>>925
ラトビアはソ連占領→ナチス占領→ソ連再占領のコンボはあるけど、クールラントポケットでの抵抗もあって人口の3割が失われている。
大戦で最も損害を出した国の一つになり他のバルト三国より酷い。
クールラントポケットが形成出来たのも、ラトビア軍の抵抗で、他の二国のようにあっさり戦線が突破されなかったのが大きい。
この抵抗にはラトビアには反ユダヤ主義が蔓延していた暗い側面も関わっている。
ラトビアでのナチス支配への抵抗運動の中核はラトビア系ユダヤ人で、6万から7万のユダヤ人が殺害されたと見られる。

ソ連はラトビアからの避難民で、第201ラトビア狙撃兵師団と第43ラトビア親衛狙撃兵師団が編成されている。
亡命者の増加で後に第130ラトビア狙撃兵軍団に拡大し、ラトビア奪還の先鋒部隊となる。
連邦国家の名称を付けた最初の師団で、プロパガンダに使われたが、ただのお飾り部隊でなく、特に201師団はモスクワ前面の戦いで活躍した。
201師団長によれば実際は3割はユダヤ人だったらしい。(ユダヤ人差別があるのでユダヤ人と申告しないものが多かった)

ラトビアでのユダヤ人迫害はユダヤ人抵抗運動から伝わっていて、復讐に燃えるラトビア系ユダヤ人と、報復を恐れる反ユダヤ主義ラトビア人で激戦になった。
ラトビア奪還戦ではユダヤ系ラトビア人赤軍兵士の戦死傷率は50%に達している。