日露戦争の最終局面ですが、日本海会戦のバルト海艦隊の撃滅に目が行きがちです。

その少し前に起きた奉天会戦では、帝国陸軍が奉天周辺に盤拠するロシア軍の両翼包囲(に偽装した中央突破風のやっぱり包囲風の突破w 勝ったからええがじゃ)を目指しますが、火力不足で決定的なダメージを与えられず。
最終日の大風砂塵に紛れ、ロシア軍の大部分は鉄道により鉄嶺後退に成功した。

ただ、それでも、やはり奉天会戦は決定的で、それは士気です。
鉄嶺に後退したロシア軍は「軍隊秩序は失せ、略奪、上官への背命など、軍隊としての体をなさないまでに」崩壊。
司令官のクロパトキンは罷免された。

さらにロシア国内では、血の日曜日事件を皮切りにロシア第一革命が起きる。

もう日本相手に戦争を継続できる状況ではなくなった。
バルト海艦隊の極東遠征は、ロシアにとっても最期の望みだった。

で、巡洋×1、駆逐艦×3を除き主要艦艇は撃沈もしくは降伏して拿捕された。