7年に国産自動車第一号を製作していたり。
大正9年に日本における環境対策の先駆けとして、煤煙防止装置を導入してたり。
大正11年に女性工員向けに託児所を設置していたり(当時は軍服も作っていた)。
仕事がなくなるって言うんで、組合がワシントン条約締結反対運動やっていたり。 アルミの飯盒をはじめて量産して献上。明治天皇みずから炊爨した飯を食したとかね。 隠居してた徳川慶喜だったかもしれん。学研「レアメタルの太平洋戦争」にあった >>363
フィアットが自前の製鉄所を持ってた理由のひとつかな 一方、日本陸軍は輸入自動車の板バネを素材に焼き入れと砥ぎをして
軍刀向けにスプリング刀を量産した >>378
おっ満洲刀だな?
そこら辺の昭和刀に比べてタフで曲がらずよく切れるとリピーターもいる名刀だ 興亜一心刀はそんな雑な代物じゃ無いぞ
ttp://ohmura-study.net/221.html 鉄製薬莢 真鍮製がが5〜6回の再利用が可能なところ15回ほど使える。が、絞出の工程が何度もふえる、洗浄とメッキ手間がふえペイしないそう。鉄でやったのはドイツ、日本。金属資源豊富な連合国は終始真鍮砲金だな。 小銃弾の空薬莢回収で員数あわず自殺した兵が珍しくなかったのは、資源小国日本の事情だろうね。いまなら希少金属入手でパソコン、スマホ解体の都市鉱山がある。 >>386 大戦末期の資源枯渇で薬嚢式復活させようとして失敗した。いちど技術を断絶させてしまうと再興ががむずかしい… >>385 資源はあったけど生産設備が追い付かなくて鉄のもあったかもしれないね。当方、ソ連事情は詳しくないもので… 薬嚢装薬は閉鎖器螺式が適合すると思われる。はやくにほとんどの砲に鎖栓を採用したドイツ事情。勝利に驕ることなくフランスの技術を漁夫の利すればよかったのに。 九一式十榴はオリジナル鎖栓から螺式に変更。薬莢の分離で装薬量調整する方式。それで、なんらかのメリットがあったんだろう? >>376
昔、大政奉還の時に居住していた大阪城を見学した慶喜が大阪砲兵工廠を訪れてアルミ飯盒に興味をもったでもアルミの健康への影響を不安に思って後日、銀塊を送って銀製の飯盒の製作を依頼して
その後はご飯を自分で銀飯盒で炊いていた
とか、司馬遼太郎が書いていた >>391
螺式は鎖式より軽い
装薬可変は榴弾砲ならごく当然の運用
薬莢のおかげで閉鎖密閉度が高いんで工作精度が多少甘くても良くなる
自動排莢による連射速度を求めないなら螺式+薬莢式は良い選択肢なのよ >>392 アメリカ退役軍人にアルツハイマー認知症が多いのはアルミ食器が原因では?と疑がわれてるね アルミとアルツハイマーの関連は公式に否定されたじゃろ?
アルツハイマー患者の脳にアルミが多く沈着しているのは事実だけど、
アルミが沈着するからアルツハイマーになるのではなく、アルツハイマーになって
スカスカになった脳にアルミが沈着する案件だったはず。 三八式騎砲もベース野砲の鎖栓閉鎖器から螺式に変更してるんだよな。すこしでも軽くしたかったとみえ >>395 え、そうなの??でも一般生活でアルミ摂取する状況多くないよ。軍隊か刑務所くらい。軍人が現役時代から脳スカスカでアルツ気味だったというオチか? >>397
アルミは地中に存在する量が酸素・ケイ素に継いで三番目に多い物質なので、
あらゆる食品に満遍なく少量含まれている。
食器以外にも調理器具の鍋やヤカンにアルミ製品あるし、飲料のアルミ缶や
アルミホイルからの摂取もある。
食品に使われる焼ミョウバンなんて、がっつり硫酸カリウムアルミニウムだ。 アルミのラーメン鍋で煮炊きくらいはするけど。アルミのトレイに食材載せてナイフ、フォーク、スプーンカチャカチャさせて食事してるもんな米兵のやつら PACといって水道水の汚泥を沈殿させるのに大量に使用されてるよ。
PACはポリ塩化アルミニウム、毎月ローリーで搬入してる。 野砲連隊で38式野砲に替えて31式山砲をインパールに持って行ったらしいが
どんだけ軽い砲が好きなんだよ 土浦で三八式野砲実物みると、結構なごつさでアレをビルマ山岳地で馬が斃れた後、人力で牽いたり、分解担送するのは無理と思う 何の資料か忘れたけど、山岳での人力担送の研究結果とかみるに三八式運ぶの無理だしな
九四式速射砲でもかなりヒイヒイしてたし 速射砲の連中は牽くのは得意でも砲部品担ぐのに慣れてないってのも。そもそも総重量が軽くても分解したパーツが山砲とちがって人が担ぐよう設計されてないってのがある >>398
酸性土壌だと土壌鉱物からアルミニウムイオンが溶出して作物の生育に障害が生じる
アルミニウムイオンは根の細胞に活性酸素ストレスを引き起こして伸長阻害や細胞死が起きる
アルミニウム耐性大麦の場合、アルミニウムイオンをキレートして無毒化するリンゴ酸を分泌できる品種がある 重くても砲身は長物で駕籠かき四人でなんとかイケるだろうが、砲架なんて分解不可リベット留めのデカ物でどうもならんぞ>三八野砲 山砲は分割式で1個100 キロに納めて馬に載せる装具が用意されてるな 三八式野砲で砲架を人力で運ぼうとするなら、ムカデみたいな多数取っ手つけた神輿を木材で組む方式なんだろうけど。南方で夜間、航空爆弾を秘密裏に運んで地雷で埋めたとか。それやったらひとつの野砲で大名行列みたいになりそう… >>401
38式野砲装備してた部隊は他に九一式十糎榴弾砲もあったけど
こんなもん持って行けそうもないので31式山砲と四一式山砲を
借りたり引っ張りだしてもっていった
まあ本来の三八24、十糎が12なんぞ持っていけないわな そういえばニューギニアの大活躍部隊って野砲から九四式山砲に装備改変したんだっけ?
やっぱり九四式は南方にピッタリの万能砲だな 野砲兵七連隊も南方投入を想定して九四式山砲に装備改変してる。北海道から出ることなかったが 現代の軍隊でも東南アジアのジャングルで部隊展開するとなったら
やっぱり大砲分解してお神輿ワッショイになるのかな ヘリで運ぶが
海兵隊は火砲より12迫でいいやんとかいい出してる >>397
パンやお菓子作るのに使うベーキングパウダーってあるじゃん。
アレに大抵アルミニウムが含まれている。
ミョウバン形式で。 >>413
120RTは総重量400キロはあったが
分割して各部100キロに収まるのか? >>415
いやヘリで運ぶんだけど
それでも普通の10榴や15榴よりも120迫、誘導砲弾や射程延伸弾使った81迫でもええんやと言い出してる 海兵隊がいうには結局弾薬車両必要じゃし
その車両もヘリで運ぶとなるとパッケージ重量と戦力のバランス考えなおさんとなって話な
なお米120mmはM120で分解すると砲身50kg、底板62kgだから人力搬送も可能 砲を分解、神輿担ぎえっほえっほやってたら、日本兵相手に現地人が啓界路ぞいヤシ酒やらトカゲ、ワニ肉焼いた商売やりそうではある。浅草三社みたいに 満州の対ソ連戦でソ連戦車を300輌ほど撃破してるみたいだけどどうやったのかな?
47mmじゃT34抜けないだろうし
自爆するにも平原では近づく前にやられそう 丘の上から山砲でエンジングリルを撃ち抜いたという戦記なら見たことある
t-34を数十両撃破したとの事だったけど、そんなに数が居ないはずなのでBTか何かかと思われる 150万と70万の軍隊の交戦で、ソ連だけで5000両もの戦車自走砲を持ち込んで、あんだけの距離を強行突破してるんだから
BTとかの軽戦車やSU76みたいな弱装甲のだってあるし、地雷踏んだとか、大口径砲に遭遇したとか、野砲に撃たれたとかだってあるじゃろ ムーリンの九六式十五榴が何両も撃破したとかあったな。 ソ連軍も独ソ戦終了で廻した部隊やもともと極東配備のBTやT26の旧式装備やら雑多なんだな。T34-85に混ざったダークイエローに迷彩の元ドイツ軍トラック満州写真とかある。鹵獲した38(t)戦車も投入してるとか 記録映像でソ連のM40ヘルメット被って投降してる日本兵とかもある 満州侵攻時のソ連の戦車損失はこちら
http://www.armchairgeneral.com/rkkaww2/battles/Japan45/Losses_Fronts.htm
では
戦車54輌、自走砲6輌。
前線の損失報告からの数字で後の研究と一致しない可能性があるとの注釈はついていますね。 イタリア37年式149mm榴弾砲が1942年で製造147門とか >>427 アナタ特ア外国人デスか? イタリアの兵器生産量は日本以上に不振だ。列強最下位クラスでマウントとっても詮無いことだが。 1942年までの累計でね。射程23kmの優秀砲15cmカノンも微々たる数>イタリア 英の6インチ榴弾砲とか8インチ榴弾砲は第一次大戦ので、60ポンド砲なんか日露戦争の時期のだし
フランス軍はくさるほど1897式野砲を装備してて、鹵獲したドイツ軍も喜んで使ってたよねという
ベルサイユ条約で軍備失ったドイツ、革命で大半失ったソ連、置き換えられるだけの生産力のあった米の3つを基準にしちゃうと色々間違えるよ 第一次大戦期の火砲舐めてるでしょと。
4年式15cm榴弾砲の一個大隊あればサイパン島に上陸してきた海兵一個連隊を全滅できる。 >>426
独ソ戦全史を書いたデビットMグランツによると
日本軍による戦車300〜600輌撃破という報告さえ過小らしいけどな >>433
やっつけられたのバレンタインとかだから
ノーカンノーカン 日本陸軍は大戦末期に4斤砲とか持ち出したんだろうか?
9センチ臼砲や15センチ臼砲は保管兵器を引き出してきて
九十九里浜あたりに配備したような記述をどっかでみたような気がする うちの婆ちゃん(弓道やってた)が米軍上陸に備えてトリカブトの毒塗った
毒矢を用意してたくらいだから、神社とか資料館にあったのを国民防衛隊が
引っ張り出したとかは普通にありそう。 九センチ砲は保管兵器じゃなくて、各地の要塞にそこそこ纏まった数が配備されてる現役兵器
もちろん要塞配備自体が保管兵器みたいなもんではあるが、あれで昭和になっても改正とかやってるんよ >>432 ソンムの戦い数日でイギリス上流階級出身の若い将校多数死傷させたわけだから。戦後の国家運営に支障でたくらい 射程と運動性は進歩したけど、砲弾威力はww2とさほどかわらん!てか同じ砲弾使ってたりもする グランツがソ連戦車の損失をどこから推定したかはわかりませんが、
例えば>>426の数字は9/4までの戦闘報告を元にしていますから集計が間に合っていない損失が
他にも多少存在する可能性はあると思います。
その他、戦車は軍艦と異なり沈没しませんから撃破数と損失数が大きく食い違う可能性も大きいでしょう。
一時的に撃破されても炎上しない車輌は修理で復帰する場合も多いと考えられますね。
また同じサイトからですが
http://www.armchairgeneral.com/rkkaww2/battles/Japan45/Strength_AFV.htm
によると、8/5つまり開戦前の時点で戦車自走砲登録数6,980輌のうち123輌は廃棄対象、
485輌は徹底的な修理が必要、148輌は中程度の修理が必要、とされており、
特にBTやT-26などの旧式車輌の状態がひどく悪い様子が伺えます。
合わせて600輌以上の要修理車輌のうち旧式車輌について実際に全て修理されたのか?
と考えるとこの中にも少なからず除籍廃棄された車輌がありそうです。
除籍車輌の数を真面目にカウントしていくと戦闘損失以外の車輌がかなり混入してくるかも知れませんね。
ソ連軍の満州侵攻のうち実際に激戦を交えたのはどの部隊であったのか、
いずれみんなで情報を持ち寄って調べてみたいですね。 一軍さん、BTやT26って機械的信頼性が低いんすよ。独ソ戦開始時のソ連装備数と稼働車の差ででお分かりになるでしょうが。しょっちゅうオーバーホールしなきゃならない。満州のころは経年劣化でなおさらのはず 火縄銃保存会とかに入会して大筒とかの撃ち方とか鉛を溶かして鋳型に流し込むとか火縄のないかた、玉薬の調剤の仕方を学ぶと
いざ鎌倉へ!という時に役に立つかな? 部品精度や品質ではどっこいどっこいの日本戦車は超人的職人芸でノモンハンで炎上車でない限り、撃破や故障したものを迅速に戦列に復帰させた。最新の研究より <<443 市販ドローン改造して爆発物投射できるようにしたほうが今風だろう。汚物くらわせるのもあり アームストロング砲やフランキ砲も引き出して・・
あと霹靂車も。 ちゃんと管理してなかった火砲は再整備と安全性確認で手間がかかるし
なによりも弾丸が無いんじゃ >>447
そんなキミには新造の竹迫撃砲を配備してあげよう…!
射程距離50mだから頑張れ!
まあロシア(ソ連では無い)の鹵獲記念品速射砲が寺に置きっぱなしだし、弾を作るのが面倒なヤツは無視されてただろうね 管理されてれば古い弾頭自体は不発率が高くなるだけでそれなりに働いただろうけど
そういう半端な火砲のための装薬を作れる余裕がなくなってきてるからどうしょうもない
肝心の陣地高射砲すら1戦闘分の弾薬集めるのに苦労してるし
大丈夫、愈々決戦とならばこの航空爆弾投射器もとい曲射歩兵砲II型で… 藁に小便掛けて硝石とか源文の火器と爆薬にあったな。一次大戦で仏軍は骨董品屋にあった臼砲使用したとか 貧乏国だもの使えそうな旧式兵器は補給廠で保管してたよ。明治時代の被服でさえ最小サイズは需用はすくなくおおく死蔵してた。支那事変後の根こそぎ動員で体格劣る兵が入営するようになり瞬く間に在庫がはけたそう 外套など対米英戦勃発後の製品より以前のものが好まれていた。材質から保温性があり十年もの耐久性あった。以後の外套は七年保たなかったとも。 ヌートリアとかウサギを毛皮用に飼うのを奨励してたらしいけど
人間の食い物が足りない状況では
毛皮より肉になったんかいな? 雑草や糠食わせとけばいいだろ?毛皮は外套の襟、防寒帽原料として買い上げていた。ヌートリアて岡山あたりにいるんだって? 兵用の外套は材質の低下と服地節約でそれまでのダブルから九八式から合わせがシングルになったし >>453
普通に両方だろ。
毛皮をとって肉は食べればいい。
>>454
ヌートリア大阪の淀川にもいるわ。 正直言って歩兵分隊の小銃って弾さえ出れば
あとは軽機関銃や擲弾筒の予備弾持ちなわけでしょ?
99式7.7ミリ小銃なんか作らずに歩兵はみんな38騎銃にしておいて、
歩兵砲や大隊砲、連隊砲を充実すれば良くね? >>457
弾さえ出れば、ねw
92式重機が7.7mmなので、38式カービン持ってても弾は出ない、ただの棒切れと化すのである
「機関銃の予備弾待ち」というのをよ〜〜く噛み締めれば7.7mm小銃の理由は分かると思うが そもそも日本陸軍は歩兵連隊より下の単位では装備充実した重武装な部類で
対戦車砲の性能が非常に残念なだけで、歩兵の装備と予算に関しては相当に力が入ってたんじゃねえかな 99式7.7ミリ短小銃と92式重機の弾薬は違いますやん それ言い出したら米の30口径も小銃と機関銃では
弾底やらが異なるけどね >>461
違うけど相互互換で撃てるので緊急融通が可能なのな 口径や薬莢形状が同じでも減装とか場当たり的に種類増やすし、、、
7.7ミリは重機、車載機関銃、航空機関銃、海軍向けで弾薬を統一できなかったのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています