親にされて嬉しかったことを語る
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自分の親にされて嬉しかったことを書いて下さい。
子どもへの対応の参考にしましょう!
関連スレ:
親にされて嫌だった事を冷静に語る
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/baby/1323404422/l50 >>1
乙です
厳しくて働き者の母親だったけれど
どんなに体調悪かったり仕事が忙しくてもお弁当だけは必ず手作りだった
以前はケチってるだけだと思ってたけど
自分が結婚してみてそれがいかに大変な事で、大切な事だか解ったな 親になってからわかる親の大切さ
いつもはすごい甘やかされてたけど、反抗期で道を外しかけた時には二人で私をちゃんと叱ってくれたね
あの時は親を恨めしく思ったけど、あとから思うとちゃんと自分をみて心配してくれたからこそのこととわかるようになった
親の前では言わないけど、いつもありがとうね
良スレあげ
私の両親はバリバリ共働き
祖母に育ててもらったようなもので、昔は「金と習い事の送り迎え以外感謝してないし!」と思ってた
でもその「金と送迎」がどれだけ恵まれていたか…
自慢乙って言われそうなくらい何でも買ってもらえて、何でもやらせてもらえた
大学も兄と3年かぶって、両方県外だったのに奨学金も借りずに卒業させてもらった
でもそれだけじゃなくて家族旅行も沢山したし、8ミリビデオで撮った映像が沢山残っている
この歳になっても、家族で昔の思い出を笑いながら沢山話せるのは本当に嬉しい
誕生日がこどもの日に近いからって、当時大好きだったポケモンのスプーンセットを買ってくれた
いつもは姉と一緒になってキモイだの頭おかしいだの罵ってたんだけどね
今でも大事に使ってる 看護婦だった母は夜勤が多くて、私が夜寝れないのを気にして枕元にオルゴールを用意してくれた。
中耳炎で通院するとき、痛いのを我慢できるように、綺麗な鈴を買ってくれた。
風邪で寝込んだ時は、たくさん甘えさせてくれた。
ものすごく厳しく、クールな母でしたが。弱ってるときは優しかったなあ。 当時 お好み焼き屋さんを営んでいた母親。学校から帰宅すると
冬も夏も小さな玄関先に立って『おかえり〜』と笑顔で待っていてくれた。泣きたい時もいつも傍に居てくれた。母は今はもう天国に行っちゃったけど、自分が結婚して子供があの時の年齢になって
同じことして待ってる自分。 母が、私がピアノ発表会で弾いた曲を全てカセットテープに録音してくれていたこと。
母が亡くなって10年経つが、テープのインデックスに書いてある母の字を見ると温かい気持ちになる。
娘の発表会の録音、続けよう。 お母さんってよく手紙をくれた。何歳になっても、愛するみっちゃんへから始まる愛がいっぱいの手紙。あと内容がごめんね。って謝る事が多かったかな。謝らなくていいのに。寂しくないよこんなに愛されてるもん。あー。私ってこんなにも幸せだったんだ 父がお風呂に入れてくれる時、お風呂から出ると母がでっかいバスタオルを広げて待っていて全身を包んでもふもふ拭いてくれるのが好きだった。
恐らくものすごく小さい頃の記憶なんだけど、いい香りであったかくて、とてもいい気持ちだったのは今でも覚えてる。 うれしかった事…と言うかうれしかった言葉ですが
「うちみたいな貧乏人は誘拐されない」てさんざん言われて安心して育っていた15歳の頃、(ホントは身代金目的だったけど)犯人に殺されちゃった女子大生のニュースを一緒に見てた母が「お前達がこんな目にあったら犯人をぶっ殺してやる」って言ってくれました
「なんじゃそりゃ」
私は鼻で笑ってましたがうれしかった
その日の夕方母は買い物に行ってそのまんまくも膜下出血で亡くなっちゃいました
オカン
ありがとう
