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WWUの大半を通じて、インドシナ植民地を支配していたのはフランスで、日本は植民地の主な経済取引役となることを合わせて、進駐を呑ませたに過ぎない。
これはインドシナ方面からの援蒋ルートを遮断するのが
目的で、インドシナ植民地を簒奪する気もなければ、ベトミンを根絶するためでもなかった。

ドイツの敗戦が近づき、フランスが連合側へ付くのが明白になると、1945年3月の明号作戦でクーデターを起こし、フランス植民地総督府を解体した。
しかしインドシナ占領の意図はこの時点でも無く、基本的にベトナム、ラオス、カンボジアは独立させる方針であったため、ベトミンにも協力を打診している。
(ホーチミン達は会合を開いて、敗戦間近な日本に協力する事は、戦後の独立に悪影響を及ぼすと考えるて、この協力には参加しない事を決議している)

いずれにしても、当時のベトミンに大きな力などなく、フランスからの独立活動や、OSSの下請けで脱出した連合軍パイロットを救出するなどしていた。
また日本の支配に関して言えば、最初から支配する意思も能力も無いし、8月の敗戦まで5ヶ月を切っていた事を思えば不可能としか言いようが無い。