捕虜収容所が出来た時はみな恐怖したんだけど搬入や医療で出入りする民間人から
ドイツ語しかしゃべれん普通の人だよと話が広まり子供の遊び場になったぐらい無警戒になった
キャンプ・クリントンは警備は退役軍人の爺さん達で銃奪われるぐらいならと銃もない
水路工事の労働で出る給料で米軍と同じPXで買い物ができる
米軍将兵と同じ待遇で設備も支給も同等でPWの服が嫌なら自分の軍服でもいいという環境で生活に不満は特になかった

水路工事で一緒に働き音楽や演劇、スポーツなどで地元民と交流があって仲がよく
戦後祖国に戻っても焼け野原で仕事もないので元捕虜が50人ぐらいクリントンに移住した
クリントンはそれでドイツとアメリカのちゃんぽん文化という不思議な地域になっている

でもドイツ人が唯一我慢ならなかったのがトイレ
ドイツではあり得ない仕切りのない共同トイレだった
嫌がらせでなく米軍のトイレがそういう仕様