松田道雄ふうに書き込むスレ 4
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あたい あげられるのよ
wikiによると、日本ではそもそも乳幼児用衣料だったようである。>レギンス 当時のレギンスとは、もっと厚手でモコモコで
今のレギンスとはずいぶん違う物だったかと思われる
蔵の掃除の際に、数十年前のそれを見たことがあるのだが、
古かったため捨ててしまったことが悔やまれる 文庫の育児の百科を手に入れたが、どうしても写真やいわさきちひろの挿絵が見たくて、大型本を手に入れた2児餅の母である。
レギンスについては、私も乳児の履くものと思っていた。若い人がレギンスと呼び始めた当初は大層驚いたものだが、今は自分自身も愛用し、子どもとお揃いのものまで買ってしまう始末である。
100である。レギンスの由来について、みなさんにお調べいただいたり、経験談を聞いたり、大変参考になったのである。感謝申し上げる。
翁の活躍した時代の雰囲気を共有できたこと、感無量である。 甚だ失礼であるが、皆の言う「おたんじょうびばんざいケーキ」はどこに書いてあるのであろうか?育児の百科に書いてあるのだろうか?
見付けられないが、家ではよくこの言葉を使わせていただいている。もし教えていただければ幸いに思う。
>>105さんよ。
「おたんじょうびばんざいケーキ」というものが載っているのではない。
育児の百科、1歳のところに「お誕生日ばんざい」という題の翁による祝福の
メッセージが載っており、ケーキを囲む家族の写真が載っているのである。
この言葉は私も気に入っており、うちでも「おたんじょうびばんざい」で
ケーキを注文したのである。 1歳のページに「おたんじょうびばんざい」という言葉があるのではなかっただろうか。
その言葉に感銘を受けた母たちが誕生日ケーキに多くある「おたんじょうびおめでとう」
の言葉を「ばんざい」としてもらえるよう注文しているのである。
ちなみにうちにある岩波文庫版「定本 育児の百科」だと、(中 うっかりエンターキーを押してしまった。
『定本 育児の百科 中巻 5ヶ月から1歳6ヶ月まで』 の430頁が
「お誕生日ばんざい」の頁になっているのである。 >>105です。
>>106>>107
ご親切にありがとう。
どうもこのページは読み飛ばしていたようだ。
二人の母のあたたかい導きに感謝する。
次男が1歳になったらぜひ「おたんじょうびばんざい」ケーキを注文したいと思う。
また昨日「私は赤ちゃん」を読み終えた。時々赤ちゃんではない翁が出てくる所や墜落が何故か「ツイラク」とカタカナで書かれている所が大変面白かった。
また翁の一貫して母の目線で語られる言葉に勇気付けられた母であった。 1976年の19刷りの育児の百科を持っている、5歳と3歳の2児の母である。
育児の百科は、私の母が私を出産したときに、出産祝いで義理の姉からもらったもので、
母に撮って初めての育児で、たいそうこの本を読んだそうである。
私も、5年前の初めての出産のときにははから譲り受けた。
ページをめくると、当時母が読みながらペンでラインを引いた箇所がいくつも見られ、
いたく感動した。
そして、その箇所は主に「あまりミルクを飲まない赤ちゃん」「体重がなかなか増えない」
「小食の赤ちゃん」「酔いやすいこども」と言った項目であったが、
いつも翁は「小食がその赤ちゃんの個性で、それで生きているのだから、どうということはない」と
締めくくってくれているのである。
なんと言う安心感であろうか。
私の友人は結婚しているものがほとんどいないのだが、仲間内で一人だけ、結婚している友人に
結婚11年目にして長男誕生!の知らせを受け、嬉々として「育児の百科」を注文した。
読んでいただけるかなぁ。楽しみである。 昨日このスレを見つけて今日ブクオフへ行き運良く青本を手に入れた母である
1歳半の息子と秋に生まれる娘の為にこれから翁の教えを学ぶところだ
なお、2ちゃんのスレで声を出して笑ったのはここが初めてである 子が一歳になり、念願のばんざいケーキを食卓にのせることができた。
子をめぐる様々な人のおかげで一年無事過ごせたことにばんざいである。
寝るのも食べるのも下手な子であるが、子が笑顔ならどうということはない。
ケーキ屋さんに、ばんざいを伝える気恥ずかしさを乗り越えて、
記念カキコばんざい。
長文失礼した。 来月1歳になる赤持ち母である。
久々にこのスレを見たら>115のおかげでばんざいケーキのことを
思い出したのである。
最近はばたばたして日々の生活に追われているが、このスレのおかげで
節目を祝う気持ちを思い出せたのである。
やはり良スレである。
1歳半児の母である。
先日知人から青本を借り受けることができた。
すると、なんということか。
写真が掲載され、翁が賞賛する幼稚園は隣市で、通園可能な場所だったのである。
しかも掲載当時から変わらぬ保育スタイルを貫いているらしい。
大変結構なことである。
来年からプレに通わせようかと思っていた母に迷いが生じたのである。
我が家の目の前にある至って普通の幼稚園にするか、
翁の推奨するのびのび園にするべきか…。
子の幸福を考えれば、通園の手間などどうということはない。
…とは言い切れぬ。 どちらを選ぼうとも、母と子が楽しく明るく生活できれば
それで良いのである。
いまひととき悩むことなどどうということはない。
まだ1歳半ということもあるし、まずは見学へ行くのがよいであろう。 >>118
羨ましい環境だな
まずは情報収集して見学して費用やらの算段して決めるべし >>118である。
早速のコメントに感謝である。
>>119-120のおっしゃる通り、幸い子はまだ1歳半である。
2つの園を見学し、じっくり決めたいと思う。
決めかねたら2園のプレに通えばよいのである。
どうということはない。 >>118トウが立って可愛くない、もと赤の母である。
幼稚園選びは親がするものとお考えであろうが、
はっきり好みを示して自分で決める子も結構いる。
姪もそうであった。姪の母である私の妹は、2つの園を
決めかねて、見学にもプレにも連れて行き、悩みまくっていたが、
「○○ちゃんA園に行くよ。A園が好きだよ」と
即決されてしまった。
そしてそれはおおいに正解であり、実に充実した幼稚園生活だった。
ま、そんなこともあるのである。
心の準備ができないまま、翁推奨のびのび園へ入園の決意を
固められてしまうかもしれないが、どうということはない。
先日、4か月の赤が何事かという程の大声で泣き出し
ミルクでもおむつでもなく、やっとおさまったかと思ったら
数分後にまた同じように泣き出した。
こ、これは翁の警告していた腸重積ではないかと大いに心配し
しばらく赤の様子を夫と固唾をのんで見守った。
幸い赤はそのあとスヤスヤ普通に寝入り、起きてからもご機嫌で杞憂に終わったが
新米の母には育児の定本がお守りのように思え、たいそう心強かった。
翁に感謝申し上げたい。 あげさせていただく。
翁チルドレンの皆に意見を伺いたい。
子は4歳、男子、未就園である。
おとといからずっと37.6の熱がある。
いささか食欲はないもののよく遊び、セキも鼻水もないので
小児科には行っていない。
私は未熟ながらも母親のカンで、ここのところの暑さで
まいっているのだろう、エアコンでもゆるくかけて就寝させたいと思うのだが
亭主が「熱は汗をかかせなければ治らない」と石器頭で聞く耳を持たない。
理路整然と持論を話すので頭弱な自分はくじけそうになるが、
みなさんの判断はどうであろうかお聞かせ願いたい。
少々の熱などどうということはない、と言い切りたいのだが
基礎疾患があるので心配な母である。 >>124
母としては半分の経験しかないので恐縮であるが、
「熱は汗をかかないと下がらないのではなくて
熱が下がるときに汗をかくのだ」
というのが定説のようである。
「熱 汗をかく」 などで検索してみて欲しい。
男性は活字に弱い人が多いので、そうであれば
以上のようなことを書いているものを見せるという手があり、
権威に弱い人であれば、一度小児科に行ってみて
対処法を聞いてみるという手もあるかと思う。
暑い時は食欲は減るものだし、水分をしっかり取れていれば、
通常はどうということは無いのではないか、と思うところではある。 推敲しているうちに削除しすぎてしまったので
>>125に追記させていただくと
要するに
熱が上がるときには寒がるので暖かくしてあげるが、
熱が上がりきると暑がるものであり、このときに
無理に汗をかかせても熱が下がるわけではなく、
汗をかいているときにさらに温めるのはあまり良くない
ということのようである。
ただ、微熱の時の対処法はあまり聞いたことが無いので、
続くようなら小児科に行って安心するのも一つではなかろうか。 >>124
私なら小児科へ行ってプロの意見を聞く。
素人同士で憶測するよりそれが早いと思うからだ。
基礎疾患があるならなおさら気をつけたい。
高熱ではないとはいえ、発熱しているお子はつらいかと思う。
然るべき処置をして楽にしてあげて欲しい。 個人差があるが、小さい子供の発熱はおとなが思うほど
つらかったり苦しがったりはしないものだ。
我が子の様子をよく見て判断されるがよろしかろう。
かかりつけの医師はいないのであろうか? 皆のご意見をありがたく拝見した。
結果から申し上げると
夫婦喧嘩を勃発させながら除湿でエアコンを設定して寝たところ
息子の熱は簡単にさがり、元気にしている。
いちおう念のため地元の小児科を受診してきたが
「なんともない」との返事で胸をなでおろしている。
皆のご指摘どおり、熱の上がり始めのぞくぞくするときは
暖かくしてやり、上がったら涼しくしてやるのがよいというのを
webで見せ、書籍を見せ、伴侶を説き伏せるも
「人間の体はそんなもんじゃない」
「体を冷やすのはよくない」
などとごねるのでほとほと困り果てていた。
なので主治医(基礎疾患を見てもらっている遠方の病院)に
電話で様子を説明するときに恥をしのんで再度質問してみた。
「あ、それは間違いですね。汗をかかせると気化熱で下がったように
思いますが、汗で早く治るわけではありませんから」と
言い放ってくださったのをそのまま旦那に伝え、
エアコンをつけて息子と下の子ともども不貞寝したのである。
するすると熱の下がった息子をみて自説を引っ込めざるをえなかったらしく
母としては少々溜飲を下げたしだいだ。
息子は今日も元気に棒をふりまわして戦隊ものごっこに興じている。
皆にご意見いただけたことをたいへんありがたく思っているのである。
(翁語が変だったらごめんなさい)
発達不安スレから来たものである
なんと心強いスレであろうか
前スレも読破し、声高らかに
あたいあげられるのよ >131
既読とは思うが、お誕生日ばんざいの項を。
1年をふりかえって、母親の心にもっともふかくきざみこまれたことは、
この子にはこの子の個性があるということにちがいない。
(中略)
赤ちゃんとともに生きる母親が、その前生命をつねに新鮮に、
つねに楽しく生きることが、赤ちゃんのまわりをつねに明るくする。
近所の人のことばに耳を貸さないがいい。
近所の人の子は自分の子とちがう体質だ。
・・・なのである。
人間は自分の生命を生きるのだ。いきいきと、楽しく生きるのだ。
という翁の言葉を胸に、日々忙しくも楽しく過ごすがいい。
>131の不安な気持ちはよくわかる。
親として、わが子のさまざまなことで不安にならないはずがない。
だが、いまこの一瞬は一度きりである。
不安がるなら、子が寝てからにするが良い。
不安にかられてネットで検索するのに忙しく、子に向き合わない時間ができることほど
勿体無いことはないのである。
>131の不安も、時期の約束はできないがいずれ解消されるであろう。
日々の子供の育ちを喜び、つよい子に育てようではないか。
いまひとときの不安など、どうということはないのである。
オークションで紺色の「育児の百科」を購入した35w妊婦なのである。
もうすぐこのスレに仲間入りできるかと思うと、非常にばんざいなのである。 三歳の女児持ちの臨月母である。
里帰りしないので、上の子を保育園に預けることにした。
娘は人見知りがとても激しい子であった。
2歳の「人見知り」の項がまさにぴったりであった。
公園で知らない親子がいると「もう帰ろう」と言い出すほどであった。
保育園で一日中泣いていたらどうしよう、と母はとても心配になったものだが、
初日に2時間預けたとき、少しめそめそした程度で外遊びを楽しんだそうだ。
その後も朝泣くこともなく、楽しく通っている。
風邪で休むことになった日は「保育園に行きたい!」と叫ぶほどである。
3歳近くになり上手に話せるようになったころから、人見知りが減ってきたようだ。
話せなかったころは、他人を避けることで自分を守っていたのであろう。
子は少しずつ成長するのである。
今の不安はいつか解消されるのだ、と再認識したのである。 468.感じやすい子、の項を見て
電車の中にもかかわらず落涙してしまった。
これはまさに私の子供時代のことだと思った。
子供時代はその感じやすさのせいでからかわれ笑われ
いやなことばかりが多いつらい毎日だった。
でも松田翁の次の文章を見て、なんだか救われたような気がした。
「人間の中には、そういうデリケートな性質の人がいるのだ。
世界を美しくしてくれるのは、そういう人だ。」
子供時代の私に読んで聞かせたかった。
いや、今からでも、この項を熟読して、泣き虫弱虫の私の息子に
楽しい毎日を送らせてあげようと心に誓った。
翁は本当に子どもを、いや人間を愛していた人であったのだろう。 >>137
自宅なので安心して泣かせて頂いた。
うちの娘も察しすぎ、考えすぎの泣き虫である。
そして私もそういうタイプで苦労(自分のせいだが)したため、
娘には強くなって欲しいと思い「お友達に嫌な事をされたら
嫌だってはっきり言いなさい、自分で頑張りなさい」などと言っていたが、
「よそから泣いて帰ってきたときは、たたきかえしておいでなどといわずに、
楽しい話をしてやる」とあるのを読み、目から涙と鱗をボロボロ落としながら
大いに反省した次第である。
子を心配するが故に、子の悪い面に目を向けがちな自分を恥じた。
いい所をたくさん見て、誉めて伸ばしてやるのが親なのだ。
私も翁のように大きい気持ちで子を愛したい。 >>76である。ご報告である。
昨日、無事、我が家の赤は「おたんじょうびばんざい」できたのである。
朝一番で、夫に、定本の「おたんじょうびばんざい」の項目を音読してやり、
首を傾げられながらも、ばんざいと書いてもらうよう厳命して
ケーキを買いに行かせたのである。
ケーキ屋の店員は「ばんざいですか?!…できます!」という返事をしたそうで、
夕食時、我が家の食卓には、
無事「おたんじょうびばんざい」のケーキを登場させられたのであった。
赤は一日中、いつもと違う雰囲気にずっと仏頂面ではあったが、
なんのなんの、保育園に通いながらもたいして休まず、
ここまで元気に育っていることを思えば、どうということもない。
どうということもない。
風邪をひいたって、手足口病になったって、
適切な対応さえしていれば、いずれ元気になるのだと
母も思えるようになり、おおらかに構えていられるようになったのである。
新生児期に風邪をひいて気が狂うほど心配したのは、既に遠い日のことだ。
これからも母は目を離さず心を離さず、子の成長を見守りたいと思う。 >76=>139
おたんじょうび ばんざい
>これからも母は目を離さず心を離さず、子の成長を見守りたいと思う。
けだし名言である。
見習っていきたいと思う。
自分は>14だが、昨年の夏は逸乳で悩んでいたのが嘘の様に成長し、
先日、同じく「おたんじょうび ばんざい」のケーキでお祝いしたのである。
あのときの>19=20氏に改めて感謝申し上げる次第だ。
今日産まれただれかも、おたんじょうびばんざい!
ロム歴は長いが書き込むのは初めてなので、粗相もあろうかと思われる。
最初に深くお詫びしておく。
先日、憧れの「おたんじょうび ばんざい」ケーキで赤の初誕生を祝ったのである。
万感の思いを込めて、記念の書き込みとさせていただく。
妊娠中に引っ越しをし、まるで縁のない土地での出産となった。
ひどい難産だったうえに、高齢のせいもあり、産後の回復が遅かった。
産後数ヶ月は、文字どおり這うように暮らし、健診以外は一歩も外に出られなかった。
赤はろくに眠らず、よく泣き、食の細い性質で、新米母はほとほと参った。
頼る里はなく、夫は赤が泣けば怒鳴り、酔えば私に暴力を振るう始末であった。
来る日も来る日も、閉塞感と孤独感に悩まされつつ、鬱々と死を考えたものである。
そんなとき、古い友人が「育児の百科」を贈ってくれたのであった。
いたく感銘を受け、赤を胸に抱えたまま、貪るように繰り返し読んだ。
そして、「お誕生日ばんざい」の項を読むたびに涙しては、
この日を迎えるまでは頑張ろう、赤とともに生き延びようと心に誓ったのである。
やがてこのスレを発見し、ひそかにロムっては皆様の書き込みに励まされた。
翁の本を支えに苦闘している人がたくさんいる、私は一人ではないと思えた。
そして赤の誕生日には必ずや「ばんざいケーキ」を注文しようと心に決め、
今日まで過ごしてきたのである。 子を生み育てることが、これほど切なく、つらく、苦しいものだとは知らなかった。
今も、いっぱいいっぱいの日々は続いているし、
この先に待つ果てしない毎日を思うと、気が遠くなりそうである。
「全生命をつねに新鮮に、つねに楽しく生きる」母でありたいのは山々だが、
私ごときが母になってはいけなかったのだと思ったり、
将来への不安に押しつぶされそうになったりして、
赤の顔を見ながら泣けてくることもしばしばである。
それでも幸い、赤は元気に育ち、今日も懸命に母を追ってくるではないか。
活発にこの世界の探索にいそしみ、新たな発見に目を輝かせているではないか。
翁なら、「この子のことは母親が世界中の誰よりもよく知っている」、
「ささいな不安など、どうということはない」と励ましてくださるかもしれない。
そう思えば、また次の誕生日まで、なんとか頑張れるような気がするのである。
以下、図々しくも、赤への祝福と、自分へのねぎらいとして。
翁への敬愛と、このスレの皆様への感謝を込めて。
どこかでひそかにロムっているかもしれない誰かへのエールに代えて。
お誕生日ばんざい! >>143
おたんじょうびばんざい!
これまで苦労をのりこえてがんばってこられたであろう。
目の前のスクスクと元気に育っている赤さんがその証ではないか。
訪れたお誕生日をどうか誇りに思ってほしいのである。
私も5年物を育てており、143さんと同じようにつらい時期があったが、
今では母のほうがさみしくなり子どもの後を追っかけていることもある。
今は大変な時期だとおもうが、それも必ず終わる時がくる。
赤さんが元気であればそれでよしではないか。翁スピリットで乗り越えられると信じている。 >>143
おたんじょうびばんざい!
>子を生み育てることが、これほど切なく、つらく、苦しいものだとは知らなかった。
私も毎日同じように感じている次第である。
貴殿の文章を読み、私も涙ボロボロとなってしまったのである。
が、同時に苦労が深ければ深いほど喜びも深いということを
子のおかげで知ることができた意義深い日々でもあったと143さんも
きっとお感じなられたことと思う。
そして0歳から1歳よりも、今日からの2歳までの1年のなんと早くすぎてしまうことか。
次の「おたんじょうびばんざい」までの1年が、より素晴らしい日々となることを
お祈り申しあげる。 145さん、146さん、本当にありがとう。
なんとあたたかく、力強く、心に染みるお言葉であろうか。
何度も何度も読み返し、嬉し涙を流したのである。
お二人から頂戴したメッセージは、私にとって、かけがえのない財産となった。
金言として胸に深く刻み、ときおり思い返して自分を励ましながら、
次の誕生日を目指して、赤とともに元気に生きていきたいと思う。
お二人と赤さんも、どうぞお健やかに過ごされますように。
たくさんの幸せな時間が、このスレの皆様とともにありますように。
上のテスト書き、大変申し訳ない。
長期に渡る不妊治療が成功し、このたびめでたく妊娠した友人に
育児の百科を贈ろうと思うのだが、
大型本と文庫本、どちらが良いであろうか。
自分は大型本をプレゼントされて大変重宝しているのだが
手軽さを考えると文庫本であろうか。
狭い家に住んでる人では無いので、大型本の方が良いかとも思うのだが
意見を伺えるとありがたい。
ご友人が無事にご出産を終えられた後に大型本を贈るのがいいのではないだろうか
あくまで私見で恐縮だが
大型本は卓の上に開いておけるのが手が塞がらず重宝する >>149
同じく私見であるが、150にドウイするのである。
大型本はハードカバーに入っているので、
小さな赤のちょっとしたイタズラにも耐えうる。
文庫は手軽でよいが、3分冊のため中だっけ?上だっけ?と
検索に多少手間取ることがあるのである。
『育児』の百科であるから、やはり無事に出産を終えたあとに贈るのが良い。
自分の体験で申し訳ないが、残念な結果になってしまうこともある。
(なので、アメリカ流のベビーシャワーという習慣は非常にきつかった。
産前に贈られたベビー用品が目の前に残り、お返しを贈らねばならないのだ。)
ここまで極端な例は少ないにせよ、
ちょっと長く入院が必要な子が生まれたり、
母親が疲労困憊しているときがあったりするものである。
とても仲が良い友人なら、いまから予習してみる?と贈る手もあろう。
149の優しい気持ちは、きっとご友人に届くであろう。
丁寧なアドバイス、ありがたく拝読した。
そういえば今自分が住んでいる国でも
ベビー用品は産後にプレゼントがデフォである
勢い余って速攻で送り付けようとしていた自分に気がついた
それから、授乳中でも読めるという点でも
大型本をプレゼントしようと思う
ありがとうございました
娘は今日で2歳になったが、今なお育児の百科は私にとってのバイブルである。
0歳児の頃は毎日開き、上の月齢のページまで読んで予習までしていたが、
今では月に1回開けば多い方である。
「どうということはない」精神が身に付いたのだろう。
お誕生日ばんざいケーキを頼みたかったが、恥ずかしくてお誕生日おめでとうケーキになってしまった。
が、どうということはない。 >>153
お誕生日ばんざい!
>今では月に1回開けば多い方である。
このことには、翁もたいそう喜ばれることであろう。
私は3歳と0歳の母であり、
これまで、翁の言葉に幾度となく救われてきたが、
それでも育児の悩みは尽きることがなく、
母親としての自信を失くしたり、戸惑ってばかりの日々である。
が、昨日ふと読み返した「誕生まで〜母親になれるか」の章に、
今の自分にぴったりな言葉を発見したので、ここに引用させていただく。
自分は人間ができていないから、
赤ちゃんをそだてる資格がないと思うのには賛成できない。
人間は完成するものではないし、完成に近づいたにしても、
そのころには子どもをそだてられない。
だが、親になることは、人間を完成に近づける機会であることにまちがいない。
子どもの側からすれば、あまり自信のある親は、よい親でない。
子どもといっしょに人生を探究し、いっしょにそだってくれる親がいい。
これからは、自分の“母親としての自信のなさ”に、
もっと自信を持って子と向き合っていこうと思う。 どうということはない、に支えられてなんと19年が過ぎた。
毒親に育てられ、自分に自信がなく、夫は多忙で、
仕事をせざるをえない貧困の中、子どもはよく無事に育った。
ずっとずっとこの「育児の百科」が支えだった。
おかげさまで、子どもなんてそんなものと達観できたこと、
子どものことは母親が一番わかるものだと落ち着いて考えられたこと、
せっかくだから、楽しもうと思えたことで育児はとても楽になった。
正直頭のできはいまいちながら、一生懸命大学生活を送っている。
自分で選んで6歳からはじめた習い事はいまだ継続中だ。
もうすぐ二十歳。私の仕事は終わりに近づいている。
振り返ればよかったことばかり。
これはすべて松田翁のおかげだ。
すべての子どもたちとお母さんが幸せになりますように。
いまの大変さが少しでも楽になりますように。 おたんじょうびばんざい!
本日娘の一歳の誕生日である。
だが母である自分は入院中なのだ。
頼るあてもない土地で必死だったためか先日倒れてしまったのである。
今日という日を家族と共に過ごせない事が大変歯痒い。
しかしながらどうということはない。
実家に預けられる事となった娘は、突然の断乳も乗り切り少食だった離乳食を良く食べるようになったのだという。
会える機会の少なかった祖父母は孫と過ごす日々を楽しんでいるに違いない。
それにもう少しで退院なのだ。数日遅れでもばんざいである事にかわりはないと信じている。 >>156
娘ちゃんお誕生日バンザイ。
156さんも母として1歳のお誕生日バンザイ。
子の誕生日は親としての人生の誕生日でもあるのだ。
>>154さんに触発され、
「誕生まで〜母親になれるか」の章を読んでみた。
現在、上の子二歳9ヶ月、妊娠17週。
持病があり、果たして二児の母としてやっていけるか悩んだり、晴れたりの繰り返しで、情緒不安定であったのだが、
翁いわく、「病気にこだわらないで、親としてのよろこびをもつことも人生をゆたかにする。」の部分に涙した。
母の涙にどうしたのと駆け寄って来た息子、イヤイヤと赤ちゃん返りを経て、いたわりを覚えた息子に、大きく励まされた。
私も子どもと一緒に育って行けば良いのだ、どうということはない。悩んだら、また本を開いて翁に出会おう。 >>151さんのレスを読み、辛い思いを抱えて今を生きている人はいるのだと実感し、
深夜に一人語りなのである。
臨月で最初の子を亡くしたため出番を失っていた我が家の翁の定本は、
無事二人目がうまれて、ようやく日の目をみているのである。
ここに子がいる。一緒に今を過ごせる。それだけでありがたいのだ。
たとえ1時間置きに乳を求め起きてしまう癖がついてしまっても、どうということはない。
きっと一時のことなのである。
明日は晴れの予報である。母もしっかり寝て、子の鍛練に励むとしよう。 2歳10ヶ月の息子が、お腹が痛いという。まずは翁の腸重積ではないかチェックから始める。今回も腸重積の心配はなさそうだ。
しかし、熱も出し、お腹が痛い、気持ちが悪いと時折訴えるので、夫が心配しはじめる。私としては、翁の第一チェック項目である腸重積でなさそうならあまり心配はしない。
育児の百科を取り出し、腹痛の項目を参照する。なるほど、熱が出る時に、お腹として訴えることもあるのか。
翁の言葉に、どうということはない、表現力がついたのだと夫婦で感じ入るのであった。 黄砂も去ったので今日は子の気の済むまでタンレンしよう
>>161
自分の話で申し訳ないが、4歳ぐらいのときに熱が出るのにお腹が空いたと訴えた記憶がある
夜、布団から起きだして、食べたいと訴えて母が握ってくれたお握りが全く食べられず
不思議な気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになり、無理して食べたら吐いてしまっていたたまれない気持ちになったのをよく覚えている。 赤本を幼稚園のバザーで80円で手に入れてしまった。
しかし子も6歳ともなれば、今更こんな本を手に入れても
どうということはない。
きっちりと封印して↑の娘に託すつもりである。 NHK「私の本棚」再放送で「育児の百科」が取り上げられていたのである。
これは、ここに書き込むべきか!と思ったが、
気が付いたのが放送直前だった為、書き込むことは出来なかった。
NHKには再々放送を希望するものである。
紹介者である哲学者の方は
実際「育児の百科」を使われていたそうである。
かなり読み込んでおられる様子が分かり、テレビを見ながら
うんうんと頷くと言う、お年寄りのような
行為をしてしまったが、どうと言うことはない。
定本の乳児体操イラストがかわいすぎて
眺めてはニラニラしてしまう妊婦である。
購入にあたってどの版を選ぶべきかさんざ悩んだが
どの版も図書館にリクエストすれば見られることがわかり
無事紺本のひきだし赤も見られたのでどうということはない。
それにしてもこんなにたくさん図書館におさめられているとは
改めて本書への信頼性の高さを再確認したのである。 このような良スレに気づかず、あまつさえどうせ古い本だし……などと
一顧だにしなかった過去の私を懇々と諭したい次第である。
先日密林にて中古の「育児の百科 最新版」を格安で手に入れた。
既に10年ものと7年ものである我が子にも、未だ有用なる情報が
あるのには驚かされる。それだけではない。過去を思い出して、
あれはこうであったかと腑に落ちることもある。
年明けには学生時代の友人に子が産まれると連絡があったばかりである。
産まれた頃にはこの本を強く推して、祝いの品と共に贈るつもりである。 今日で息子は一歳になる。
私が定本「育児の百科」と出合ったのはここのスレ1だったと記憶している。
今から九年程前の上の子の妊娠中のことであった。
初めての子ゆえ訳もわからず、月数が変わるたび、具合の悪くなるたび、
必ずこの本を読み、翁のどうということはないに励まされてきたものであった。
いつしか子供も小学生になり、本も手に取ることが無くなっていた。
が、諦めていた二人目の子が生まれ、今また育児の百科は常に傍らにある。
この一年上の娘は赤ちゃん返りしながらも姉として成長し、頼もしくなった。
息子はほぼ病気らしい病気もせずに健やかに育ち、今日も娘と笑い合っ
ている。
母としては色々と大変な一年ではあったが、あっという間の一年でもあった。
今夜は家族でお誕生日ばんざい!しながら楽しい夕餉を囲む予定である。
そしてまた明日から「どうということはない」精神で育児していこうと思う。 今朝、自転車で外出した際、交差点で共に信号待ちをしている隣の自転車の前かごに
翁の「育児の百科」(赤本)が剥き身で入っていて、思わずガン見してしまったのである。
スリムな女性ではあったが、たまひよ育児本も一緒に持っていたところをみると
妊婦さんなのであろうか。あるいは産後間もない母なのであろうか。
もしかしたらこのスレの住人かもしれぬ。
もし思い当たる方があれば、その節はぶしつけな視線を向けてしまい失礼した。
しかし、近所に翁スピリットをお持ちの方がいるのを知り、感動したのである。
>>168
お誕生日バンザイ!
我が家も月末には上の子が三歳を迎える。
改めて、二歳から三歳、三歳から四歳の項目を読んだが、さすがと目からウロコが落ちる。
三月には第二子、上巻と下巻を行ったり来たりしながらまた翁にお世話になる。不安はあるが、翁の文体に触れると、どうということはないのだ。 あたいあげられるのよ
>160さんの赤は今日も元気にタンレン中であろうか。
亀151からメリークリスマスを伝えたくなったのである。
亡くなった子のことを思い出すと
楽しいはずのイベントごとも心の奥にちくりとするときもあるが
母が笑顔で過ごしていれば、家族みなが笑顔になるのである。
どうということはない。
タンレン疲れで眠ってしまったもう一人の子をながめながら
すべての赤と子たちにメリークリスマス!である。
本当なら昨夜言うべきであったが、子の成長とおなじで
一日二日の遅れなど、どうということはないのである。
冷たい風の中鍛練してきたら、つい先程このスレがあがってるのを見つけた160である。
なんという偶然であろう、我が子も鍛練疲れで寝たところである。
そして151さんの暖かいレスにいたく同意しているところなのだ。
私からもすべての赤と子、そして父母たちにメリークリスマス!なのである。 あがってなかったわ
もういっぺん
あたい あげられるのよ タレントのインリン氏のご子息が
腸重積で手術を受けたとのニュースを見た
手術したということは
24時間以内に高圧浣腸を受けられなかったのだろうか
読者諸氏であれば、氏の言うところの症状
「5分おきに身体がエビのようにそりながら激しく泣いてはグッタリ、の繰り返し」
に接すれば、必ず翁の警告を思い出していたであろう
いずれにせよ、腸重積の恐ろしさを再認識するとともに
自らも、身の引き締まる思いがしたニュースであった 鍛錬日和が続く昨今である。
母親だってあげられるのである。 >179母さん乙なのである。
ようやく歩けるようになった赤と、
氷点下での散歩で調子に乗りすぎて、親子そろって風邪をひいてしまったのである。
バカス。
もうすぐ予約の時間なので、翁風味の医師がいる小児科へ向かう。
「お母さんがいちばん良くみてる人だからね。
様子がおかしいと思ったら、いつでも連れてきていいからね」
などと、翁風味満点である。
まだ若い医師に翁あつかいは失礼であるが、
私にしてみれば、医師への最上のほめ言葉なのである。
若翁は気づいていないだろうが、どうということはない。 薄着で動きやすい春がやってきた
しかし大陸からの汚染物質も気になる西日本の母である
ビンカンな隣人は、外には居られないと言う
今日も山が曇って見えるのだ
幼い子には、わるい影響があるのではないかと心配だ
翁なら、何というだろうか。 >>181
自宅にて、あの翁の赤ちゃん体操はどうだろうか。鍛錬は外ばかりではないのである。 翁の言葉を支えに育てた子も7歳。
育児の百科をめくる機会も減って埃をかぶっている。
そんな子の足にいぼができてなかなか治らず、病院通いに
疲れてきて、まさか載っているまいと藁をもすがる気持ちで
ページをめくるといぼの欄があった。
いぼはそのうち消えてなくなる。治らないいぼはないというような
言葉がそこにはあった。久しぶりに涙がでそうになった。 >>182
同意ではあるが、もしかしたら>181さんのお子さんはもう赤ちゃんではないかもしれぬ。
かく言う私も、娘が赤ちゃんの頃は、赤ちゃん体操を日課にしていた。
外での鍛練も、短時間ではあるが欠かさなかった。
そのおかげか、2才の娘はいまだに熱を出したこともない。
ちょっと元気すぎるきらいもあるが、どうということはない。 >>183
自分も7〜8歳の頃手にいぼがあったがいつのまにかぼろぼろになって取れていた。
両親はイボコロリのおかげ、いや肝油ドロップのおかげだと色々いっていたが、
もともと自然に治る時期が来ていたということなのかもしれぬ。 自分も手や足の指にイボ持ちであった。
切ったり焼いたりしても再発するので嫌気がさしていたが
とある医者に「はと麦茶を飲むとよい」と勧められ、気休めのつもりで実行したら
きれいに治ったことがあるので、もし気が向いたら試してみて欲しいものである。 翁とシアーズ博士を会わせたら
どんな会話だったろうかと考える。
どちらも子を慈しむ母の愛を信じている点では
同じだと思うのである。 翁の時代の人の、
1歳の誕生日のことを「お誕生」という言いかたが
なんだか好きだ。
今日は娘の半お誕生である。
たった今気づいたおおざっぱ母である。
今日も家業が忙しく、特別なことはできなさそうだが、
家族で夕食を囲むときには、
マグマグにお茶ではなくプルーンジュースを入れてやろうと思う。
親子で(´∀`∩)↑age↑(´∀`∩)↑age↑翁マンセー 半お誕生とはなんのことかわからず、しばし首をかしげたのである。
なんのことはない、ハーフバースデイだったのである。
うちでは写真屋の策略と思いスルーしていたが、どうということはない。
各家庭でそれぞれ思いを込めて子の行事をする。ただそれだけのことである。
さて、次はうちがケーキ屋に「おたんじょうびばんざい」といれてもらうか否かで迷う番。
お誕生まであと一月、母はひそかに迷い続けるのである。 2月末に我が子が1歳の誕生日を迎えた
前々日に子がまだ食べられもしないケーキを予約したが
何と、サンプルを見るとプレートには既に「お誕生日おめでとう」の文字が入っているのである
書けるのは名前だけということであった
ど…どうということはない
子よ、おたんじょうびばんざい
震災のさなか、皆さん育児を翁流に頑張っておられるだろうか。
被災地の子供達をはじめ、全ての被災者が、不安や寒さ、飢えから一日も早く解放
されることを願ってやまぬ。
我が子は今月末に誕生日を迎える予定だ。実は脳に疾患がある。
いつ手術といわれるのか、通院のたびにドキドキしてしまうのだが、健康であっても
このたびのような震災があれば、命というものはあっという間に奪われてしまう事も
ある。そう考えると、脳の疾患もどうという事はない。母のそばで健やかな寝息を
たてて眠る息子を見れば、疾患も個性であると思えるものだ。
発達は遅めであるが、どうということはない。
明後日は通院日である。この日ばかりはガソリンの残量を気にすることなく、車を
使おうと思う。
>193
「生命をいきいきと楽しく生かすことに支障がなければ、意に介することはない」
少し早いけど おたんじょうびばんざい >>194 ありがとう。193である。
生命の尊さをしみじみと実感し、今わが子と共にあれる事をありがたく思う。
息子がいきいきと楽しく生きられるよう願ってやまぬ。
不安でないといえば嘘になるが、翁がご存命であれば、私にどんな言葉をかけて
下さったであろうか、などと想像するのも面白い。
しかし、私のような凡人には翁のような懐の深さがないので、やはり翁から
お言葉を賜ってみたかった、などと思ってしまうのも仕方のないことである。
では、最後に。
被災者の方々の一日も早い回復を、心よりお祈りする。 被災地のニュースを見ると心が痛むのである。
こんな時代に母となったからこそ、おおらかに強く、賢くありたい。
松田翁、どうか日本の母と共にあり、見守ってください。 昨日テレビを見て、行方不明の我が子の代わりに卒園証書を受け取った母親の姿に涙が溢れて止まらなかった。
皆さんも亡くなったお友達の分も元気に過ごしてください。
の園長住職の言葉が心に響いたが、そんな母親や住職をフラッシュの嵐には些か気分を害した
が、卒園ばんざい 密林でポチった定本が本日届く予定の4ヶ月赤持ち母である。
赤が2日前から発熱し、幸い肺炎ではなかったが経過観察中だ。
ついオタオタしそうになったが
「どうということはない」精神を得たいと思いながら宅配便を待っている。
夫が単身赴任中で一人で育児せざるを得ないため
翁の名著は私の心の支えになってくれるであろうことを期待する。 翁の名著を読む時は赤の口へおっぱいを放り込むのである。
本を読む時間を無理やり作るならその分赤を見なさいと翁は言われるかもしれないが、何せはじめての子で右も左もわからぬのである。
翁の導きが必要なのである。
20分ずつではあるが少しずつ読み進め、ついにぷーが出やすくなりますを発見して喜びもひとしおだ。
ぜひ夫にも読んでもらい、共に赤を慈しみたいものである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています