育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ 幼稚園教諭なら国立4大卒もいるけど、保育士はせいぜい名前書けば入れるレベルの短大卒だもんね。 子供を指導する役の人にはそれなりの権威が必要だよ。
そうやって親が保育士をバカにすることが
保育の質を落とす要因になってると思うけどね。
とか言うと短大卒乙とか言われそうなので先回りしとくと
自分は偏差値エリート街道突っ走ってきたクチですから。
まあ>>105の前半の親の悪口を子供達の前で言う先生はろくでもないとは
私も思うけどね。 年少の頃、保育園でサンタのことを知って、
うちに帰ってから「サンタっているの?」って聞けば良かったのに
「うちの煙突ってどこにあるの?」と明治生まれの祖母に聞いたら
「ここにあるべえ」と換気扇から出た細い筒を指差され
あれ…なんか違うな…と感じでサンタを信じる気持ちがそこで終わった
我が子では何とかしてサンタごっこをやってみたい >>107
>>105の文面でバカにされてるって思うの?
卑屈だね クソ寒い地方
3歳か4歳ぐらいだった
就寝前に、居間のストーブが消えてるか見てきて、と言われ、ついてないと報告した
そしたら、何故だか「嘘をついたら、死んだ後地獄に行くんだよ」と怒られた。
(何故だか嘘をついてると思われたらしい。もちろんそんなつもりはない)
死ぬまでに一度も嘘をつかなかったら、天国に行ける。でも嘘をついたら、地獄に行くと諭された。
じゃあ、お父さんもお母さんも天国には行けないんだな。と思った。
天国に行けるのは、100人に1人ぐらいなんだろうなと思った。(ちなみに100というのは、当時の私には想像がつかないほど大きな数)
その少し後、夢を見た。
既に死んでいるという設定の人が何人も居て、そのうちの1人が「この人は天国に行った人です!」と紹介され、
とってもすごい人だと思う夢だった。
ちなみにその時、地獄がいかに恐ろしい所かを語り聞かされ、お父さんもお母さんも自分もみんな、死後はそんな恐ろしい所に行かないといけないんだと絶望した ホラ幼児てさコトバ覚えたての
頃は凄いて良く使うし
マイブームじゃん。
そんコトない?
オレッちはそうだったんだよ。
ところが、スが発音出来なくて
クゴイ、クゴイねえ〜
クゴイクゴイ
とか言うてた。
親も面白がって、矯正されなくて
随分長い間そのままだったw 多分4〜5歳
夜寝る前に母に絵本を読んでもらうのが日課だった
ひらがなだらけだから当時の私でも読めるけど母に読んでもらうのが大好きだった
絵本の最後ら辺に文字が小さくて漢字だらけの文章があるのを見つけて、でも自分じゃ漢字は読めないから
母に何が書いてあるのか尋ねたら「物語の続きが書いてあるんだよ」って言われた
そんな事言われたら続き知りたくなるから「読んで!読んで!」ってお願いしたのに母が頑なに読んでくれなくて「なんで読んでくれないんだろう意地悪だな」って悲しかった思い出
今考えたら本の後書き部分だから子供に読んでも白けるだけだから母は子供には読めないし読んで読んで言われて母は困っただろうなw >>115
変にファンシーな返しするもんじゃないんだね
楽しげな答え方してくれたのにねー
夢がなくても、子供にはおおよそ正直でいようと思う
>>116
そんコトないさ
オレっちよりはよっぽど面白いよ >>115
うちの子も読んで欲しがってた!
