戦前から日ソ協約があって軍、政府関係者の移動と貨物輸送は戦時中も使え、独ソ戦でも
ドイツ向けは禁止だがシベリア鉄道などの利用は引き続き出来た。
協約上は満洲里から小アジア経由で欧州に移動や貨物輸送は出来るが、日本側は無用な刺激を避け
日本からソ連経由の欧州行は貨物輸送に限られていた。(それで戦時中でも一ヶ月かかるが
ドイツで日本の新聞が読めた)
欧州から日本行きはソ連は人道的配慮から民間人の避難に拡大し、ソ連経由の移動を認め、ルートを提供した。

ソ連が用意していたのが
トルコ、イランからコーカサス鉄道経由でシベリア鉄道に入るルート。
これはスターリングラードを経由するので途絶、イラン連合入りでイランルートも消滅。
次に作られたのがアルメニアからソ連に入り、カスピ海を船で渡りカスピ鉄道に乗り
トルクシブ鉄道に乗り換え、ノボシビルスクまで行ってシベリア鉄道で満洲里に行くルートが作られた。