【WW1】戦前空母に関する雑談スレ 32隻目【WW2】
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すべて5航戦の人員でトラックから飛ばして着艦し、
ラバウルに輸送してるんだよ。
搭乗員が準備され、珊瑚海海戦にも同乗している記録はない。 ラバウルはすでにポートモレスビーに陸攻飛ばして空襲を1日おきくらいにはやってる。
つまり飛行場運用に問題はない。
空母着艦できる腕の搭乗員がトラックにいるなら直接空輸でなんら問題が無い。
MO作戦実施に当たりラバウルから戦闘機不足で作戦実施に支障を来すとの連絡は入ってる。
輸送が実施できなかったから、5航戦にやらせたというのが一番自然。
そもそも零戦9機に搭乗員の配属があり、それは5航戦以外の人間という資料は何にありますか? >>148
そもそも、空母で作戦可能な9機分の機体と人員が用意されてた、と断言している割に
結局は気がするから、疑わしいからが根拠だったの? >>149
すると五航戦空母への輸送用零戦の着艦を行なったのは誰?
45機分の搭乗員がないと着艦収容できないのではないか、と思うんだけど 5航戦の人間しかありえない。
定数改訂で戦18、爆18、攻18となったはずで、MO機動部隊詳報にも記載があるが、
その後の攻撃隊には艦爆19機発艦の記録があり、
飛行機隊戦闘行動調書には38名の名簿がある。
また索敵に6機の艦攻が出ており18名の名簿があるが、同じ時に13機の艦攻が発艦し39名の名簿がある。
重複者はいない。
これらのことから、セイロンからの帰りに定数改訂となったが搭乗員への移動辞令はまだ出ておらず、
人員に余裕のある状態と思われる。 飛行機隊戦闘行動調書は面白くて、
真珠湾に参加したトリオがその後発進の記録が無く、
珊瑚海での索敵に出てたりする。
体調不良なのか腕の問題なのか、索敵線1線あたり2機だから問題ないと判断されたのか、
色々想像できる、当然だか個人名なのでここには書かない。 >>148
零戦輸送先の台南空の人員は別にラバウルに進出済で、機材のみ補給ですね。
4/10発令の兵力部署によれば台南空の零戦は45。
補給は戦史叢書でざっと確認できたのは
4/3 五洲丸で12※分解されており組み立て完了は4/10頃。
4/11 特設空母春日丸で24。
残りの9機が五航戦で空輸予定だった機体と言うことになるのでしょう。内1機は天候で空輸に失敗しているうちに海没してしまいましたが。
また>>145氏の言われるようにこの9機には搭乗員回収用の艦攻7機を同道予定でしたから、
五航戦の搭乗員で空輸するつもりなのはこの点でも間違いなさそうです。
確かに戦前に養成された搭乗員はカリキュラムの中で空母への発着艦も実施していますから、
もしトラックに居たなら誘導機付きでなら自身で空輸できたかも知れませんが、空母からの作戦にすぐ使用できるとは言い切れないですね。
ミ海戦後の機動部隊再建の様子を見ると2〜3ヶ月程度は改めて訓練が必要と見られます。 どーでもいいけど、
正規空母を輸送任務に使ったり、
敵の空爆下嫌だって海軍がほざいて航空母艦を沖合すら停泊させなかったり、
海軍の主目的である船団護衛ほったらかして自滅したり、
修理するところが少ないのに、ものすごくおおきい航空母艦作ったりとか、
日本海軍に戦争する気があったのか?
まあ、ここは木っ端の話しか盛り上がらないレベルの低いスレだけどさ >>154
はえー人が余ってたのか
その可能性は考えてなかった
急遽9人も余計にトラックから空母に降着させられるもんかと思ってたけど
編制から人数数えてみるか >>155
戦記読んでるとたまに行動調書にかかれてない部分が補完できたりして面白いね
ケガしてたり病気だったり 実はそのトリオは偵察帰ってから薄暮攻撃に出撃しているので相当な熟練
セイロンではどうしてたんだろうなぁ・・ >>158 本筋では無いのであれですけれども
> 正規空母を輸送任務に使ったり
は日米英いずれもやっていたような。Malta Convoys とか(1943までの) Pacific Ocean theater とか。
米についてはCVEが展開されていくにつれていわゆる艦隊空母をそういう仕事には使わなくなったのだと思いますけれども。 >>162
その行だけに限らず、全ての行でお前何言ってんのしか彼は行って無いんだよなあ アメリカ空母の格納甲板は一段しか無いので天井が高くてジェット化時代にもスムーズに対応できるのだが、
日本空母は格納甲板が二段で天井が低いからジェット化時代に格納庫の高さが足りなくて詰む可能性がある アメリカのデモイン級巡洋艦は装甲巡洋艦への回帰だが、
結局の所、巡洋艦に戦艦並みの火力を持たせたバトルクルーザーとか、
軽巡洋艦に8インチ砲を装備させた重巡洋艦なる艦種は中途半端な失敗作だったって事なのか?
重巡洋艦は日本型もアメリカ型も失敗で、日本型は利根型の様な偵察用巡洋艦に置き換わったし、
アメリカ型はデモイン級で嘗ての装甲巡洋艦に先祖返りした。 >>166
それ単に「アメリカ製艦上機を輸入して使おうと思ったら」ってだけの話で、格納庫に合わせた国産機を開発するか、
どのみち求められる大改装で上甲板以上を作り直せばって話になるだけかと。 >>169
翔鶴型、雲龍型、エセックス級などの格納甲板の高さが表記してあるインターネットサイトはありますか? >>171
インターネットサイトはあるのでまず検索してみて…としか。
日本語だけじゃなくせめて英語でも。 >>172
あなたが知っているサイトのリンクをここに貼ってください >>173
>ここに貼ってください ×
ここに貼っていただけるでしょうか ○ 米空母はギャラリーデッキを設置している箇所と無い場所とで、格納庫の天井と床面の高さは違うんだからね 最初から空母に改造するつもりで全長を長く設計し、更にほとんど建造を進めていなかったレキシントンとサラトガ。
一方の日本は、全長が短い上に建造がかなり進んでいた赤城と加賀を空母に改造する事にした為に大変苦労した。 アメリカは基本的に外交下手だが、何故か日本に嫌がらせをする時に限っては無類の外交名人になっちゃうんだよな >>178
そりゃ単に日本はアメリカ以上に外交下手だからだよ
単純バカのアメリカはヨーロッパの狡猾な国と比べれば外交下手だが
武士道とか「お天道様に恥じないように」なんてお人好し丸出しで狡賢さゼロの日本相手ならヨーロッパを先祖に持つアメリカの方がまだしも狡猾だから
日本と比べればアメリカのほうが外交上手に見えるだけさ >最初から空母に改造するつもりで全長を長く設計し、更にほとんど建造を進めていなかったレキシントンとサラトガ。
彼はギャグで言っているつもりなのか、本気でそう思っているのかどっちなんだろう? 外交下手な奴や無能な奴ばかりが高く評価されて出世してしまう、
日本の教育制度、政治制度、社会システムに問題がある
明治期は有能なのに、昭和や平成の外交は酷過ぎる 翔鶴型やエセックス級サイズの空母を調達できれば好ましかったのだが、
空母に関しては日本は条約で不当に制限されていたが為に蒼龍や飛龍の様な小型空母しか持てなかった まあやたらと大型空母があっても搭載機の開発や生産、搭乗員の要請が間に合わんって話もあって。 >>184
平時から大型空母が整備できていたら、日本のような国力のない国にとってはラッキーだったかもね。
条約による制限の下ではどの国も苦労して、色々妥協していた。
ヨークタウン級にしても防御要領が不十分と見なされていたし(あれでも)、レンジャーやワスプのような隙間を埋めるための小型空母もこしらえたし、それらは特に妥協の結果、欠陥を抱えていた。 >>177
>最初から空母に改造するつもりで全長を長く設計し
どこのヨタ本読んだの? レキシントン級は、レンジャーがワシントン条約前から3万9,000t級空母として検討されてはいたな。もちろん最初から「そのつもり」ではなかったが。
ワシントン会議で寝耳に水だった、天城型の空母転用とはこの時点で格差があったな。 レキシントン級6隻全部が起工した後の1921年7月に、
11月にワシントン軍縮会議やるよって決まったので、
建造中の艦が廃棄になる事を見越して、空母に改造したらどうなるか、大西洋航路の客船にしたらどうかとか考えただけ。
軍縮提案国の海軍が何も知らないとかありえんからね、じゃないと空母化して保有とか提案できない。 条約の期間は軽装甲のままで高速
無条約に入ったら装甲貼り増しで
バルジ付加して2〜3ノット減る
ではどうだろうか 1939年開戦時、一番悲惨な空母航空隊はフランスで間違いないだろうね うーぬ、航空隊いたんだろうか・・
一応ロアール・ニューポールLN401の2個中隊24機が陸上で訓練されてたが、
結局ベアルンには乗ってない・・訓練終了後そのままドイツ相手の地上攻撃・・
ヴォートV-156が34機訓練してたがこれも地上攻撃に使用されベアルンに乗ってない・・
1939年と限ったらこれくらいしかわからない・・・ ごめん、いたようだ。
戦闘機がDewoitine D.373
雷撃機がLevasseur PL.7
このあとLN401とV156に更新 (ナチス)ドイツが購入したがっていた改装した赤城に、日本の艦載機をつけて売却していたらヨーロッパの空母艦載機は一気に進化したかも
ただ、(ナチス)ドイツは飛行艇すら空軍所属にしたデブッチョがいるから、ヒトラーが直接指導しない限り難しい
厄介払いでハインケル社が指定メーカーとなり、空冷エンジンに限り一定数供給するならどうにかなりそうだけど
ナチス空軍とナチス海軍の航空隊運用境界
ナチス海軍は、ヨーロッパの陸地より100km以上離れた湾口内を除く海上・海中の敵を発見・追尾・攻撃するために必要な航空機、あらゆる任務に用いる艦載用航空機を保有・運用する
ナチス空軍は、陸上とヨーロッパの陸地より150km以内と湾口内の海上・海中の敵を発見・追尾・攻撃するために必要な航空機を保有・保有する
ナチス海軍は、上記の任務から外れる攻撃を行う際は、必ず事前に総統の特別攻撃命令書を必要とする
ナチス空軍は、海軍陸上航空部隊基地の防空を行うこと >>196
ヘタすると「ナチスドイツ空軍空母機動部隊」がマジでありえてしまうのが困る。
某仮想戦記だと護衛艦艇まで揃えられなかったので、空母6隻だけの空軍空母艦隊ってのはあったけど。 たぶんゲーリング私設艦隊が作られる(爆笑)
でも、日本で教育を受けた者が全員日本海軍へ亡命してしまい、開店休業となる いい加減戦艦スレで空母の話題ばっか出すアホを引き取ってほしいんだが ヒトラー、海軍整備・教育を日本へ依頼
日本、旧式艦を改装して提供するとともに要員派遣もしくは選抜将兵来日させて訓練
→訓練教官に艦隊派を充当
(日本陸軍士官講習費はプロイセン派いやがらせ名目でほぼタダ→2.26勃発せず)
ドイツの金で大神海軍工廠開設
大量輸出した巡洋艦・駆逐艦の量産開始
空母護衛用を除き、建造期間短縮のため再び中型駆逐艦量産
ドイツ海軍1939年2月に日本風となってほぼ再建
特に96艦戦を提供してもらい、さらにドイツでライセンス生産も開始したため、フランス真っ青
さらに「大型駆逐艦作りすぎ」とのクレームを入れられ、軽巡をアメリカへに売却する羽目となる >>179
>そりゃ単に日本はアメリカ以上に外交下手だからだよ
でも日ソ中立条約でソ連は満州帝国を承認したのだぞ? 「外交下手」というのは、近隣諸国の多くを敵に回すことになる。
その意味では、日ソ中立条約は戦前日本においては数少ない成功例。 ドイツに売る日本空母とか飛龍の弐番艦とかでないと
まずくね? 独ポ開戦したら日本からどうやってドイツに持ち込むのだ? そのゴタゴタの反省からか、西ドイツ『海軍』には、F104やトーネードが独立して配備されていたよね… 史実
レーダー「空母ほしい。日本海軍さん、赤城見せて」
日本海軍「どうぞどうぞ。大和を作るためなら赤城に関する書類や艦載機隊の訓練方法までなんでも差し上げますよ」
(1935.8締結)
こんな関係で、ドイツ海軍には1940年の時点で「日本は18インチ砲搭載戦艦建造中」がばれている
もっとも基準排水量45000tだったけど
架空
レーダー「空母ほしい。日本海軍さん、赤城見せて」
日本海軍「改装した赤城、それに最新の空母艦載機そのライセンス生産権を売却もする。日本で訓練するから、代替ドック一つ作って」
ドイツ海軍「それなら、日本海軍に中堅将校・下士官の訓練もお願いするか」
日本海軍「そこまでお願いされるなら、大分の大神に訓練・補修基地を作ってね」
ドイツ海軍「ほいきた」
↓
佐世保で突貫改装
潤沢な資金が付いたため、1年半程度で完成(1936年12月)
大神は大ドック以外1936年9月までに完成。1936年11月から訓練開始
※航空基地は大分。これも1936年12月には完成
※大ドックは横須賀5と同じ大きさ。1938年4月完成
ほぼ2年間訓練を受けたものの、1939年1月ほぼ末のドイツ−ポーランド交渉事実上破棄に伴い、本国から帰還準備命令が届く
同年2月27日大神出港、オランダが(ドイツとの)関係修復のために便宜を図り、喜望峰経由で4月下旬にキールへ到着 日本側へほとんど任せていた
しかし、3点だけは要望された
1点目は超至近距離での遭遇戦闘
2点目は良質な居住環境
3点目は煙突を直立させること
そのため、
1.艦尾側飛行甲板は短縮し、艦尾甲板へ中段飛行甲板上にあった50口径3年式20糎砲付のB型連装砲1基が移設
また、条約上限まで砲数を要望されたので、砲廊増設予定部分4か所中2か所へ古鷹型から外した50口径3年式20糎砲をA1型単装砲架へ載せて搭載
2.艦首部はエンクローズド・バウ化され、最先端部は倉庫
艦尾側もかなりオーバーハングされ、下段は短艇置き場、上段は艦載機調整開放区画
中・後部両格納庫左右にあった各種部屋は極力前部格納庫前側(下段は格納庫内にも)へ移動され、その分特に上段は左舷側へ格納庫が広げられた
士官用および搭乗員用エレベーターも設置された
事実上艦攻用だった後部エレベーター周辺は飛龍用中央エレベーターの縦方向のみ11.8mにしたものと交換するため改造・設置
この関係でそれほどまで搭載機数は増えなかった(補用21機入れて84機。史実は常用66機+補用25機)
3.艦内生活環境悪化の原因とされ、ドイツ側が求めた直立煙突をそのまま建てた
なお煙突と艦橋は別々にされ、初春型改修時とほぼ同じ艦橋を右舷煙突ちょっと前へ設置
しかし、着艦に影響が生じる事が判明したため、急きょ共同実験して1938年11月に外側へ26度傾ければ影響がなくなることを突き止めた
新煙突を作っている最中に帰国命令を出されたことから、できたところまでの部品を載せて帰国し、1939年7月交換
日20cm単装砲8門
日20cm連装砲1基2門
独10.5cm連装高角砲6基12門
独20mm単装機銃30基30門 >>179
ロシアに喧嘩ふっかける今のイギリスって外交上手なのか? 北方領土問題でも日本はあんなことしないぞ? 太平洋戦争のターニングポイントとなった日本対アメリカのミッドウェー海戦を『インディペンデンス・デイ』や『デイ・アフター・トゥモロー』といった超大作映画で知られるローランド・エメリッヒ監督
が映像化した作品『Midway』の予告編が公開。
予告編 https://youtu.be/Z_7eN5iloyk
2019年11月8日に全米公開が予定されている
浅野忠信が“人殺し多聞丸”の渾名を取った海軍中将の山本多門、豊川悦司がミッドウェー海戦を指揮した海軍大将の山本五十六、國村隼が南雲機動部隊を率いる南雲忠一 経済産業省が6月14日に福島県で開いた中小企業経営者向けの会合で、同省出身の長谷川栄一首相補佐官
(67)が、7月の参院選に自民党公認で立候補予定の森雅子元少子化相(54)=福島選挙区=が同席する中、森氏の実績をアピールしてい
たことがわかった。公職選挙法は公務員が地位を使って選挙運動することを禁じており、「道義的に問題が
ある」との指摘も出ている。
しゃぶ中韓唐偽日本エベンキ蝦夷は腐りきっているな ドイツ海軍の空母、ビスマルクとかに随伴できなきゃ意味ないから
それなりに大きくなるな
空母主体の艦隊なら速度を空母に合わせるから27ノットありゃいいけど
巡洋艦や高速戦艦に合わせるとなると蒼龍、飛龍、翔鶴型みたいなのが必要だな
航空隊の規模的にゲーリングの目についてしまうな >>213
機動部隊編成するとも思えんから、案外気にしなくていいんじゃ。 >>213
ドイツの場合、外洋で通商破壊可能な重巡以上の大鑑に、潜水艦対策の駆逐艦を付け(られ)なかったからなー。
実際、ビスマルク級に随伴させるだけで、護衛皆無な機動部隊なんて想像つかない。 >>215
だもんで通商破壊の戦艦や巡洋艦に追従しなきゃいけないから
艦容はでかくなるよね >>216
通商破壊艦のセオリーで言ったらむしろ単艦なんじゃ。 総務省が10日発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、今年1月1日時点の国内の日本人は1億
2477万6364人で、前年から過去最大の43万3239人減少した。マイナスは10年連続。昨年1年間の出生数が最
少だったのが大きく影響した。都道府県別で伸びたのは東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)と沖
縄のみ。外国人は16万9543人増の266万7199人だった。
エベンキ韓唐偽日本蝦夷の日本滅亡計画をチヨンこエベンキ韓唐偽日本の駆除で阻止しよう >>216
通商破壊のような長期行動とか小型艦付けたら燃料補給の連続でただの足枷だがな
そもそもZ艦隊計画の戦艦や空母は対英艦隊と外洋で戦闘が主眼であって通商破壊じゃないわな ドイツ海軍航空母艦の役目は、北海をうろうろしてイギリス本国近海に戦艦と空母部隊を貼りつかせておくこと
あと沿岸機雷敷設に、万が一敵の空母や戦艦が出て来たら、制空権を確保して巡洋艦と駆逐艦を撃滅し、潜水艦による雷撃がしやすい環境を整えてやること
https://dic.nicovi deo.jp/v/sm9581429 >>220
あまり話題にならんけど、その任務のために必要な直衛艦の整備は進んでたのかな。 >>220
それが妥当かも知れないが、空母という艦種にとって北海は狭すぎる、つかドイツ本国の港湾での対峙では敵に近すぎる。
バルト海は袋の鼠だし…やはり史実同様、水上部隊は英空軍攻撃圏外のノルウェーフィヨルドでの引き篭もりしか無いな( >>221
その為の(八八艦隊以上に財政破綻待ったなしの)Z計画艦艇群よ
なおステキな事に空軍&陸軍も絶賛大増強中で財政破綻不可避な模様 >>222
別に狭くは無い
というか空母という艦種にとっては狭すぎるが戦艦や巡洋艦という艦種にとっては狭くないとかそういうのは無い
少なくても北海ではそういうのは無い >>223
Z計画はいいんだけど、グラーフ・ツェッペリンが遅々としつつも工事続行してる間、Z計画の名残として
就役した空母直衛艦というのを聞いた事が無いので… >>225
そもそもその空母直衛艦ってなんだ?
前提から疑問持った方がいいような… >>226
防空や対潜、対水上能力にバランスが取れて空母に追随できる速力や航続力のある巡洋艦や駆逐艦以外の何だというのか。 >>227
その空母直衛艦というのは戦艦直衛艦と何が違うの? >>228
何も違わんよ。このスレだから空母直衛艦って書き方してるだけ。
じゃあドイツ海軍では戦艦や空母の直衛向きな艦艇は建造してたのかいって話になる。
ドイツ戦艦の実際の運用だのに護衛目的の巡洋艦や駆逐艦はあまり出てこないし、特にグラーフ・ツェッペリンの
建造再開した時なんか、護衛をどうするつもりだったのかによって、完成したらどういう運用してたかが想像できるでしょ。 重巡以上でないと使えないような気が・・・
だからグラーフツェッペリンの砲力がアレなんだと理解してるが。
用法としては1艦隊に最低1空母みたいなイギリス的運用を考えていたんではないかと。
そして空軍にお伺い立てなくてもいい自前の航空戦力、状況に即応できるようにしたかったかと。
あくまで戦艦の護衛、戦艦を攻撃されないために相手空母を叩く、そういう構想ではないかと。
それ以上は見えてこないんだよね‥ ドイツ空母護衛部隊は
初期段階において、
戦艦1 シャルンホルスト級
駆逐艦8 Z23型
だったものの、これ以降迷走
ナチスドイツ海軍が1939年の開戦までに空母を保有する場合、どうしても日本へ丸投げするしかない
38,500tだから、赤城(改装前)と蒼龍(建造中)になろうか 投げられてもどこのドックも船台も空いてません。
支那事変で空母も出撃してますので譲渡なんて無理だし、
なによりドイツは支那支援してましたしね。 ドイツ海軍「日本さん、空母見せて」 1935(実際に見たのは1935.9)
支那事変 1937
陸軍(ほんの少し空軍)とそれに関する産業系、海軍とそれに関する産業系の意識は全く別
ナチスドイツは経済を重視した結果、「日本とソ連以外どこでも武器売ってくれー」状態だったシナ国民党と手を組まざるを得なかった
これによりドイツはシナ国民党へ陸軍を、シナはドイツへ原料を、それぞれ輸出入した
このあたりから、空を飛ぶものは空軍所属とデブッチョが放言するようになり、その対応策として海軍が航空母艦の保有口実を得て海軍航空隊の復活を計画
ところが第二次ロンドン海軍軍縮条約から日本離脱確定により、東洋艦隊へ艦艇を回す必要に迫られたイギリスがドイツへ英独海軍協定というお墨付きを与えた
そしてドイツ海軍は英独海軍協定でイギリス海軍からノウハウなどをもらえるものと思っていたが、全くもらえなかった
ドイツによるシナ国民党軍増強は当然対決している権謀術数の塊だったシナ共産党を刺激し、さらに1936年からの軍事産業三ヵ年計画でしりに火がついてしまった
結果、日本とシナ国民党を対決させるため盧溝橋事件を引き起こした
※ファルケンハウゼンがプロイセン陸軍将校・反ナチゆえに対日・親シ、「さっさと日シ開戦しろ」と言っていたことに留意
ドイツはすぐさま今の軍備では戦えないと停戦を強く勧めたものの、「お前何手のひら返ししているんだ」と蒋介石に無視された反動で軍用機輸出停止、
諸外国もそれに続いてしまい、ついにソ連以外頼るところがなくなった
シナ国民党がソ連に頼ったことを口実に、ヒトラーはブロンベルクなど反ナチ陸軍派を一掃し、軍部を掌握
当然利益を潰された陸軍系(ほんの少し空軍系)ドイツ企業はほとんど反日に染まってしまい、DB601エンジンやボッシュ問題で表面化する >>233
空いてるだろ
民間なら
雲竜とかつくっとったやんけ >>235
日本は出師準備で忙しいし、ドイツはドイツで大型艦をやたらとドック入りさせられる「安全な港」がねぇ…
気合と根性でブレストのドック入りですよHAHAHAとかやってる場合じゃない。 >>232
赤城や蒼龍そのまま渡すのは、ただでさえ空母劣勢なのに加賀 龍驤 鳳翔しか残らなくなるから日本からすれば論外だろ
どうしてもイギリスかアメリカへ丸投げするしかないの方がまだ可能性としてマシなレベル ガソリン爆発の威力って凄いな
そりゃ、加賀の艦橋も吹っ飛ぶし、大鳳もあっさり沈むわ if
1935年12月 日独海軍支援協定
日本はドイツへ 航空母艦2隻、航空母艦用航空機の生産権、海軍作戦や航空母艦搭載機搭乗員への教育・ノウハウを提供する
ドイツは日本へ 各種工作機械、Uボート2隻とその生産とその運用ノウハウ、シナに対する武器輸出以外の全面禁止
工作艦に搭載する工作機器をドイツへ発注・購入され、日本へ運ばれる
1936年2月 ゲーリングに反発する空軍パイロット100名をドイツ海軍へ追放する形で受け、一部海軍士官とともに日本へ派遣
大和型戦艦建造に必要な工作機器をドイツへ発注する
ドイツ、既成巡洋艦の提供を依頼。翌月、古鷹型2隻・青葉型2隻(2隻はただし1938年1月)・球磨型5隻の提供を決定
7隻は日本側により同年7月着で回航
2隻はドイツ側により1938年2月着で回航
1936年6月15日 赤城、佐世保で改装開始
1936年初めての24時間制となり、通告をしなかったために鉄道省の間で対立
ドイツが9600形蒸気機関車5両を購入することで解決
性能的にそこそこよかったため、改良型が対ソ戦を見込んでドイツ国内で大量生産される
1937年1月 日独シナ権益交換協定締結
ドイツは、諸島(太平洋およびシナ沿岸部)、満州国および万里の長城より北側(一部東側)の日本統治を認め、これを攻撃しない事
日本は、上海および万里の長城より南側(一部西側)のドイツ権益を認め、これを攻撃しないよう努める
日本はドイツに対し、上海租界の全権益を渡す
ドイツ軍は日本軍の代わりにシナ駐屯軍(北京議定書に基づくもの)へ同数を出兵すること
ドイツは日本に対し、あらゆる技術提供を行うこと
これで国民党軍が日本の代わりにアメリカを敵視するようになる 1937年3月
赤城乗組予定要員、日本へ派遣
ドイツ、ハインケル社を海軍航空機指定工場とする
1937年7月2日 赤城、改装終了
1937年11月 赤城、ドイツ側乗組員単独による慣熟航行可能化。同月より離着艦訓練開始
1937年12月 蒼龍、竣工
1938年2月
蒼龍の慣熟航行可能
赤城の艦橋位置問題で両国研究会開催開始
1938年7月
ドイツ側搭乗員、海上作戦可能化
ハインケル社、初の日本側生産機となる96式4号艦戦ドイツ版がロールアウト
1938年9月 赤城の艦橋位置問題研究会で回答が出来上がり、早速改装のための部材加工に入る
1939年1月
ドイツ本国から帰国準備命令
ドイツ、シナから一方的撤退を行い、上海共同租界はアメリカの統治下となる
1939年2月末
ドイツ本国から帰国命令により帰国
赤城の換装用煙突付艦橋で完成した部品を搭載して帰国
1939年4月
ドイツ本国到着 妄想ついでに駆逐艦も要求させて睦月型12隻の譲渡と追加建造も追加しとけ 今から思えばキチガイ韓唐偽日本チヨンこエベンキって言うゴキブリ寄生虫が暴れまくってただけなんだよな
基地外韓唐国賊東亜戦争
また最近、韓唐国賊チヨンこエベンキがわいてきてんだから
処刑にするしかないわけだわな >>242
なんで61cm魚雷の睦月型なんだバカ
駆逐艦に15cm砲を載せるようなドイツには、睦月型なんか「いらねー」と一蹴されるだけ そうだな、239が妄想するドイツ海軍は14cmを7門しか積んでなくて魚雷も53センチの球磨型を恵んでもらうレベルだから峯風型の方がお似合いだな ドイツ海軍が空母を大西洋上で使えるのは開戦直後のみ
「スペイン沖、その後遠洋航海訓練として南米往復」と言って、艦橋煙突改良工事が終わった7月出港
スペイン北部で訓練をしたのち、8月中旬ブラジル北部ベレンへ親善寄港
イギリス海軍はベレン出港後まで追跡したものの、そこで見失ってしまう
旧蒼龍は開戦した後も無線封止のままスコットランド沖を経由して本国帰還
旧赤城はそれから開戦した15日後よりポルトガル領アンゴラ沖で作戦行動を開始
旧赤城襲撃部隊 旧赤城、旧青葉、旧衣笠、Z14、Z15、Z16、U37、U38
あとしらねー そもそも日本が赤城と蒼龍をドイツに譲渡って時点でいろいろ無理だろ
他にも突っ込みどころのIFはいくらでもあるっていう 元寇; 日本の鎌倉時代に、当時中国大陸を支配していた元によって二度にわたり行われた
日本侵略の日本側の呼称。一度目を文永の役(1274)、二度目を弘安の役(1281)という。
文永の役
1274年10月(日本の文永11年・元の至元11年)に、忻都、金方慶らに率いられ、
モンゴル人・漢人・女真人・高麗人など非戦闘員を含む3万人を乗せた船が朝鮮の
月浦(現在の馬山)を出発した。
弘安の役
1281年(日本の弘安四年・元の至元十八年)に、高麗軍を主力とした東路軍四万と、
旧南宋軍を主力とした江南軍十万、計14万の軍が日本に向けて出発した。
なぜ元寇が行われたか?
『元史』によると1272年に、高麗の王世子の椹(後の忠烈王)が、元国のクビライに
「惟んみるに、日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔を発し、軍容を継耀せしめんとせば、
戦艦兵糧まさに、須いる所あらん、もし此事を以って臣に委ねなば、王師を小助せん」
と具申したとある。
また「高麗史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して
日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。つまり、元寇は高麗が積極的に進言した為
引き起こされた侵略であった。
わからない思ってやって来るのって偽日本東朝鮮韓唐チヨンこエベンキとおなじだな
というか同じチヨンこエベンキ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています