昭和時代に鹿児島から網走まで鉄道で走破した人のレポートを読んでいるが
食堂車というところでなんと4回もウナギ飯を食されている。
九州から関西への夜行列車、東京から東北への夜行列車、北海道の列車。
そのなかで最高だったのは名古屋から長野まで乗った「しなの」号という列車のものだったらしい。素材の違いか。

戦中に何度か乗ったという関釜連絡船の話も記され、救命具を付けたまま船室に押し込まれ
対潜警戒のための之の字運動で繰り返される転舵で船酔いもひどくなり、2晩がかりで海峡を渡るため
トイレはあふれ飲料水は切れ、浴槽の汚れた水を飲んだ、と。
当時、このあたりで護衛についた海防艦や掃海艇などの小艦艇でも同じような苦労が有ったのか。
そもそもこれらの小艦艇、大戦末期にあって艦内食用の充分な食材が提供されていたのだろうか。