<ガリツィア東部について>

1918年10月18日 西ウクライナが建国される
1919年1月22日 ウクライナ人民共和国と西ウクライナが統一される
1919年7月17日 ポーランド第二共和国がガリツィア東部を占領する
1919年9月10日 サンジェルマン条約でオーストリア第一共和国が領有権を放棄する
1939年11月 ソ連がガリツィア東部を占領する
1990年12月22日 ポーランド第二共和国亡命政府が消滅する
1991年8月24日 ソ連が解体され、現ウクライナが建国される
1992年8月25日 ウクライナ人民共和国亡命政府が消滅する

1:西ウクライナの建国はオーストリア=ハンガリー帝国の主権を無視したものであるが、サンジェルマン条約でオーストリア第一共和国が領有権を放棄しているためこの点は問題にならない。
2:ポーランド第二共和国による占領はウクライナ人民共和国の主権を無視したものであるが、ウクライナ人民共和国亡命政府は1992年に消滅しているのでこの点は問題にならない。
3:ソ連による占領はポーランド第二共和国の主権を無視したものであるが、ポーランド第二共和国亡命政府は1990年に消滅しているのでこの点は問題にならない。
4:現ウクライナの領有はソ連の解体に伴うもので、当初から前実効支配者が存在しないので問題にならない。

従って占領の正当性の観点からは、1919年9月10日以前はオーストリア第一共和国、1919年9月10日~1992年8月25日はウクライナ人民共和国、1992年8月25日以降は現ウクライナの領土となる。