ホントにうれしかった ダメだこのスレ。
涙腺崩壊する。・゜・(ノД`)・゜・。 食卓が豊かだったこと。
当時まだ珍しかったエスニック料理、手作り肉まん、ピロシキ、焼き菓子いろいろ。
日本各地の郷土料理。
朝食に出てきた甘いチャイ。
同年代の人と子供の頃の食事について話すと、母のつくってくれたもののバリエーションの豊かさに驚かれる。
今で言う食育もしっかりされてた。
私含めてきょうだい3人全員が、ごく自然にバランスのいい食事を自分の子供たちに与えてると思う。 何この良スレ
目から汗がとまらんよ(´;ω;`)
大したことじゃないんだけど、いろいろ旅行に連れて行ってくれたことかなぁ
子ども3人抱えての旅行は大変だったと思う。
それから誰かの誕生日には必ず家族でケーキを作ってお祝いした
同じことを自分ができるんだろうか… かなり厳しく悪いことするとすぐにブン殴ってくる父と母だったが、二人が優しいのを俺は知っている。 特別な事されたって記憶はないけど今になれば普通ってのがどんだけ幸せか痛感する。
高熱出まくってた学生時代にイライラもせずよくもまぁ面倒みてくれたなと思うよ。 調理実習の日の夜中、突然気持ち悪くなって掛け布団に嘔吐してしまった。母は怒ると怖い人だったので隣に寝ていたが起こせなかった。朝方、掛け布団の汚れに気づいた母が何も言わずに処理をして毛布をかけてくれてた。ものすごく怒られるって怯えてたから嬉しかった。
両親不仲だし、円満な家庭って感じではなかったけど思い起こすと優しい思い出がちょこちょこある。いつもイライラしてるから私も子供にもっと優しくしよう‥ 三人兄妹の真ん中で、しっかり者で健康優良児だった。他の兄妹に比べて、明らかに構われてなかった。ちなみに家は貧乏。
でも買い物に一緒について行くと、ごくたまーに、他の兄妹に内緒でケーキ買ってくれたんだよなぁ。
見つかるといけないから、次の日の朝に早起きして食べるの。今でもいつも買ってたケーキの色や形、味も思い出せる。
もしかしたら他の兄妹にも同じことをしてたかもしれないが、とりあえず特別があったことで自己肯定感がひとなみになった気がする。
共働きなのに毎日お弁当作ってくれたしダイエットしだしたら合わせて野菜中心にしてくれた。学校でいじめられた時は涙目でたくさん話聞いてくれた。いつも共感してくれたのが嬉かった
電車を待つホームで、父に両手を持ってもらってジャンプして遊んだこと。
日曜の朝、あげる前の布団で海苔巻きみたいにゴロンと丸まったのを、
父が勢い良くひっぺがして遊んでくれたこと。
土日に自転車に乗る練習に付き合ってくれたこと。
一緒にお風呂に入って手で水鉄砲をしたり、500や1000まで一緒に数えたりしたこと。
逆に0.1秒なんて小数を覚えたのもお風呂だった。
年齢と共に父に対する反発も大きくなっていったけど、こんな些細なことも楽しかったし嬉しかった。 小学生の頃、昔持っていた子供用の財布に手書きの『自転車免許』が入っているのを見つけた
いた。大人が持ってる車の免許が欲しいと私が言ったのかは覚えてないけれど、似顔絵も描いて
あったりしてかなり細かく書いてあった。
当時の記憶は無いけど嬉しくなった思い出。
小学校をお受験した
合格発表を父と見に行ったとき不合格で
それがとても悲しいことだと思ったので泣いた
父が慰めようとその後サンリオピューロランドに連れて行ってくれた
サンリオがあまりに楽しかったので、十年くらいは
合格発表見に行った日とサンリオ行った日が同じ日だと思ってなかったw すごく素敵なスレ
私は、いつか書いた気もするけど小学生の時。
学校は楽しくなくて朝行きたくないな〜って思う日々を送っていた。
お母さんは絶対休んじゃダメ!な方針だったから有無を言わさず追い出されてたんだ。
でも、トボトボ歩いてて振り返ると必ずアパートの窓から顔を出して見ていてくれてるの。
さすがにもう居ないかな?って時も笑顔で見てるのよ。
今も覚えてるから相当嬉しい瞬間だったんだと思う。 >>26
逆でして、年始に女性が毎年うちに来てました。
飲み屋のママさん関係もいたので複数来てました。
ひどい環境だったと今となってはわかりますがその時はわからなかった。
ただ、周囲に可愛がられたのが感謝です。 >>62
ああ、それ以前の書き込み私読んだよ。
いいお母さんだなぁ、見習いたいなぁと思った。
小さいことだけどそういうの、子供は勇気づけられるよね。
今上の子が小1なんだけど集合場所までにうちの私道がしばらく続くから
そこまで一緒になにかお喋りして歩いて送り出すことにしてる。
下の子いて騒がしくてふたりで話せること少ないしと思って。
たまに急いでて笑顔忘れてるけど明日からは笑うわw 食べ物の好き嫌いなく育てられたこと
一通りの食材を見て食べたので初めてのものが中学以降ほとんどなかったこと
残さず食べることを習慣付けられていたので、どこでも褒められて自信が付いたこと
結果として食わず嫌いもしなくなり、食べ物以外にも初めてのものへ臆さず挑戦する性格になったこと
食べ物以外では、あいさつをきちんとするように躾けられたので、どこの親にも褒められたこと
私も親になるので、同じような教育ができたらと常々思う 小1の頃、肺炎で入院した時。
好き嫌いが多くて、病院食が全然食べられなかった。
本当は駄目なんだけど、カーテンを閉めてこっそり森永のキャラメルを
一粒だけ、食べさせてくれた。凄く甘くて優しくて、困らせちゃ駄目だと思い、
病院食をきちんと食べるようになった。
キャラメルがその時から大好物になったよ。 醤油を取ってくれた母に「ありがと」と言ったら
「あんたはちゃんとありがとうが言えて偉いね」と、さらっと言われた。
わざとらしくない、自然な言い方だったから妙に嬉しくて、ずっと心に残ってる。
この程度の事をしつこく覚えてるんだから、
もしかしたら誉められた経験が少ない子供だったのかもw
でも、お手伝いやプレゼントした時の大袈裟な喜ばれ方よりずっと印象に残ってる。
親が本気でそう思ってるのかどうか、子供は本能的に感じ取ろうとしてるのかもしれない。 子供の頃の話じゃなくてもいいのかな。
私が幼いころから、母は姉ととても仲が良かった。
祖母(母の実母)が「お母さんはお姉ちゃんにべったりで、あんたが可哀想」とぼそっと漏らすくらい。
私のことなんて目に入らないみたいで、私を置いて二人でお出かけなんてこともしょっちゅうだった。
だから、私は母にあまり愛されてないんじゃないかと思いながら大人になった。
私が妊娠した今、母は私に妊娠中のことや幼少期のいろいろなエピソードを聞かせてくれる。
その内容がとても細かくて、めちゃくちゃ些細なことばかりなんだけど、嬉しそうに話してくれる。
ちゃんと見ていてくれていたんだ、私もちゃんと愛されていたんだって、私も嬉しくなる。
私も数十年後、我が子にいろんな話を話してあげたい。 中学生の頃、結構酷いイジメにあった。
それを伝えたらその日の夜にいじめっ子の家に全員の親呼び出し→乗り込んで話し合いをしてくれた。
次の日からイジメはぱったりなくなった。10年以上経った今でも忘れられないくらい感謝してる。
現在親子喧嘩の真っ最中。
良スレ見てほっこりしたし、明日仕事終わりにお母さんの好きな果物とお父さんの好きなお酒買って帰ろうと思う。 小学5年生で自分の部屋を貰ってから、
自分の部屋は自分で掃除をして
自分の汚れ物も自分で洗濯するようになってた
母は専業主婦だしマメな人なんだけど
面倒でたまにしか掃除機かけてなくても
小言も言わず、部活で洗濯物溜まってたら
たまに洗ってくれたりしてた
自分が結婚する直前、母方の祖母を要介護で
引き取ってたんだけど、
母が祖母に「この子は家事なんでも出来るから
心配いらないわ」って言ったのがすごく嬉しかった
自分の子も、出来る年になったら
あまり世話せずに自分でやらせて
出来てなくても怒らないようにしようと思ってます >>71
私は母が家事をちゃちゃっと済ませてしまい、何も教わらず根もダラなので、
立派なダラ主婦になってしまった。
娘には家事ができるようにしてあげたいな。
私がされて嬉しかったのは、とにかく何でも認めて褒めてくれたこと。
もちろん叱られた事もあるけど、基本的には褒めて育てられた。
いまだにこんなダラなのに「ちゃんと3食作っていて偉いじゃない!」「あなたの料理はお母さんを超えたわね」
とか、一見オーバーに聞こえそうなのに、自然にさりげなく褒めてくれる。
本当にありがたい。母ちゃん大好き。 >>72
いいな。
うちは父親が末っ子長女の私がとても可愛いらしく、子ども2人産んだいまだに
料理がうまいなぁとか子育てが上手だなぁと誉めてくれる。
それを見て母親は「あなたそんなの主婦ならトーゼンよ!ほんっと娘には甘いんだからっ!」と焼き餅全開ですorz
でもトーチャンもカーチャンも大好きさー 大学選びで父と私が揉めたときに、母が味方になってくれたこと。
「いざとなったらお母さんがなんとかお金を出してあげる。
お父さんもお父さんなりにあなたの幸せを願っているの。
けど親が代わりに生きてあげることはできないのだから、
あなたはあなたの一番いいと思う道を行きなさい」
と言ってくれた。
このときのことを思い出すと、今でも胸がいっぱいになる。 いい台詞だ。全くその通りだと思う。
自分もそう言えるようになりたい。 こんな占い見つけました。
http://jozty.com/
自分と相性バッチリの芸能人がわかっちゃいますよ。
おもしろいので一回やってみてくださいw
イチオシです。 夜寝る前や特に何でもないときに「おいで」と言われて母によく抱き着いてた。恥ずかしがりながらも弟も母に抱き着く。何故か安心して嬉しかったのを今でも覚えている。 妹が産まれる前、母は一ヶ月くらい入院してて
父とお見舞いに出かけた帰りに
百貨店のレストランで食べさせてもらった
お子様ランチ。
父は堅物で、滅多に外食なんか連れて行ってくれなかったので
強烈に嬉しかったのを覚えてる。
ドラえもんの顔の器にチキンライスとハンバーグ、オレンジジュースに
デザートは二つに折れる棒付きラムネアイス。
アイスが溶けちゃうから、先に食べろって言われたけど
アイスがでかくて まだ幼稚園に行ってないときにお弁当に憧れてたので、母親に作ってもらって家の庭で食べたこと。
ピクニックごっこもよくした気がする。
デパートに行って、ダブルのアイスを食べさせてもらったことが嬉しかった。
「トリプルはもっと大きくなってからね」って言われたけど、結局食べないまま大人になってしまった。
台所に立っている母親の横で、冷蔵庫の前に座って学校の話や友達の愚痴を聞いてもらうのが好きだった。
二歳上の姉と三歳下の弟に挟まれた真ん中っ子だった。
何かと放置されがちなポジションだったけど、母が「あんたが一番お母さん似だね」
と言ってくれるのがとても嬉しかったな。
よく覚えてるのは幼稚園の時、父がたまに買ってきてくれる鯛焼きや大福を夕食後に
食べるのが楽しみだったんだけど、ある日弟が私の分まで勝手に食べてしまった。
弟も三歳かそこらで悪気は無かったんだろうし、父や当時同居してた祖母も「しょうがないなぁ」
って感じで私が我慢するしかなさそうな雰囲気だった。
でも母は、「これじゃ可哀想だ。せっかく楽しみだったのに」と、私を車に乗せて鯛焼きを
鯛焼きを買いに連れて行ってくれた。
運よく屋台の鯛焼き屋さんが店仕舞い直前だったのを滑り込みで買えた。
帰りの車の中で食べたほかほかの鯛焼きの味は今でも覚えてる。
何より母が私が鯛焼きをどれだけ楽しみにしてて、その気持ちを分かってくれてたのが嬉しかったな。 良いお話なんだけど
>私を車に乗せて鯛焼きを
>鯛焼きを買いに連れて行ってくれた。
鯛焼きリフレインがじわじわくるww
あと鯛焼き食べたくなった。
>>81
全く同じ境遇で同じことあったよ
自分が書き込みしたかと錯覚したw
鯛焼きじゃなくてタコ焼きだったけど。 いい話だ。
しかし83のせいで自分も鯛焼きが食べたくなってしまった。 うん、鯛焼き食べたいw
このスレ見てると、やっぱり自分の考えや希望を親が尊重してくれるって
すごく嬉しい事なんだね
自分もそんな親にならないとなぁ… 武田鉄矢あたりに歌ってもらいたい。鯛焼きリフレインw さだまさしに「関白宣言」みたいな音調で歌ってもらいたいw >>90
だめだ、武田鉄矢でしか再生されなくなってしまった。
鯛焼きを、鯛焼きをー。
私は妹がいたんだけど、お父さんが休みの日に
私だけ連れて喫茶店に連れて行ってくれたのが嬉しかった。
コーヒーの香りの大人の世界って感じで、
なんとなくお父さんとデートみたいな気分で、背伸びした気分だった。 私は母に怒られた記憶がない。常に優しかった。
誰に対しても優しく温和だった。私が中学生の時病気で天に召されてしまった。
が母の苦労を後に知った。何も娘に伝えることもせず旅立ってしまった。
お母さん、あなたを恨んだことなど一度もないよ。
私を生んでくれてありがとう。あなたに似た心の優しい子供をさずかったことが
が何よりの贈り物だと感謝しています。
自分の話じゃないんだけど、母と祖母の話。
ささいな事なんですが、母は祖母(母の母)に、
冬の日、ジャンパーの袖口から肘の辺りでつまった中の服を引っ張ってもらうのが、本当に嬉しかったと未だに言います。
あれやってもらうと一瞬で腕が温かくなりますよね。
子供の頃、
祖母は温泉旅館の寮に住み込みながら働いていて、たまにしか会えなかったから余計に嬉しかったみたいです。
>>94
わかる!
私もよく母にしてもらってた。
母にしてみれば日常の何気ないお世話なんだろうけど、
そういうことが案外嬉しかった記憶として残ることもあるよね。
私は冬に毛布と掛布団を掛けて貰い、
肩回りを押さえて寒くないようにしてくれるのが好きだった。 シートベルトが義務じゃなかった時代。
運転する母がブレーキ踏んだら手で私を抑えてくれていた。
そんな母も彼氏ができていなくなりましたとさ。 紺色に小さな花柄のロングスカートをはいている母がキレイで好きだった。
そのスカートばかり褒める私に綿ブロードで似た感じのスカートを作って
くれたのが、とても嬉しかった。
私が妊娠してもう入る服がない〜と母と話していたら、これ着る?と
懐かしいあのスカートを出してきた。八ヶ月の私にピッタリなサイズで
笑ってしまったけど、実はとても嬉しかったw 貧乏で、家にあるコップは、私を溺愛していた近所の酒屋さんからの貢ぎ物か、結婚式の引き出物、内祝い(知らん子の名入り)など。
小6の冬、天体観測の宿題が出て、母親が塾をやってる友達と2人で見た。
完全に冷え切って2人で家に帰ると、とっておきのティーセットでミルクティーを淹れてくれた。
喫茶店で出てくるみたいな広口の、お花みたいなカップ。
もう父は酔っ払って寝ていたので(20時w)、玄関で飲んだんだけど、今でも忘れられない。
ボロボロの小さな借家の玄関には不釣り合いな、本当に素敵な時間だった。
以来、ミルクティが大好きになった。
卒業式の朝、入学式の朝、受験の朝・・・とっておきの日に、あのとっておきのティーセットでミルクティを出してくれた。
今は帰省した時。
そして、それが縁で、その友人母の塾に通わせてもらってた。
私に子どもが産まれて、一緒に天体観測をした友人が、母親と会いに来てくれた時、友人も覚えててくれて、なんだか誇らしかった。
>>100
素敵な思い出が、今も続いてるんだね。
こんどは>>100のお子さんにとっても、
とっておきのティーカップになるんだろうな。 >>96
分かりすぎる!
「(布団の上から)肩パンパンしてー」って言ってたよ 誰かも書いてたけど、お風呂上りにバスタオルで受け止めてもらったこと。
パフパフしてもらうのって気持ちよかったなあ。 小さい頃はよく熱を出してたんだけど、そうすると父がおじやを作ってくれた。
イリコと味噌で味付けがデフォ。具はサツマイモその他冷蔵庫にあるもの。絶品だった。
私のソウルフードなんだけど、この間父に話したら覚えてないと。。
この夏帰省する時に作ってもらう約束。
うちも父親の作ってくれた甘辛い卵焼きが忘れられない
母親曰く「塩砂糖入れ過ぎ!」なんだけど、絶妙で微妙な比率があるらしく
どんなにやってもあの味が出せない
もう食べることも、玉子焼き大好きな子供(父には孫)に、
一度でも食べさせてあげることもできなかった、お父さんの玉子焼き…
去年の秋、三回忌だったんだ。 出産当日、「陣痛始まったから今から入院する」と両親にメールした。
父は普段、会社にいる時間に返信しないのに、「大変だろうけど、何も心配せずに頑張りなさい。生まれたら知らせるように」と即レス。
生まれたとメールした時も、深夜だったけど「お疲れ様。今はゆっくり休みなさい」と即レス。
予定日が近づいて、常に気にしてくれていたから、すぐにレスをくれたんだろうな。
嬉しかったから、メールは保護してる。
ちなみに母(50歳)はメールが使えない。
教えると言っても「いらんよー」と、全く覚えたがらない。
何故か送ってほしがるから送るけど、いつも「メール来たよー」と電話がかかってくる。
しかしそんな母がなんか大好きだw >>106
卵焼きの砂糖と塩はどのくらい入れるの?
お父さんの味にはならなくても106レシピのドサドサ左藤としおを入れるの作ってみたいです
教えて下さい
とても厳しかったけれど、私が希望した道を応援してくれた両親。
進路も習い事も一切ダメとは言わなかった。
どちらも大したことはないが、きちんとキリのよい所まで続ける事ができた。
色々迷惑をかけたけれど、決して見捨てないでいてくれた。
そして結婚するとき、初めて反対されたが押切り結婚した。
でもすぐに離婚することになり、かなり叱られはしたけれど、
それでも最初から最後まで味方してくれていた。
そして再婚が決まり本当に喜んでくれ、やっと妊娠したのに切迫流早産で入院ばかり、
しまいには胎児の命が危ない所まで来てしまった。
その時、父は大事な商談があったらしいのだけど、
何もかも放って母と高速を飛ばして1時間以上かかる病院まで来てくれた。
緊急で帝王切開になりはしたけれど、どうにか子供は無事に産まれてくれた。
病室に戻ってきた私を真っ赤な目で「おめでとう」と言ってくれた両親。
本当はゆっくりしたかったかも知れないけれど、私の体を気遣って病室に戻って10分程で帰ってくれた。
無条件で味方になってくれるのはやっぱり親なんだと思う。
今では私が育児で辛い時など、子を預かってくれ、リフレッシュさせてくれている。 >>109
それだけ良いご両親に恵まれながら
反対を押し切り結婚、案の定離婚。
再婚して子を預けてリフレッシュ…。
自分の子が>>109みたいにならないようにしたい。 >>110
私もちょっと『え?』って…w
いや離婚が悪いとかじゃないし、良いご両親だと思うさ
まだ子供が乳児なら少しくらい頼っても良いかもしれないけど、これからは109が親孝行しなきゃね
>>109みたいな親こそが子どものことを愛してる親なんだろうと思う。
自分の思い通りにならなくても愛するし、そういう風に親の反対押し切って大きな判断できる自立した人に育て上げる・・・
うらやんでもしょうがないので自分がうれしかったこと。
幼稚園教諭免許もちの母は歌や手遊びが好きだった。内向的で泣いてばかり、お友達と遊ぶのもへたくそな自分だったけど
母と手遊びをしてるときは夢中でよく笑うこどもになれた。
今、母親業もやはり下手くそな自分だけど、子どもと一緒に手遊びしてるときはちゃんと親子の交流出来てるようで嬉しい。 いや、離婚した時は父親は一発ビンタするべき
それが親の愛 本当に私みたいなろくでなしの親不孝者ってそうそう居ないと思います。
(私には兄がいますが、兄は立派です)
最初の結婚は、同居でしたがそれを案じての反対でした。
世間知らずだった私は、同居というのは、自分の両親と父方祖父母のような関係
(とても仲が良かったので)が普通だと思い込んでいた為でした。
離婚の理由が、私の不妊ということで子供を凄く欲しがっていた相手の母親に
追い出される形でした。(元夫と元舅は空気)
ですが私自身も未熟で我慢が足りなかった部分もあったため、
ビンタまではありませんでしたが、我慢や覚悟が足りない事を厳しく叱られました。
母は祖父母に愛情をかけてもらえなかったようで、
自分がしてもらえなかった事を私や兄にしてくれました。
子供をあずける件に関してですが、しょっちゅうみたいな書き方になってしまいましたが
半年に1度程、地元に家族で帰って半日程見てもらい、夫婦でお出かけという感じです。
それでも十分甘えですが、いつも子供に会いたがってくれ、大事にしてくれています。
心から感謝しているし、尊敬しています。
>>112さん、フォローありがとう。
ですが、私は自立してるんじゃなく、ただワガママで浅はかなだけなんです。
長文失礼しました。 長くなりますがごめんなさい。
私は恥ずかしいけれど思春期に高校中退して遊びまわったあげく人間関係に傷ついて一年半くらい家から一歩も出れなくて引きこもってました。親を邪険にしたくせに傷ついたら結局帰る場所は親しかなくて。親に逃げて。。
世の中が21世紀になってテレビでみんなが2000とかのメガネかけて浮かれているの見て、「あぁ、私はなんて迷惑かけてるんだろう。中途半端に生きて死ねもしないで。。」と思って泣いてた。
そしたら親が「あなたと一緒に年をこせて嬉しいよ、生きていてくれてありがとう」って言ったんだ。
びっくりしたよ。私は迷惑かけてばかりのお荷物なのに。
その言葉がきっかけで生きていかなきゃ、親を悲しませたくないって思った。
それから色々頑張ってバイトしながら通院しながら通信高校入りなおして、大学も行った。
働き出してささやかながら人並みに恩返しできるようになったけどあの頃の親の苦労、悲しみを思えばまだまだ足りないです。
親にはまだまだ長生きしてほしいし、たくさん恩返ししたいです。
>>117
ええ話や…
やっぱり、例え子から裏切られても親は子を見捨てちゃいけないね
改めて気付かされたよ、有難う 貧乏だったけどクリスマスの夜には必ず枕元にお菓子を置いてくれた
高校生になってもお菓子だったけどやっぱり嬉しかった
大人になって高い物を貰っても小さい頃のクリスマスの高揚は越えられない 小学校3〜4年の時でも、母が時々「久しぶりにだっこしようか」と
10分位だっこしてくれた。
3人姉妹だったから、母を独占できるのが嬉しかった。
自分ではもう大きくなったと思ってたし、だっこしてなんて自分からは
言えなかったけど、母にだっこされるとすーっと気持ちが楽になって、
嬉しくて、気持ちよかったなー。
今思い出しても幸せな気持ちが蘇る。 >>120
娘が小3、抱っこはしてないけど抱きしめたりおんぶしたりはしてる。
あと数年もすればそんなことはなくなるんだと思ってちょっとさみしくなったりするよ。
なので120母にとっても良い思い出なんじゃないかなー。
暑苦しいけど、私ももっとスキンシップしようw >>120
小4の娘が俺に「抱っこして」としがみついてくるんだが、
邪険に扱わず、抱っこくらいしてやった方がいいのかな。
妻には言わないんだがなあ。 >>123
小4じゃ身体が大きいから体重も重いしママには重すぎるかも負担かけられないとの気遣いかもよ
夜、怖い夢を見た時に母親の布団に潜り込んでた。
嫌な顔一つせず迎え入れてくれ目安心したなあ。
母親のにおいが心地よかった。
冬になると、登校前に母がストーブの前に私の上着や靴や手袋を置いて暖めてくれていた。
もちろん登校途中で冷めちゃうんだけど、
それまではホカホカで母のぬくもりを感じるようで幸せだったな〜
友達関係が上手くいかないことが多くて、学校があまり好きじゃなかったけど、なんだか守られてるという安心感があった。
今日はホームに入ってるじいさんに会ってきた
新しいトラクター600万で買って規模拡大もするんだぜ
って報告したらがんばれよって
じいさんが30年前に買って、俺の自慢の村一番だったトラクター、
それからもう4台目だけど、じいさんのトラクターだけは下取り出さずに置いてある
ときどき動かして、あのときみたいに田んぼの中を走るんだ
じいさんはもうオレのことは覚えていないみたいだけど >>120-124
年少の息子の幼稚園からのチラシで購入し始めた
毎月定期の廉売絵本(同人誌のようなオフセ仕様)で
先月配布された絵本「ちょっとだけ」っていう本の内容がちょうどそんな奴だったよ
絵は嫌いなタイプの絵だったけど、号泣した。 >>120
いいな〜。
私も三人姉妹の長女だったから、
自分のこどもには>>120のお母さんみたいにしようって出産前から思ってた。
残念ながら、実母は末っ子だったので↑は反面教師として誓ってる。 >>128
「ちょっとだけ」本屋さんでパラ読みして危うく泣くとこだった
ちょうど2人目妊娠中でリアルに想像できちゃったもんで余計に…
今日寝る前に上の子膝に乗っけてぎゅーってしたら嬉しそうにしてた
「いつも下の子ちゃんばっかり抱っこしてもらっていいなぁ…ママ大好き!」って言われて、寂しい思いさせてるなぁって反省したよ
これだけじゃ何なのでマイ嬉しかった思い出
年の離れた弟命で私は3の次以下だった毒母
いつも弟の世話係とパシリ要因として買い物や用足しに連行されてた
ある時学校帰りにこき使われてクタクタだわお腹すいたわで、下向いて弟の手を引いてトボトボ母の後ろを歩いていたら珍しく「コンビニ寄ろうか」と言われた
タバコでも買うのかな…と思ってついて行ったら、母が買ったのはホカホカの肉まん
「お腹すいたでしょ」って私にくれた
いつもの癖で弟に半分あげようとしたら、「弟にはお母さんのあげるからあんたは全部食べな」
日頃のやりきれない気持ちが吹っ飛ぶ位あったかくて美味しい肉まんだった
今でも母はやっぱり毒なんだけど、この肉まんを思い出すと心があったかくなる >>130
二人目妊娠中なのに、「下の子ちゃんばっかり抱っこしてもらっていいなぁ」なの? >>131
「ちょっとだけ」を読んだのがつい最近とは限らない >>131
ああごめん。もう半年以上前の事で、もう下の子は生まれてるんだ。
言葉が足りなかったね。 親に褒められたこともイイことしてもらったことも無いわ
過干渉、否定ばっかでウンザリしてた
で、私もまた子供におんなじことしてる・・・ボスケテ >>128
ちょっとだけ を下の子が生まれたての時期に上の子(当時3歳ちょっと)に
初めて読んであげた時案の定泣いたw
でも悟られるのも恥ずかしかったからめっちゃごまかしたっけ >>130
全私が泣いた!!
毒なのがとても残念です…
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