あとがきだけじゃなくて訳者の言葉とかだったりしたけど、
しょうがないので「作者は1912年にアメリカに生まれ幼少の頃から…」とかそのまま読んでやった。
だいたい途中で「もういい」ってギブしてたわw >>120
かわいいw
一見、不毛なやり取りだけど
これで醸成される親子の信頼関係もありそうだし
子は世界の不可解さを知るのかも 幼少期、母親がやってくれた好き嫌い矯正メニューや
栄養のバランスを考えて色々混ぜ込んだメニューが大嫌いだった。
大好きな納豆にシラスを混ぜ込まれたのは特にダメで
暫く納豆が食べれなくなった。
そのせいか、今でも色々混ぜて手の込んだ料理や物が苦手で
シンプルで分かり易いのが好き。
自分が好きな感じで子供を育てたら、好き嫌いしない
安定した子供に育ったので何か悔しいw 私も嫌いな椎茸を細かくして入れられるの嫌だったな
小さくても見た目や匂いで分かるから全部除けて食べた
手先が器用なのはそのお陰かも 椎茸なんてたいした栄養もないのに、どうして無理矢理食べさせたがるんだろうね 3歳くらい?だったと思う
昭和の頑固親父だった父は怒るとすごく怖かった
ある時コタツに入ってナイフで遊んでた(子供の手の届くところに置いとくなよと思うが)
案の定手を切って派手に出血
痛いとかより怒られる!どうしよう!としか思えずコタツ布団の下に手を隠した
不審に思った姉がコタツ布団をはぐと血まみれで焦って父に報告した
もうダメだ!怒られる!と思って目の前が真っ白になったが、なぜかその時は怒られず黙って手当てをされた
手当てをされながら「あれ?怒られない、どうしてだろう」とただ不思議だった
さすがに怯え過ぎてて不憫になったんだろうか
かわいいエピソードじゃなくてごめん >>125
単純に、親の方が焦っていたのではなかろうか 3歳くらいのとき、ヤクルトを前歯でガッと開けてちゅーっと吸いながら飲んでたら
そこに舌が吸い込まれていってとれなくてパニックになったことがある。
周りの大人もあわあわしてて、もうダメかと思った。
その内の誰かが箸を持って来て余白?のアルミ部分に穴を開けて救出してくれた。
アホな話だけど、みんなも気をつけて! 3歳くらいの時、音楽教室みたいなところで小太鼓を叩くリズムが「ト・ト・トーマート」だった。
我が子に初めて生トマト食べさせながら「トマトだよ、トマト。ト・ト・トーマート」と自然と口をついて
30ン年ぶりにその教室の光景が頭の中によみがえってびっくりした。 自分は産まれる直前の子宮の中にいた記憶だな。しばらく真っ暗で何も見えなくて、
突然目の前が真っ白になった事はよく覚えている。
もう一つは、家で親父が若干離れている場所で棒立ちしてて、自分は親父を見たとたん
嬉しい気持ちになって親父に飛び付いて言ったんだ。「私の名前は何て言うの?」って。
そうすると親父は微笑んで「○○だよ。」と、優しい声で答えた。ぼんやりとした記憶だから
いつの記憶なのか、現実なのか夢なのかわからないけどね。 自分の住んでいる場所に地球、日本、九州、○○県、○○市、○○町などとたくさん名前があることが不思議だった幼少期。
文字も、例えば自分の名前が愛子として、『愛』『子』それぞれの漢字に意味があることがなんだかとても不思議だった。
うまくいえないんだけど、自分の名前に名前以外の意味があることが面白かった。
ひらがな一文字にも漢字と同じだけ意味があると思い、母に意味不明な質問をしまくって困惑させた。
自分で言うのも変だけど、知的探求心が旺盛な子どもだったと思う。
父が面白がって、幼稚園の頃に広辞苑みたいなめちゃくちゃ分厚い辞書を買ってくれてそれに没頭した。
読書感覚で辞書を読んでた。祖父母と同居だったので、誰かしら大人を付け回して読んでもらったりもした。
結局、別にすごい天才児が育ったというようなことはなく、至って平凡に進学就職結婚出産して今は専業主婦だけどね。
学校の成績も中程度だったし。でも、国語が大好きになって国語だけは試験などでほとんど点数落としたことがなかった。
一つ得意なことがあるというのが、理数系と美術と体育が絶望的にダメな私の自信になった。
大袈裟でなく、このおかげで学校生活も楽しかったと思う。
自分も現在育児中だけど、いつかくるであろう、子どもの『なんで?』にはとことんつきあってあげたいと思う。
意味不明な質問に至る思考回路、なんとなくわかってあげられる気がする。 眠れなくてダラダラ書いてたら長文になってしまってごめんなさい。 うちの妹も平仮名の「あ」の意味を母親にしつこくきいていたなあ
一歳上の自分(4〜5歳)は(平仮名は表音文字だから漢字と違って意味なんてないのになあ
妹はちょっとバカなのかな…)とか思って見ていた冷めた子供だった
小1の時にIQテストしたら300人中1番だったと先生に言われたので、そのせいもあったのかな
その後も、勉強は全教科得意のまま大学までいけた
全教科偏差値70台で苦手教科がなかったので「どの教科が得意?」とかきかれても
答えられなかったし、自分はこれが得意!とか特に自信にならなかったなあ
一つ突出したものがある方が自信がつくのかもしれないね >>133
勉強以外もオールマイティなの?
そうじゃないならあなたの自信は「勉強が全教科できる」なんだと思うけど
小学校の頃IQが一番だったことや全教科偏差値70だとかが自慢なんじゃないかな
それより131や妹さんを冷めた目で見るような書き込みにヒヤッとしてしまった
ただの釣りなのか頭の良い子を持ったら優しさを育てるよう気をつけろってことなのか まあまあ、スレ違いな話を引っ張りなさんな。
勉強だって上には上がいるから絶対的な自信にはならんもんだよ。
オール70のヘンサチに相応しい学校に入れば
みんながヘンサチ70だから大衆に埋没さw >>135
ごめん、自分の子供の頃の話だが、私は文字に色を感じる共感覚があるんだけど
保育園で黒字で書いた「あ」を友達に「なんであって赤なのかな?」って言って
「黒だよ。赤じゃないよ」って言われたことがあるんだ
それが馬鹿にしたような勝ち誇ったような言い方で
すごく腹立ったのをなんか133見たら思い出して腹立ってしまった…
133の妹さんの「あはどういう意味?」というのも
大人だから「なんだか詩的、哲学的だなー、子供って面白いこと言うな」と思えるけど
同じ子供からしたらやっぱり「ただの表音文字だよ何馬鹿言ってんだ」なんだろうね 不勉強で共感覚って言葉自体を知らなかったが面白いね。
大人になっても持ってるの?
芸術的な才能と繋がっていそう。
自分の一番古い記憶は牛乳が美味しかったこと。
それまで飲まされていた生温かくて甘ったるいミルクと違って
冷たくてすっきり爽やかな飲み口が本当に美味しいと思った。
のでミルク拒否の娘も牛乳なら好きになってくれるかと思ったけど
娘は牛乳も喜んでくれなくてショボーン >>134
音楽も図工も体育もできたんだ
いつも五段階オール5だった
でも99点とっても親になぜ100点じゃないのかといつもネチネチ言われてたので自信は皆無
>>131さんの
>自分で言うのも変だけど、知的探求心が旺盛な子どもだったと思う。
にちょっとイラっときてしまったのでイヤミっぽく書いてしまった
勉強も中レベルで美術も体育も絶望的なのに、国語が得意というだけで
知的探究心旺盛とかそんなに自信持てるんだなあと
>>134
>ただの釣りなのか頭の良い子を持ったら優しさを育てるよう気をつけろってことなのか
優しさじゃなくて、子供の成績を褒めずに常にネチネチ言う親にならないように気をつけてもらえればと思うよ
>>136
共感覚持ちの人って、共感覚がわからない周囲に腹立てること多いけど、わかるわけないじゃん
黒ペンで「あ」って書いて、どうして赤なのと言われたら、そりゃあきれて黒だよと言うでしょ普通
共感覚は否定しないけど、見えない人からは霊感あると言われるのと同じ感じだよ
そういう自覚は持ってほしい >>138
あなたも親御さんのようなネチネチした人になってしまっているよ… 子供なんだし、当時は腹立ってもしょうがないと思うなあ。
あと純粋な興味なんだけど、>>133さんはその後どんな人生を歩んでるの?
「十で神童十五で才子二十 過ぎれば只の人」って言葉あるけど、
成長でどうなったか知りたい。 えー、興味ないな。とりあえずいじわるババアになってるってことだけは書き込みでわかるし。 私も変なとこませてたのか
幼稚園とかで集団で踊ったり同じことするの好きじゃなかったなぁ
こんなことしてなんになんだろ…みたいな、冷めた感じ
大人からみたらうざいガキだったろうなーと思う。
頭は平々凡々ですがね。 >>142
タモリが同じようなことテレビでよく言ってたねw
私は単純な子どもで音楽がかかるとノリノリになっちゃって、お遊戯大好きだったなー。
手先足先までビシッと決めて踊ってたらしくて、親としては微笑ましかったんだろうけど、録画したビデオを見ながら
「他の子と違ってあんたのお遊戯だけこんなにビシッとポーズ決まってて面白いね〜!」
と笑いながら言われたのが何だかからかわれたようで恥ずかしくて、一生懸命頑張ってたらそうなっちゃうだけなのに…と悲しかった。
自分の子どもを褒める時も、変な風に伝わらないよう気をつけよう… >>136
私今でもあるw
あ→赤 い→黄色 う→水色 え→オレンジ お→青
そういえば小さい頃牛乳は白っぽい味だから嫌いだったな お遊戯じゃなくて幼児英語だけど、教室では発音がいいねって褒められたのに、両親には発音よすぎwって笑われて、何だかそれが凄く恥ずかしくてそれからわざと日本人の英語みたいな発音に直すようになった
微笑ましくて笑ったのかもしれないけど、小さい子には心の傷になるよね >>144
自分は「う」は茶色だし、「え」は黒、「お」は焦げ茶だ。
共感覚者同士は共感できないな… 3歳ぐらい
夫婦喧嘩で母がヒステリー起こして泣き叫びながら食器を床に叩きつける
嫌な記憶ほど鮮明に残る 三歳頃に庭のブランコでごはん食べた記憶。
母が用意してくれて、食べててねって少しの間家に戻った間の食べたものが美味しく感じなかった。
いつも食べてた俵おにぎりにほうれん草の海苔巻きなのに。
お家の中で離れても多分平気だったけど、外だと急にひとりを意識してしまったんだと思う。
晴れてるのに午前中の日陰のひんやりした空気とか、さっとたった鳥肌とか覚えてる。
幼稚園の頃、俵おにぎりもほうれん草の海苔巻きもよくお弁当に入ってたけど本当は好きじゃなかった。
あまり好き嫌いはない方だけど、この体験が関係してると思う。
母はブランコでごはん食べたら楽しかろうと思って段取りしてくれたんだろうけど、一緒にごはんの方が良かったんだなぁ。 茹でたほうれん草を出汁醤油とかで絞って、海苔で巻いて一口大にカットしたものです。
お浸しを食べやすい形にしたものかな。
ほうれん草は今もマヨネーズ派。 横だけど、ほうれん草の海苔巻きってお弁当に良さそうだな、来週のお弁当の日が有るから入れてみよう。
私が2歳半頃にアイロンを触ってしまい右手の甲に火傷跡が今も有るけど、記憶には全く残ってない。
でも母が何度も話すから、母の説明通りの映像が私の記憶の様に裏に浮かぶけど。
私の一番古い記憶は、年中の夏に父の会社の保養所でプールに入ったこと。
逆にそれ以降の記憶はかなり残ってて、良い事も悪い事もその時の感情と共に説明出来るので、これが物心がついたという事なのかな? 二歳くらいの時だと思う。
夜寝ているときに突然「お母さんに膝枕してもらって、お腹に顔をくっつけて寝たいな」と思った。
でも母にどう伝えていいかわからなくて色々考えていたら
「そうだ!泣けばいいじゃん!!」
と閃いたのでその場で大泣きして自分の思い通りの格好で寝かせてもらった記憶がある。
悲しいとかどうしたらいいかわからないとかじゃなくて、
泣けばわかってもらえる!そうだ泣こう!みたいな明るい感じなんだけど、母からしたら単なる夜泣きだったんだなぁと最近子供の夜泣きに付き合いながら思う。
なので夜泣きには割りと寛大に付き合えている…気がする。
もうひとつ、四歳頃に集めていたシールを食器棚の引き出しに大切ににしまっていたら、ある日妹のトイレトレ中のご機嫌とりに使われている最中に遭遇して物凄いショックを受けた。
そのときは「あの引き出しはお母さんの引き出しだったんだ、そこにしまったからお母さんの物になっちゃったんだ」
「でもどうみても子供のシールなのに勝手に使うなんて…」ともやもやした感じを大分長い間ひきずった記憶がある。
その記憶があるので子供の物は勝手にいじったり使ったりしてはいけないと強く思う。 なるほど!ためになる。
夜泣きされるとどっか痛いのかな?怖い夢でもみたのかな?ってオロオロしちゃうけど、そーいう前向きな夜泣きもあるんだねw 4歳頃
反応が面白いのか、父親が私をくすぐるのが好きだった
でも私はくすぐられるのはあまり好きじゃなくて、でもくすぐられると笑いが止まらなくなるので
きっと父は私が楽しんでると思ってたんだろうなぁ
息が苦しくて苦しくてたまらなくなるし、全身がクタクタになるので「や〜め〜て〜!」と訴えるのだけど、笑ってるからスルーされる。
ある時、どんなに言ってもやめてもらえなくて、ゲラゲラ笑ってた直後に大泣きした事がある
そして今の主人に当時の父と同じ匂いを感じて、どうしたもんかとちょっと悩む >>154
そうそう!息が出来なくて苦しいし、ぐったりだった!
すっかり忘れてた。
くすぐるって笑わす方法でいちばん簡単だから、最近多用してたわ orz >>154私も姉には散々くすぐられていて、挙句に「喜んでるかと思ってた!」って言われた時は殺意が沸いたなぁ。 連投ゴメン。
自身の経験からくすぐりは嫌なものなので、子供にイタズラされた時、怒るかわりにくすぐってるよ。 分かる、私もくすぐられるのすっごい嫌だった
でも娘3歳は「も一回、もっとくすぐってぇー」って言うんだよ
これ何、くすぐられるの好きな子がいるってことなの?
混乱中
いくつの頃か覚えてないけど多分2〜3歳の頃
私は畳に寝てて、脇に母が座って髪をかきあげてくれた
それで目が覚めたんだけど、途端に頭から奈落に落ちる感じが
ほんと、奈落からすごい引力で引き摺り込まれる感じ
慌てて叫びながら母にすがりついたんだけど、それでも落ちる感じは止まらず、しばらく叫んでたかな
母は意味が分からずパニックだし、私もパニックだしどうしようかと思った
何だったんだろ
それ以降もたまーに落ちる感じがあったんだけど、未だに謎 低年齢だと嫌だとは思わないのかも?と推測
2ヶ月の娘は笑いすらせず無反応だからw
そして大人になった今は笑いもせずに不快感感じるだけだしね。
>>158
アリス症候群の激しいやつとか? >>159
あー言われてみればたまに寝落ち直前にアリスになってたなぁ
でも夢との境目みたいな感じだったけど、あれもアリス症候群かな
ぐわーって風船(実際にはない)が大きくなって押しつぶされたりとか
落ちるのもそうだったのかな? うちの1歳児も足の裏くすぐると「もう一回!」って感じで足を差し出してくるよ。
節度を守れば親も子もくすぐり遊びを楽しめるんじゃないかと思う。
私も親にくすぐられすぎてトラウマになったから、子にやるときは
長くくすぐらない・子が嫌がったり飽きたらすぐやめる、は徹底してる。 そういえば、くすぐる時の母親のテンションは好きだった!とびっきりの笑顔が見れるし楽しい雰囲気がいいよね。 あまり自分の幼少期の記憶ないから為になるわ
少ない記憶
私が3歳の時なくなったおばあちゃんの作る俵おにぎりとお味噌汁は当時の子供だった私には味がよく分からず美味しいという感じでは無かった
それでも夢中で食べておばあちゃんにも美味しいと言っていたらしい
説明しづらいが味ではなく愛情のようなものを食べた気がする
すっごくくせになる感覚があった
最近母からあんたはよく可愛がって貰ったんだよーと言われてその時の味や感情を思い出した
離乳食食べない娘だが他にもいっぱい愛情を注ぐようにしたい 幼稚園くらいの頃
親と同じ布団で寝るときがあったんだけど、大人と体の厚みが違うから布団がかかってなくて寒かった
あと腕枕されたんだけど、腕が高いから首が痛かった記憶が
だから今自分が子供と寝るときはかけ布団はわけている >>164
ありがとう!
今まさに子供と寝る用にダブルのお布団買おうと思ってたとこだった!
分けて買うことにする 羽毛布団ならどちらの身体にも密着して掛かると思うよ スレチだったらゴメン。
宝石とか光るものが大好きで宝石屋さんのチラシとかセボンスターとか集めてた5歳ぐらいの女の子でした。
ある日、母親が靴に小さいラインストーンの付いた靴を買ってくれたんだけど、光るもの大好きな私は、会う人会う人に「見て!ダイヤ付いてるの!この靴ね、ひゃくまんえーん!」と自慢していた。
親戚のおばさんとか笑いながら「ねぇこの靴いくら?」って聞いて来るからすごい食い気味に「ひゃくまんえーん!」と叫んでた記憶がある。
高いもの=ひゃくまんえんというら短絡的な考えの女の子だったなぁ… ああ、わかるよ
私は高いもの=フェラーリだったから、将来はフェラーリ乗るの!ライトがパカッて開くの!とか言ってたな 何であぼーんなのかと思ったらフェ○ーリであぼーんされてたのか… 空に飛んでる飛行機が小さく見えるのをホチキスの芯が飛んでると思っていた ただの思い出話なんですが…。母親とチューしてたような記憶があるけど、少し成長してからは恥ずかしくて忘れたい過去となりました。今となっては母にその話を聞く勇気がないです。 >>171
ウチの11ヶ月は9ヶ月頃からチューを自発的にはじめた。
教えたことも見せたこともなかったのに、びっくり。ほほえましかったよ。
恥ずかしくなんかないよ。
ただ、寝る前や寝起き、不意打ちに、ぶっちゅうううううと頭を抱え込まれてのチューは
なんかセクハラっぽいです。 2歳くらいだったのかな
親と手を繋いで歩くとずっと手を挙げてる状態になるからすごく疲れた
ついちょうどいい高さの母のスカートをつかんでしまい
歩きにくいから手を持ってね、と言われるんだけどいつの間にか服をつかんでた
やっと手を繋いで歩けるようになった子が急に手を振り払ったときは
疲れたのかなと思って反対側の手を繋ぐようにしてる これコピペ?前、違うところで読んだ。
それから手を繋ぐときは私が思いっきり腰を落として、子供に負担がかからないようにした!
前より繋いでくれるようになって助かってます。ありがとう! 幼稚園にいくとき、母に玄関まで送ってもらって別れる時に必ず口でキスしてから幼稚園に行っていた。それが、精神安定剤みたいなかんじでキスすると幼稚園楽しめるみたいな。
周りからからかわれたりしなかったので卒園までずっとしていたが、小学校3年生くらいのとき、それを急に思い出して死ぬほど恥ずかしくて二度と同じ幼稚園に通っていた子達には会えないと思った。 息子は私に似て気難しくて扱い難いけど、「幼稚園行きたくない」→「お煎餅食べたら幼稚園行ける?」→「うん!」てなる時がある。
私もそういう事があったけど、やっぱりこどもだな〜お菓子で釣られるなんて単純wって笑われたりするのがすごく嫌だった。
お菓子はただのきっかけに過ぎなくて、心の中にはこれを食べたら気持ちを切り替えようっていう葛藤があるのに単純pgrされるのが心外だった。 長文失礼。たぶん3歳位
出掛ける前、余裕のある時間にトイレ誘われたけど出ないと言って行かなかった
家出る寸前に行きたいと言ったら母が激怒して一人で置いてかれた
いっぱい泣いて家中歩き回ってセールス電話で「お父さんかお母さんいる?」と言われて「誰もいなぁいぃぃ」とまた泣いた
長い時間放置されて、愛が何だか分からなくなったんだろう。成人してから心療内科行ったらボーダーと診断された
少し前に勇気出して母に言ったら「すぐ帰ったよ。そんな長時間放置してない」と言われたが、自分には昼から夕方まで位に感じてたし、大したことじゃないと思ってる風な所にも腹が立った
自分の子は留守番をしたがる時以外一人ぼっちには絶対しないようにしてる。特に怒った後に出て行くなんてこれからも絶対しない。メンヘラの連鎖は断ち切りたい そんな一回の出来事が原因になっちゃうの?
子育て怖い… >>181
うち3人兄弟で亭主関白な父だったから、母も大変だったんだと思うし実際の時間もきっと大した長さじゃなかったんだと思う。
母も姉も精神科通院歴あるし遺伝的なものもあるだろうね
でもそれは今だから納得出来る事であって受けた傷は癒されないねー。
せめて帰ってすぐ抱きしめてくれたら、普段から人一倍愛情を感じてたら、結果は違ったんじゃないかな
子供が欲しがった時に愛情や笑顔を与えられていればきっと大丈夫。怖がらせてごめんね おいてかれた時だけではなく、普段からあまりお母さんの愛情を感じられなかったということかな? >>183
子どもって常に自分が一番愛されてたいと思うんだよね。特に幼児期までは
うちは姉と年子だったから常に奪い合いみたいな感じだったし、上の事件以来姑の粗探しのように常にお母さんの愛情を試しては怒られ
「やっぱりお母さんは自分が嫌いなんだ」と思ってたから修復不可になった
因みに姉は、母は妹が一番可愛いのだろうと思ってたらしい
この際限ない試し行為が危ないみたい。幼児期はただのイタズラもワガママも試し行為の可能性があるから、叱った後は愛情フォローしてあげて下さい
幼児期の愛されてる自信は人生の土台になるとボーダー本にも書いてたから、言葉や行動で分かりやすく愛してあげて下さい
また長文になっちゃってすみません >>185
まだわかってないよ。遺伝的要因と環境的要因の複合じゃないかって。
たまたま私はボーダーと診断されただけで、遺伝的要因のない人ならPTSDかもしれないし
要は、幼児期にはたっぷり愛情かけてやる事が豊かな人格形成に繋がると実感しているという事かな。 その体験とボーダー診断が直結してるような書き方だけど、そうなのかなぁ…
でも180にとっては今でも辛いほどの重大体験だったってことはわかった ぶっちゃけ、親は普通にそこそこの愛情かけてたけど、病気のせいでそれが感じられなかったんじゃない?
過干渉も原因と言われてるんでしょ?子の要求通りすべてを投げ打って子に尽くしたら、今度は過干渉で境界性人格障害になったって言われるだけなんじゃないの? だよね。いい年こいて自分がメンヘラなのを母親のせいにするなよ。 え、そこまで言う?
いい年こいてって一言に親と言ってもいろんな親がいるし、>>180の親が普通のいい親か最低な毒親だったかなんてわかんないじゃん
それをただのメンヘラって決めつけるのは人としてどうなの。
第一>>180は親のせいでボーダーになった!って言いたい訳じゃなくてショックだった記憶を書いただけでしょ >>191
でも180読むと、それが原因と捉えているようにしか読めないよ >>191
そのことがあったあとも色々あって診断されたんじゃないの?
いや、>>180 じゃないからわからんけども。
とにかく人がとやかく言うことじゃないでしょ。
子供のトラウマになりそうなことはやめましょーね、でいいじゃない >>193
192宛だと思うけど、あくまで180を読んでの感想なので
ボーダー診断された、ではなく、すごいトラウマになった、程度にしておけば良かったんじゃないかと思う いくつか忘れたけど
風邪をひいたり熱を出したときはよく「暑い?寒い?」と聞かれた
熱のせいか、寒いのか暑いのかよくわからないということがよくあった
そういうときはいつも適当に寒いか暑いかどっちか答えていた
子供が話せるようになって寒いか暑いか教えてくれたら温度調節ラクなのにーと思っていたけど、ちゃんと教えてくれるわけじゃない場合もあるのかな… >>196
つい最近娘が発熱してそう思った!!
何歳くらいまでわからなかったか、記憶してますか? 蒸し返してごめん
180の気持ち、すごくわかる
多分自分が情緒不安定に育ったのは、生まれてから今までの母親の行動の全てに由縁するんだろうと頭では思うけど
何となく、記憶の中ではたったいくつかの事件がピックアップされてトラウマを感じるんだよね ぶった切りゴメン
確か幼稚園年長の時
キリスト系の幼稚園で、毎年年長でキリスト誕生の際の出来事の劇をするんだけど
配役は先生が決めて、クラスで一番可愛くてしっかりした子がマリア様、他にも目立つ子がそれなりの役をやって、自分はその他大勢の天使役だったんだけど、それを当然だと思って全く不満とかなかったこと
子供って大人が思うほど配役にこだわってないのかも
まあ、個人の性格によるのかもだけど お遊戯の役決めのこと覚えてる
男女ペアになって踊るお遊戯で、衣装が2種類あった
お姫様&王子様のような衣装と、欧風民族衣装みたいな、可愛い村娘&若者のような衣装
女の子はお姫様を希望する子が多くて、私もそっち側だった
よく覚えてないけど、どうしてもお姫様がいいと言い張る私に、
私こっちでいいよと譲ってくれる優しい子がいた
思い出すと自分のわがままさに呆れるよ…
当時も、譲ってくれたのは嬉しいけど、なんだかばつが悪くて恥ずかしかった覚えがある
でもそれを素直に表現できずにいたな 入園前(2年の幼稚園だったので3〜4歳?)だったと思うんだけど、初めてイルカショーを見てイルカが大好きになり、イルカ飼う!と家の裏庭に穴掘ってた
大人はあらまあウフフ、みたいに見ていたけど、自分でもイルカなんて飼えないって百も承知で、ただそれだけ好きになったんだ!というアピールだった
2人目なのに言葉が遅くてあまりしゃべらず、おっとりした子供だと思われてたけど、口にうまく出せないだけで内心色々考えてた
おっとりした子供だと思われていた方がラクだな、まだ出来ないと思われて甘えた方がラクだな、と思っていた事はよく覚えてる 4歳くらいの時、アリの役をすることになってアリのお面を作った。
黒いアリ本体を描いた後に目を描こうとしたら、白を塗ってもクレヨンだから黒と混ざって変な色になって、
なんとか目らしくしようと頑張ったけど色んな色が混ざって変な色の目が大きくなるばかりだった 私は年長の時にお姉さんの役をやりたかったのにジャンケンに負けて
おばさんの役になってしまって、オバサンは嫌だ!って泣いてた。
見かねた先生が、じゃあお母さんならどう?って言ってくれたけど、
それも微妙…と思いつつここらで妥協しとかないとダメだと思って
お母さんならいいよ、って言った記憶がある。 幼稚園のときの避難訓練が訓練じゃなく本当になにか災害があったんだと思って泣いた
母親が心配で泣いた。親は無事なの?家は大丈夫なの?って気持ちでいっぱいだった。
友達が『なんで泣いてんの』ってpgrしてたことも覚えてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています