軍艦の食事について語るスレ73食目
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>>460
フィリピンで陸軍の基地を借りに来た海軍航空隊の搭乗員から稲荷ずし貰って、
陸の人が「やっぱ海軍はいいもの食ってるな」って感想を持った話を読んだ記憶があるので。 乾パンに入ってるのが陸軍氷砂糖の海軍金平糖だったり、
おおむね海軍の方がいいもの食ってるんだけど、ほとんど唯一
陸軍の方が良いもの食べてるのが白米。
輸送船ボカチン食らって駆逐艦に拾われた陸兵が、
麦飯のおにぎり出されて悲しい気持ちになったそうな 海軍さんが麦飯食ってるのは、脚気予防の為。
ただし、海軍さんでも士官以上は銀シャリ食ってるんだよな。
兵食用の麦シャリも、航海日数がたつと
いつの間にか麦を混入する比率が減っていって麦が余る様になり、員数外になった
麦は、海に捨てられる。
って話が、”海軍めしたき物語”って本に書いてあった。 古くなってどんどん臭くなっていくからかw
むしろ麦の必要性は上がっていく気がするんだがw 麦飯ってたまになら美味しいけど連日だとさすがにね
当時の麦飯となったらいかにも麦臭かっただろうし
でも麦が余るとしても米が足りなくなるなんて事は無かったのかな チャーハンとか味付け雑炊風にするとかアレンジぐらいしてたんじゃ? 旧軍の軍艦で炊き込みごはん系は聞いた事あるけど、
チャーハンとかの炒めごはん系は聞いた事ないな。
雑炊というかおかゆは病院食で出るけど、当時の風潮だと
雑炊は嫌われそう。貧しい農家の食べ物なイメージ。 そーいえばご飯に粉バター混ぜたのも最初は評判よかったけどすぐ飽きられたんだっけ 日本陸軍糧秣廠の川島四郎主計中将(最終軍歴)氏が言ってたんだけど、主食になる
食べ物は、味付けが濃いとすぐに飽きが来る、って話。
少なくとも日本人の場合、味の薄い主食+味が濃い副食って組み合わせで
長い間飯を食ってたからね。 バターライスはたまに食う分にはいいけど、毎日食べる物ではないわな……。 モンゴルとか、北方先住民とか
肉ばかり食べてる様に見えるけど、主食として
食べる肉は、薄い塩味で茹でて食うって話。 >>283
Japanese prisoners seated at a table eating food aboard USS Skate underway in the...HD Stock Footage
https://www.youtube.com/watch?v=UnHd5qM0-OM >>473
貴重な映像だな。
「日本兵たちはいつも上官にぶん殴られてロクなもんも喰っていないから
こちらの普通の食事を喰わせてちょっと親切にしてやれば、いくらでも機密をしゃべる」
と言ってるのは戦前は日本のプロ野球チームの捕手をやっていた陸軍士官。
日本人捕虜たちに対しては親切な雰囲気や美味い食事を与えるだけでこちらの言うことをいくらでも聞くようになる、と上申した人物。
工作艦「関東」でカムチャツカのペトロパブロフスクに駐留することになった若き草鹿龍之介は
昼間はスケート、16時くらいからサーモンの燻製をサカナにビールを楽しむといった生活。
しかし日照時間が短いのは艦でも何となく陰鬱な雰囲気を広げることとなるため
甲板上での相撲、剣道の大会、また演芸会などを頻繁に行う。 栄養面で良いからって玄米導入したら軍隊は早食いが基本なのでまともに噛めず大惨事になった
みんな下痢して便所が埋まって軍務どころじゃなくなったとか これは陸軍での話だが。
とある陸軍主計将校氏が雑誌に
”玄米功罪論(前編)”
なる物を投稿した所、
「私が玄米の良さを広めているのに、このような物を書かれては困る!」
と、東条閣下が直々に、とある陸軍主計将校を呼び出して
苦言を呈した、なんて事があった様子。 ストレートに玄米じゃなくて、7分搗き位にすればよかったのに。
