育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ いずれも3〜4歳の記憶。
・母親と風呂場で毛布を踏み洗い(の手伝い)をしていて、水気をきった毛布を母がベランダまで運びにいこうとする際、自分はまだバスタブの中にいて、
「お母さんが戻ってくるまでバスタブから出ないでね」と言われた。
「もう大きくなったし自分であがれるし!」と小さい子扱いされたと思って、自力でバスタブから脱出...
着地した瞬間にスッテンコロリン転けて頭を強打して大泣きしてしまった。
慌てて母親が戻ってきて「だから言ったじゃない。まだ洗剤流してないから床が滑るのに」と言われて、やっと「出ないでね」の意味がわかった。
・鼻のてっぺんにピョロっとイボのようなものがあった私。
越してきて、同じマンションの年上の子とかに「これなあに?」と聞かれるようになってから、私も気にするようになったらしい。
両親が「女の子だし、顔の中心だし、これから幼稚園入ると余計気にするかも知れないから」ということで、レーザーで焼くことに決まった。
ある日、両親に病院に連れられ、なんの説明も受けずに台に大の字に寝かされて、母親が両脚を・父親が両手を・看護婦さんが顔を押さえつけてきた!
みんな無言で羽交い締めにしてくるし、白衣着たおじさんが青白く光る棒みたいなのを顔に近づけてくる!
正直、鼻は全く痛くなかったけど、身動き取れないままバチバチと光る妙なものを顔に当ててきて、恐怖で力いっぱい泣き叫んだ。
母親は「どうせ子供だしわからないと思った」って言ってたけど、砕いて大まかに説明したり理由を言えば3〜4歳なりに理解できる部分もあったと思っている。
まだ我が子は赤ちゃんだけど、通じなくても「これはこうだからだめだよー」って言ってる。 まだ解らない、すぐ忘れると母親が言ってたのをしっかり覚えてるわw
子供が「私今日からお母さんの話解るようになったよ」とか自己申告してくれることのほうが無いと思うから
0歳から練習だと思って説明してるわ
2人目3人目になると余裕なくなって出来なくなるのかなぁ
うちは年寄りほどまだ解るわけない、って言うから
今と昔の子供の数と情報量、質の差もあるね 祖父母に育てられていた2歳頃、お風呂で転んで頭を切った。祖母が慌ててタオルで頭をくるんで私を自転車の後ろに乗せて近所の外科に駆け込んでくれた。
普通に漕いでも5分かからない距離を全速力ですっ飛ばしている祖母の背中が一番古い記憶。この人は絶対に信頼しようと思った。
おっちょこちょいで怪我の多い私に謎の民間療法を施してくれる祖母だったけど、その時の思いからか全く疑わず謎治療を受けたものだ。 誰にも信じてもらえないと思うから人には話さないけど、
まだ寝返りもできない頃
たぶんどこかにお出かけしたかなにかで、母が疲れきってこたつで寝てた。
私はすぐとなりにぴったり寄り添っていた。
すごく眠くて目をつぶっていたんだけど、母の顔が私のおでこにくっついていて嬉しくて幸せでその感触を感じながら涙ぐんでいた。
父がカメラでその様子を撮ろうと構えている気配を感じて一生懸命泣かないようにこらえていた。
そんな記憶がある >>372
ある
実は両親は私が4才の時離婚して
その後父とは二十歳まで会わなかったんだけど、
小さい頃のアルバムはおばあちゃん家に保管されてたんだ
中学生の時に初めてアルバムをみたときにバーっとその感覚が甦ったんだよね >>373 レスありがと
上の方に誰かが書いてたけど、幼いころからその写真を見る度に撮られた時の記憶を思い出してしっかり固定された。て訳ではないのね
(自分は↑この体験があって2歳くらいで写真撮られた時の記憶があるから)
見た瞬間に思い出したんだ ホント凄いね。脳味噌って不思議。 自分にも忘れてしまった幸せな記憶が一杯あるのかなあ どこにしまい忘れちゃったんだろ 一度した体験は脳は一生覚えてるんだって
でも思い出すのが難しいんだってさ
私はその思い出せないたくさんの体験から性格が作られてるんだろうなって思ってる
生まれ持った性格なんてほとんどないんじゃないかって 双子でもかなり小さい時から全然性格違うしね。
私も気質は生来の部分が大きいと思う。 ごめん気にしないで
私はそう思うってだけで人に押し付けるつもりはないから
スレチになりそうだからこのへんで終わりにしよう
すみませんでした うん、寧ろ生まれ持った性格の強さをヒシヒシ感じるよ
記憶しているということ自体が性格形成に関わるというよりは、その記憶をどう感じるか、どう受け止めるかが生まれ持った性格によって変わり、人格が作られていくように思う 少し性的な話です
3歳のころ、アンパンマンのアニメで、カレーパンマンがバイキンマンに掃除機みたいな機械を口に押し付けられ、顔の中のカレーをドクドク吸い取られる、というシーンを見る度に、股間に不快な違和感を覚えていました。
私は「おしっこをすればなおるかも」と思って、毎回トイレに行くのですが、おしっこは出ず、気持ちわるさを覚えたままでした。
だからといって、そのシーンが嫌になるわけでもなく、執着するわけでもなく、確かビデオを持っていたからだと思うのですが、他の作品と共に繰り返し見ていました。
その後も、TVアニメなどで、悪役に人質にとられたりしたヒロインが手や布で口を塞がれるシーンを見る度に同じようなことが起こりました。
中学生のころに、それが性的な興奮であることに気付き、3歳でもそういう反応が起こるのかと、とても驚きました。
「子供がしきりと陰部を触ること」に関する対処は時々子育ての話題として上がっていますが、
そういう場で理由として挙げられている「安心感」「快感」といったものは私にはなかったので、
それらは大人の勝手な思い込みで、実は「不快感の解消」も多くあるのではないかと少し思います。
リアルでは言いにくいことですが、非常に興味深い出来事でもあるので書いてみました。 >>382
3歳でも性的興奮って、やっぱり有るんだね。
昔、ナンシー関(女性・故人)というコラムニストの本で、子供は幼稚園の頃にウルトラマンを見て人生最初の性的興奮を知るのだ、みたいな事が書いてあったような。
悪者にロープに縛られたウルトラマンを見て、らしいから同じようなシチュエーションだよね。
私はウルトラマン見た事無いからピンと来なかったけど、興味深い記憶をありがとう。 娘(三歳半)はお風呂のたびにシャワーのぬるま湯であそこをいじってるよ
はずかしがってはいなくて堂々としてやってるw
性的な観念は理解できなくても気持ちいいとかはわかるみたい 一瞬、ヒゲだろネタだろ〜と思ったけど思い出した
私のそれ、セーラームーンだったわ
小学校低学年ぐらいだったか… 性的興奮って小さい頃は裸とかじゃなくて、暴力的なものに覚えるんだってね。
これは私も身に覚えがあるわ。
それが小学校の中、高学年くらいから裸の写真とかの一般的な対象に変わっていくんだけど、正しい発達が妨げられてしまうと、サカキバラみたいに大きくなっても暴力と性的興奮が結びついたままになっちゃう。 一連の流れで記憶の扉が開いた。
私はたまたま廃品回収でその辺に置いてあったジャンプで、ケンシロウが七つの傷をつけられているところだったかもw 欧米だと子供に身長が伸びるサプリを飲ませるのが常識になってるみたいだけど
日本だとこのサプリだけなのかな?
http://topic123.xyz/seityou.html >>390
ステマ死になさい
欧米でもそんな常識ないわ >>388
私は中学生ぐらいまで治らなくて、異常じゃないかと悩んだなぁ
幼児期はそういうことも多いのか。おかしいのが自分だけじゃなくて安心した 過疎ってるようなので
4,5歳の頃、うちの裏には田んぼと用水路があって、そこに近づかないように母に脅されたのがものすごく怖くてあとを引いた事
当時親に、悪いことをすると死んだ後に地獄という恐ろしい所に行くからいい子にしなさいと教えられていた
死ぬことを考えるのも怖いし、そもそもお母さんに会えなくなるのが想像もつかないほど恐ろしくてたまらなかった
そんな中で用水路の事を、怖くて怖くてたまらない地獄を持ち出して「あそこに行くと地獄に行っちゃうからね」と言われたのが怖くて怖くて、何が危ないのかもよくわからず、用水路や田んぼには決して近づかなかった
それだけならいいんだけど、地獄っていうのは結構身近にあって、油断するとすぐ地獄に落ちて(文字通り、落下していって)しまうと思い、色んなものが怖くなってしまった事。
特に怖かったのは家の脇になぜかニョキッと突き出ていた何かの配管
手も入らないぐらいの細めの管だったけど、ぽっかりあいた穴は地獄に繋がっていると思い、近づくのも嫌だった
もうひとつ、地獄にまつわるエピソード
当時親には「一度も嘘をつかずに死ぬと天国へ行く。嘘をつくと地獄に行く」と言われ、
じゃあきっと、天国に行けるのは100人に1人ぐらいだなと思い、同時に、自分もお父さんもお母さんも、天国には行けないんだなぁと悲しくなった。正直だけでは生きて行けない事を何なく理解していて、天国へ行ける人はほとんどいないんだなぁと思っていた
(ちなみに100というのは、当時私にとって考えられないほど大きな数だった) >>396
地獄とか死の概念って、子供には結構な恐怖なんだね。
私は脅し系な事を親に言われなかったから逆に鈍感みたいで、悪ガキ息子にかなり脅しつけちゃってる…気をつけよう。 地獄のエピソード、自分も似たような事考えてた。
親や姉に騙されてる自覚があったので、家族は地獄で鬼の監視下で辛い修行・仕事(?)するのだと思ってて、
そんな親や姉の姿を想像して不安になったというか、心配で眠れなくて夜中に何度か泣いた事がある。 電気コード踏むと死ぬ、って教わってて、
初めて踏んだときはもうダメなんだー!と思って(x0x)みたいな顔して覚悟してたなー。
「死」をどう子供に伝えるべきか迷ってる。
私は、何の前触れもなく死の恐怖に取り憑かれてワーーッとなることが時々あるんだけど、
多分これは幼少期の親の教育によるものなんだろうなーと思ってる。
でも、死に至る危険は子供の身の回りにはわんさかあるから避けて通るわけにも行かないし…。 >>396
まあ、用水路に落ちると本当にこの世とおさらばになるもんね
うそをついたら〜天国だ地獄だ〜ってのは自分も言われた
そんな基準だと天国行ける人ほとんといないだろと思ってた
100ってすごい数に思えたよね
クイズの賞金100万円とかを見ると、一億円くらいに感じていたなあ わかる!
私も5歳頃親の寝室で一緒に寝てて、テレビの上にデジタル時計が置いてあったんだよね。
でも私は子供で早く寝ちゃうから、20時くらいまでしか見たことがなかったんだ。
父親にこれは何時までなるの?って聞いたら100時って言われて、ビックリ&感心したんだよね。
でも実際には24時までしかないことを小学校に入って知ってビックリしたよー。 396です
>>400
>用水路に落ちると…
本当、その通りなんだよねぇ…
地獄云々じゃなくて例えば実際に連れられて見に行って教えられたとしても、逆に興味持っちゃってたかも知れないし。
危ない事は一切なく過ごせてよかったのは間違いないんだけど、思い返すと何か釈然としないというかね。
あっちの方向(用水路≒地獄)からいつ閻魔様や鬼がやってくるかと、急に怖くなったりしてたから。でも4,5歳って、そういうものなのかな。 >>397だけど。
私の母親の実家は離島で信仰が神道だからか、天国・地獄の話をされた事がないって思い当たった。
そのかわり「身の周りには見えない所にも神様がたくさんいて、良い事も悪い事も全部お見通しだよ」って言われてた。
私が今、割と善良な小市民なのは(道に転がってる空き缶を拾ってゴミ箱へ捨てる程度だけど)、誰にも褒められなくても神様は見ててくれるってどこかで思っているからだと思う。 >>403
その考え素敵だなぁ。
天国地獄って考え方もありだけど、子供には八百万の神とかお天道様?みたいな考え方で、誰も見ていない所でも正しい事を出来る人になって欲しいわ。
そういう昔話とかってないのかな?
特に宗教に詳しくないんだけど、仏教の教えとかだとそういうのがあるのかなぁ。 >>401
質問されてパッと100時って言える親父がすげーわww >>404
花咲き山って絵本あるよ。超名作なので大抵の本屋にあると思う。 幼少期の記憶って殆どないけど、唯一覚えてるのは母親(祖母だったかも)と歩いてると、歩幅が違うから決まって置いて行かれたことだわ。
「待って」って言うと一瞬立ち止まってくれるんだけど、振り返るだけで待ってはくれない。
慌てて走って追いついても、息切れしてぜえぜえしてる間にまたさっさと先に行っちゃう。
4歳くらいで体が大きかったから、抱っこもしてくれなかった。
未だに微妙な理不尽さを感じる。 勤務時 や 職場の宴会で、先輩から 君はタバコはやらないのか?と聞かれて・・・(健康に良くないので)と返事していると相手には真意が伝わらない。
(タバコが苦手なので)でも伝わらない。
(タバコが嫌いなので)でやっと伝わるが、(何だこいつは)と思われて、後で職場で面当てされることも。
●こんな目に遭わないためにも、ハッキリ言うべし!・・・(タバコは大嫌いです)と。 強い意志を持った嫌煙であることを伝えることが大切です。
喫煙者からは、軽く見られないようにしましょう。 4歳の幼稚園だった記憶。
結構この頃の記憶がよく残ってる。
リビングで昼寝してた私はすごく怖い夢をみた。何かが襲ってくる夢。
怖くて起きたときに泣いてしまってすごく恐怖だったとき母親がすぐ横にいて
どうしたの?怖い夢でもみたの?大丈夫だよーって抱きしめてもらって恐怖がなくなった記憶がある。
そのときの母親の顔がすごく優しかった。
抱きしめてもらうって効果絶大だ。 4歳の頃
兄が入院して母が付き添ったので数日私と父と二人きりだった
父は朝早く夜遅く、休みもあまりないような人だったからほとんど顔を合わせなかった
そんな父と二人きりになるのが嫌で嫌で、「だれ!?怖い!だれ!?こないで!!」と泣き叫んでこたつの周りをグルグルと逃げ回っていた記憶
父だともちろんわかっていたけど、嫌だったのと多分困らせよう、と思っていた
その数日ですっかり仲良くなったけど、その年齢で親を困らせようとするものなんだな、と大人になってから思った
私が性格悪かっただけかもしれないけど 困らせてみてどこまで許容されるか、を試してみる気持ちが子供にはあるって聞くね。
その数日でこの人は大丈夫と感じたんだろうな。 うん
そこまで拒絶されても、母にヘルプや祖父母におまかせせずにお父さん頑張ったから父子で仲良くなれたんだね
いい話だわ 3歳頃
母と祖母の仲が険悪で、母がよく祖母の居ないところで「クソババア」呼ばわりしていた。私はなぜかおもしろがってその度に祖母に「お母さんが、クソババアって言ってたよ」って告げ口してた。当然ながら母と祖母の仲はさらにこじれた。
こじれさせて申し訳なかったなと思う反面、子供の前でクソババア呼ばわりってどうなの…とも思う。
自分は家族の悪口は言わないようにしなきゃな、って気をつけてる。 多分それぜんぜん悪気ないよね。3才じゃわかんないよ なんかワロタ
お母さんもよく子供の前でクソババアなんて言うよw
3才児が秘密になんてできるわけないのにw
もしかしたらわざとなのかもね
子供にクソババアをクソババアって言わせたかったのかもw 面白いスレだー。
私の一番古い記憶は、1歳前のベビーカーの中の記憶。
東武ワールドスクエアのお土産か展示物の棚を、下から寝転がって見てた。ドーム状の影があって、それは今思うとベビーカーのフード部分だったんだなーと。
あとはトイトレの最中だから2歳前後かな?
トイレ間に合わなくてカーペット敷きなのに漏らして汚した。お母さんが火がついたように怒ってて、ゲンコツ飛んできた。
何も出来ずにただ立ち尽くして泣いて謝ってたわ。
ただでさえ双子で手がかかるのに、カーペットでおもらししたらそりゃキレるよね。 >>418
自分もトイトレ覚えてる
白鳥のオマルの顔が怖かった
首が長かったのでアヒルではなく白鳥だった
補助便座よりも和式トイレの方がトイトレ助かると今になって思う 3歳までは両親も仲が良く仕事も安定していたので
自分の記憶の印象も、穏やかな感触で統一されているのだが
その後に弟が生まれて、同時に両親の仕事が忙しくなり不仲になったので
記憶も我慢するもの、寂しさに耐えるもの、といった類のものがほとんどになる
大人になってからも、その記憶の寂しいトーンというのはしばしば思い出されて
落ち込んでいたので、自分の子育てでは気をつけたいと思っている 私も水色のベビーカーが最初の記憶。近所に散歩に行って、同じような乗り物の母子にあい、お母さんが笑顔で喋り出した。まだかなーってぼんやり見てた。不満とかではないけど長時間に感じた。
トイレは、3歳くらい。お絵かきしてて「あっ」って思ってトイレに急いで行こうとし間に合わず廊下で全部出ちゃって、アチャー間に合わなかったか!って思った記憶がある。
間に合わせたいって気持ちは確かにあった。気づいてから出るまでがかなり短かった。だんだん我慢できるようになったけど、トイレが遠い時は失敗した。わりと父親に声かけされてトイレに行ってた。 4歳の時にお泊り遠足で布団敷いて何故か一つの布団に男の子と一緒に寝かされてドキドキして眠れなかったのを覚えてる。小さいうちでも、異性を意識するもんなのね… トイトレ私も覚えてる!
ミシン目に合わせて1枚だけ引き出して、押さえて破る、という「トイレットペーパーを取る手順」を教わってワクワクしたよ。 良スレ
私は幼稚園が大嫌いな子どもだった
年中入園だったんだけど入園式で、皆が静かにきちんと座れているのに対し、
私は「おかああああざああああん!」とギャン泣き。泣いていたのは私だけ
母も非常に恥ずかしかったらしい
泣いていた理由もうっすら覚えている
慣れない子どもの集団に入れられたことや
幼稚園がどんな場所なのか分からなかったのも怖かった
母や祖父母に聞けば、乳児の頃から人見知りの激しい子どもだったらしい
子7ヶ月はまだ人見知りはしていないけど、行く場所や会う人等きちんと伝えてあげようと思う 一番古い記憶はパーテーションで区切られた、真っ白い長机のあるスペース。
私は母の膝に乗せられてて、向かいに座ったベストを着たOLさんみたいな服のおばさんが私を褒めて母は嬉しそうだった。
で、おばさんが持ってる白い粘土板みたいものにお母さんが私の手のひらと足をぐーって押し付けた。ちょっと痛かった。
で、粘土に押し付けられた手が汚れた感じがしてすごく嫌で、気持ち悪くてちょっとグズった。
…という記憶があるんだけど、いつのなんの記憶だろ、って聞いたら母がめちゃくちゃビックリして、生後半年になる頃に百貨店で半年記念の手形と足型を取ったと。たんすの奥底に眠ったその記念プレート見せてくれた。ちなみにそれ見るの初めて。
ちなみにそれが原因かどうかは分からないけど、未だに手に汚れがつくのは苦手で保湿クリームとかも塗れない。
あといきなり手やら足やら粘土板に押し付けられて嫌だったから、なんでも初めてのことを赤ちゃんにするときは声かけてからしようと思う。 >>425
面白い!
でも粘土板のせいで今でも苦手、じゃなくて
もともと感覚過敏があるから昔も今もってことではないかと 1歳10ヶ月くらいの時
に撮られていたビデオ。
兄におもちゃを奪われてぐずっている時に、父が私にビデオカメラを向けて「私ちゃーん、ばぁ、は?」と言っている場面が写ってるんだけど、その時の気持ちをはっきり覚えてる。
私は本当はおもちゃのことで泣こうとしてたんだけど、今泣くとお父さんが残念がるかな、お父さんのせいで泣いたと思われちゃうかな、とか思って、ちゃんと「ばぁ」のポーズをとって笑ってみせてから、改めて兄に向かって泣き出した。
この記憶のおかげで、人って小さな頃からけっこう気を遣うんだなということが分かった。 すべて1歳ぐらいの記憶。
親戚と集合写真撮るとき兄は母が抱っこ、私は親戚のお姉さんの膝の上というポジションだった。
お姉さんは短パンを履いていて未処理の足の毛がジョリジョリチクチク…
それが嫌で泣いて泣いてお母さんに抱っこしてもらいたかったけど叶わずそのまま写真撮られた。
あとはひいおばあちゃんがヨボヨボで怖くて抱っこされたくなかった記憶と、
海水浴に行ったときに押し寄せる波が怖くて全く近づけなかったこと、
水着姿のまま食堂に行かされてぽんぽこりんのお腹が恥ずかしいから水着のままでは出歩きたくないと思ってたこと。
嫌だったこと、怖かったこと、悔しい!と思ったことばかり覚えてる…。 すごい!
なんか生まれ変わりとか輪廻転生とかで
大人の意識をもった赤ちゃんっていてもおかしくないかも 4歳ぐらいの時、伯母さんとその友達にテーマパークに連れて行ってもらった
両親は忙しかったのか私は伯母に預けられ、「これからお兄ちゃんとお姉ちゃんのいるお家に行くよ」と言われておばの友人の家に行った
家につくと、伯母の友人の若夫婦が出迎えてくれた
私は一緒に遊ぼうと思ってお兄ちゃんとお姉ちゃんの姿を探したけど、その家には若夫婦以外の姿はなかった
私は伯母に「お兄ちゃんとお姉ちゃんはどこ?」と聞いたら「目の前に居るじゃない」と若夫婦を指さされたのでぎょっとした
お兄ちゃんお姉ちゃんと言うからには自分より2つか3つ上の子供を想像していたのに、こんな大人のどこがお兄ちゃんお姉ちゃんなんだ!と思った。
当時は伯母もまだ20代だったし若夫婦も同じぐらい、子供もいなかったので、自分達はまだお兄ちゃんお姉ちゃんで通じると思ってたんだろうな 家が自営やってて保育園に預けられてたんだけど、繁忙期の時に何度かお迎えを忘れられた事がある。先生と「お母さん遅いねぇ」って話してた記憶が鮮明に残ってるな。
まだ自分の子は生後数ヶ月で預ける予定もないけど、もしそうなったらどんなに忙しくても気をつけよう。 1歳ぐらいのとき、トリトラやみたいなイスを父が買ってきたんだけど、それがすごく嫌で、
なにこの赤ちゃん用みたいなイス!って失望したの覚えてる。
大人用の座面が柔らかいイスが良かったんだよねえ 1歳頃の記憶
お絵かきしているのを母が見守ってくれてた時
わざと壁に書くふりをしながら、母の方を見ると、
首を横にふってくれるのが嬉しくて(私のことを見てくれてる)
3回ぐらい繰り返した
それ以上すると怒られそうなので、大人しく紙に書いた 多分3歳くらい
当時ひみつのアッコちゃんがリメイクされたか再放送だかしてた
コンパクトのおもちゃが欲しくて母にねだったのだけど、「一万個にひとつだけ、本当に変身出来るやつがある。
でも本物とちがって、変身は出来るけど元には戻れない。
元に戻れなくなったら、お母さんはあんたのこと解らなくなって、うちの子じゃなくなってしまうけどそれでもいいの?」
本物に当たったら怖いから、いらないってなった
先日のすくすく子育てで、嘘は言ったらいかんというのを見たので、これはどうなのとちょっと思った ↑これが嘘とわかったのは何才くらいだろう
機転のきく嘘がうまいお母さんだな〜と感心してしまった。 >>436
かーちゃん息を吐くように嘘を吐いたなw あー同年代かも
私はひみつのアッコちゃんコンパクトを買ってもらったくちだけど、アニメのコンパクトと微妙に作りが違うのが気になって、どうせ偽物なんだなって諦めて遊んでた記憶
あと3歳くらい?のときお父さんのサンダルを見えないところに隠した。
じゃーん、ここにありましたーみたいなことがやりたかったんだけど、頭ごなしに
お父さんに怒られて言い出せなくなっちゃったんだよね
私はやってない!って嘘ついたのにお母さんは庇ってくれたな
なんか泣けてきた 私もアッコちゃんの変身コンパクト欲しくてねだったなぁ
多分幼稚園くらいの年だったと思う
でも母がくれたのは使用済みのファンデーションのケースw
当時は平べったくて丸く、鏡がついたファンデーションが主流だったんだと思う
それに糸を通して首から下げれるようにしてくれた
嬉しかったよ、友達の本物の玩具と見比べるまでは
友達のと見比べたら自分のは全然違う!ってなって凄く悲しくなったのを覚えてる
結局ちゃんとした玩具を買ってもらえたんだけどね、そこは記憶にないw
大人になって玩具が残ってたのを見たときぶわーっと思い出したよ みんな若いんだねー
私は当時小6だったけどアッコちゃんの変身コンパクト買ってもらったよ
おもちゃなのはわかってるけど、自分の所に来る変身コンパクトだけは本物な気がして
クリスマスプレゼントに買ってもらったw
小1の妹も同じ物欲しがってて家に2個あったわ。
小6にもなって小1の妹と同じもの欲しがるなんて(失笑)って親によく言われてたわ 保育園のころ、おやつに蒸しパンが出たんだけど私は蒸しパンがそれはもう大嫌いだった
おやつはご飯と違って食べなくてもいいもんだという認識があったから、いらないって言ってたんだけど先生がどうしても食べろときつく言ってくる
みんなはすごく蒸しパンが嬉しかったみたいで、嫌がってるのは私だけだったし、それなら食べたい子にあげるって言ってもダメだった
今思えば、一個だけ譲っても揉めるだけだったから、先生も困ったんだろうけど
蒸しパンには干しぶどうが二粒ついてたんだけど、先生が
「けんちゃんは干しぶどう嫌いだけど、頑張って食べたんだよ!だからあなたも我慢して食べなさい」と言う
当のけんちゃんはすごく美味そうに蒸しパンを食べてて、それ見て私は
いやいや、干しぶどうはちょっと我慢して飲み込んじゃえばすむけど、蒸しパンは無理だよ!と思った
すごく理不尽を感じながら、何とか半分食べて解放された
この件をかなり後になって母に話したら、なんでその時に言わなかったのと怒られたんだが、当時はそのモヤモヤ感を上手く話すことが出来なかったような気がする その時に言えって、言ったら先生に文句言ってたのかな
アレルギーとか、嫌いすぎてえずいてしまうとかならともかく、嫌々ながらも半分食べられたのだから先生の指導も別に悪くないように思うけどな >>443
その時に聞いてたら、母はどうするつもりだったのかは解らないけど
蒸しパンは、未だに食べるというか匂いだけで吐き気がするレベルなので、半分食べるのもすごく辛かったよ
母が気にしたのはそこかも
しかし干しぶどうと比較されたのは本当に未だに納得がいかないw
子どもでも解るよ、量が違いすぎるということは… 文句言うつもりだったかはわからないじゃんw突然先生の指導の弁解されてもw
単に「そんなあとから言われても」って感じかもよ
「あのときああだった」みたいな文句あとから言われると、そのとき言えよとイラつくじゃん
でも子供って、気持ちをうまく伝えられないよね
私も寂しいって言葉と感情がずっと結びつかなかった
そのとき言えよってイラっとするかもしれないけど、子供にとっては
気持ちを言葉にできるくらい成長したってことかもと心に留めておこうと思った アッコちゃんのコンパクト、欲しくて父にねだったなー。
「おもちゃだから変身できないけどいいの?」と聞かれたけどほしい!と。
変身できないけどお姫様の衣装がついてくるものだと思ってた。
CMで女の子がお姫様に変身してたから。。 私はクリィミーマミのコンパクトだったw
当たり前だけど変身したくて頑張ってみたけど出来なかったのが悲しかったな。
中に入ってるステッキもコンパクトから出せば大きなるって信じてたし。 私は花の子ルンルンだったw
本当に変身できると思って、チューリップの前でドキドキしながら呪文唱えたら当たり前だけど変身しなくて、
「ああ、作り話なんだな」と悟ったw 私はララベルだったなあ
ステッキを振っても、あのキラキラ出てこない…とがっかりした思い出w アッコちゃんのとか私はどんなにねだっても買ってもらえなかったのに、
妹は翌年何も言わずとも買ってもらえてた。
近所の人が第1子が生まれた時はキャラ物は買わないって頑張ってたけど、
幼稚園で配られたノートがキャラ物だったりしてなし崩しに解禁、
第2子には普通に与えてたのを見て、あのモヤモヤを思い出した。 他のスレで体臭の話が出てたけど、授乳されながら母の二の腕から胸のあたりの汗ばんだ体臭を嗅いでたこと覚えてるよ
当時の家の冷蔵庫が黄緑でクーラーがオレンジだったその色彩も鮮明に覚えてる >>451
その汗の匂いって、不快だなぁとか嫌だなぁとか思ってましたか?
夏生まれの我が子にも私が汗だくで対応してたからなんと思われてるか怖いな >>452
横だけど、気にすること無いよ。
幼児期は匂いがするかしないかしか分からなくて、その後の経験によっていい匂いかイヤな匂いかを判断していくようになる。
3歳児にバラの香水と生ゴミの匂いを嗅がせて、どっちの匂いが好きか選ぶ実験すると半々になるらしい。
大好きなお母さんの汗の匂いなら、きっと幸せな匂いだよ。 確かに小さい頃ママっ子でいっつも母親にべったりだったけど母親がくさいって思ったことないな。むしろ好きな匂いだった
暑い日はそれなりに汗かいてたと思うけども 幼稚園に入る前くらいに寝かしつけでよく肩辺りをポンポンされてたんだけど『そこじゃないんだけどな〜おしり辺りをポンポンしてほしいんだけどな〜でも何か悪いから言わないでおこう。』って、変な気遣いをしていたことを自分が出産してから急に思い出した。 >>455
肩ポンやっててうまくいかないんだ
おしりポンにしてみるわ
しかしよく覚えてるね >>452
規制に巻き込まれててすみません
嫌だとは全然思ってませんでした
むしろお母さんの匂いだぁと認識してたかも >>457
それが出産して子育てを始めてから、急に子どもの頃の特に幼稚園くらいまでの記憶が色々蘇ってきたんです。不思議なもんです。 2歳〜2歳半頃。
日曜日、いつも父(どこに出しても恥ずかしい屑)はゴルフかパチか麻雀でいないのに、その日はなぜか朝からいた。
今日1日絶望感いっぱいで過ごすのか…と思ったらなんか無理だった。
足蹴り車っていうのかな。両足で蹴って進む子供用の乗り物。
あれに乗って3kmほど離れた父の実家に誰にも告げず逃亡。
当然母たちは大騒ぎ。しかしほどなくして私が父の実家に着き、祖母が電話で自宅に連絡し、
すっとんできた母にこってり叱られる。
理由も聞かれたが、なぜか「父が嫌だった」とは言えなかった。
そして1番記憶に残っているのは、ちゃんと白線の内側を通ってきたこと。
自宅から必死で逃げながら、「白い線の中を通らなきゃ」とすごく思っていた。
今3歳の息子がいるが、すぐ私の手を振り払って道のどセンターを歩こうとする。
白線の内側を歩くんだよ、と注意するたびにこの逃亡劇を思い出す。 >>453>>458
ありがとう!クサイって思われてたらどうしようって考えたけど大丈夫みたいで良かった!
汗を含めておかーさんの匂いと認識してるのかなー 2歳半で3キロ逃亡ってすごすぎる
そしてここでも小さい子なりに気を遣う実例が。
私も子供に気を遣わせてる場面、いっぱいあるんだろうな… ここ参考にして、
出かける前に毎回どこそこ行くよ、とか、
例えば一時保育の時など、
今日はママ用事があるから後で迎えに行くから待っててね、
などとつたえてるけど
行く間際にハッとした顔して泣き出すから
上手く伝わってるのか心配だわ
全文読んで共感が大事なんだと改めて思った >>463
お子さんいくつ?
小さいころは言葉が伝わっていてもまだ我慢できないよ
前スレだったかな?2歳くらいで熱いお味噌汁持ったお母さんに
「危ないから近づかないで」と言われて、意味はわかるんだけど
お母さんに抱きつきたいのを止められず抱きついてしまい
酷い火傷を負った自分にお母さんがごめんねと泣きながら水シャワーをかけて
「言うこと聞かなかった自分が悪いのに」と思っていたというのがあった
例えしゃべれない赤ちゃんでも、ちゃんと人格を持った人間なので、反応が悪くても
(伝わっているかいないかわからなくても)言葉掛けが大事なんだとここ読んで私は思った
心配なら言葉掛けの本とか読んでみたらいいよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています