やべ途中送信しちまった

紫電の初飛行は四式戦より4ヶ月早い
それに十七試烈風は零戦の後継であって、そもそも雷電や紫電/紫電改の後継機ではない
あと烈風改は関係無い 微妙な扱いなった烈風を高高度用にリファインした程度で、その時点で想定された主力機はあくまで紫電改
海軍は紫電を紫電改までの繋ぎで生産する計画を立て、そして紫電改1万機という途方もない数字に発展する