西側の戦後第一世代戦車が105o砲を搭載せず、WW2後半の重戦車と同じ90o砲級なのはなぜですか?
WW2後半に105o戦車砲は試作されてるし、戦後のM103やコンカラーはさらに大口径の120o砲を搭載してるので105o砲という選択肢もあったと思えるんですが?

日本戦車は75o砲のチト、チリから88o砲を経ずに一気に105o砲のホリ、チセに移行してますよね。