当時の技術でも多少程度がバラつくだけで、できただろう。 戦時中に民間への配給米は白米から七分搗きに変わった
しかし皆七分搗き米を一升瓶に入れてハタキの柄で搗いて精米にして炊いた >>478
はだしのゲンでそれやってたっけなあ
あの漫画は盗んだ米を生米のままで食うとかむちゃくちゃもやってたが、あいつらヒバゴンだからアルファ化していないデンプンでも栄養として摂取できたんだろうか? この世界の片隅にでもすずさんの姑がやってたなぁ
楠公飯に家族全員が絶句してたのは戦時でろくな飯も出てなかった筈なのにどれだけ不味いんだよと思ったり つまり軍で七分搗きをやっても新兵さんが一升瓶搗かされるだけ
まして海軍は海に麦捨てる奴らだからな…… 現代みたいに混ぜ込み飯とかで工夫できなかったのかね
糧食なんて健康管理で一番大事なんだから創意工夫しただろうけど >>482-483
当時の食生活なんかの記録だと、豆とか混ぜた御飯が
一般家庭の主食にのってた様子。
戦前でも、東北とかだと”かて飯”と言って、ご飯にあれこれ混ぜ込んで
量を増やした物はあったんだし。
大根とかイモとかカボチャとか・・・ ちなみに配給米が七分搗きに変わったのは東條首相の時
あくまでこだわってたんだなハゲ 味と消化がよくないだけで、栄養価で言えば玄米の方が優秀だからな。 その東北、福島で朝御飯は毎日、卵がけ御飯だったという家も有る。
海軍戦闘機隊の至宝のひとり、菅野直という人の実家。
メシを炊いたら、そのうえから新鮮な卵をいくつか割り入れてよくかき混ぜる。
これが毎朝のメシ、主食。 今から見ると「貧乏大学生かよ」って言いたくなるような貧しい食事だけど、
当時はごちそうだったんだろうな。 戦前の飯屋では玉丼が松茸飯より効果だった。
メニュー表見た。 福島には菅野(かんの)が多い
菅野美穂とか
マメな、食事スレだけに そもそもブロイラー普及前は鶏肉って豚どころか牛肉より高かった 江戸期の寿司屋でもっとも高価だったのはマグロのヅケでも煮ハマでもツメを塗ったイカでもなく、玉子。
玉子1個の値段、価値は現代とは大きく異なる。
戦艦「大和」の昼食に一人1個ずつゆで玉子が出たとか
乾燥卵とはいえ、伊号潜水艦乗りたちには入港前の恒例として卵料理が出たとか
現代の感覚以上に豪華な感じがしたんだろうな。 昔の卵が高価だったのは流通が難しかったからで、
ニワトリ飼ってる田舎の農家では普通の食べ物だし、
業務用に卵液にしたのを容器に入れて運ぶ液卵(賞味期限当日限り)は
比較的安価だった。
大正〜昭和期の低所得者向け公営食堂でかきたま汁とか出るのはこれのおかげ。 結局、広義の意味での流通なんだよね、問題は
食い物はあるところにはあった 受精もしてないのに毎日卵産むような生物なんてレア物件だぞw
んで、そのレアな生き物を経済性無視して何羽も飼える環境じゃないと都会だろうが田舎だろうが毎日卵なんんて食えんのは変わらん
保存技術なきゃよけいムリw 鶏卵って常温で数か月保存できるんじゃなかったっけ? >>501
排卵されるのは総排泄腔だから言わばウンコまみれションベンまみれ
雑菌が繁殖しないうちに食べるか割らずに洗う技術が必要。 会田雄二
昔は松茸なんて安くて、学生食堂のうどんにも一杯入っていた。 俺が子供の頃もマツタケ安くて、時期になると行商に来てたな。
マツタケが死ぬほど入ったおがくずみたいな臭いがするすき焼きを食べさせられた。 バナナだって昔の本土では高級品
台湾では今みたいに安価で腹こわすまで食べてた
ウィスキーも安くなったわな バナナは台湾のものが最高と言っているのは駆逐艦「暁」の主計兵。
出撃のたびウイスキーは必ず5本は自室に積み込んだというのはイ6、イ36などで活躍した稲葉艦長。 >>506
酒の値段なんて酒税と輸入酒の場合は関税が大半だからな
日本政府にねじ込んで酷税下げてくれたサッちゃんありがとう Amazonで検索したら最低価格800円とかになってるぞ
どうなってんだジョニ黒 それは大日本帝国海軍潜水艦勤務記録 インド洋の一部抜粋でしょ。 ロッパの日記に昭和19年に海軍の催しで漫談をやったらウイスキーのホワイトホースを貰ったとある
どこにあったんだそんなもん ジョニ黒じゃないんだなケチどもめ、みたいな
まあ統制経済下で物流が規制されると、そこかしこで滞貨と退蔵が発生して、あるところにはあるけどないところにはこれっぽっちもない、状態が発生する
そして往々にして、ないところ=必要なところだというw
酒なんて贈答品ご褒美にはうってつけの定番品なんで、ちょっと気の利くやつは大量にガメこんでたろうさ 同じ年のロッパ日記に品川駅近くに秘密の店があって、表は閉まっているが裏から入ると
ビフテキだのクリームスープだの、巷ではありつけないご馳走が食えたとある
やっぱりあったんですねそーゆーの >>517
軍人ではないけど、歌人の斎藤茂吉は鰻が大好物で太平洋戦争開戦一年前に先行きを悲観して、鰻の缶詰を押入れ一杯に買い込んで終戦後まで保たせたそうな。 錆びて穴空いたりシールが緩まない限り理屈上は無限だからな
押入れの中なら空襲で家燃えない限り平気だろ そういえばうちの婆ちゃん、戦時中の経験からかやたら食糧買い溜める人で、
死後家の整理に行ったら、砂糖だけで60キロ以上出てきたな。
もう20年近くになるけど、我が家ではまだその砂糖を使っている。
多分俺の代でも使い切らない。 日本に一番効いた攻撃は無差別爆撃よりも機雷による物流封鎖だもんな
あれで本当に干上がったんだけど、アメリカですら絶大な効果にいまいち気づかずに鉄道は放置
一方、イギリスは関門トンネル破壊を企んでいた 鉄道は11月のオリンピック作戦に向けて本格的に潰そうとしてる直前で終戦だったから
ドイツでも鉄道操車場爆撃を戦略爆撃でやってたが
止めを刺したのは個々の鉄道や駅舎を攻撃するようになってからの段階か
モノがあっても必要な場所に運べなくなってしまった
ドイツ空軍が燃料欠乏で訓練もできないという有名な話も
一部ではあった燃料が飛行場まで運べなかったとか 関門鉄道トンネルは天井の部分が薄すぎるそうだから、ちょい大型の爆弾を投下するだけで破壊できたかも。 線路は破壊されても即座に敷設できるからねえ
原爆投下の広島で数日後に市電が走り、長崎なんか当日の夕方に救援列車到着してる 実際、運輸インフラの崩壊は地味に効いてくるんだよね、ボディーブローの様に。
ソ連末期のの話だが、耕作地は豊作だったのに
それを運搬する事が出来なかったので、全体的にみると
ソ連全体が飢えてしまった、とかなんとか。 線路は復旧が簡単だからな。
だからアメリカは、戦闘機の銃撃やロケット弾で機関車を狙った。
ドイツでも同じ事をやっている。
なお、ついでに客車も……。 ローマ帝国以前の地中海は海賊が猖獗を極めた
ローマが地中海を制覇して海賊を根絶し自由な通商が可能になった結果、空前の繁栄を謳歌した
ローマ崩壊後の地中海はイスラム海賊が跋扈し中世ヨーロッパは貧困化した
やっぱり流通って大事よね 水運は古来からの流通の大動脈だからなぁ
日本国内でも海や川の船運が圧倒的に主流だったし、
機雷で大小の港湾封鎖、銃爆撃で鉄道破壊では近代国家維持できないわなぁ 広島の水道は原爆投下当日午後には復旧してたっていうのはすごい話だ
どうりで水飲ませたら死んだ→その水どっから持ってきたんだよって
話が出ないわけだ 太平洋戦争末期の1945年になると、南方との物資輸送も途絶し最後の大動脈である
対馬海峡経由の輸送ルートすら危うくなったから、軍もありったけの船を使い満州や
朝鮮半島経由で物資食糧を全力搬入して目標値以上の成果を挙げられたものの、
せっかく本土まで送った物資も鉄道や国内海運のマヒでまともに運べず、結局
終戦まで港やその途中で滞貨しっ放しだった物資も多かったとか。 1945年4月1日付けで作成されたOSSレポート
「THE FOOD POSITION OF JAPAN」の要旨
戦時中の日本は連合軍による封鎖を見越した食料自給計画を立てているとし、
配給を必要最低限とすることで、食料自給率を80%から90%近くに上げ、(戦前は食料の1/5を輸入に頼る)
43年まで食料の備蓄は拡大を続け、45年の生産水準見込みでは年間不足分の1.6倍相当するまでに至り、
消費を現在の水準をわずかに下回るのであれば、日本はほぼ2年間、効果的な封鎖に耐えることができると推定。
このため、日本の窒素肥料に依存する集約型農業の脆弱性を指摘して、
45年の植え付け前に窒素製造や流通を著しく中断させ、備蓄を腐敗と空爆によって失わせることで、
ヨーロッパの事例と同様に、農業従事者が物資を隠匿し、闇市へ流すことを促し、
都市部など広範囲の住民集団への飢餓を引き起こすことが可能と断じている。
実際には1945年の化学肥料生産量(硫安、石灰窒素、過燐酸石灰)は軍需生産の圧迫や爆撃により、41年の約10%まで低下しているのを見ても
日本をまさに寸断しようとしていたのがわかるなぁ 追加、
OSSレポートはカロリーベースで日本人の食料摂取量を計算して
米が常にカロリーの50%以上を占めていて代替穀物への切り替えも難しいとしていたので(魚はわずか3%)
徹底的に日本人に米を食べさせないように動いていたんだな >原爆投下の広島で数日後に市電が走り、長崎なんか当日の夕方に救援列車到着してる
長崎の方は当日負傷者避難者が必死に枕木についた火を消して線路を守り切った結果でもある
>>531
>広島の水道は原爆投下当日午後には復旧してたっていうのはすごい話だ
二キロちょっと離れて施設が全壊しなかったからね。被爆した職員も駆けつけ
陸軍からの応援ももらってどうにか復旧させたのはもうちょっと知られてていいと思う >>528
以前読んだ、大戦中に蒸気機関車に乗っていた人の話だが。
銃撃を受けた時は、汽笛や安全弁などから蒸気を噴出させると良いんだそうだ。
飛行機側から見ると、蒸気が噴出される姿を見て
「攻撃の効果あり!」
と思って、すぐにどこかに行ってくれるとか。 終戦後すぐの時期には女優の原節子も家庭菜園(「野菜を育てるのは得意なんです」)作って
買い出し列車で新潟、東北から米や野菜、物資を運んだというね。
その点、海軍にいた人たちのなかには食糧や調味料をヤミイチで売りさばいて大儲けした人もいたとか。
倉庫や艦船から食糧、物資を運び出せた人、それをしなかった人。
海軍からの退職金を受け取れた人、受け取れなかった人。敗戦のゴタゴタのなかで
要領よく立ち回れたかどうかは、まさしくその後の海軍軍人たちの明暗を分けた。 昔近所に住んでいた海軍航空隊少年兵上がりの爺さんの話だと、終戦後残務整理その他で除隊が遅れて
ほぼ最終グループにされたそうですが、基地の事務所に行くとめぼしい物は殆どが先に除隊した連中が
それぞれ退職金代わりに持ち帰っており、倉庫はほぼ空でした。
それでは気の毒だというので、色々ひっくり返したら海軍用乾パンの箱が一山分出てきたので、爺さん
(当時18歳)は一緒に除隊する少年兵数人らと共に大八車に乾パンを満載し、除隊の手続きを済ませて
晴れて故郷に帰る事となりました。
そして戦友らと乾パンを齧りながら最寄りの駅まで大八車を押していきましたが、ここで重大な問題が。
乾パンの量は余りにも多く、人数分で山分けしても到底背中に担いでは持ち帰れないし、列車も引揚者
などで満員なのでとても我が家まで全部の乾パンを持ち帰れません。
そこで一同開き直り、各自可能な限り携行できる乾パンを背嚢などに詰め込むと、余った分は駅に屯する
近隣住民や待ち合わせ客らに配る事にしました。
終戦直後の食糧不足の状況で突然の食糧配給ですから、住民らに大変感謝されましたが、
「海軍さんの乾パンは陸軍のと随分違大きいし美味いですのう」と好評でした。
陸軍式の麻雀パイサイズの物と違って、手帳サイズのカニヤの大型乾パンなアレですね。
https://pbs.twimg.com/media/ELMbxorU0AECnaa.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EPharpfUUAAeZSu.jpg 乾麺麭って単語がもうわかりにくい
戦記物だと乾麺棒って書いてあったりしてどんなものすら想像つかなかった
袋ラーメンの硬いのをバリバリ食ってんのかなと 麺麭(パン)という読みを知っていれば普通に読めるけど、最近は見かけないよね。
拉麺とか饂飩とか蕎麦とかはまだ一般的なのに、どこで差がついた? 当方とある製菓会社の現場人間だけど、この会社で
一時期乾パンを作ってたんだ、大きなのも小さいのも。
レシピの違いで味は変わるんだけど、大型乾パンは
甘くておいしいんだよね。
逆に小型乾パンの方は、味もそっけもないというか。
(レシピに関しては言えないんですよね、守秘義務もありますし)
そう言えば、自衛隊さん向けのソーダクラッカーを作ってた時もありましたか。
しかしこれって、本当に美味しくなんですよね。
別な言い方をするなら、素朴な味と言うか・・・ 非常食が美味しいと、非常じゃない時に食べてしまうので……。 でも非常時こそ飯位じゃウマイもん食って士気を上げたいしなぁ >>544
非常食が変に美味しいと、非常時以外に食ってしまう場合が多いので
あえて美味しくない様に作ってる、とか言う話もある。
たとえば、米軍のDレーションとか。
あと乾パンに関してだけど、長期間食べ続ける様な場合を想定して
あえて薄い味にしているんだとかいう話、日本陸軍さんの場合だけどね。
本来は好ましくないんだけど、長期間乾パンを食い続ける様な場合、濃い味付けだと
食い飽きる事が想定されるので、あえて薄味にしてあるんだとか。
って、川島四郎主計中将閣下が言ってた。 自衛隊でも牛缶を酒の肴にしてしまうという話があったな >>544
本気の非常時は喉を通らないし味なんてしないぞ 昭和初年に兵役務めた人の著書だとカンメンポーと呼んでたな
字のまんま めんぽー呼びは軍隊特有の隠語みたいなもんだろ。
今の自衛隊でも物干場を「ぶっかんば」って呼ぶみたいなもん。 呂号潜水艦に乗ってた人の手記によると、爆雷で制圧されて、もうダメかと思ってると艦長から
各自好きな缶詰を食え、みたいな命令が出てああもうこれで自分も終わりかと思ったという。
いくつか缶詰とって食ってはみたものの味は全然しなかったということだったな。呂100潜はこのときは奇跡的に沈まず生還した。 流通が発達すると文明レベルも上がるけど
パンデミックを引き起こすリスクも高まるのが宿命なのがな モンゴルがユーラシアを駆け回ったからじゃろ?
あれ確か中国発祥で、モンゴル軍の移動に伴って西アジアへ。
そこから商人の手でヨーロッパに入ったはず。
ちなみにアジアでも大流行してて、元朝崩壊の一因になっている。
元寇と一緒に日本に入って来なかったのは、ホントに僥倖。 >>518
統制経済開始=闇市場の発生、のセットやから
設定された公定価格と市場需要が均衡するなんてありえないから、どうしたってヤミは生まれる
需要に供給が対応できないからこそ価格統制しようとするんだし
あとはもうおおっぴらにやるかどうかだけ、みたいな 終戦後はヤクザ運営の闇市がそこら中にあったらしいじゃないか
新宿の小便横丁とか闇市の名残だし 公債を日銀が引き受けて紙幣好きなだけ発行というインフレになるはずの裏技
国民の不満はともかく終戦まで暴動レベルの混乱も起きず国家総動員法で価格を凍結させる効果の高さには驚く このコロナ禍こそ治安維持法を復活させるチャンスなのだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています