育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ スレチかもだけど。
私は乳幼児期の記憶がほとんど無くて、幼稚園以降は割と鮮明。
実兄は1歳代の旅行の記憶とかしっかり覚えていて、私は頭悪いんだと思ってた。
実は、兄が3歳(私は乳児)の頃にカメラを壊してしまって、当時カメラはとても高価だったから(団塊ジュニア世代、2眼レフが給料1ヶ月分くらいと聞いた)、私が幼稚園上がるまで買い替えられなくて写真がほとんど無い。
兄は写真を見ながら親に思い出話をされてたから、記憶を手繰る事が比較的容易だったのかな、と考えた。
これだけで全ての乳幼児の記憶を説明はできないけど、取り敢えず子供の写真は撮って整理した方が良いな、とHDに貯まったデータを見て思うよ。 保育園年少の時にお昼寝時間が大嫌いだった。
でも、先生たちがその時間に連絡帳書いたり、運動会の準備をステージの上でやってるのが見えたので、「寝てあげないと先生がかわいそう」と思って目をつぶって寝たふりをしてたこと。
そして、お昼寝時間が終わっても寝ている同級生を見て「お子ちゃまねー」と思ってたこと。
2歳の頃に母が兄だけ連れて東京に泊まりで遊びに行ったこと。
夜に母から電話がかかってきた時に「私、捨てられたんだ」と思って悲しくなった。
大人になって、母一人で東京に行くのに二人の子を連れて行くのが大変だったから置いていったと言われた(祖父母同居)けど、悲しいという感覚を自覚した日だった。
その時に我が家のような田舎では手に入らなかった海外のおもちゃをおみやげにくれたけど、いつまでたってもそのおもちゃで遊びたいと思えなかったこと。 幼稚園行くのが大嫌いだった
給食(仕出しでくそまずい)やお弁当が冷めてておいしくないのもあったけど
なによりこのまま母が迎えにこないんじゃないか
自分の面倒見るのが嫌だから幼稚園にいれたんだ…って思ってた
だから朝起きた瞬間にお腹痛いとか嘘ついて、病院行くよ?って言われてもいいよって言ってたし
あの手この手をつかって幼稚園に行かなかった
今思うと、母親のメンタルが離婚前で不安定だったのをなんとなく感じとってたのかも、と思う 両親が共働き&激務だったため、同居の祖父母がほぼ養育者だった。
ある日母が「絵本を読んであげる」と寝室にやって来た。
母がかまってくれるうれしさと珍しさで妹も私も大喜びした。
で、テンションあがりすぎて読み聞かせをおとなしく聞けず
「もう読んであげない!」と母は怒って寝室を出て行った。
そして本当に二度と読んでくれなかった。
という記憶から、我が子には寝る前のスキンシップや読み聞かせを
珍しいものにしないよう習慣化するよう心がけてる。 >>319
普段世話しないで、
たまに来て、子供が自分の思い通りの反応でなければキレる
ひどい親だな >>308
すげーそんな頃の事覚えてるんだ!
私は全然記憶ないんだよな〜 私はまだ目がちゃんと見えない、生後数ヶ月の記憶があるよ。
おしりが気持ち悪いのを、明るくて真っ白な視界のどこかに必死で訴えていたら
にっこりしたお母さんらしき人の顔がぼんやりと見え、おしりを持ち上げられたかと思うと
乾いたおしめの感触に変わり、何とも言えない満たされた幸せな気持ちになったこと。
この記憶があるから、第一子は布おむつで頑張った。
目はよく見えずとも、皮膚の感覚はすごく敏感なんだよね。
できればたくさんのお母さん達に布おむつで育てて欲しいと、いつも思う。
リアルでは信じてもらえないから言わないけど。 私もわからないわ…。
親が布オムツ派だったってだけだよね?
紙と布併用してたのかな? 布おむつの感触が良かったと言いたいのかもね
でも、
>>324
>おしりが気持ち悪いのを
と気持ち悪い感触になるのも布おむつだからな気がするけどね >>328
それはちょっと思ったかもw
今のは紙おむつの方がさらっとしててかぶれないとか
でも、おしりが気持ち悪いから教える、が
小さい赤ちゃんでできるってのがそもそもすごい
うちのはもっと大きくても布でおしり濡れてても平気で遊んでるから ごめんなさい、文章がヘタクソすぎでした。
汚れるたびに気持ち悪いのを訴える→お母さんがニッコリしてきれいなおむつに換える、というのは
1歳になるまでに1000回以上は繰り返す親子の大事なコミュニケーションだよ、というのと
その気持ち悪い感覚は、紙おむつだと失われてしまうからもったいないよ、
というのが言いたかったのです。 紙でもおむつから解放すると楽しそうに嬉しそうにするから、まったく無いわけではないんじゃないかな。
おむつ交換はそういう感じになるのね。
やっぱこのスレ面白い >>330
あーなるほど、
気持ちよいと気持ち悪いの違いとか
訴えたら気持ちよくしてもらえたっていう認識とか
そういう面でならわかる!
六千回のおむつがえとかだっけ?の本に沿ってる気がする
でもうちのはおむつ濡れても大きいのしても
平気のへいざなんだけど
どう感じてるのかなー聞いてみたい 速水りんこさんの漫画で、幼稚園で女の子達が
「布オムツのほうがいいよねー紙オムツだとゴワゴワするもん」「ねー」
と会話していた、という話しを読んで
頑張って布にしとけば良かったかなと思ったよ
うちの子もどれだけオムツがぽんぽんに膨らんでてもへっちゃら
替えるよーと言うとジャングルジムに立て篭って拒否 今4歳だけど数年前とはいえおむつの感触覚えてるのかなあ
布と紙混合だったけど、全然気にしてなさそう… 今のおむつは性能いいから不快感あまりなさそうだわ。 >>324
うん、まぁなんだ。最後の2行が余計だったという話だ。
あなたはほんとにリアルで言わないで正解だわ。 快適さのベストは中国の田舎の子みたいにズボンに丸い穴開けとくことかな。おしりはスースーしそうだけど。 布おむつでにっこり替えてあげられたらいいけど、子供がおなかゆるめで下痢が多くて
紙おむつでも死んだ目でおむつ交換していた私には、布おむつは無理ゲーだわ まあ、お母さんがニコニコ機嫌良くしてるのが一番赤ちゃんには嬉しいことだよね オムツ交換の記憶があるのは信じるけど、
お母さんにオムツ換えてもらったおかげで気持ちよくなった!という経験をさせるために
わざわざ布オムツで1000回以上も気持ち悪い思いをさせる必要性は感じない。 記憶があるのは信じるしその話は聞けてよかったけど
だから紙オムツsageで布オムツage!ほらあなたも布にしなさいよ!
みたいなのが引っかかる原因だと思う
報告者自身が幸せの記憶があるから布で頑張りましたっていうだけなら個人の自由だしなんとも思わないけど まあでも、気持ち悪い後のまっさらな布おむつってとっても気持ちいいんだろうなとは思う
足回りも柔らかそうだしね
私はダラなので紙一択だったけど、布も利点はあるよね いまや布ナプキンに近いものになってると思う
布にこだわるなら止めはしないけど、他人に勧めるものじゃない そんなむきにならなくても…
ただの話のひとつとして受け止めればいいのに 別にむきになってないけど、幼児期の記憶の信憑性と布オムツ推しをごっちゃにしてたからみんなつっこんでるんでしょ まあ紙はさらさらとはいっても蒸れるしね
どちらも使うけど
紙だとつい2〜3回待ってためてしまうので
布の方がトータルでは湿気がないかも 何歳かわからないけど、たしか幼稚園に入るより前の記憶。
母の習い事で、たまに託児所に預けられてた。
普段はおとなしくしてたんだけど、1日だけかなりギャン泣きした記憶がある。
最初は母に対して「行かないで!」っていう寂しい気持ちで泣いてたんだけど、
それでも母は行ってしまって、内心「あーあ」って諦めがついた。
けど変わらず泣きやまず、保育士?さんが絵本持ってきたりおもちゃ持ってきたりしてあやしてくれてたんだけど、
なんだか気持ちは妙に冷静で、「あの釣りのオモチャで遊びたいな(遠くで別の子が遊んでた)」とか「おやつの時間の丸ボーロくれないかな」とか考えてた。
最終的には、丸ボーロほしいって言ったところでダメって言われるのは分かってたし、怒られるのも怖かったから、欲しいけど手に入らないもどかしさで泣いてた。
家に帰って母に「なんで泣いてたの?」と聞かれた時は、なんだか恥ずかしくて「泣いてた子がいたから(つられて泣いた)」みたいな事を答えてた。 >>349
あーなんかその記憶の気持ちわかる
泣いてるけど妙に冷静とか私もそういう記憶あるなー 3歳くらいの時の記憶
当時住んでたアパートの二階に母の友人がいて、そこには私より幼い1歳すぎくらいの子がいた
たまたま行った時に子供が耳かきをされていてその耳かき棒が家のと違う金属製だった
それを見て私は「子供の耳かきは本当はあれでやるんだ!」と思い込んだ
母に頼んで◯◯ちゃんちと同じやつ買ってと言ったけど「何で?買わないよ?」の一点張り
凄く悲しくて悔しかったけど少し後に親戚の家で金属製耳かき棒を発見
喜び勇んでそれで耳かきして貰ったけど、思ってたより全然気持ちよくなかった
物凄く欲しくて大人になったら買おうとまで思ってたけどその時に耳かき棒熱がサーっと冷めた このスレ面白いなあ!
読んでたら幼稚園位までの記憶が次々思い出して来たよ。
私は幼稚園前?に1人で寝かされるのが寂しくて嫌だった。
カセットプレーヤーで童謡かけられて「おやすみ」って親が部屋を出て行くんだけど、寝付くまで誰かに側にいて欲しかった。でもなぜか言い出せなくて。
あと、テレビでトラウマになりそうな映像が流れてた時もなぜか怖いって親に言えなかったのも覚えてる。
親からしたら問題ないテレビでも私にしたら凄い恐怖だった。
大した事じゃなくても何が怖いか、トラウマになるか分からないから自分の子供には「怖かったり嫌だったら」教えてねって言う事にします。 私は夜中1人でトイレに行くのが怖くて、
でも1人でトイレに行くのが怖いと親に言うのは恥ずかしかったので、
夜中にトイレ行きたくて目を覚ました時は必ず
自分の掛け布団をぐちゃぐちゃに乱してから親の寝室に行って、
掛け布団ぐちゃぐちゃになっちゃったから直してと母親に声を掛けて
母親が起き出して直してくれている隙にトイレに行ってた。
子供部屋から親の寝室までは、トイレに行くより遠かったんだけどねw >>353
かけ布団がぐちゃぐちゃになったから直して ということを今まで考えたことがなかったから、言い訳に使ってただけかもしれないけどそういう考えがあることが興味深いなと思った!
私は3歳くらいの時に一緒に住んでたひいおばあさんに乗って、お馬さんごっこ?をしてもらってた。
私から見れば両親でも祖父母でもひいおばあさんでも同じ大人扱いだったんだよね。
でも自分が大人になってから母親にそのことを言われて、当時70〜80歳だったひいおばあさんに馬をやらせてたのはちょっとゴメンね…と思った。 下注意
小さい頃よくう○ちを我慢しててお母さんに怒られてた。
足バッテンにして我慢してたんだけど、怒られたくなくて隠れて我慢してた。すぐバレてたけど。
その頃は出すのは気持ち悪くて、我慢するのが気持ち良かった。
今考えてみたら、怒ったり急かされたりするよりは「最終的にはトイレで出さないけんのやしトイレ行けばー?」ぐらいサラッと言われてたら嫌なりにちゃんと行ってたのかな?と思った。 良スレ。
弟がベビーカーに乗ってて、その横をベビーカーにつかまりながら歩いていたから
3歳とかその辺だと思う。
吐き気がして朝から体調が悪かったけど、母がその頃何でもかんでも些細なことで
ぎゃんぎゃんヒステリックに怒ってこわかったから、言い出せなかった。
気持ち悪くて仕方ないから無言で歩いていて、早く家につかないかなと思ってた。
よく吐く子供だったから、家なら自分でトイレに行って自分で吐けるし。
そう思ってたら家までの途中に知り合いの家があって、そこに寄ると母が言い出した。
絶望した。
母と知り合いがそこの庭で立ち話してる間、立たされっぱなしで吐き気が限界になり、
その場で嘔吐した。
なんで早く言わなかったの!迷惑がかかるでしょう!と怒られたけど、
あんたがいつもそうやって怒鳴るから言えないんだよ。と思った記憶がある。
子供心に同居の母方祖母の私への接し方と全然違うから、
母親の私への接し方が普通というわけじゃないのも知ってたし、苦手だった。
母は弟を産んだ産育休で平日に家にいるけど、長く一緒にいると怒られっぱなしだし、
相性悪いんだなー、早く復帰してほしいなーと思っていた。
あの頃母は2人目育児で余裕がなかったのかもしれないけど、
私は母みたいにヒステリックな態度で子供に対応しないようにする。
あと三文安になったかもしれないけど、祖母が家にいて私はよかった。 ほんとにおばあちゃんいてよかったね
いなかったと思うとぞっとする >>357
私も同じだった
物心つくころからすでに母親のことが嫌いになってた
本当におばあちゃんがいてくれて良かったよね 多分内容的に2歳か3歳ぐらい?そしてやや下
父の運転する車で、どこかから家への帰り道
おしっこがしたくなってお母さんに言ったんだけど、今はオムツしてるからしてもいいんだよ、と言われた
でもそのままするのは何となく抵抗があって、嫌だなと思ったのを覚えてる。
「すぐ行けるようなトイレはないから、悪いけどオムツにしてね」って言ってくれたらよかったのになぁ。
オムツじゃなくて、トイレで用を足したい気持ちを汲んでほしいと思った いずれも3〜4歳の記憶。
・母親と風呂場で毛布を踏み洗い(の手伝い)をしていて、水気をきった毛布を母がベランダまで運びにいこうとする際、自分はまだバスタブの中にいて、
「お母さんが戻ってくるまでバスタブから出ないでね」と言われた。
「もう大きくなったし自分であがれるし!」と小さい子扱いされたと思って、自力でバスタブから脱出...
着地した瞬間にスッテンコロリン転けて頭を強打して大泣きしてしまった。
慌てて母親が戻ってきて「だから言ったじゃない。まだ洗剤流してないから床が滑るのに」と言われて、やっと「出ないでね」の意味がわかった。
・鼻のてっぺんにピョロっとイボのようなものがあった私。
越してきて、同じマンションの年上の子とかに「これなあに?」と聞かれるようになってから、私も気にするようになったらしい。
両親が「女の子だし、顔の中心だし、これから幼稚園入ると余計気にするかも知れないから」ということで、レーザーで焼くことに決まった。
ある日、両親に病院に連れられ、なんの説明も受けずに台に大の字に寝かされて、母親が両脚を・父親が両手を・看護婦さんが顔を押さえつけてきた!
みんな無言で羽交い締めにしてくるし、白衣着たおじさんが青白く光る棒みたいなのを顔に近づけてくる!
正直、鼻は全く痛くなかったけど、身動き取れないままバチバチと光る妙なものを顔に当ててきて、恐怖で力いっぱい泣き叫んだ。
母親は「どうせ子供だしわからないと思った」って言ってたけど、砕いて大まかに説明したり理由を言えば3〜4歳なりに理解できる部分もあったと思っている。
まだ我が子は赤ちゃんだけど、通じなくても「これはこうだからだめだよー」って言ってる。 まだ解らない、すぐ忘れると母親が言ってたのをしっかり覚えてるわw
子供が「私今日からお母さんの話解るようになったよ」とか自己申告してくれることのほうが無いと思うから
0歳から練習だと思って説明してるわ
2人目3人目になると余裕なくなって出来なくなるのかなぁ
うちは年寄りほどまだ解るわけない、って言うから
今と昔の子供の数と情報量、質の差もあるね 祖父母に育てられていた2歳頃、お風呂で転んで頭を切った。祖母が慌ててタオルで頭をくるんで私を自転車の後ろに乗せて近所の外科に駆け込んでくれた。
普通に漕いでも5分かからない距離を全速力ですっ飛ばしている祖母の背中が一番古い記憶。この人は絶対に信頼しようと思った。
おっちょこちょいで怪我の多い私に謎の民間療法を施してくれる祖母だったけど、その時の思いからか全く疑わず謎治療を受けたものだ。 誰にも信じてもらえないと思うから人には話さないけど、
まだ寝返りもできない頃
たぶんどこかにお出かけしたかなにかで、母が疲れきってこたつで寝てた。
私はすぐとなりにぴったり寄り添っていた。
すごく眠くて目をつぶっていたんだけど、母の顔が私のおでこにくっついていて嬉しくて幸せでその感触を感じながら涙ぐんでいた。
父がカメラでその様子を撮ろうと構えている気配を感じて一生懸命泣かないようにこらえていた。
そんな記憶がある >>372
ある
実は両親は私が4才の時離婚して
その後父とは二十歳まで会わなかったんだけど、
小さい頃のアルバムはおばあちゃん家に保管されてたんだ
中学生の時に初めてアルバムをみたときにバーっとその感覚が甦ったんだよね >>373 レスありがと
上の方に誰かが書いてたけど、幼いころからその写真を見る度に撮られた時の記憶を思い出してしっかり固定された。て訳ではないのね
(自分は↑この体験があって2歳くらいで写真撮られた時の記憶があるから)
見た瞬間に思い出したんだ ホント凄いね。脳味噌って不思議。 自分にも忘れてしまった幸せな記憶が一杯あるのかなあ どこにしまい忘れちゃったんだろ 一度した体験は脳は一生覚えてるんだって
でも思い出すのが難しいんだってさ
私はその思い出せないたくさんの体験から性格が作られてるんだろうなって思ってる
生まれ持った性格なんてほとんどないんじゃないかって 双子でもかなり小さい時から全然性格違うしね。
私も気質は生来の部分が大きいと思う。 ごめん気にしないで
私はそう思うってだけで人に押し付けるつもりはないから
スレチになりそうだからこのへんで終わりにしよう
すみませんでした うん、寧ろ生まれ持った性格の強さをヒシヒシ感じるよ
記憶しているということ自体が性格形成に関わるというよりは、その記憶をどう感じるか、どう受け止めるかが生まれ持った性格によって変わり、人格が作られていくように思う 少し性的な話です
3歳のころ、アンパンマンのアニメで、カレーパンマンがバイキンマンに掃除機みたいな機械を口に押し付けられ、顔の中のカレーをドクドク吸い取られる、というシーンを見る度に、股間に不快な違和感を覚えていました。
私は「おしっこをすればなおるかも」と思って、毎回トイレに行くのですが、おしっこは出ず、気持ちわるさを覚えたままでした。
だからといって、そのシーンが嫌になるわけでもなく、執着するわけでもなく、確かビデオを持っていたからだと思うのですが、他の作品と共に繰り返し見ていました。
その後も、TVアニメなどで、悪役に人質にとられたりしたヒロインが手や布で口を塞がれるシーンを見る度に同じようなことが起こりました。
中学生のころに、それが性的な興奮であることに気付き、3歳でもそういう反応が起こるのかと、とても驚きました。
「子供がしきりと陰部を触ること」に関する対処は時々子育ての話題として上がっていますが、
そういう場で理由として挙げられている「安心感」「快感」といったものは私にはなかったので、
それらは大人の勝手な思い込みで、実は「不快感の解消」も多くあるのではないかと少し思います。
リアルでは言いにくいことですが、非常に興味深い出来事でもあるので書いてみました。 >>382
3歳でも性的興奮って、やっぱり有るんだね。
昔、ナンシー関(女性・故人)というコラムニストの本で、子供は幼稚園の頃にウルトラマンを見て人生最初の性的興奮を知るのだ、みたいな事が書いてあったような。
悪者にロープに縛られたウルトラマンを見て、らしいから同じようなシチュエーションだよね。
私はウルトラマン見た事無いからピンと来なかったけど、興味深い記憶をありがとう。 娘(三歳半)はお風呂のたびにシャワーのぬるま湯であそこをいじってるよ
はずかしがってはいなくて堂々としてやってるw
性的な観念は理解できなくても気持ちいいとかはわかるみたい 一瞬、ヒゲだろネタだろ〜と思ったけど思い出した
私のそれ、セーラームーンだったわ
小学校低学年ぐらいだったか… 性的興奮って小さい頃は裸とかじゃなくて、暴力的なものに覚えるんだってね。
これは私も身に覚えがあるわ。
それが小学校の中、高学年くらいから裸の写真とかの一般的な対象に変わっていくんだけど、正しい発達が妨げられてしまうと、サカキバラみたいに大きくなっても暴力と性的興奮が結びついたままになっちゃう。 一連の流れで記憶の扉が開いた。
私はたまたま廃品回収でその辺に置いてあったジャンプで、ケンシロウが七つの傷をつけられているところだったかもw 欧米だと子供に身長が伸びるサプリを飲ませるのが常識になってるみたいだけど
日本だとこのサプリだけなのかな?
http://topic123.xyz/seityou.html >>390
ステマ死になさい
欧米でもそんな常識ないわ >>388
私は中学生ぐらいまで治らなくて、異常じゃないかと悩んだなぁ
幼児期はそういうことも多いのか。おかしいのが自分だけじゃなくて安心した 過疎ってるようなので
4,5歳の頃、うちの裏には田んぼと用水路があって、そこに近づかないように母に脅されたのがものすごく怖くてあとを引いた事
当時親に、悪いことをすると死んだ後に地獄という恐ろしい所に行くからいい子にしなさいと教えられていた
死ぬことを考えるのも怖いし、そもそもお母さんに会えなくなるのが想像もつかないほど恐ろしくてたまらなかった
そんな中で用水路の事を、怖くて怖くてたまらない地獄を持ち出して「あそこに行くと地獄に行っちゃうからね」と言われたのが怖くて怖くて、何が危ないのかもよくわからず、用水路や田んぼには決して近づかなかった
それだけならいいんだけど、地獄っていうのは結構身近にあって、油断するとすぐ地獄に落ちて(文字通り、落下していって)しまうと思い、色んなものが怖くなってしまった事。
特に怖かったのは家の脇になぜかニョキッと突き出ていた何かの配管
手も入らないぐらいの細めの管だったけど、ぽっかりあいた穴は地獄に繋がっていると思い、近づくのも嫌だった
もうひとつ、地獄にまつわるエピソード
当時親には「一度も嘘をつかずに死ぬと天国へ行く。嘘をつくと地獄に行く」と言われ、
じゃあきっと、天国に行けるのは100人に1人ぐらいだなと思い、同時に、自分もお父さんもお母さんも、天国には行けないんだなぁと悲しくなった。正直だけでは生きて行けない事を何なく理解していて、天国へ行ける人はほとんどいないんだなぁと思っていた
(ちなみに100というのは、当時私にとって考えられないほど大きな数だった) >>396
地獄とか死の概念って、子供には結構な恐怖なんだね。
私は脅し系な事を親に言われなかったから逆に鈍感みたいで、悪ガキ息子にかなり脅しつけちゃってる…気をつけよう。 地獄のエピソード、自分も似たような事考えてた。
親や姉に騙されてる自覚があったので、家族は地獄で鬼の監視下で辛い修行・仕事(?)するのだと思ってて、
そんな親や姉の姿を想像して不安になったというか、心配で眠れなくて夜中に何度か泣いた事がある。 電気コード踏むと死ぬ、って教わってて、
初めて踏んだときはもうダメなんだー!と思って(x0x)みたいな顔して覚悟してたなー。
「死」をどう子供に伝えるべきか迷ってる。
私は、何の前触れもなく死の恐怖に取り憑かれてワーーッとなることが時々あるんだけど、
多分これは幼少期の親の教育によるものなんだろうなーと思ってる。
でも、死に至る危険は子供の身の回りにはわんさかあるから避けて通るわけにも行かないし…。 >>396
まあ、用水路に落ちると本当にこの世とおさらばになるもんね
うそをついたら〜天国だ地獄だ〜ってのは自分も言われた
そんな基準だと天国行ける人ほとんといないだろと思ってた
100ってすごい数に思えたよね
クイズの賞金100万円とかを見ると、一億円くらいに感じていたなあ わかる!
私も5歳頃親の寝室で一緒に寝てて、テレビの上にデジタル時計が置いてあったんだよね。
でも私は子供で早く寝ちゃうから、20時くらいまでしか見たことがなかったんだ。
父親にこれは何時までなるの?って聞いたら100時って言われて、ビックリ&感心したんだよね。
でも実際には24時までしかないことを小学校に入って知ってビックリしたよー。 396です
>>400
>用水路に落ちると…
本当、その通りなんだよねぇ…
地獄云々じゃなくて例えば実際に連れられて見に行って教えられたとしても、逆に興味持っちゃってたかも知れないし。
危ない事は一切なく過ごせてよかったのは間違いないんだけど、思い返すと何か釈然としないというかね。
あっちの方向(用水路≒地獄)からいつ閻魔様や鬼がやってくるかと、急に怖くなったりしてたから。でも4,5歳って、そういうものなのかな。 >>397だけど。
私の母親の実家は離島で信仰が神道だからか、天国・地獄の話をされた事がないって思い当たった。
そのかわり「身の周りには見えない所にも神様がたくさんいて、良い事も悪い事も全部お見通しだよ」って言われてた。
私が今、割と善良な小市民なのは(道に転がってる空き缶を拾ってゴミ箱へ捨てる程度だけど)、誰にも褒められなくても神様は見ててくれるってどこかで思っているからだと思う。 >>403
その考え素敵だなぁ。
天国地獄って考え方もありだけど、子供には八百万の神とかお天道様?みたいな考え方で、誰も見ていない所でも正しい事を出来る人になって欲しいわ。
そういう昔話とかってないのかな?
特に宗教に詳しくないんだけど、仏教の教えとかだとそういうのがあるのかなぁ。 >>401
質問されてパッと100時って言える親父がすげーわww >>404
花咲き山って絵本あるよ。超名作なので大抵の本屋にあると思う。 幼少期の記憶って殆どないけど、唯一覚えてるのは母親(祖母だったかも)と歩いてると、歩幅が違うから決まって置いて行かれたことだわ。
「待って」って言うと一瞬立ち止まってくれるんだけど、振り返るだけで待ってはくれない。
慌てて走って追いついても、息切れしてぜえぜえしてる間にまたさっさと先に行っちゃう。
4歳くらいで体が大きかったから、抱っこもしてくれなかった。
未だに微妙な理不尽さを感じる。 勤務時 や 職場の宴会で、先輩から 君はタバコはやらないのか?と聞かれて・・・(健康に良くないので)と返事していると相手には真意が伝わらない。
(タバコが苦手なので)でも伝わらない。
(タバコが嫌いなので)でやっと伝わるが、(何だこいつは)と思われて、後で職場で面当てされることも。
●こんな目に遭わないためにも、ハッキリ言うべし!・・・(タバコは大嫌いです)と。 強い意志を持った嫌煙であることを伝えることが大切です。
喫煙者からは、軽く見られないようにしましょう。 4歳の幼稚園だった記憶。
結構この頃の記憶がよく残ってる。
リビングで昼寝してた私はすごく怖い夢をみた。何かが襲ってくる夢。
怖くて起きたときに泣いてしまってすごく恐怖だったとき母親がすぐ横にいて
どうしたの?怖い夢でもみたの?大丈夫だよーって抱きしめてもらって恐怖がなくなった記憶がある。
そのときの母親の顔がすごく優しかった。
抱きしめてもらうって効果絶大だ。 4歳の頃
兄が入院して母が付き添ったので数日私と父と二人きりだった
父は朝早く夜遅く、休みもあまりないような人だったからほとんど顔を合わせなかった
そんな父と二人きりになるのが嫌で嫌で、「だれ!?怖い!だれ!?こないで!!」と泣き叫んでこたつの周りをグルグルと逃げ回っていた記憶
父だともちろんわかっていたけど、嫌だったのと多分困らせよう、と思っていた
その数日ですっかり仲良くなったけど、その年齢で親を困らせようとするものなんだな、と大人になってから思った
私が性格悪かっただけかもしれないけど 困らせてみてどこまで許容されるか、を試してみる気持ちが子供にはあるって聞くね。
その数日でこの人は大丈夫と感じたんだろうな。 うん
そこまで拒絶されても、母にヘルプや祖父母におまかせせずにお父さん頑張ったから父子で仲良くなれたんだね
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