育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ >>196
つい最近娘が発熱してそう思った!!
何歳くらいまでわからなかったか、記憶してますか? 蒸し返してごめん
180の気持ち、すごくわかる
多分自分が情緒不安定に育ったのは、生まれてから今までの母親の行動の全てに由縁するんだろうと頭では思うけど
何となく、記憶の中ではたったいくつかの事件がピックアップされてトラウマを感じるんだよね ぶった切りゴメン
確か幼稚園年長の時
キリスト系の幼稚園で、毎年年長でキリスト誕生の際の出来事の劇をするんだけど
配役は先生が決めて、クラスで一番可愛くてしっかりした子がマリア様、他にも目立つ子がそれなりの役をやって、自分はその他大勢の天使役だったんだけど、それを当然だと思って全く不満とかなかったこと
子供って大人が思うほど配役にこだわってないのかも
まあ、個人の性格によるのかもだけど お遊戯の役決めのこと覚えてる
男女ペアになって踊るお遊戯で、衣装が2種類あった
お姫様&王子様のような衣装と、欧風民族衣装みたいな、可愛い村娘&若者のような衣装
女の子はお姫様を希望する子が多くて、私もそっち側だった
よく覚えてないけど、どうしてもお姫様がいいと言い張る私に、
私こっちでいいよと譲ってくれる優しい子がいた
思い出すと自分のわがままさに呆れるよ…
当時も、譲ってくれたのは嬉しいけど、なんだかばつが悪くて恥ずかしかった覚えがある
でもそれを素直に表現できずにいたな 入園前(2年の幼稚園だったので3〜4歳?)だったと思うんだけど、初めてイルカショーを見てイルカが大好きになり、イルカ飼う!と家の裏庭に穴掘ってた
大人はあらまあウフフ、みたいに見ていたけど、自分でもイルカなんて飼えないって百も承知で、ただそれだけ好きになったんだ!というアピールだった
2人目なのに言葉が遅くてあまりしゃべらず、おっとりした子供だと思われてたけど、口にうまく出せないだけで内心色々考えてた
おっとりした子供だと思われていた方がラクだな、まだ出来ないと思われて甘えた方がラクだな、と思っていた事はよく覚えてる 4歳くらいの時、アリの役をすることになってアリのお面を作った。
黒いアリ本体を描いた後に目を描こうとしたら、白を塗ってもクレヨンだから黒と混ざって変な色になって、
なんとか目らしくしようと頑張ったけど色んな色が混ざって変な色の目が大きくなるばかりだった 私は年長の時にお姉さんの役をやりたかったのにジャンケンに負けて
おばさんの役になってしまって、オバサンは嫌だ!って泣いてた。
見かねた先生が、じゃあお母さんならどう?って言ってくれたけど、
それも微妙…と思いつつここらで妥協しとかないとダメだと思って
お母さんならいいよ、って言った記憶がある。 幼稚園のときの避難訓練が訓練じゃなく本当になにか災害があったんだと思って泣いた
母親が心配で泣いた。親は無事なの?家は大丈夫なの?って気持ちでいっぱいだった。
友達が『なんで泣いてんの』ってpgrしてたことも覚えてる >>200
3〜4才でもバツが悪いって感情あるよね。
お遊戯会で主役の座をゲットしたと思ったら主役は希望した人全員なれるって変更になって子供ながらに「ざけんな」って思ったのを覚えてる。 保育園の時、大好きな男の子がいた。本人にも大好き!と伝えていたし、その子も私とよく遊んでくれていた。
ある日優しくて美人な先生が、「先生も◯◯くんのことが大好きなんだよ〜」とからかうように言ってきた。冗談のつもりだったんだろうけど、こんなに美人で優しい先生に敵うはずがない…とかなりショックを受けて、その男の子と関わらなくなってしまった。
小学校は別々で中学校で再会したんだけど、そのショックがまだ残っていて全然話せなかった。未だに、あの時あの先生が余計なこと言わなければ、と思い出すw そんな些細なことでも子供の心に傷を残すのだなあ…気をつけねば 3歳辺りで物心が付いたけど、すでに遊びはお絵描きが大好きだった。
画材はクレヨンよりも色鉛筆の方が、細かく線が引けて色が塗れるから好きだった。
塗り絵も与えられたけど、なんで好みじゃないこんな絵に色を塗らなきゃいけないんだろう、時間の無駄と思っていた。
積み木やブロックは表現が大雑把なデジタルだから、自分が表現したいものが完成する気がせず全く好きではなくて、むしろ存在している意味が分からなかった。
