「十二月十日の夜までに、フィリピンを守る米軍戦闘機の大部分は失われた。

米軍の迎撃航空隊司令部は、全フィリピンの防衛は、わずかに残った二二機のP40と

八機のP35に頼るだけになった。しかも、これらの多くは、やっと飛べるだけであった。

アメリカ軍に、もはや防衛する戦闘機が残されていないことは、マッカーサーの司令部が、

ただちにすべての戦闘機の戦闘行動を中止するように命令したことで明らかであった。

残ったわずかの戦闘機は、偵察の目的にだけ使われることになった。

日本軍は、こうして抵抗をうけることなく、フィリピンの主要な目標にたいして、組織的破壊を続けたのであった。

日本軍がいたるところで反撃を蹴ちらしてまわった一方的なショーであった。