日本の西洋式騎兵は導入された幕府陸軍以来長らく軽騎兵だった様ですが・・・
幕府陸軍中一番謎が多い兵科でも有り

文久二年の暫定案
重騎兵:6個大隊800騎
軽騎兵:2個大隊180騎

文久三年御軍制取調の上申書
騎兵組と騎兵槍組とする

慶応二年の段階では朝鮮鞍で西洋馬術の伝習を受けていて、落馬した際に怪我をしない様に馬場の整備に気を使っていたレベル
兵員(伝習生?)は70名程で組分けが有ったのかは不明
残されたスケッチでは槍は未装備

慶応三年にフランス軍事顧問団の到着により伝習は本格化
騎兵組指図役の発注した画には槍の装備有り無しの2種が画かれているので組分けが実現した?
また幕臣が3兵演習の待機中を画かせた幕臣調練図には陸軍笠を被り槍を携えた騎兵が背景に
慶応三年の予算内にランスも上げられていますし
馬具はデシャルム大尉の指導で馬具商
森村市左衛門が仏式軽騎兵用の鞍を生産
重騎兵用は戊辰戦争で指導されず明治にデシャルム大尉が再来日してから指導を受ける
(単なる技術の伝習?それとも重騎兵が存在?)

因みにフランスでの槍騎兵(Lanciers)は軽騎兵です
Chevau-Légers → Chevau-Légers Lanciers → Lanciers
と名称が変化して行きましたし