絵本や漫画は絵を隅々までじっくり見るから凄く時間がかかるけど大好き、アニメは絵がどんどん進んでしまうのと毎回絵が微妙にちがうので(アニメーターが複数いるからと後に知る)イライラして苦手だった、日本昔ばなしだけは単発だから好きだった。
せんせいという磁石タイプのお絵描きボードを知って、なんて画期的なんだ!と感動したけど、おもちゃ屋で試したらドットが荒くてガッカリした。
チラシの裏を母がいつもくれてたけど、落書き用紙をはじめて知ったときは枚数の多さに大感激した。
子供の頃一番欲しかった物は色数がたくさんの色鉛筆だったけど、高価だと思ってたからねだれなかった。 なんかつらつら書いてしまった。
子供のクリスマスプレゼント選んでて、色鉛筆欲しかったことを思い出してしまいまして。 >>212読んでたら、細かい絵がかけないクレヨンが嫌いだったの思い出した。
クレヨンで絵をかいて上から水彩絵具を塗る、
色紙や色を塗った紙を黒のクレヨンで塗りつぶして
針とかでひっかく、という使い方には感激したし
大好きだったけど、それ以外には価値を感じなかった。
色を混ぜるような塗り方が出来るから、色鉛筆が好きだった。
私はお下がりの、24色色鉛筆を持っていて、
それは気に入っていたし大事に使っていたけど、
長さがバラバラなのが少し気になって、
何度か新品が欲しいとねだったが却下された。
買ってくれなかったこと自体は正しい判断だったと
別に不満には思ってないけど、
下の子も物の扱いが丁寧になったら、一人ひとつ、
多色色鉛筆を買ってあげたいなあと思ってる。
色んな色があって、それぞれの色に名前が付いている
ということが、なんだか好きだった。
「ぐんじょういろ」「あかむらさき」「やまぶきいろ」
あたりが色も名前も、とても好きだった。
私も思い出したのでとりとめもなく書いてみたw 子供の頃、姉は24色でかわいい絵のついた色鉛筆を持ってた。
多分高橋真琴の絵。
対して自分には紙のケースに入った12色。
色数の違いやケースの違いが姉との愛情の差なんだ、自分は大事にされてないんだな、と感じた第一歩だった。
今でもそれは間違ってなかったと思うから、ウチは一人っ子。二人目を作るつもりはない。
知人の子供が兄弟児なんだけど、クリスマスみたいなプレゼントイベントは全く同じではなくても価値は同程度に揃えるようにしてる。 おそらく3歳くらい。二つ違いの姉がいるのだが、些細な事でよく喧嘩をしていた。姉は私によく『バカ!』と言った。悔しいので私も『バカ!』と言い返した。母は『お姉ちゃんに向かって何て事を言うの!妹のくせに!』と私だけを叱った。
バカという言葉で相手を罵る行為は年齢関係無く良くないことではないのか?と幼いながら思っていた私は非常に理不尽に感じた。
姉妹を産んだ私は、『姉のくせに』『妹のくせに』という叱り方だけは絶対にしないと心に決めている。 >>212
>>214
>>215
のお三方にフェリシモの500色色鉛筆を贈りたいわ てか自分も欲しい500色
個人持ちじゃなくても、500色そろってて使い放題の時間貸しの部屋が
あればいいのに
特に215さんの愛情の差、は切ない 自分もそう感じて育ったから
年取って中国製品が安く入り始めたころ、500まで行かないけど数十色入りの
クレヨンと色鉛筆は買ったw もう描けなくなってしまったのにね 小さい頃、泣き出してしゃっくり上げてたら
「いつまで泣いてるの!」って母に叱られてすごく悲しかった
止めたくても泣き出した勢いで止められないだけなのに
もうすぐ3歳の子供が夜、布団に入ったとたんに何かでぐずって泣き出した
その原因は解決したんだけど、いつまでも激しくしゃっくりを上げてた
でも自分の記憶を頼りに、いつもと変わらない調子で「おやすみ」と声をかけた
そしたら子供がしゃっくりをあげてビエ〜ッて泣き声になる前のヒュッと息を吸った僅かな時間に
息だけで大急ぎで「おやすみなさい」と言った
やっぱり本人も止められなくて大変なんだなーと思った あーわかる
私も長泣き駄目!って言われてた
長引くと父に「ストップ!!!!」て言われて、口をギューっと閉じて湧き上がる嗚咽で呼吸困難だったなぁ
でも泣き続けるよりはこっちの方が早く嗚咽が治まってた気がする
泣き止んだら必ず父か母が抱きしめて、何故怒られたのか優しく諭してくれてたわ お遊戯会の流れで思い出した
年中の時にひな祭りで好き同士で男女ペア作ってお雛様お内裏様の格好して写真撮るってイベントがあった
その時、早くペア作らなきゃ!余ったら格好悪い!そうだこの子なら大人しいから断られないだろう!と大して仲良くも好きでもない大人しい小柄な男の子誘ってペアになったの覚えてる
天気がすごく良くて暖かかったのも覚えてる >>217
あら、とっても同感w
そして貴方とお三方に私から500色の色鉛筆を贈ります
今夜あたり夢の国でどうぞ使って下さいな
描けないなんて言わずトライしてみたら宜しいのよ
手を動かすと心がついて来るというし
本当に素敵なことだと思うの
私の記憶は一歳から三歳くらいかな
遊びで何かをしたら母がすごーい!と大げさに褒めてくれて、もう一度するとやっぱり同じように褒めたので
ふと、大げさ過ぎるなあと何だか疑念が涌いて、今度は完全に手を抜いてしてみせた
そうすると母がまた同じようにすごーい!と一本調子で褒めたので、あぁおざなりなんだ、と大いにがっがりしたという >>221
同じく
余りたくなくてたいして好きでもない男子にペアの申し込みした
で、もしダメでもほんとに好きな男子のところに頼みに行けばよかったなと後悔したりした
幼児でもその辺考えちゃうよね 年少の時、お遊戯会でお姫様に立候補した
他に王様、少年って役があったけど、好きな子に王様をやって欲しくて立候補したのにその子は少年に立候補したので悲しかった
後から考えたら王様はお父さんだし少年とくっつくかな〜というラストだったのでそれで良かったんだけど、当時は王様とお姫様がカップルだと思い込んで悲しんで、勝手にその子と心の距離を置いていたw
なんか年少と言えども色々なことに胸を痛めていた気がする。子供の世界は小さいけど、その時はそこがすべてだって事を理解してあげたいなと思う >>222
分かる!うちの母は私がサラダに使うミニトマトのへたを取っただけなのに
「今日のサラダは○ちゃんが作ってくれたの!」と
褒めたつもりで他の家族に言うんだけど、過大評価は居心地悪くて嬉しくなかった
「○ちゃんがトマトのへたを取ってくれたんだよ」って言われたらきっと嬉しかったな >>226
でも親になってから読むと子供を「良く育てたい」という、母の前のめりな意気込みみたいなものが感じられて
子供的にはすべってるけどw必死だったり疲れてたりするんだなあーと初めて別の視点を持った 小さい頃、母がよく自分の食べているものを私に分けてくれた。
ハンバーグやエビフライなど、私が先に食べ終えると分けてくれた。
「お母さんもハンバーグ好きなのに、どうして残して私にくれるんだろう?」と不思議に思っていたんだけど、そのうち
「大好きな食べ物を私に譲ってくれるって事は、私はお母さんにとても愛されてるんだな。幸せだな」と思うようになった。 >>228
優しいね。
同じシチュエーションで育った私は、いつの間にか
「もらって当たり前」の感覚になってしまった
幼稚園年少のときに、女が女を好きなことをレズというのだ、ということを知り
友達(女の子)を好きな私はレズなのかな…と少し悩んだ記憶がある
友情と恋情の区別がついてなかった
どこでそんな言葉を覚えたのかは不明。 子どもの頃から頻繁に夢を見ていたんだけど
怖かった夢
自宅の階段の踊り場に戦国時代みたいな格好の男性があぐらで座っていた
髪型はちょんまげを切り落としたあとみたいなやつでその肩くらいのところに生首がひとつずつ浮いていた
その男性がこちらをみてニヤニヤ笑いながら手招きしていた
この夢のせいでパニックになって泣いて、階段をすごく怖がった
幼稚園行く前後の頃
好きだった夢は空を飛ぶ夢
夢の中で「飛びたいな〜」と思うと、ベッドから体がふわっと浮いて、
階段をピーターパンみたいに飛んでおりてキッチンに降り立つ
ときどき窓からおでかけしたりした
この飛ぶ夢は3歳くらいから就学後も頻繁に見ていた
あと、幼稚園のとき「『ながしかく』はなが〜いしかくのことなんだよ」と言われて
ある日、そういう意味だったのか!とショックを受けたこととかw
子どもには当たり前だと思うこともいちいち説明してあげなきゃね レゴのセットを一つだけ持ってたみたい(いなかのおうち、みたいな)。
窓に使う、琥珀色と、水色の透明なパーツが大好きで飽きずに見たり触ったりしてた。
でも、もともと数が少ない上に三姉妹で取り合いだったので
もっと欲しい!もっと欲しい!
て思ってた。
透明は特別だった。
最近、妹と話してたら、全く同じ事言ってたのと(笑)
三歳の息子が透明やキラキララメ、青いガラス食器(箸置きやスプーン)、ビー玉に魅了されてるのをみて書いてみた。
明日レゴデュプロ、追加のブロック買いにいくよ! 心の中で字が読めた時に、思考の全てが停止した。
って書いたら大げさだけど、私は文字の習得が早く
3歳の幼稚園あがる前には、平仮名、カタガナ完璧だった
幼稚園あがって直ぐに、妹とアニメを見ていてエンディングテーマ曲を歌っていると
心の中で画面下の字幕を読んでから、口から出すって事がふと出来てしまった。
それまで、耳から聞こえた言葉が直ぐ様、私の口から出ていたのに
頭を通して、心を通して、遠回りして口から出るって言う、もどかしい事になってしまった。
耳から聞き取れなかった言葉は目で読んで補足した。
言葉に表しにくいけど、以前なら、何かを覚えるや考える時は、頭の中をジェットコースターのように
情報が脳のあちこちを勢い良く巡っていたのに、文字を完璧に理解してしまってからは
メリーゴーランドのように、ぐるぐるしてしまうだけ。
下の妹二人は文字を覚えたのは小1の時。一人は女医になり、一人は税理士になった。
あの時が無ければ、私も耳から入る言葉を処理出来る脳だったのではないかとモヤモヤしてる。 「思考の全てが停止した」のか
そこから初めて、本当の思考が動き出したのか
最短でベターな答えを出す思考もあれば
時間をかけてベストな答えを探る思考もある
いろいろでしょ 私は幼少の頃からウルトラマンや戦隊が好きだった
でも当時は、女の子はリカちゃんや女の子アニメ等が好き「でなければいけない」という固定観念が既にできていて
特撮大好きなことは誰にも言えなかった
他人の言いつけは必ず守る素直な良い子ちゃんで自我が非常に薄く
周囲に溢れる「女の子はこういうもの」という情報になんとなく従ってたせいだ
というより、従わなければいけないものだと思っていた
自分の好きなことを自由に好きになっていいということがわかっていなかった
現在4歳の娘もなんとなくそういう傾向があるので、
言いたいことは言っていい、むしろ言わないと伝わらないんだよということを
事あるごとに教えている
効果があるかどうかはわからないけど、自分が色々出遅れて損してた感があるので
自分のようにはなってほしくない
ところで娘は、私が勧めたわけでもないのに今ウルトラマンにハマっている
だから「女の子でもウルトラマン好きでいいんだよ」と言って自由にさせている
幼稚園で仲良しの男の子とウルトラマンの話題で盛り上がってるみたいだし
人並みにキティちゃんやアナ雪なんかも好きなので、特に心配はしていない >>232
私も入園前から文字読めたしテレビの歌詞字幕も読めたけど頭ぐるぐるしなかったよ
姉妹だからって能力同じとは限らないし
言いにくいけど、情報処理能力がそれだけしかなかったということじゃないのかなあ 戦隊ものが好きな女の子も昔から一定数いるから、いいんだよもなにも趣向のひとつとしてなんとも思ってなかったわ 保育園の頃、親やおじいちゃんにすごいね!えらいね!って褒められると胸がザワザワワクワクしてもっと絵をうまく描くために練習したり、文字や文章を書いたり、色々褒められるために努力してた。
この胸のザワザワワクワクは、小学校3年ぐらいかなぁ…いつの日かなくなってたけど、子供は褒められるとどんどん伸びる気がする。
ザワザワワクワクは春の風に吹かれた広い原っぱみたいな感じの、すごい爽快な感じの感覚。 4、5歳の頃ドキンちゃんがしょくぱんまんにメロメロになるシーンとか、軽い恋愛要素のあるアニメを見ると心がザワザワしていたなあ。
くすぐったくて、恥ずかしくてモジモジしちゃうような不思議な感覚だった。 >>240
あーわかる。私が園児のときちょうどセーラームーンやってたときで恋愛要素あるシーンは居心地悪かった覚えあるわ 生後8ヶ月から1年間くらいだけ住んでた家の間取りと毛布の柄
TVの横のクリスマスツリー
特撮の番組に出てくる怪獣が窓からバリーンって入ってくるシーンを見て、本当に来るんじゃないかって凄く怖かった事
私が2歳になる前に廃車にした、叔母の車のバックミラーにぶら下がってたマスコット
…ってのが乳幼児期の主な記憶かな
保育園ひよこ組(年少より下)の時おゆうぎでうさぎのダンスをしたり、後頭部で結ばれた髪(長さ的にポニーテールもどき)がお昼寝の時痛かったり
年少さんの時に同じ組の子と何か話してて
「大きくなったらこんな会話してたのも忘れちゃうのかな」
って言って肝心の会話内容は覚えて無かったり…
転勤族で何歳の頃どの地域にいたとかはハッキリしてるから、自分の思い出が何歳くらいのものかってのはハッキリしてる
思い出すのが楽しいから、記憶の上書きとかではない筈 多分3才くらいの記憶。
母親が急用で、知り合いの母娘(母のボランティア仲間)に私を数時間見てもらうよう頼んだことがあった。
うちにきてもらって。
普段その母娘はとても優しくニコニコしていて私もなついていたのだけど、母親がいなくなってから豹変した。
ピアノとかエレクトーンなど楽器を置く音楽部屋に鍵をかけ、私を閉め出して二人で勝手に弾き遊び?始め、お母さんのものなのに!私の家なのに!と怒りと理不尽さで泣きながらドアを叩いていた事が忘れられない。
母親は報告した私を信じてくれず、すごく叱られた。
幼い頃の私は、親が厳しかったので所謂とてもいい子だったから、手に負えなくて…という事ではなく、裏表のある母娘だったのに。
私は他人に子供を預けることができない。
怖くて。 はなちゃんくるまで隠しておこうと思ったけど、本やDVDみたら欲しがるかな? >>243
それ、すごいトラウマになりそう…
何で信じてもらえないんだろう。 以前も書いたかもしれない >>863 けど、生後10ヵ月ぐらいの時。
小児喘息で夜中にむせてたら、母が「赤ちゃんなのにどうしてこんなに苦しまなきゃいけないの」と泣いた。
へー、母親って子どものことで泣くんだな、と思った。
咳き込んで息が出来なくて、これってどうよ?死ぬわけ?って思いながらむせてた。 >>239
工作や手芸していた時によくなったなー。
心がザワザワワクワクしてアイデアがどんどん溢れてくるの!!
大人になるにつれ減っていって今は無くなっちゃった。
あの爽快な万能感、気持ちよかったなあ。 保育園年長の頃、昼寝後クラスで園庭で遊んでいるとき、
知的障害を持った成人男性が近づいてきて全員で一斉に同じ方向へ逃げた記憶あるな。
怖いというより鬼ごっこみたいな感覚で逃げ回ってた。
後は昼寝できなくて友達としゃべってたらあ、先生に「昼寝しないと風邪ひくよ!」て怒られたっけ。
その後本当に風邪ひいて「先生の言ってた通りだ!」って思った記憶がある。 うちの父は私が真剣に話したり
お絵描きをしたりしていても
バカにしてニヤニヤ笑っていて
いつもすごくムカついてた。
でも子供が生まれて分かった
かわいくてついニヤけてしまうこと。
小さいながら一生懸命だったり
真剣になってる子供が可愛くてついニヤけてしまう。
自分の子供にはなるべくニヤけずに話を聞いてあげたり
どうしてもニヤけてしまう時はちゃんと説明しようと思う。 暗闇の中ふっと目をさますと寒いのに何も掛けられないで横たわってる
隣に母が眠っているのに声を出す事もできない(寝起きだから?)
動いて毛布をかぶることも出来ない 染み渡るような寒さ
なんで母は布団を掛けてくれないんだろう
寒くて動く事もできなくてこの地獄はいつまで続くんだろう…とかなり長いことそのままで呆然として絶望した
まだ幼児ではなくて数ヶ月の赤ちゃんの時だと思う
>>251と同じで生んでからわかったけど
赤ちゃん、本当に布団から飛び出すw
真冬なのに布団が微妙に暑いのか、夜中に気がついて何回、加減を調整して掛けても
しゅぽぽーんと全身はみ出してた 6ヵ月くらいだったかな
もう一つ赤ちゃんの時のこと
冬で布団に寝かされて、母が毛布を掛けてくれるんだけど
嬉しそうに1枚2枚とかけて、3枚4と続いて、内心 え?まだ?って戸惑ってるのに5枚6枚まで掛けられて
ぐえーーーくっ苦しいって限界に達してた
母はすごく満足そうにしてて気が付きそうにない
訴える術がなくて布団の下できゅっと弱ってた
そうしたらすぐ祖母がそんなに掛けたら重かろうって母に言ってくれた
3枚くらいになってホッとした
あれは大人用の毛布や掛け布団を縦に半分に折って掛けたんだなと産んでからわかった
だからサクサク手際よく重なってきたんだなって >>251
ニヤついてて嫌だ!だったのが、自分のことが可愛くて仕方なかったんだな、と分かって良かったなあ、とほっこりした 母親が怒ったとき、口をきいてくれなくなるのが死ぬほど怖くて嫌だった。
怒鳴られたり、はたかれたりするのよりも無視されるのが一番つらい。
「ごめんなさい、もうしないから無視しないで」って泣いてすがるんだけど、それも無視されて、もうどうしたらよいかわからなくてパニックだった。
多分自分を空気みたいに、いない物と扱われるのが恐怖だったんだなー。存在否定されたみたいで。
今でも夫と喧嘩して口きいてもらえなくなると辛い。
もうすぐ子供が産まれるんだけど、怒っても無視するのだけはやめようと思う。 >>254
うちの母は怒るといつもそれだ
怒るとムッツリ無口になって無視されて、機嫌が直るとそれまでの事はなかった事になる
だからついこの前までずーっと
ケンカ=怒ってる(黙ってる)方の機嫌が直るまで必死にご機嫌取る事だと思ってた
子供相手でも、ちゃんと話し合いして理解して、着地点を見つけるケンカを心がけようと思う うちもそうだったなー。
不思議なことに母親がそんなんだったことを上の流れを見るまですっかり忘れていた。
機嫌が悪いときだか怒らせちゃったときだかは忘れたが「話しかけてこないで。視界に入ってこないで」って言われて本当に傷ついてたのにw
思い出さないようにしてただけかもしれないけどね。
でもそれがあるから友人とかには無視やだんまりは絶対しないでおこうと幼心ながらに誓ったわ。 うちも無視はよくあった。小さい頃はなんで怒られてるのか、無視されてる理由もわらなくて怖かったけど、こっちも小学生低学年あたりで「どうせそのうち無視も終わるだろ」って舐めてかかるようになってたな。
ご飯とか身の回りの事はやってくれるしお母さんと喋らなくてもゲームしたり本読めばいいしー、そもそもなんで怒ってるのかわからないし理由を聞いても無視だからなー、とか思ってた。
まだうちの子は小さいけど、こういう子供にならないように無視はしないと固く心に誓っている。 ここで、子供の頃に真剣に泣いてるのにニヤニヤされて嫌だった、というのを見て、なるべくニヤつかないようにしようと思ってるんだけど、への字口があまりに可愛くてニヤけちゃう。
ご飯がもうすぐ無くなっちゃうー、って泣かれるとホントに可愛くって。 私も泣いてる我が子を見てにやけてしまう。
自分も小さい頃、親に泣いて訴えてるのに笑われて全然取り合ってくれなくて悔しくてさらに大泣きした記憶がある。
悔しい気持ちは分かってるのに、口をへの字にして泣く寸前の顔見ると本当に可愛くて笑ってしまう。そしてギャン泣き。ごめん息子よ。 いつだろう、かなり初期。自分は座敷にうんちをもらしている。硬いうんちとやわらかいうんちがあって
やわらかいうんちは指でつぶせる。自分はうんちを指でつぶすのが楽しいと感じている。言葉を覚える前らしい、
言葉による思考の記憶はない。
ちなみに自分は一卵性の双子。その記憶の中では隣に双子の兄がて一緒にうんちをいじっている。
白いおしめをした状態、兄の姿形から、はいはいかつかまり立ちくらいのころではないだろうか。立って言葉を
発するような年齢容姿には見えない。母親が部屋に入ってきてうんざりした表情をしていることも記憶している。
もう一つ、自分は家の応接間でカセットテープの磁気テープを引っ張り出して遊んでいる。例によって隣に双子の
兄がいて同じようにテープを引っ張り出して遊んでいる。前のうんちの時よりずっと成長している。母親が部屋に
入ってきてうんざりした表情をしている。
カセットテープの件は母親も覚えており、「あんたが二歳の頃やったよ、もうテープ引きずり出してしっちゃかめっちゃに
して」と言っていたので三歳以前の記憶という可能性が高い。双子の兄も三歳以前の記憶があり、話を聞いてみたが、自分とは
違う記憶であった。ただ兄の記憶も母の記憶と合致するところがあった。
他にも初めて観たつもりだった白黒のクラシック映画を観てるうちに乳幼児期の頃に一緒にテレビで観ていた記憶が
蘇ることが度々あった。 母がうんざりしてるって分かってるのに、やめないんだねwwま、そんなもんだよね いつもやんちゃして母親を困らせた記憶ばかり残っている。
ただ母親にばれた後の記憶が無い。忘れたいほどひどいおしかり
受けたらしい。 ひどく叱られるというより、母親も慣れてしまって
黙々と後始末するようになったのでは?
叱るにもパワーがいるからね 私の母親は、〜して、〜しなさい、〜はだめ、〜しないで、とか、ただ単に
自分の言うことをきかせるためだけのようなことは、本当に危ないこと以外では、しなかった。
○○はしないほうがいいよ、その理由はこうだから、そういう教え方だった。
良い手本と悪い手本をこちらにちゃんと示してくれた上で、どうしてなのかを子供でもわかるように
簡潔に説明してくれた。二人共わからないことがあれば一緒に調べたりもした。
試せることの場合は、なんでもドンドンさせてくれたし、たとえこちらがそれの要領をえなくても
自分も楽しむかのようにニコニコと待ってくれていて、自分が先に手を出して、こちらがモノにする前に
サッサと片付けてしまうなんてことはしなかった。覚束なくても、ある程度できたら褒めてくれたし
頭を撫でてくれたりもして、すごく嬉しかった。
ちなみに、〜はだめ、については後年、だめだめ言ってたら何もできないし、だめな人になるかもしれないし
頭が凝り固まってしまうかもしれない、言葉自体よくない、だから言わないことにしていた、とのこと。
・やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
・話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
・やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
それを地でいく人だった母に感謝してる。 1歳のよちよち歩きの頃。
ちゃぶ台の上にお皿が並べられていてそろそろご飯の時間。
きらきら光るお茶碗の中のご飯を、待ち切れずに母親の目を盗んで手づかみで食べたこと。
案の定、すぐ見つかって叱られたが何も分からないフリをしたこと。
どんなに小さい子供でも色んなことをよく分かってます!
分からないフリだってします! 多分2歳くらい
父親が私にごはんを食べさせていて、飲み込むとすぐ次を口に持ってくる
少し一息つきたいのに次から次にごはんが目の前に運ばれてくるから、とっても息苦しかった
多分たくさん食べてくれて嬉しかったんだと思うけど、未だに思い出すからホントに苦しかったんだと思う ついつい早く食べさせたくて、まだもぐもぐしているうちに口の前にスプーン持って行ってたけど、あまり急がないようにしよう… 自分の記憶じゃなく現在5歳の息子が3歳の頃話してくれた胎内記憶。
「しゃっくりはおもしろかった。ひっく、ひっくって勝手に動くから」
当時お腹でしゃくりしてる気配があると、結構長く続くので
お腹をぽんぽん叩いてみたり心配していたけど、個人差あるだろうけどさほど苦痛ではないようです。 お腹の中でしゃっくりするの!?
初めて知ったよー。
最近胎動はげしいんだけど、何ヶ月くらいの時?
楽しみー! するする。一定のリズムだからしてたらすぐわかると思う >>271
横だしスレチだけど、胎児のしゃっくりって妊婦的には割とメジャーな話な気がするぞ…自治体でもらった資料とか育児本やらは読んでないのかな?
ちなみに、
>胎児は、妊娠20週(妊娠5ヶ月)頃からしゃっくりをし始めます。
だそうな。
自分の場合は8ヶ月位で胎動がはっきりしてきた頃にピクッピクッとした感じがたまにあったのであれがしゃっくりだったんだと思ってる。 出産した後に「あれはしゃっくりだったのか!」と分かったのでちょっと残念だ
知ってたら何となく楽しめた気がする
271も、しゃっくりし始めたらすぐ分かると思うよ 幼児期だけど、園児の頃、園からの帰りに男子に遭遇するのが嫌だった
大抵ちょっとからかわれるとか、軽く髪を引っ張られるとかだけど物凄く嫌で、そいつらに遭遇した時はまるで鬼に遭遇したような気分で絶望だった
母は母親同士楽しそうに話しているし、早く帰りたい…と纏わり付いても軽くいなされるけど本気で嫌だった
親から見たら子供同士の軽いやりとりにしか見えないんだろうな、というのは子供心に分かってて、自分が母親になったらそうじゃないって理解してやろう、と思ってた 遅くなったけど>>271です。
しゃっくりってメジャーなんだね。たまにピクッとだけ動いてる感じがするんだけどそれかのかな?と思って楽しんでおく!
教えてくれてありがとう。 自分が現在臨月になって、色んな事を思い出し始めた
このスレ知って面白くて一気読みしてしまったわ!
母が弟妊娠中だから多分私が2歳半の時の記憶
毎日働いていた母が、出産のために仕事辞めて毎日家にいるのが凄く嬉しかった
母のつわりは産むまで続き、グ○コの高原の岩清水レモンっていうジュースと
茶色の袋にアメコミの絵が入ったレモン味のパチパチキャンデーを毎日舐めてた
(後者は商品名がわからん…)
母と祖母は仲がひっじょーに悪かったのだが(いわゆる嫁姑戦争)
無事弟を出産した母の病室を出た後、祖母(産後の世話した)が
「母子さんの股はどす黒くて象みたいでキタネwww」などと言った…
私は、何がダメなのか?がわからなくてキョトンとしていると
「息子はなんであんな股の汚い女と結婚したんだろうね!」とか無茶苦茶言い始めた
意味はよくわからなかったけど、私には
「なんかよくわからんけど、おばあちゃんは母を侮辱してる!」という事は凄くわかって
なんとも言えない嫌な気持ちになってしまった…
その後母も退院した後、今度は母と父が祖母の悪口を入っていた
「あのクソババア」みたいな事を入っていたので
「クソババアって誰の事?」と聞くと母が
「おばあちゃんのことだけど、私がそう言ってたって言っちゃだめだよ」と言われた
小さいけれど、誰が誰の事を悪口言っているのかはちゃんとわかっていて
私は母も祖母も私には優しかったのですごく悲しい気持ちになった
もうすぐ出産するけど、幼い子供の前でも「どうせわからないだろう」などと思わず
人の事を悪く言ったりするのは絶対しちゃいけないなと思ったよ…
ここのスレ見てると、尚の事そういう気持ちが強まったわ >>279
スマン気になって色々ggったら
「ノーベル スーパーレモンキャンデー」
ってヤツだったわ…袋のデザインのせいでパチパチだと思い込んでた模様w
昔はもっと袋の色が茶色だったと思うんだけど、思い違いかな… あまりの酸っぱさにベロが荒れるやつだ!
酸っぱいとこ終わったら甘くて美味しいんだよなー
そうか、もうないのかアレ >>278
あったあった。うちも嫁姑険悪だったから。
私にどうにか出来るわけないんだから言うな聞かすなと思ってたなw
覚えてるわけない、解るわけないと舐めた態度も伝わってくるから
こういうことが続くほど家族に対して心が冷めてしまうし、
ストレスも強かったな
私は母がミスしたとき「ばあちゃんには言わないでよ!」
と言われるのが凄く嫌だった
八つ当たりの一種だと思うし >>280
そっちかw
自分で貼っといてなんだけどドンパッチ食べたくなってしまったわw
現在の母は温厚で親子仲も良いと思う。
だけど昔は育児でイライラしてたのか、幼児期の断片的な記憶の中の母は大体怒っている。
常に怒っていたわけじゃないと思うんだけどそういうシーンて印象に残りやすいのかな。
今娘は1歳半だけど最近イライラすることが多くつい大きな声で「コラ!」等と叱ってしまう。
将来娘が思い出す私は怒り顔なんだろうな…気を付けて穏やかに接していきたい。 四歳くらい
母が姉の習い事のお迎えに行く際
初めて私一人で留守番
日が暮れててよその家はみんな夕飯くらいの時間帯だった
最初は平気で遊んでたんだけどだんだん怖くなって泣き出して
泣いても泣いてもどうにもならなくてますます泣いて
分かりもしないお祈りやらお経もどきやらを言って(テレビで見たのの真似事)
「もう散らかしません、早くママ達が帰って来ますように」とか言いながらガクガク震えていた
帰ってきた母と姉の驚いた顔が忘れられない
次からはお迎えに私もついていくようになった
母じゃなくても誰か知ってる人がいれば平気だったので
一人なのが怖かったらしい 一歳前後の頃の記憶です。
おんぶされるのが大好きだった。
目線が高くなって、母の動きに合わせて景色がくるくる変わるのが楽しかった。
そして何より母の背中が温かくて、すごく幸せな気分になった。
その頃よくやってくれた遊びが
おんぶしながら母が「こっちだよー!」って言いながら左右交互に私の顔を見てくれるってやつ。
これがすっごく楽しかった。
現在9ヶ月の娘に同じ事をしてみたら、声を出して笑ってくれる。 三歳から保育園に入ったけど、それまで母親があまり怒らない育児をしていたせいか、最初にちょっと怒られたときにはものすごく驚いて傷つき、涙を滲ませながら復讐心に燃えていた。
お陰で暗い子だった。
もう少し怒られ耐性がほしかったなー。 >>286
私もそんな感じ
怒られるのが異常に怖かっただけじゃなく、おともだちが乱暴な言葉を使ったりするだけでもビクビクしてたわ
子にはそうなってほしくないのもあって結構キツめに叱ったりしてるけど
よく考えたら子は1歳から保育園入れてるからあんまり心配しなくて良かったかも 両親の仕事の都合で生後まもなくから保育園までを外国で過ごしていた頃の記憶は、原色が強い
中華料理屋の赤い壁、短時間の託児所にあった鮮やかな色のおままごとセット、近くの公園の真緑の芝生など…など
印象的だし覚えやすいし目に留まりやすいのだろうな
だからなんだかんだガチャガチャした印象でも、派手な色のおもちゃがいいんだろうなと思う 2〜3歳の頃の話。
母と手作りしたお菓子やパンがとても美味しかったのが今でも印象的。
ごく普通の型抜きクッキーや、バターロールなのに、
すっごく美味しくて、子どもながらに本当に感動した。
ドリールの香ばしさなんて、今でも覚えてる。
型を抜いたり、ドリールを塗ったりさせてもらえるのも楽しかった!
みんなと「美味しいね!」って言いながら食べたのも、嬉しかったな。
この話を母にすると、びっくりされる。
ごく普通のだし、時には固くて失敗したものもあるのにと。
市販のおやつじゃなくて、時には親子で作って食べるのってとても大事なことなんだなって思う。
それが、ホットケーキでも、おにぎりでも簡単なものでもいいんだと思う。
自分が作って、美味しいねって言ってもらえるのってとても嬉しいことだった。
2歳の娘も、好きなご飯を聞くと一緒に作るようなもの
(ピザや、餃子 など)を挙げるから、やっぱり嬉しいんだろうな。 2歳ごろ
母は弟を予定帝王切開だったので、祖母宅に預けられ、
お母さんはお腹切ったから抱っこできないよ!イタタだよ!と口を酸っぱくして言われた
弟が生まれお見舞いに行ったけど、抱っこって言いたかったけど必死で耐えてそれ以外は覚えてないw
3歳ごろ
寝付けなかった時に、母に、おっぱい触る?と聞かれた
もう弟の物だと思っていたから、いいの!?でも赤ちゃんじゃないし、でも触りたい…とすごくかっとうした。
鷲掴みにして寝た。 >>290
めちゃくちゃ可愛い
何歳だか忘れたけど、
何か理由があって泣いてるのに、
おっぱいを口に突っ込まれた記憶がある。 1歳前後の思い出
ベビーカーに乗ってディズニーランドをまわってるとき
ポップコーンが欲しくて後ろに手を回して催促する度に
まわりからクスクス聞こえて幼いながらも
バカにしないでよとカチムカしてたこと。
何かで大泣きして、母に抱きしめられたい!
抱っこして欲しい!と思ってたのに
一向に「どうしたの?!何がしたいの?!」と言われて
抱っこして欲しいだけなのに…!!と思って悔しくて涙が止まらなかったこと
2、3歳の思い出
兄にいじめられても、兄を叱ることなく
もうやめなさい!と喧嘩両成敗的なことをされて
母の後ろで舌を出す兄をみて
お母さんは私を守ってくれない、こんなずるい兄の方が好きなんだと打ちひしがれたこと >>293
賢いんだなぁ
それをフォローする自信がないわ >>293
後半わかるなあ
昨日TVで大家族石田家見てて、下の子が上の子と喧嘩して愚図って母親にいい加減にしろとか言われて「何であいつ怒んないの」と泣きじゃくってるの見て自分の幼児期思い出した
何があったか訊いてきちんと悪い方を叱って欲しいのに、いつまでも泣いてると怒られて理不尽だと思った
親から見たらどっちもどっちに見えるのかも知れないけどさ そうそう!それ見て私も思い出したの!
あの末っ子の殺してやる!からお母さんが止めに入って
じゃあアイツ殺してくれよ!のセリフも痛いほどわかった。
殺してくれって言うのは大げさなんだけど
自分はボコボコにされて、兄が平然とテレビ見てて
止めに入るんだったら兄に罰を与えてくれ!ってことなんだよね
末っ子はどうしてもやられっぱなしだから…
あの映像みたら末っ子君の中学、高校のグレ方は納得だったなw
そして大人なったときの兄との距離間もわかるわかるだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています