>>85
1971年(昭和46年)9月16日の東峰十字路事件のことだと思われる
ウィキペディアから
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B3%B0%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%B7%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

警備する地域は広範囲に及び、「一個師団」にも相当する総勢約5500名の警備部隊が動員される大規模な警備実施であることに変わりはなく、9月16日には千葉県警全職員の実に3分の1が成田に動員された。

警備部隊の主な配置計画は以下の通りであった。

約3000名を拠点周辺に割くこととし、"最強"とされる警視庁機動隊約2500名を強固に固められた団結小屋がある駒井野一帯から西側の大清水三叉路にかけて、千葉・埼玉県警察機動隊は一坪用地と天浪方面にそれぞれ配置する。
残りの約2500名を8個大隊に分けて空港周辺地域に投入することとし、本警備実施のために千葉県へ応援派遣される神奈川県警察特別機動隊(神奈川連隊)第2大隊については、団結小屋の包囲部隊の東側(三重丸の一番外側の円に当たる)の東峰・天神峰方面に配置し、後方警備や道路封鎖を実施させる。

9月16日からの新東京国際空港建設に伴う第二次行政代執行警備のため、千葉県警察代執行警備本部は千葉県警察機動隊の他、警視庁機動隊、関東管区機動隊など、総勢5300人の警備部隊を動員した。

現地に到着した神奈川県警察特別機動隊(神奈川連隊)第2大隊は、「東峰十字路付近で検問にあたるとともに、付近を検索、山林内に隠匿された火炎瓶、ゲバ棒の発見につとめる」とする任務遂行のため、東峰十字路を中心に第1中隊が二手に分かれ、第1小隊が北方の北林事務所方向、第2小隊が南方の朝日台方面の検索を担当し、第2中隊が西側の団結街道方面の検問と街道左右の雑木林の検索に従事した。
第3中隊第1小隊は大隊本部で車両警備に当たり、第2小隊は空港公団事務所へ向かう手筈だったが、車両故障のため到着が遅れていた。