松田道雄ふうに書き込むスレ 4
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
なんと落ち着くスレであろうか。
今まで見かけても、「松田優作ふう」と見誤り、恐ろしくて開きもしなかった自分を悔やむ。
7か月の息子と楽しく過ごせるのも、心大きな翁の言葉のおかげと思っている。
母の嫌いなニンジンを嬉々として食す息子を見ながら、
「辛党の子どももいる。」のフレーズを
「ニンジンの好きな子どももいる。」と変換してニラニラするという
ほんわかな時間をいただいている。
春にはばんざいケーキを注文し、また報告カキコしたいものである。
>54
なんじゃそりゃぁぁぁあ!?
と優作ふうにつっこませていただく。
翁にかぶれて早半年。
翁著作を買い集め、とうとう「エミール」に手を出してしまった。
赤が眠っているあいだに、少しずつ読み進めようとしているのだが
岩波ワイド版にもかかわらず目がしょぼしょぼしてなかなか進まない。
高齢出産で多少老眼orzでも、どうということはない。
ギャルママのスタイルの良さを羨んでもしまうが、
自分なりに赤と鍛錬に励み、楽しく明るく生きるのである。
すべての赤ちゃんたちに幸いあれ。
先日は赤の誕生日であった。
「おたんじょうびばんざいケーキ」の予定であったが
いつも赤を泣かせるじーさんがケーキを買ってくれるという。
ばんざいケーキに後ろ髪引かれたが、じーさんの気持ちをありがたく受け取った
来年ばんざいケーキにすればいいのである。どうということはない。
ケーキを一口食べた赤がゲボーとしたが、そういうこともあるであろう。
うちの子は辛党なのである。
ここで改めて、おたんじょうびばんざい!!おめでとう!!1才!!
とちゃっかり書かせていただくのである。
>>56
おたんじょうびばんざい!
そして、母として1歳となった56にばんざい!
これから辛党赤はどんどんグルメになり、56はうれしい悲鳴を
あげつつ料理に励むことであろう。
56が赤のかわいいさかりをめいっぱい楽しめるように、
56赤がすこやかに育つように、モニタ越しに祈る18年ものの
赤もちである。 先日やっと紺本を手に入れた新米母である。
赤の眠る顔を眺める時間を減らして探しているが、
「プーがでやすくなります」の体操がみつけられない。
しかしどうということはない。
必要なときにきっとみつけられるのである。
今日は二ヶ月ばんざいだ。
ここに記させて頂くのである。 >58
プーが出やすくなります体操は岩波の(上)、イラストにその旨のコメントが載っているのである。
紺本なら赤ちゃん体操の写真解説ページがあるので、゙プー゙の記載は無いが、どうということはない。
お腹を「の」の字にさすれば良いのである。
56母である
57母よ、なんとありがたいことか!目から汁である。
そうか私は母として一歳なんだ、じーんと胸につきあげるものが…
ひとことではあらわせないがどうということはない、お母さんってのは、
お母さんってのはそんなものであるのだろう。
ジャイアント馬場が言っていたことを思い出したので書かせていただく。
「試合中につらくなると心の中で『かあちゃーん』って呼んでいた」
うろ覚えだが、母とはなんと偉大なことか。
母になれてよかったとつくづく思うのである。
世界中の赤ん坊と母をいとおしく思う夜である。
ありがとう。 あたい、あげられるのよ
亀だけど、>56の赤さんと>56さん、1歳のおたんじょうびばんざい! 来月1歳になる子が離乳食を全く食べないのである。
7ヶ月から始めたが、毎日スプーン1さじどころか耳かき1さじほども
食べていないのではなかろうか。
近頃では離乳食の時間のみならず、育児そのものが苦痛になる瞬間すら
あった。
が、偶然このスレを開き(54母と同じく松田優作スレだと思い込んでいた)
今心洗われる思いである。
離乳食を全然食べない、もうすぐ1歳なのに…ウジウジ…とばかり
思っていたが、ほとんど母乳だけなのにここまで元気に育ってくれたことを
まず喜ぶべきであった。
まだ「どうということはない」と思うまでにはなれないが、
それでも来月の誕生日には、たとえ例のごとく離乳食を一口も食べずとも
ばんざいと言えそうである。
>>63
一生懸命離乳食を作っても全く食べてくれない空しさは本当につらいものだと思う。
現在4歳と1歳の息子が居るが二人とも離乳食を食べない子であった。
しかも1歳2ヶ月の息子は現在進行形である。
最近は少し食べるようになったものの用意した離乳食を捨てざるを得ない日もまだ多い。
私も長男が1歳前後の頃はノイローゼのようになっていた。
しかしいつまでも母乳だけで足りる日々は続かぬ。
断乳の時期は人それぞれだと思うが、大人になっても母乳だけで事足りている人はいない。
そのうち母乳だけでは足りぬ、飯をよこせと要求してくるであろう。
どうということはない。
母と子が健やかに楽しく毎日を暮らせるのならばそれでいいのだ。
長文の上久しぶりの書き込みで変な翁言葉で申し訳ない。 主人が数ヶ月前に他界した。
娘はあんよができるようになり、
わんわんとおしゃべりができるようにもなった。
主人と一緒に成長を喜びたいが、
天国から見守ってくれているからどうということもない。
どうということもない、どうということもない、
と言いながらもたまに目から汁が出るのである。
>>65
どうということもある。
遠慮なく汁を出しまくって天国の人に心配をかけ、
地上の家族友人にもたっぷりと心配をかけ、
汁がつきてからたくましく生きていけばいいのだ。 私も目から汁が出た。
人生、どうということもあるかもしれぬが、
>>65は一人ではないのだ。
ハイハイの子があんよになったように、
そのうちおむつがとれ、かけっこが上手になり、
絵を描けるようになったり、お勉強をしたりするだろう。
子は、母の幸せを連れてくるのだ。
>>65と子の人生に、大きな幸あれと願うのである。 ここにも一人、汁が出ている人間がいることを知っておいてほしい
書き込まずとも汁人間は多数いるであろう
65よ
赤がいてよかったね 65である
皆さんの書き込みを読んで目から汁が止まらないのである
寂しくなったら誰にも遠慮せずに汁を垂らしまくろうと思う
でも娘の前では明るい母でありたいと思うのである
私も密かにロムっていた汁人間のひとりである。
>>69さん、あなたのような母を持ち、娘さんはたいへんに幸せだ。
今は小さく頼りなくとも、きっとこの先数えきれぬほど
あなたを助け、笑わせてくれるだろう。
天国の父のぶんまで、幸せにしてくれるにきまっている。
汁を垂らしたい時は、我慢せず存分に垂らせばよい。
>>69さんと娘さんの幸せを心から祈る。 65である
皆様の励ましに感謝である
辛気臭い話はこれにてお仕舞いである
ありがとう!がんばります! 子が先週の日曜、おたんじょうびばんざいだった。
父の仕事の都合で、明日の日曜にささやかなお祝いをする。
そこで、上の5年ものの赤のときからのひそかな願いだった、
「おたんじょうびばんざい」メッセージ入りのケーキを昨日頼んできた。
「ばんざい、でお願いします」と言うのが多少気恥ずかしかったが、
無事に注文できたのでどうということはない。
店員の女性は、普段は「おー・おー」(おたんじょうびおめでとう、の意)としか
書かない注文書に、しっかりと「おたんじょうび ばんざい」と書いてくれた。
普段なかなか手がかけられず、ほったらかしで泣かされていることの多い子だが、
その分、笑顔がとてもいとおしく感じられる。
母親になって5年経っているのにまだまだ頼りない母であるが、
どうか、兄ちゃんも君も、幸せになってください。 私の娘も先日1歳を迎えたのである。
我が家も例にもれず「おたんじょうびばんざい」ケーキをお願いしたが
最後に「!!」がついてしまった。
しかしこの感嘆符が母の喜びを大いに表現してくれているのだ。
どうということはない。
妊娠中から数え切れぬほど頁をめくった文庫本は、いまや娘の
創造的な活動によって頁はグチャグチャ、カバーはビリビリである。
本来なら本は大事にせよと厳命するべきかもしれないが、
翁なら「好きにさせるがいい」と言ってくれると信じている。
お座りができない、離乳が進んでいない、服がいまだに70サイズ等
悩みは多いが、あまりクヨクヨせず素直に育児を楽しめているのは、
翁の書にめぐり会えたおかげである。
世の悩める母の指標として、いつまでも読み続けられることを祈りたい。 某スレに影響されて「私は赤ちゃん」を買いに走った。
最近、落ち着いて本を読む間などなかったが、
なんと、赤の昼寝の合間に2日で読破できたのである。
我が家の7ヶ月児は、パイ命の上、寝かしつけて30分〜1時間ごとに起きたり、
だっこでないとぐずったり、母の膝でしか眠れないので
母の膝や腰は大変辛い状況ではある。
が、気楽に育てればよいのだと、大変な元気と勇気をもらったのである。
会社の先輩に定本育児の百科をぐっと渡され、
「これ1冊あれば他の本なくてもどうにかなるから!」と言われたときは
なんと重い本であろうかと思ったが、
実にそのとおりであった。
里帰り中に他の育児書が手に入らないとき、翁の
「どうということはない」という言葉にどれだけ励まされたか。
今も子の体調に一喜一憂しながらも、
どうということもない、どうということもない、とつぶやいては、翁に感謝する毎日である。
今は「おたんじょうびばんざい」ケーキを頼める日を楽しみにしている。 某スレがどこかは判らないが、「私は赤ちゃん」DVDを買ってしまったマニアである。
若かりし頃の船越英二、山本富士子、岸田京子、、、そうそうたる役者陣と
ラストのシュールさにしみじみしたものである。
我が家の7ヶ月赤も膝の上でないと寝ない抱っこ好きな子であるが
低体重でうまれたこと、寝返りしないことなど、気になることは多い。
それでも、翁の本やDVDを見ては
「わが子はわが子のペースがある。どうということはない」とつぶやくのである。
先日、小児科で
「赤ちゃん体操やってるって?それで発達が早くなることなんて無いよ?」と言われたが、
「松田道雄の本が好きで読んでて、遊びながらやってるだけですよ?」と言い返してみたw
発達を早めようなどと思い上がってなどいないのだ。
赤と楽しく生活したいだけなのだ。
軽くpgrされてしまったが、害はないのだし、続けるだけだ。どうということはない。
>76と同じく、夏に「おたんじょうび ばんざい」ケーキを注文するのが楽しみなのである。
夏だし、フルーツたっぷりにすれば赤のおやつにもできて一石二鳥である。
お誕生の日まで、毎日ケーキネタで迷って悩んで、楽しめそうである。
身長が60センチしかないことなど、この楽しさに比べればどうということはない。 このスレを読むと、母の子への愛の深さに涙が出てくるのである。 >>76
おそらく私も某スレの住人である。
このスレの存在を知らなかったので、某スレで教えてくれた人に感謝カキコをしたのが私だ。
このスレが、母親達の心安らかな育児に貢献することを切に望む。
私も同じであろう某スレの住人である。そこでこのスレを知り、爺の本を入手すべく月曜にブクオフに走ろうと思っている2児の母である。
某スレとこのスレに感謝する。
爺語が面白すぎて、つい読んでしまい、夜更かしをしてしまう。スレだけでもとてもためになり、またここの住人は温かいので、母は読んでいて、元気になるのである。
まだ爺の本を手にしていないので、私の爺語が拙いことを謝っておく。
よく爺と書かれるが、天国の翁はきっと
「呼び名の間違いなど、どうということはない」と
笑っておられるだろう。
松田翁が、皆に温かく慕われていることの表れなのだ。 爺で結構とさえ思っているかもしれない
広い心とユーモアセンスがなければ
あのような名著が書けるはずもなく
個人的には爺と書いてあるとついププッと、その愛らしい間違いにウケている
我が娘もなかなかあんよをしなくて、なぜだろうと落ちこんだりもしたが
当の本人は毎日ニコニコ楽しそうに成長している
これでいいのだと思うのだが、
それでもほかの子が集まるところなどに出かけると、
みんなあんよをし、積極的に動き回っている、そんな姿を見ると
なんでアンヨもしないし私から離れないんだろう・・・とちょっと落ち込むのである
もういちど読み返そう
だめかあちゃんですまぬ娘よ 昨日ブクオフにて岩波文庫版の定本育児の百科を
見つけ、これ幸いと購入した。
その表紙(定本の初版版が印刷されている)になにやら
見覚えがある、と思ったら何のことはない。
実家の本棚にどっしりと鎮座していた育児書であった。
かつて母の母も、不安なことがあればこの分厚い本を繰り、
解決ほうを求め、翁の言葉にはげまされていたのか。
そう思うと翁と母に深い感謝の気持ちが湧いてくるのである。
なお、母の母にはこの初版の育児の百科を大急ぎで
送るように頼んでおいた。
なんと楽しみなことかw >>80だが爺→翁であった申し訳ない。
>>82
赤は1歳ぐらいだろうか?ハイハイを長くすればするほど、足の裏がきちんと地面につき、歩いた時に安定した歩行になるのである。早く歩くと逆に歩行が安定せず、転びやすくなるなど、あまり良くないのだ。
保育園勤務でいろんな子を見てきた私の経験談であるが、参考に頭の片隅に入れておいてもよいかもしれぬ。
故にハイハイさえしていれば、どうということはない。
>>82
赤は現在あんよのためのタンレン中なのであろう。
その子にとってのよい時期が来ればきっと歩き始めるのである。
うちの息子たちも1才6ヶ月まで歩こうとはせず母から離れなかったが、ただの怖がりだったのである。
一歩を踏み出すのは勇気がいることのようだ。 82、あたいアンヨしないのよ、の母である
助言とはありがたいものであるなあ
なんというか、赤子は、ハイハイもしないのだ
1歳2ヶ月、膝で高速移動中
膝歩きというのだろうか、ヒザアンヨというのだろうか
膝が真っ赤である
サポーターでもしてやろうかと思ったが、それこそ余計なお世話であろうな
食もかなり細く、いろいろと悩みはつきぬが
私と子がすこやかであるから、基本どうということはないのだろうな
このスレは浮き足立ちそうな気持ちを、引き戻してくれるなあ
ありがたいことだ
子が歩こうとする日を、落ち着いて待てそうである >86
おお、懐かしい。
うちの現在2歳女児も膝アンヨの期間が長かったものである。
食が細かったのも同じである。
小柄で身軽でなければ膝アンヨの技は使えないのだ。
もうしばらくしか見る事が出来ないにきまっているのだから
是非ビデオに収めておく事をお勧めする。
まともにアンヨをしたのは、公園で友人に押し車を貸してもらって
その楽しさに目覚めた日の夕方であった。
目線が高くなる快感に気がついたのであろうか?
食が細いのも、走り回れるようになってからは
ずいぶん改善されたのである。
「もっとパン食べたいなぁ〜」と催促される日も
確実に近づいているに決まっているのだから、
現在食が細い事など、どうという事はない。
子は2歳。
急に水分を良くとるようになり、数ヶ月経っても治まるどころか更に飲む。
どうしたものか、と小児科の戸を叩いてみると、糖尿病かも知れぬと言う。
専門医のいる大病院を紹介され、子と行ってみると、このまま入院だと言う。
子は1型糖尿病という病にかかっていたのだ。
あろうことか、一生治らないという。
ずいぶんと驚いたが、良く聞けば、しっかり血糖値をコントロールすれば、
特になにも怖いことはないのだという。
命を落とすような病や、病気が進行していく病など、たくさん有ることを思えば、
幸運であったといえよう。
これからは血糖をコントロールするための注射を打ちながら、
子と夫と医師と、共にがんばっていこうと思う。
10万人に1人という珍しい病を得てしまったが、どうということはない。 お子の病気、それも長くつきあわねばならないとのこと
88母も、驚かれ、また心痛められたかと思う。
だが、直ちに病気との付き合い方を把握し
家族で取り組もうと心新たにされ
「どうということはない」と受け止める、
なんと力強い母であることか。 88母の正しい翁イズムの継承の仕方に恐れ入った2児の母である。
「ずいぶんと驚いた」から「どうということはない」にいたるまで、様々な逡巡があったことと思う。
しかしそれらをすべて引き受け、いや「引き受けきれないものも今後ふいにあらわれるかもしれぬ」という部分もまるごと引き受けたうえでこのスレに書き込まれたそのすがすがしさに感じ入ってしまうのである。
ちなみに知人の娘さんも1型糖尿病である。
小学校のころ発病していたが、留年などしておらねばこの春あたり大学卒業のはずである。
いまやすっかり年頃の娘さんだ。
82の書き込みを読みつつ、普段は明るい知人親子の「ずいぶんと驚いた」から「どうということはない」に至ったプロセスに思わず思いを馳せてしまった次第である。
82母子、そして知人親子にも幸多かれと願うばかりである。 縁あって、定本タイプを入手できた。
既に8ヶ月を過ぎ、半分ほど読む時期が過ぎた項があるがこのスレを見つつ
読み返すのも実に有益だと教えられた。
お座りもせず、離乳食もムラがあり悩むことも多いが、翁に励まされて
楽しんですごそうと思う。集団保育の項が実に為になる。
ハジメテデ オキナフウニ カキコムノ ムズカシイネ
イキナリ アカニ ページ ヤブラレルシー まいにちのように黄砂が飛来している。
子を外気に当ててよいものか悩む。 >>96
当てないに越した事はない。
危険物質が沢山含まれているそうだ。
換気もままならなず歯痒いが仕方がない。
世の中が変わってしまったので子を気軽に外気に当てられなくなったのは残念だが
翁がご存命ならやはり「子が元気であればどうという事はない」と仰るのではないだろうか。 このスレに偶然目を止め、すっかり翁口調にはまってしまったもうすぐ4カ月になる赤持ちの母である。
早速、最新育児の百科と私は赤ちゃんを購入した。
これらの本のおかげで、赤をひとりの人間という視点で観察できるようになり、余裕が生まれたら愛おしさが倍増した。
良書でありながら、それぞれ370円と47円で購入できた。密林ばんざい。
このスレを立てて下さった方に感謝感謝の日々である。 朝日新聞の土曜日版に本の紹介のコーナーがある。
今回のテーマは「男の子育て」であった。
その中に、記者のお薦めとして、育児の百科(文庫版)が紹介してあった。
「子どもの成長には個性がある」という一貫したメッセージに救われる、とあった。
まさかこんなところで翁の本と出会えるとは思わなかった。
翁のメッセージは様々なところに広がっているのであろう。
育児の百科の1歳から1歳6ヶ月のところに、レギンスという表現があった。
翁の時代にそう呼ばれていたものがあったとは驚いたのである。 あたい あげられるのよ
wikiによると、日本ではそもそも乳幼児用衣料だったようである。>レギンス 当時のレギンスとは、もっと厚手でモコモコで
今のレギンスとはずいぶん違う物だったかと思われる
蔵の掃除の際に、数十年前のそれを見たことがあるのだが、
古かったため捨ててしまったことが悔やまれる 文庫の育児の百科を手に入れたが、どうしても写真やいわさきちひろの挿絵が見たくて、大型本を手に入れた2児餅の母である。
レギンスについては、私も乳児の履くものと思っていた。若い人がレギンスと呼び始めた当初は大層驚いたものだが、今は自分自身も愛用し、子どもとお揃いのものまで買ってしまう始末である。
100である。レギンスの由来について、みなさんにお調べいただいたり、経験談を聞いたり、大変参考になったのである。感謝申し上げる。
翁の活躍した時代の雰囲気を共有できたこと、感無量である。 甚だ失礼であるが、皆の言う「おたんじょうびばんざいケーキ」はどこに書いてあるのであろうか?育児の百科に書いてあるのだろうか?
見付けられないが、家ではよくこの言葉を使わせていただいている。もし教えていただければ幸いに思う。
>>105さんよ。
「おたんじょうびばんざいケーキ」というものが載っているのではない。
育児の百科、1歳のところに「お誕生日ばんざい」という題の翁による祝福の
メッセージが載っており、ケーキを囲む家族の写真が載っているのである。
この言葉は私も気に入っており、うちでも「おたんじょうびばんざい」で
ケーキを注文したのである。 1歳のページに「おたんじょうびばんざい」という言葉があるのではなかっただろうか。
その言葉に感銘を受けた母たちが誕生日ケーキに多くある「おたんじょうびおめでとう」
の言葉を「ばんざい」としてもらえるよう注文しているのである。
ちなみにうちにある岩波文庫版「定本 育児の百科」だと、(中 うっかりエンターキーを押してしまった。
『定本 育児の百科 中巻 5ヶ月から1歳6ヶ月まで』 の430頁が
「お誕生日ばんざい」の頁になっているのである。 >>105です。
>>106>>107
ご親切にありがとう。
どうもこのページは読み飛ばしていたようだ。
二人の母のあたたかい導きに感謝する。
次男が1歳になったらぜひ「おたんじょうびばんざい」ケーキを注文したいと思う。
また昨日「私は赤ちゃん」を読み終えた。時々赤ちゃんではない翁が出てくる所や墜落が何故か「ツイラク」とカタカナで書かれている所が大変面白かった。
また翁の一貫して母の目線で語られる言葉に勇気付けられた母であった。 1976年の19刷りの育児の百科を持っている、5歳と3歳の2児の母である。
育児の百科は、私の母が私を出産したときに、出産祝いで義理の姉からもらったもので、
母に撮って初めての育児で、たいそうこの本を読んだそうである。
私も、5年前の初めての出産のときにははから譲り受けた。
ページをめくると、当時母が読みながらペンでラインを引いた箇所がいくつも見られ、
いたく感動した。
そして、その箇所は主に「あまりミルクを飲まない赤ちゃん」「体重がなかなか増えない」
「小食の赤ちゃん」「酔いやすいこども」と言った項目であったが、
いつも翁は「小食がその赤ちゃんの個性で、それで生きているのだから、どうということはない」と
締めくくってくれているのである。
なんと言う安心感であろうか。
私の友人は結婚しているものがほとんどいないのだが、仲間内で一人だけ、結婚している友人に
結婚11年目にして長男誕生!の知らせを受け、嬉々として「育児の百科」を注文した。
読んでいただけるかなぁ。楽しみである。 昨日このスレを見つけて今日ブクオフへ行き運良く青本を手に入れた母である
1歳半の息子と秋に生まれる娘の為にこれから翁の教えを学ぶところだ
なお、2ちゃんのスレで声を出して笑ったのはここが初めてである 子が一歳になり、念願のばんざいケーキを食卓にのせることができた。
子をめぐる様々な人のおかげで一年無事過ごせたことにばんざいである。
寝るのも食べるのも下手な子であるが、子が笑顔ならどうということはない。
ケーキ屋さんに、ばんざいを伝える気恥ずかしさを乗り越えて、
記念カキコばんざい。
長文失礼した。 来月1歳になる赤持ち母である。
久々にこのスレを見たら>115のおかげでばんざいケーキのことを
思い出したのである。
最近はばたばたして日々の生活に追われているが、このスレのおかげで
節目を祝う気持ちを思い出せたのである。
やはり良スレである。
1歳半児の母である。
先日知人から青本を借り受けることができた。
すると、なんということか。
写真が掲載され、翁が賞賛する幼稚園は隣市で、通園可能な場所だったのである。
しかも掲載当時から変わらぬ保育スタイルを貫いているらしい。
大変結構なことである。
来年からプレに通わせようかと思っていた母に迷いが生じたのである。
我が家の目の前にある至って普通の幼稚園にするか、
翁の推奨するのびのび園にするべきか…。
子の幸福を考えれば、通園の手間などどうということはない。
…とは言い切れぬ。 どちらを選ぼうとも、母と子が楽しく明るく生活できれば
それで良いのである。
いまひととき悩むことなどどうということはない。
まだ1歳半ということもあるし、まずは見学へ行くのがよいであろう。 >>118
羨ましい環境だな
まずは情報収集して見学して費用やらの算段して決めるべし >>118である。
早速のコメントに感謝である。
>>119-120のおっしゃる通り、幸い子はまだ1歳半である。
2つの園を見学し、じっくり決めたいと思う。
決めかねたら2園のプレに通えばよいのである。
どうということはない。 >>118トウが立って可愛くない、もと赤の母である。
幼稚園選びは親がするものとお考えであろうが、
はっきり好みを示して自分で決める子も結構いる。
姪もそうであった。姪の母である私の妹は、2つの園を
決めかねて、見学にもプレにも連れて行き、悩みまくっていたが、
「○○ちゃんA園に行くよ。A園が好きだよ」と
即決されてしまった。
そしてそれはおおいに正解であり、実に充実した幼稚園生活だった。
ま、そんなこともあるのである。
心の準備ができないまま、翁推奨のびのび園へ入園の決意を
固められてしまうかもしれないが、どうということはない。
先日、4か月の赤が何事かという程の大声で泣き出し
ミルクでもおむつでもなく、やっとおさまったかと思ったら
数分後にまた同じように泣き出した。
こ、これは翁の警告していた腸重積ではないかと大いに心配し
しばらく赤の様子を夫と固唾をのんで見守った。
幸い赤はそのあとスヤスヤ普通に寝入り、起きてからもご機嫌で杞憂に終わったが
新米の母には育児の定本がお守りのように思え、たいそう心強かった。
翁に感謝申し上げたい。 あげさせていただく。
翁チルドレンの皆に意見を伺いたい。
子は4歳、男子、未就園である。
おとといからずっと37.6の熱がある。
いささか食欲はないもののよく遊び、セキも鼻水もないので
小児科には行っていない。
私は未熟ながらも母親のカンで、ここのところの暑さで
まいっているのだろう、エアコンでもゆるくかけて就寝させたいと思うのだが
亭主が「熱は汗をかかせなければ治らない」と石器頭で聞く耳を持たない。
理路整然と持論を話すので頭弱な自分はくじけそうになるが、
みなさんの判断はどうであろうかお聞かせ願いたい。
少々の熱などどうということはない、と言い切りたいのだが
基礎疾患があるので心配な母である。 >>124
母としては半分の経験しかないので恐縮であるが、
「熱は汗をかかないと下がらないのではなくて
熱が下がるときに汗をかくのだ」
というのが定説のようである。
「熱 汗をかく」 などで検索してみて欲しい。
男性は活字に弱い人が多いので、そうであれば
以上のようなことを書いているものを見せるという手があり、
権威に弱い人であれば、一度小児科に行ってみて
対処法を聞いてみるという手もあるかと思う。
暑い時は食欲は減るものだし、水分をしっかり取れていれば、
通常はどうということは無いのではないか、と思うところではある。 推敲しているうちに削除しすぎてしまったので
>>125に追記させていただくと
要するに
熱が上がるときには寒がるので暖かくしてあげるが、
熱が上がりきると暑がるものであり、このときに
無理に汗をかかせても熱が下がるわけではなく、
汗をかいているときにさらに温めるのはあまり良くない
ということのようである。
ただ、微熱の時の対処法はあまり聞いたことが無いので、
続くようなら小児科に行って安心するのも一つではなかろうか。 >>124
私なら小児科へ行ってプロの意見を聞く。
素人同士で憶測するよりそれが早いと思うからだ。
基礎疾患があるならなおさら気をつけたい。
高熱ではないとはいえ、発熱しているお子はつらいかと思う。
然るべき処置をして楽にしてあげて欲しい。 個人差があるが、小さい子供の発熱はおとなが思うほど
つらかったり苦しがったりはしないものだ。
我が子の様子をよく見て判断されるがよろしかろう。
かかりつけの医師はいないのであろうか? 皆のご意見をありがたく拝見した。
結果から申し上げると
夫婦喧嘩を勃発させながら除湿でエアコンを設定して寝たところ
息子の熱は簡単にさがり、元気にしている。
いちおう念のため地元の小児科を受診してきたが
「なんともない」との返事で胸をなでおろしている。
皆のご指摘どおり、熱の上がり始めのぞくぞくするときは
暖かくしてやり、上がったら涼しくしてやるのがよいというのを
webで見せ、書籍を見せ、伴侶を説き伏せるも
「人間の体はそんなもんじゃない」
「体を冷やすのはよくない」
などとごねるのでほとほと困り果てていた。
なので主治医(基礎疾患を見てもらっている遠方の病院)に
電話で様子を説明するときに恥をしのんで再度質問してみた。
「あ、それは間違いですね。汗をかかせると気化熱で下がったように
思いますが、汗で早く治るわけではありませんから」と
言い放ってくださったのをそのまま旦那に伝え、
エアコンをつけて息子と下の子ともども不貞寝したのである。
するすると熱の下がった息子をみて自説を引っ込めざるをえなかったらしく
母としては少々溜飲を下げたしだいだ。
息子は今日も元気に棒をふりまわして戦隊ものごっこに興じている。
皆にご意見いただけたことをたいへんありがたく思っているのである。
(翁語が変だったらごめんなさい)
発達不安スレから来たものである
なんと心強いスレであろうか
前スレも読破し、声高らかに
あたいあげられるのよ >131
既読とは思うが、お誕生日ばんざいの項を。
1年をふりかえって、母親の心にもっともふかくきざみこまれたことは、
この子にはこの子の個性があるということにちがいない。
(中略)
赤ちゃんとともに生きる母親が、その前生命をつねに新鮮に、
つねに楽しく生きることが、赤ちゃんのまわりをつねに明るくする。
近所の人のことばに耳を貸さないがいい。
近所の人の子は自分の子とちがう体質だ。
・・・なのである。
人間は自分の生命を生きるのだ。いきいきと、楽しく生きるのだ。
という翁の言葉を胸に、日々忙しくも楽しく過ごすがいい。
>131の不安な気持ちはよくわかる。
親として、わが子のさまざまなことで不安にならないはずがない。
だが、いまこの一瞬は一度きりである。
不安がるなら、子が寝てからにするが良い。
不安にかられてネットで検索するのに忙しく、子に向き合わない時間ができることほど
勿体無いことはないのである。
>131の不安も、時期の約束はできないがいずれ解消されるであろう。
日々の子供の育ちを喜び、つよい子に育てようではないか。
いまひとときの不安など、どうということはないのである。
オークションで紺色の「育児の百科」を購入した35w妊婦なのである。
もうすぐこのスレに仲間入りできるかと思うと、非常にばんざいなのである。 三歳の女児持ちの臨月母である。
里帰りしないので、上の子を保育園に預けることにした。
娘は人見知りがとても激しい子であった。
2歳の「人見知り」の項がまさにぴったりであった。
公園で知らない親子がいると「もう帰ろう」と言い出すほどであった。
保育園で一日中泣いていたらどうしよう、と母はとても心配になったものだが、
初日に2時間預けたとき、少しめそめそした程度で外遊びを楽しんだそうだ。
その後も朝泣くこともなく、楽しく通っている。
風邪で休むことになった日は「保育園に行きたい!」と叫ぶほどである。
3歳近くになり上手に話せるようになったころから、人見知りが減ってきたようだ。
話せなかったころは、他人を避けることで自分を守っていたのであろう。
子は少しずつ成長するのである。
今の不安はいつか解消されるのだ、と再認識したのである。 468.感じやすい子、の項を見て
電車の中にもかかわらず落涙してしまった。
これはまさに私の子供時代のことだと思った。
子供時代はその感じやすさのせいでからかわれ笑われ
いやなことばかりが多いつらい毎日だった。
でも松田翁の次の文章を見て、なんだか救われたような気がした。
「人間の中には、そういうデリケートな性質の人がいるのだ。
世界を美しくしてくれるのは、そういう人だ。」
子供時代の私に読んで聞かせたかった。
いや、今からでも、この項を熟読して、泣き虫弱虫の私の息子に
楽しい毎日を送らせてあげようと心に誓った。
翁は本当に子どもを、いや人間を愛していた人であったのだろう。 >>137
自宅なので安心して泣かせて頂いた。
うちの娘も察しすぎ、考えすぎの泣き虫である。
そして私もそういうタイプで苦労(自分のせいだが)したため、
娘には強くなって欲しいと思い「お友達に嫌な事をされたら
嫌だってはっきり言いなさい、自分で頑張りなさい」などと言っていたが、
「よそから泣いて帰ってきたときは、たたきかえしておいでなどといわずに、
楽しい話をしてやる」とあるのを読み、目から涙と鱗をボロボロ落としながら
大いに反省した次第である。
子を心配するが故に、子の悪い面に目を向けがちな自分を恥じた。
いい所をたくさん見て、誉めて伸ばしてやるのが親なのだ。
私も翁のように大きい気持ちで子を愛したい。 >>76である。ご報告である。
昨日、無事、我が家の赤は「おたんじょうびばんざい」できたのである。
朝一番で、夫に、定本の「おたんじょうびばんざい」の項目を音読してやり、
首を傾げられながらも、ばんざいと書いてもらうよう厳命して
ケーキを買いに行かせたのである。
ケーキ屋の店員は「ばんざいですか?!…できます!」という返事をしたそうで、
夕食時、我が家の食卓には、
無事「おたんじょうびばんざい」のケーキを登場させられたのであった。
赤は一日中、いつもと違う雰囲気にずっと仏頂面ではあったが、
なんのなんの、保育園に通いながらもたいして休まず、
ここまで元気に育っていることを思えば、どうということもない。
どうということもない。
風邪をひいたって、手足口病になったって、
適切な対応さえしていれば、いずれ元気になるのだと
母も思えるようになり、おおらかに構えていられるようになったのである。
新生児期に風邪をひいて気が狂うほど心配したのは、既に遠い日のことだ。
これからも母は目を離さず心を離さず、子の成長を見守りたいと思う。 >76=>139
おたんじょうび ばんざい
>これからも母は目を離さず心を離さず、子の成長を見守りたいと思う。
けだし名言である。
見習っていきたいと思う。
自分は>14だが、昨年の夏は逸乳で悩んでいたのが嘘の様に成長し、
先日、同じく「おたんじょうび ばんざい」のケーキでお祝いしたのである。
あのときの>19=20氏に改めて感謝申し上げる次第だ。
今日産まれただれかも、おたんじょうびばんざい!
ロム歴は長いが書き込むのは初めてなので、粗相もあろうかと思われる。
最初に深くお詫びしておく。
先日、憧れの「おたんじょうび ばんざい」ケーキで赤の初誕生を祝ったのである。
万感の思いを込めて、記念の書き込みとさせていただく。
妊娠中に引っ越しをし、まるで縁のない土地での出産となった。
ひどい難産だったうえに、高齢のせいもあり、産後の回復が遅かった。
産後数ヶ月は、文字どおり這うように暮らし、健診以外は一歩も外に出られなかった。
赤はろくに眠らず、よく泣き、食の細い性質で、新米母はほとほと参った。
頼る里はなく、夫は赤が泣けば怒鳴り、酔えば私に暴力を振るう始末であった。
来る日も来る日も、閉塞感と孤独感に悩まされつつ、鬱々と死を考えたものである。
そんなとき、古い友人が「育児の百科」を贈ってくれたのであった。
いたく感銘を受け、赤を胸に抱えたまま、貪るように繰り返し読んだ。
そして、「お誕生日ばんざい」の項を読むたびに涙しては、
この日を迎えるまでは頑張ろう、赤とともに生き延びようと心に誓ったのである。
やがてこのスレを発見し、ひそかにロムっては皆様の書き込みに励まされた。
翁の本を支えに苦闘している人がたくさんいる、私は一人ではないと思えた。
そして赤の誕生日には必ずや「ばんざいケーキ」を注文しようと心に決め、
今日まで過ごしてきたのである。 子を生み育てることが、これほど切なく、つらく、苦しいものだとは知らなかった。
今も、いっぱいいっぱいの日々は続いているし、
この先に待つ果てしない毎日を思うと、気が遠くなりそうである。
「全生命をつねに新鮮に、つねに楽しく生きる」母でありたいのは山々だが、
私ごときが母になってはいけなかったのだと思ったり、
将来への不安に押しつぶされそうになったりして、
赤の顔を見ながら泣けてくることもしばしばである。
それでも幸い、赤は元気に育ち、今日も懸命に母を追ってくるではないか。
活発にこの世界の探索にいそしみ、新たな発見に目を輝かせているではないか。
翁なら、「この子のことは母親が世界中の誰よりもよく知っている」、
「ささいな不安など、どうということはない」と励ましてくださるかもしれない。
そう思えば、また次の誕生日まで、なんとか頑張れるような気がするのである。
以下、図々しくも、赤への祝福と、自分へのねぎらいとして。
翁への敬愛と、このスレの皆様への感謝を込めて。
どこかでひそかにロムっているかもしれない誰かへのエールに代えて。
お誕生日ばんざい! >>143
おたんじょうびばんざい!
これまで苦労をのりこえてがんばってこられたであろう。
目の前のスクスクと元気に育っている赤さんがその証ではないか。
訪れたお誕生日をどうか誇りに思ってほしいのである。
私も5年物を育てており、143さんと同じようにつらい時期があったが、
今では母のほうがさみしくなり子どもの後を追っかけていることもある。
今は大変な時期だとおもうが、それも必ず終わる時がくる。
赤さんが元気であればそれでよしではないか。翁スピリットで乗り越えられると信じている。 >>143
おたんじょうびばんざい!
>子を生み育てることが、これほど切なく、つらく、苦しいものだとは知らなかった。
私も毎日同じように感じている次第である。
貴殿の文章を読み、私も涙ボロボロとなってしまったのである。
が、同時に苦労が深ければ深いほど喜びも深いということを
子のおかげで知ることができた意義深い日々でもあったと143さんも
きっとお感じなられたことと思う。
そして0歳から1歳よりも、今日からの2歳までの1年のなんと早くすぎてしまうことか。
次の「おたんじょうびばんざい」までの1年が、より素晴らしい日々となることを
お祈り申しあげる。 145さん、146さん、本当にありがとう。
なんとあたたかく、力強く、心に染みるお言葉であろうか。
何度も何度も読み返し、嬉し涙を流したのである。
お二人から頂戴したメッセージは、私にとって、かけがえのない財産となった。
金言として胸に深く刻み、ときおり思い返して自分を励ましながら、
次の誕生日を目指して、赤とともに元気に生きていきたいと思う。
お二人と赤さんも、どうぞお健やかに過ごされますように。
たくさんの幸せな時間が、このスレの皆様とともにありますように。
上のテスト書き、大変申し訳ない。
長期に渡る不妊治療が成功し、このたびめでたく妊娠した友人に
育児の百科を贈ろうと思うのだが、
大型本と文庫本、どちらが良いであろうか。
自分は大型本をプレゼントされて大変重宝しているのだが
手軽さを考えると文庫本であろうか。
狭い家に住んでる人では無いので、大型本の方が良いかとも思うのだが
意見を伺えるとありがたい。
ご友人が無事にご出産を終えられた後に大型本を贈るのがいいのではないだろうか
あくまで私見で恐縮だが
大型本は卓の上に開いておけるのが手が塞がらず重宝する >>149
同じく私見であるが、150にドウイするのである。
大型本はハードカバーに入っているので、
小さな赤のちょっとしたイタズラにも耐えうる。
文庫は手軽でよいが、3分冊のため中だっけ?上だっけ?と
検索に多少手間取ることがあるのである。
『育児』の百科であるから、やはり無事に出産を終えたあとに贈るのが良い。
自分の体験で申し訳ないが、残念な結果になってしまうこともある。
(なので、アメリカ流のベビーシャワーという習慣は非常にきつかった。
産前に贈られたベビー用品が目の前に残り、お返しを贈らねばならないのだ。)
ここまで極端な例は少ないにせよ、
ちょっと長く入院が必要な子が生まれたり、
母親が疲労困憊しているときがあったりするものである。
とても仲が良い友人なら、いまから予習してみる?と贈る手もあろう。
149の優しい気持ちは、きっとご友人に届くであろう。
丁寧なアドバイス、ありがたく拝読した。
そういえば今自分が住んでいる国でも
ベビー用品は産後にプレゼントがデフォである
勢い余って速攻で送り付けようとしていた自分に気がついた
それから、授乳中でも読めるという点でも
大型本をプレゼントしようと思う
ありがとうございました
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています