育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ >>164
ありがとう!
今まさに子供と寝る用にダブルのお布団買おうと思ってたとこだった!
分けて買うことにする 羽毛布団ならどちらの身体にも密着して掛かると思うよ スレチだったらゴメン。
宝石とか光るものが大好きで宝石屋さんのチラシとかセボンスターとか集めてた5歳ぐらいの女の子でした。
ある日、母親が靴に小さいラインストーンの付いた靴を買ってくれたんだけど、光るもの大好きな私は、会う人会う人に「見て!ダイヤ付いてるの!この靴ね、ひゃくまんえーん!」と自慢していた。
親戚のおばさんとか笑いながら「ねぇこの靴いくら?」って聞いて来るからすごい食い気味に「ひゃくまんえーん!」と叫んでた記憶がある。
高いもの=ひゃくまんえんというら短絡的な考えの女の子だったなぁ… ああ、わかるよ
私は高いもの=フェラーリだったから、将来はフェラーリ乗るの!ライトがパカッて開くの!とか言ってたな 何であぼーんなのかと思ったらフェ○ーリであぼーんされてたのか… 空に飛んでる飛行機が小さく見えるのをホチキスの芯が飛んでると思っていた ただの思い出話なんですが…。母親とチューしてたような記憶があるけど、少し成長してからは恥ずかしくて忘れたい過去となりました。今となっては母にその話を聞く勇気がないです。 >>171
ウチの11ヶ月は9ヶ月頃からチューを自発的にはじめた。
教えたことも見せたこともなかったのに、びっくり。ほほえましかったよ。
恥ずかしくなんかないよ。
ただ、寝る前や寝起き、不意打ちに、ぶっちゅうううううと頭を抱え込まれてのチューは
なんかセクハラっぽいです。 2歳くらいだったのかな
親と手を繋いで歩くとずっと手を挙げてる状態になるからすごく疲れた
ついちょうどいい高さの母のスカートをつかんでしまい
歩きにくいから手を持ってね、と言われるんだけどいつの間にか服をつかんでた
やっと手を繋いで歩けるようになった子が急に手を振り払ったときは
疲れたのかなと思って反対側の手を繋ぐようにしてる これコピペ?前、違うところで読んだ。
それから手を繋ぐときは私が思いっきり腰を落として、子供に負担がかからないようにした!
前より繋いでくれるようになって助かってます。ありがとう! 幼稚園にいくとき、母に玄関まで送ってもらって別れる時に必ず口でキスしてから幼稚園に行っていた。それが、精神安定剤みたいなかんじでキスすると幼稚園楽しめるみたいな。
周りからからかわれたりしなかったので卒園までずっとしていたが、小学校3年生くらいのとき、それを急に思い出して死ぬほど恥ずかしくて二度と同じ幼稚園に通っていた子達には会えないと思った。 息子は私に似て気難しくて扱い難いけど、「幼稚園行きたくない」→「お煎餅食べたら幼稚園行ける?」→「うん!」てなる時がある。
私もそういう事があったけど、やっぱりこどもだな〜お菓子で釣られるなんて単純wって笑われたりするのがすごく嫌だった。
お菓子はただのきっかけに過ぎなくて、心の中にはこれを食べたら気持ちを切り替えようっていう葛藤があるのに単純pgrされるのが心外だった。 長文失礼。たぶん3歳位
出掛ける前、余裕のある時間にトイレ誘われたけど出ないと言って行かなかった
家出る寸前に行きたいと言ったら母が激怒して一人で置いてかれた
いっぱい泣いて家中歩き回ってセールス電話で「お父さんかお母さんいる?」と言われて「誰もいなぁいぃぃ」とまた泣いた
長い時間放置されて、愛が何だか分からなくなったんだろう。成人してから心療内科行ったらボーダーと診断された
少し前に勇気出して母に言ったら「すぐ帰ったよ。そんな長時間放置してない」と言われたが、自分には昼から夕方まで位に感じてたし、大したことじゃないと思ってる風な所にも腹が立った
自分の子は留守番をしたがる時以外一人ぼっちには絶対しないようにしてる。特に怒った後に出て行くなんてこれからも絶対しない。メンヘラの連鎖は断ち切りたい そんな一回の出来事が原因になっちゃうの?
子育て怖い… >>181
うち3人兄弟で亭主関白な父だったから、母も大変だったんだと思うし実際の時間もきっと大した長さじゃなかったんだと思う。
母も姉も精神科通院歴あるし遺伝的なものもあるだろうね
でもそれは今だから納得出来る事であって受けた傷は癒されないねー。
せめて帰ってすぐ抱きしめてくれたら、普段から人一倍愛情を感じてたら、結果は違ったんじゃないかな
子供が欲しがった時に愛情や笑顔を与えられていればきっと大丈夫。怖がらせてごめんね おいてかれた時だけではなく、普段からあまりお母さんの愛情を感じられなかったということかな? >>183
子どもって常に自分が一番愛されてたいと思うんだよね。特に幼児期までは
うちは姉と年子だったから常に奪い合いみたいな感じだったし、上の事件以来姑の粗探しのように常にお母さんの愛情を試しては怒られ
「やっぱりお母さんは自分が嫌いなんだ」と思ってたから修復不可になった
因みに姉は、母は妹が一番可愛いのだろうと思ってたらしい
この際限ない試し行為が危ないみたい。幼児期はただのイタズラもワガママも試し行為の可能性があるから、叱った後は愛情フォローしてあげて下さい
幼児期の愛されてる自信は人生の土台になるとボーダー本にも書いてたから、言葉や行動で分かりやすく愛してあげて下さい
また長文になっちゃってすみません >>185
まだわかってないよ。遺伝的要因と環境的要因の複合じゃないかって。
たまたま私はボーダーと診断されただけで、遺伝的要因のない人ならPTSDかもしれないし
要は、幼児期にはたっぷり愛情かけてやる事が豊かな人格形成に繋がると実感しているという事かな。 その体験とボーダー診断が直結してるような書き方だけど、そうなのかなぁ…
でも180にとっては今でも辛いほどの重大体験だったってことはわかった ぶっちゃけ、親は普通にそこそこの愛情かけてたけど、病気のせいでそれが感じられなかったんじゃない?
過干渉も原因と言われてるんでしょ?子の要求通りすべてを投げ打って子に尽くしたら、今度は過干渉で境界性人格障害になったって言われるだけなんじゃないの? だよね。いい年こいて自分がメンヘラなのを母親のせいにするなよ。 え、そこまで言う?
いい年こいてって一言に親と言ってもいろんな親がいるし、>>180の親が普通のいい親か最低な毒親だったかなんてわかんないじゃん
それをただのメンヘラって決めつけるのは人としてどうなの。
第一>>180は親のせいでボーダーになった!って言いたい訳じゃなくてショックだった記憶を書いただけでしょ >>191
でも180読むと、それが原因と捉えているようにしか読めないよ >>191
そのことがあったあとも色々あって診断されたんじゃないの?
いや、>>180 じゃないからわからんけども。
とにかく人がとやかく言うことじゃないでしょ。
子供のトラウマになりそうなことはやめましょーね、でいいじゃない >>193
192宛だと思うけど、あくまで180を読んでの感想なので
ボーダー診断された、ではなく、すごいトラウマになった、程度にしておけば良かったんじゃないかと思う いくつか忘れたけど
風邪をひいたり熱を出したときはよく「暑い?寒い?」と聞かれた
熱のせいか、寒いのか暑いのかよくわからないということがよくあった
そういうときはいつも適当に寒いか暑いかどっちか答えていた
子供が話せるようになって寒いか暑いか教えてくれたら温度調節ラクなのにーと思っていたけど、ちゃんと教えてくれるわけじゃない場合もあるのかな… >>196
つい最近娘が発熱してそう思った!!
何歳くらいまでわからなかったか、記憶してますか? 蒸し返してごめん
180の気持ち、すごくわかる
多分自分が情緒不安定に育ったのは、生まれてから今までの母親の行動の全てに由縁するんだろうと頭では思うけど
何となく、記憶の中ではたったいくつかの事件がピックアップされてトラウマを感じるんだよね ぶった切りゴメン
確か幼稚園年長の時
キリスト系の幼稚園で、毎年年長でキリスト誕生の際の出来事の劇をするんだけど
配役は先生が決めて、クラスで一番可愛くてしっかりした子がマリア様、他にも目立つ子がそれなりの役をやって、自分はその他大勢の天使役だったんだけど、それを当然だと思って全く不満とかなかったこと
子供って大人が思うほど配役にこだわってないのかも
まあ、個人の性格によるのかもだけど お遊戯の役決めのこと覚えてる
男女ペアになって踊るお遊戯で、衣装が2種類あった
お姫様&王子様のような衣装と、欧風民族衣装みたいな、可愛い村娘&若者のような衣装
女の子はお姫様を希望する子が多くて、私もそっち側だった
よく覚えてないけど、どうしてもお姫様がいいと言い張る私に、
私こっちでいいよと譲ってくれる優しい子がいた
思い出すと自分のわがままさに呆れるよ…
当時も、譲ってくれたのは嬉しいけど、なんだかばつが悪くて恥ずかしかった覚えがある
でもそれを素直に表現できずにいたな 入園前(2年の幼稚園だったので3〜4歳?)だったと思うんだけど、初めてイルカショーを見てイルカが大好きになり、イルカ飼う!と家の裏庭に穴掘ってた
大人はあらまあウフフ、みたいに見ていたけど、自分でもイルカなんて飼えないって百も承知で、ただそれだけ好きになったんだ!というアピールだった
2人目なのに言葉が遅くてあまりしゃべらず、おっとりした子供だと思われてたけど、口にうまく出せないだけで内心色々考えてた
おっとりした子供だと思われていた方がラクだな、まだ出来ないと思われて甘えた方がラクだな、と思っていた事はよく覚えてる 4歳くらいの時、アリの役をすることになってアリのお面を作った。
黒いアリ本体を描いた後に目を描こうとしたら、白を塗ってもクレヨンだから黒と混ざって変な色になって、
なんとか目らしくしようと頑張ったけど色んな色が混ざって変な色の目が大きくなるばかりだった 私は年長の時にお姉さんの役をやりたかったのにジャンケンに負けて
おばさんの役になってしまって、オバサンは嫌だ!って泣いてた。
見かねた先生が、じゃあお母さんならどう?って言ってくれたけど、
それも微妙…と思いつつここらで妥協しとかないとダメだと思って
お母さんならいいよ、って言った記憶がある。 幼稚園のときの避難訓練が訓練じゃなく本当になにか災害があったんだと思って泣いた
母親が心配で泣いた。親は無事なの?家は大丈夫なの?って気持ちでいっぱいだった。
友達が『なんで泣いてんの』ってpgrしてたことも覚えてる >>200
3〜4才でもバツが悪いって感情あるよね。
お遊戯会で主役の座をゲットしたと思ったら主役は希望した人全員なれるって変更になって子供ながらに「ざけんな」って思ったのを覚えてる。 保育園の時、大好きな男の子がいた。本人にも大好き!と伝えていたし、その子も私とよく遊んでくれていた。
ある日優しくて美人な先生が、「先生も◯◯くんのことが大好きなんだよ〜」とからかうように言ってきた。冗談のつもりだったんだろうけど、こんなに美人で優しい先生に敵うはずがない…とかなりショックを受けて、その男の子と関わらなくなってしまった。
小学校は別々で中学校で再会したんだけど、そのショックがまだ残っていて全然話せなかった。未だに、あの時あの先生が余計なこと言わなければ、と思い出すw そんな些細なことでも子供の心に傷を残すのだなあ…気をつけねば 3歳辺りで物心が付いたけど、すでに遊びはお絵描きが大好きだった。
画材はクレヨンよりも色鉛筆の方が、細かく線が引けて色が塗れるから好きだった。
塗り絵も与えられたけど、なんで好みじゃないこんな絵に色を塗らなきゃいけないんだろう、時間の無駄と思っていた。
積み木やブロックは表現が大雑把なデジタルだから、自分が表現したいものが完成する気がせず全く好きではなくて、むしろ存在している意味が分からなかった。
絵本や漫画は絵を隅々までじっくり見るから凄く時間がかかるけど大好き、アニメは絵がどんどん進んでしまうのと毎回絵が微妙にちがうので(アニメーターが複数いるからと後に知る)イライラして苦手だった、日本昔ばなしだけは単発だから好きだった。
せんせいという磁石タイプのお絵描きボードを知って、なんて画期的なんだ!と感動したけど、おもちゃ屋で試したらドットが荒くてガッカリした。
チラシの裏を母がいつもくれてたけど、落書き用紙をはじめて知ったときは枚数の多さに大感激した。
子供の頃一番欲しかった物は色数がたくさんの色鉛筆だったけど、高価だと思ってたからねだれなかった。 なんかつらつら書いてしまった。
子供のクリスマスプレゼント選んでて、色鉛筆欲しかったことを思い出してしまいまして。 >>212読んでたら、細かい絵がかけないクレヨンが嫌いだったの思い出した。
クレヨンで絵をかいて上から水彩絵具を塗る、
色紙や色を塗った紙を黒のクレヨンで塗りつぶして
針とかでひっかく、という使い方には感激したし
大好きだったけど、それ以外には価値を感じなかった。
色を混ぜるような塗り方が出来るから、色鉛筆が好きだった。
私はお下がりの、24色色鉛筆を持っていて、
それは気に入っていたし大事に使っていたけど、
長さがバラバラなのが少し気になって、
何度か新品が欲しいとねだったが却下された。
買ってくれなかったこと自体は正しい判断だったと
別に不満には思ってないけど、
下の子も物の扱いが丁寧になったら、一人ひとつ、
多色色鉛筆を買ってあげたいなあと思ってる。
色んな色があって、それぞれの色に名前が付いている
ということが、なんだか好きだった。
「ぐんじょういろ」「あかむらさき」「やまぶきいろ」
あたりが色も名前も、とても好きだった。
私も思い出したのでとりとめもなく書いてみたw 子供の頃、姉は24色でかわいい絵のついた色鉛筆を持ってた。
多分高橋真琴の絵。
対して自分には紙のケースに入った12色。
色数の違いやケースの違いが姉との愛情の差なんだ、自分は大事にされてないんだな、と感じた第一歩だった。
今でもそれは間違ってなかったと思うから、ウチは一人っ子。二人目を作るつもりはない。
知人の子供が兄弟児なんだけど、クリスマスみたいなプレゼントイベントは全く同じではなくても価値は同程度に揃えるようにしてる。 おそらく3歳くらい。二つ違いの姉がいるのだが、些細な事でよく喧嘩をしていた。姉は私によく『バカ!』と言った。悔しいので私も『バカ!』と言い返した。母は『お姉ちゃんに向かって何て事を言うの!妹のくせに!』と私だけを叱った。
バカという言葉で相手を罵る行為は年齢関係無く良くないことではないのか?と幼いながら思っていた私は非常に理不尽に感じた。
姉妹を産んだ私は、『姉のくせに』『妹のくせに』という叱り方だけは絶対にしないと心に決めている。 >>212
>>214
>>215
のお三方にフェリシモの500色色鉛筆を贈りたいわ てか自分も欲しい500色
個人持ちじゃなくても、500色そろってて使い放題の時間貸しの部屋が
あればいいのに
特に215さんの愛情の差、は切ない 自分もそう感じて育ったから
年取って中国製品が安く入り始めたころ、500まで行かないけど数十色入りの
クレヨンと色鉛筆は買ったw もう描けなくなってしまったのにね 小さい頃、泣き出してしゃっくり上げてたら
「いつまで泣いてるの!」って母に叱られてすごく悲しかった
止めたくても泣き出した勢いで止められないだけなのに
もうすぐ3歳の子供が夜、布団に入ったとたんに何かでぐずって泣き出した
その原因は解決したんだけど、いつまでも激しくしゃっくりを上げてた
でも自分の記憶を頼りに、いつもと変わらない調子で「おやすみ」と声をかけた
そしたら子供がしゃっくりをあげてビエ〜ッて泣き声になる前のヒュッと息を吸った僅かな時間に
息だけで大急ぎで「おやすみなさい」と言った
やっぱり本人も止められなくて大変なんだなーと思った あーわかる
私も長泣き駄目!って言われてた
長引くと父に「ストップ!!!!」て言われて、口をギューっと閉じて湧き上がる嗚咽で呼吸困難だったなぁ
でも泣き続けるよりはこっちの方が早く嗚咽が治まってた気がする
泣き止んだら必ず父か母が抱きしめて、何故怒られたのか優しく諭してくれてたわ お遊戯会の流れで思い出した
年中の時にひな祭りで好き同士で男女ペア作ってお雛様お内裏様の格好して写真撮るってイベントがあった
その時、早くペア作らなきゃ!余ったら格好悪い!そうだこの子なら大人しいから断られないだろう!と大して仲良くも好きでもない大人しい小柄な男の子誘ってペアになったの覚えてる
天気がすごく良くて暖かかったのも覚えてる >>217
あら、とっても同感w
そして貴方とお三方に私から500色の色鉛筆を贈ります
今夜あたり夢の国でどうぞ使って下さいな
描けないなんて言わずトライしてみたら宜しいのよ
手を動かすと心がついて来るというし
本当に素敵なことだと思うの
私の記憶は一歳から三歳くらいかな
遊びで何かをしたら母がすごーい!と大げさに褒めてくれて、もう一度するとやっぱり同じように褒めたので
ふと、大げさ過ぎるなあと何だか疑念が涌いて、今度は完全に手を抜いてしてみせた
そうすると母がまた同じようにすごーい!と一本調子で褒めたので、あぁおざなりなんだ、と大いにがっがりしたという >>221
同じく
余りたくなくてたいして好きでもない男子にペアの申し込みした
で、もしダメでもほんとに好きな男子のところに頼みに行けばよかったなと後悔したりした
幼児でもその辺考えちゃうよね 年少の時、お遊戯会でお姫様に立候補した
他に王様、少年って役があったけど、好きな子に王様をやって欲しくて立候補したのにその子は少年に立候補したので悲しかった
後から考えたら王様はお父さんだし少年とくっつくかな〜というラストだったのでそれで良かったんだけど、当時は王様とお姫様がカップルだと思い込んで悲しんで、勝手にその子と心の距離を置いていたw
なんか年少と言えども色々なことに胸を痛めていた気がする。子供の世界は小さいけど、その時はそこがすべてだって事を理解してあげたいなと思う >>222
分かる!うちの母は私がサラダに使うミニトマトのへたを取っただけなのに
「今日のサラダは○ちゃんが作ってくれたの!」と
褒めたつもりで他の家族に言うんだけど、過大評価は居心地悪くて嬉しくなかった
「○ちゃんがトマトのへたを取ってくれたんだよ」って言われたらきっと嬉しかったな >>226
でも親になってから読むと子供を「良く育てたい」という、母の前のめりな意気込みみたいなものが感じられて
子供的にはすべってるけどw必死だったり疲れてたりするんだなあーと初めて別の視点を持った 小さい頃、母がよく自分の食べているものを私に分けてくれた。
ハンバーグやエビフライなど、私が先に食べ終えると分けてくれた。
「お母さんもハンバーグ好きなのに、どうして残して私にくれるんだろう?」と不思議に思っていたんだけど、そのうち
「大好きな食べ物を私に譲ってくれるって事は、私はお母さんにとても愛されてるんだな。幸せだな」と思うようになった。 >>228
優しいね。
同じシチュエーションで育った私は、いつの間にか
「もらって当たり前」の感覚になってしまった
幼稚園年少のときに、女が女を好きなことをレズというのだ、ということを知り
友達(女の子)を好きな私はレズなのかな…と少し悩んだ記憶がある
友情と恋情の区別がついてなかった
どこでそんな言葉を覚えたのかは不明。 子どもの頃から頻繁に夢を見ていたんだけど
怖かった夢
自宅の階段の踊り場に戦国時代みたいな格好の男性があぐらで座っていた
髪型はちょんまげを切り落としたあとみたいなやつでその肩くらいのところに生首がひとつずつ浮いていた
その男性がこちらをみてニヤニヤ笑いながら手招きしていた
この夢のせいでパニックになって泣いて、階段をすごく怖がった
幼稚園行く前後の頃
好きだった夢は空を飛ぶ夢
夢の中で「飛びたいな〜」と思うと、ベッドから体がふわっと浮いて、
階段をピーターパンみたいに飛んでおりてキッチンに降り立つ
ときどき窓からおでかけしたりした
この飛ぶ夢は3歳くらいから就学後も頻繁に見ていた
あと、幼稚園のとき「『ながしかく』はなが〜いしかくのことなんだよ」と言われて
ある日、そういう意味だったのか!とショックを受けたこととかw
子どもには当たり前だと思うこともいちいち説明してあげなきゃね レゴのセットを一つだけ持ってたみたい(いなかのおうち、みたいな)。
窓に使う、琥珀色と、水色の透明なパーツが大好きで飽きずに見たり触ったりしてた。
でも、もともと数が少ない上に三姉妹で取り合いだったので
もっと欲しい!もっと欲しい!
て思ってた。
透明は特別だった。
最近、妹と話してたら、全く同じ事言ってたのと(笑)
三歳の息子が透明やキラキララメ、青いガラス食器(箸置きやスプーン)、ビー玉に魅了されてるのをみて書いてみた。
明日レゴデュプロ、追加のブロック買いにいくよ! 心の中で字が読めた時に、思考の全てが停止した。
って書いたら大げさだけど、私は文字の習得が早く
3歳の幼稚園あがる前には、平仮名、カタガナ完璧だった
幼稚園あがって直ぐに、妹とアニメを見ていてエンディングテーマ曲を歌っていると
心の中で画面下の字幕を読んでから、口から出すって事がふと出来てしまった。
それまで、耳から聞こえた言葉が直ぐ様、私の口から出ていたのに
頭を通して、心を通して、遠回りして口から出るって言う、もどかしい事になってしまった。
耳から聞き取れなかった言葉は目で読んで補足した。
言葉に表しにくいけど、以前なら、何かを覚えるや考える時は、頭の中をジェットコースターのように
情報が脳のあちこちを勢い良く巡っていたのに、文字を完璧に理解してしまってからは
メリーゴーランドのように、ぐるぐるしてしまうだけ。
下の妹二人は文字を覚えたのは小1の時。一人は女医になり、一人は税理士になった。
あの時が無ければ、私も耳から入る言葉を処理出来る脳だったのではないかとモヤモヤしてる。 「思考の全てが停止した」のか
そこから初めて、本当の思考が動き出したのか
最短でベターな答えを出す思考もあれば
時間をかけてベストな答えを探る思考もある
いろいろでしょ 私は幼少の頃からウルトラマンや戦隊が好きだった
でも当時は、女の子はリカちゃんや女の子アニメ等が好き「でなければいけない」という固定観念が既にできていて
特撮大好きなことは誰にも言えなかった
他人の言いつけは必ず守る素直な良い子ちゃんで自我が非常に薄く
周囲に溢れる「女の子はこういうもの」という情報になんとなく従ってたせいだ
というより、従わなければいけないものだと思っていた
自分の好きなことを自由に好きになっていいということがわかっていなかった
現在4歳の娘もなんとなくそういう傾向があるので、
言いたいことは言っていい、むしろ言わないと伝わらないんだよということを
事あるごとに教えている
効果があるかどうかはわからないけど、自分が色々出遅れて損してた感があるので
自分のようにはなってほしくない
ところで娘は、私が勧めたわけでもないのに今ウルトラマンにハマっている
だから「女の子でもウルトラマン好きでいいんだよ」と言って自由にさせている
幼稚園で仲良しの男の子とウルトラマンの話題で盛り上がってるみたいだし
人並みにキティちゃんやアナ雪なんかも好きなので、特に心配はしていない >>232
私も入園前から文字読めたしテレビの歌詞字幕も読めたけど頭ぐるぐるしなかったよ
姉妹だからって能力同じとは限らないし
言いにくいけど、情報処理能力がそれだけしかなかったということじゃないのかなあ 戦隊ものが好きな女の子も昔から一定数いるから、いいんだよもなにも趣向のひとつとしてなんとも思ってなかったわ 保育園の頃、親やおじいちゃんにすごいね!えらいね!って褒められると胸がザワザワワクワクしてもっと絵をうまく描くために練習したり、文字や文章を書いたり、色々褒められるために努力してた。
この胸のザワザワワクワクは、小学校3年ぐらいかなぁ…いつの日かなくなってたけど、子供は褒められるとどんどん伸びる気がする。
ザワザワワクワクは春の風に吹かれた広い原っぱみたいな感じの、すごい爽快な感じの感覚。 4、5歳の頃ドキンちゃんがしょくぱんまんにメロメロになるシーンとか、軽い恋愛要素のあるアニメを見ると心がザワザワしていたなあ。
くすぐったくて、恥ずかしくてモジモジしちゃうような不思議な感覚だった。 >>240
あーわかる。私が園児のときちょうどセーラームーンやってたときで恋愛要素あるシーンは居心地悪かった覚えあるわ 生後8ヶ月から1年間くらいだけ住んでた家の間取りと毛布の柄
TVの横のクリスマスツリー
特撮の番組に出てくる怪獣が窓からバリーンって入ってくるシーンを見て、本当に来るんじゃないかって凄く怖かった事
私が2歳になる前に廃車にした、叔母の車のバックミラーにぶら下がってたマスコット
…ってのが乳幼児期の主な記憶かな
保育園ひよこ組(年少より下)の時おゆうぎでうさぎのダンスをしたり、後頭部で結ばれた髪(長さ的にポニーテールもどき)がお昼寝の時痛かったり
年少さんの時に同じ組の子と何か話してて
「大きくなったらこんな会話してたのも忘れちゃうのかな」
って言って肝心の会話内容は覚えて無かったり…
転勤族で何歳の頃どの地域にいたとかはハッキリしてるから、自分の思い出が何歳くらいのものかってのはハッキリしてる
思い出すのが楽しいから、記憶の上書きとかではない筈 多分3才くらいの記憶。
母親が急用で、知り合いの母娘(母のボランティア仲間)に私を数時間見てもらうよう頼んだことがあった。
うちにきてもらって。
普段その母娘はとても優しくニコニコしていて私もなついていたのだけど、母親がいなくなってから豹変した。
ピアノとかエレクトーンなど楽器を置く音楽部屋に鍵をかけ、私を閉め出して二人で勝手に弾き遊び?始め、お母さんのものなのに!私の家なのに!と怒りと理不尽さで泣きながらドアを叩いていた事が忘れられない。
母親は報告した私を信じてくれず、すごく叱られた。
幼い頃の私は、親が厳しかったので所謂とてもいい子だったから、手に負えなくて…という事ではなく、裏表のある母娘だったのに。
私は他人に子供を預けることができない。
怖くて。 はなちゃんくるまで隠しておこうと思ったけど、本やDVDみたら欲しがるかな? >>243
それ、すごいトラウマになりそう…
何で信じてもらえないんだろう。 以前も書いたかもしれない >>863 けど、生後10ヵ月ぐらいの時。
小児喘息で夜中にむせてたら、母が「赤ちゃんなのにどうしてこんなに苦しまなきゃいけないの」と泣いた。
へー、母親って子どものことで泣くんだな、と思った。
咳き込んで息が出来なくて、これってどうよ?死ぬわけ?って思いながらむせてた。 >>239
工作や手芸していた時によくなったなー。
心がザワザワワクワクしてアイデアがどんどん溢れてくるの!!
大人になるにつれ減っていって今は無くなっちゃった。
あの爽快な万能感、気持ちよかったなあ。 保育園年長の頃、昼寝後クラスで園庭で遊んでいるとき、
知的障害を持った成人男性が近づいてきて全員で一斉に同じ方向へ逃げた記憶あるな。
怖いというより鬼ごっこみたいな感覚で逃げ回ってた。
後は昼寝できなくて友達としゃべってたらあ、先生に「昼寝しないと風邪ひくよ!」て怒られたっけ。
その後本当に風邪ひいて「先生の言ってた通りだ!」って思った記憶がある。 うちの父は私が真剣に話したり
お絵描きをしたりしていても
バカにしてニヤニヤ笑っていて
いつもすごくムカついてた。
でも子供が生まれて分かった
かわいくてついニヤけてしまうこと。
小さいながら一生懸命だったり
真剣になってる子供が可愛くてついニヤけてしまう。
自分の子供にはなるべくニヤけずに話を聞いてあげたり
どうしてもニヤけてしまう時はちゃんと説明しようと思う。 暗闇の中ふっと目をさますと寒いのに何も掛けられないで横たわってる
隣に母が眠っているのに声を出す事もできない(寝起きだから?)
動いて毛布をかぶることも出来ない 染み渡るような寒さ
なんで母は布団を掛けてくれないんだろう
寒くて動く事もできなくてこの地獄はいつまで続くんだろう…とかなり長いことそのままで呆然として絶望した
まだ幼児ではなくて数ヶ月の赤ちゃんの時だと思う
>>251と同じで生んでからわかったけど
赤ちゃん、本当に布団から飛び出すw
真冬なのに布団が微妙に暑いのか、夜中に気がついて何回、加減を調整して掛けても
しゅぽぽーんと全身はみ出してた 6ヵ月くらいだったかな
もう一つ赤ちゃんの時のこと
冬で布団に寝かされて、母が毛布を掛けてくれるんだけど
嬉しそうに1枚2枚とかけて、3枚4と続いて、内心 え?まだ?って戸惑ってるのに5枚6枚まで掛けられて
ぐえーーーくっ苦しいって限界に達してた
母はすごく満足そうにしてて気が付きそうにない
訴える術がなくて布団の下できゅっと弱ってた
そうしたらすぐ祖母がそんなに掛けたら重かろうって母に言ってくれた
3枚くらいになってホッとした
あれは大人用の毛布や掛け布団を縦に半分に折って掛けたんだなと産んでからわかった
だからサクサク手際よく重なってきたんだなって >>251
ニヤついてて嫌だ!だったのが、自分のことが可愛くて仕方なかったんだな、と分かって良かったなあ、とほっこりした 母親が怒ったとき、口をきいてくれなくなるのが死ぬほど怖くて嫌だった。
怒鳴られたり、はたかれたりするのよりも無視されるのが一番つらい。
「ごめんなさい、もうしないから無視しないで」って泣いてすがるんだけど、それも無視されて、もうどうしたらよいかわからなくてパニックだった。
多分自分を空気みたいに、いない物と扱われるのが恐怖だったんだなー。存在否定されたみたいで。
今でも夫と喧嘩して口きいてもらえなくなると辛い。
もうすぐ子供が産まれるんだけど、怒っても無視するのだけはやめようと思う。 >>254
うちの母は怒るといつもそれだ
怒るとムッツリ無口になって無視されて、機嫌が直るとそれまでの事はなかった事になる
だからついこの前までずーっと
ケンカ=怒ってる(黙ってる)方の機嫌が直るまで必死にご機嫌取る事だと思ってた
子供相手でも、ちゃんと話し合いして理解して、着地点を見つけるケンカを心がけようと思う うちもそうだったなー。
不思議なことに母親がそんなんだったことを上の流れを見るまですっかり忘れていた。
機嫌が悪いときだか怒らせちゃったときだかは忘れたが「話しかけてこないで。視界に入ってこないで」って言われて本当に傷ついてたのにw
思い出さないようにしてただけかもしれないけどね。
でもそれがあるから友人とかには無視やだんまりは絶対しないでおこうと幼心ながらに誓ったわ。 うちも無視はよくあった。小さい頃はなんで怒られてるのか、無視されてる理由もわらなくて怖かったけど、こっちも小学生低学年あたりで「どうせそのうち無視も終わるだろ」って舐めてかかるようになってたな。
ご飯とか身の回りの事はやってくれるしお母さんと喋らなくてもゲームしたり本読めばいいしー、そもそもなんで怒ってるのかわからないし理由を聞いても無視だからなー、とか思ってた。
まだうちの子は小さいけど、こういう子供にならないように無視はしないと固く心に誓っている。 ここで、子供の頃に真剣に泣いてるのにニヤニヤされて嫌だった、というのを見て、なるべくニヤつかないようにしようと思ってるんだけど、への字口があまりに可愛くてニヤけちゃう。
ご飯がもうすぐ無くなっちゃうー、って泣かれるとホントに可愛くって。 私も泣いてる我が子を見てにやけてしまう。
自分も小さい頃、親に泣いて訴えてるのに笑われて全然取り合ってくれなくて悔しくてさらに大泣きした記憶がある。
悔しい気持ちは分かってるのに、口をへの字にして泣く寸前の顔見ると本当に可愛くて笑ってしまう。そしてギャン泣き。ごめん息子よ。 いつだろう、かなり初期。自分は座敷にうんちをもらしている。硬いうんちとやわらかいうんちがあって
やわらかいうんちは指でつぶせる。自分はうんちを指でつぶすのが楽しいと感じている。言葉を覚える前らしい、
言葉による思考の記憶はない。
ちなみに自分は一卵性の双子。その記憶の中では隣に双子の兄がて一緒にうんちをいじっている。
白いおしめをした状態、兄の姿形から、はいはいかつかまり立ちくらいのころではないだろうか。立って言葉を
発するような年齢容姿には見えない。母親が部屋に入ってきてうんざりした表情をしていることも記憶している。
もう一つ、自分は家の応接間でカセットテープの磁気テープを引っ張り出して遊んでいる。例によって隣に双子の
兄がいて同じようにテープを引っ張り出して遊んでいる。前のうんちの時よりずっと成長している。母親が部屋に
入ってきてうんざりした表情をしている。
カセットテープの件は母親も覚えており、「あんたが二歳の頃やったよ、もうテープ引きずり出してしっちゃかめっちゃに
して」と言っていたので三歳以前の記憶という可能性が高い。双子の兄も三歳以前の記憶があり、話を聞いてみたが、自分とは
違う記憶であった。ただ兄の記憶も母の記憶と合致するところがあった。
他にも初めて観たつもりだった白黒のクラシック映画を観てるうちに乳幼児期の頃に一緒にテレビで観ていた記憶が
蘇ることが度々あった。 母がうんざりしてるって分かってるのに、やめないんだねwwま、そんなもんだよね いつもやんちゃして母親を困らせた記憶ばかり残っている。
ただ母親にばれた後の記憶が無い。忘れたいほどひどいおしかり
受けたらしい。 ひどく叱られるというより、母親も慣れてしまって
黙々と後始末するようになったのでは?
叱るにもパワーがいるからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています