「厚木の三〇二空では、終戦をめぐって叛乱事件も起きていた。

正午の玉音放送が終るやいなや、徹底抗戦を主張する三〇二空司令・小園安名大佐は、

準備していた檄文を全航空部隊に向け、無線で発信させた。

次に国民向けにも抗戦を呼びかける大量のビラを用意し、8月16日から18日にかけ、

飛行機を飛ばせて、北は北海道の函館から、南は九州の福岡、長崎までの日本各地に撒く。

陸海軍のおもだった航空部隊には直接、飛行機を差し向けて、決起への参加を呼びかけた。

厚木の叛乱は、海軍の他部隊の賛同を得られなかった。

私がインタビューした限りでは、長崎県の大村基地に展開していた第三四三海軍航空隊飛行長

志賀淑雄少佐は、厚木からの使者を、「わが隊は行動をともにしない。余計なことをするな、帰れ!」

と一喝して追い返し、福知山基地にいた筑波海軍航空隊飛行長 進藤三郎少佐も、

厚木から、降伏の軍使を乗せた飛行機を撃墜しろとの要請を、味方機を撃てるか! と断った」