育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ >>593は憂鬱だったのに、申し訳ないけどなんだか笑ってしまった
クリスマスにサンタからプレゼント!って夢のあるイベントなのにお互い気を遣うクリスマスって…
やっぱり子供は小さくても色々解ってるんだねー
うちの赤子は何考えてるんだろ… 25歳までクリスマスプレゼントもらえるとは、
いいご家庭だなー >>595
>>596
サンタの正体を暴露するのは私の為に頑張ってる両親に悪い気がしてたんですよね
子どもって小さくても大人が想像している以上に気を使ってる
ちなみに幼少期〜思春期は気恥ずかしくて何々が欲しいですとかサンタさんへのお願いを言ったことはなく、
高校生以降はふざけてサンタさんへの願い事呟いても不景気の為段々贈り物はショボくなっていったので良いご家庭でもなく…
欲しいものもらった記憶ないので本当に誰得イベントだったw サンタさんで私も思いだした
常日頃、親から「知らない人に付いていってはダメ」「知らない人から物を貰ってはダメ」って口酸っぱく言われてた
でもクリスマスのサンタさんは親的にはOKなのが私には理解出来なかった
私からしたらサンタさんは知らないおじさんだし、その知らないおじさんから物を貰うってダメなはずなのに
親にサンタさんの素性を問いただしても「知らない」としか言われないし
親もよく知らない人なのになんでサンタさんに限っては勝手に家に入ってくることも勝手に物を置いてくこともOKなのかが謎で
怖い気持ちと、プレゼント貰えて嬉しいのと気持ちと、矛盾することを言ってる親への不信感がゴチャゴチャになって複雑な気持ちだったw
ちょっと大きくなってサンタさんの正体が親だと分かったときに全てのことが納得いってスッキリしたなー 3歳くらいかな?
昔、近所の子たちが子どもだけでお留守番をしてすごいねって母が言ったものだから
私も褒められたくて「私もお留守番する!」と言ったは良いものの、実際一人で家に取り残されてみると怖いのなんの。
何が怖いって「このままお母さんが帰ってこなかったらどうしよう」
車に轢かれて死んじゃったら…
怖いおじさんに誘拐されちゃったら…
恐怖を払拭するために、玄関の前で叫び続けた
「お母さん!お母さん!」
お母さんが辿っていると思われる道順を脳内でシュミレーションしながら。もう帰ってくるはずなのに!おかしいな?きっと頭の中で道順をとばしちゃったんだ!一人で大葛藤。
誰かの足音が聞こえると叫ぶのをやめてた。一人でお留守番できないなんて知られたら恥ずかしいから。近所の人もお母さんも、私が叫んでたの知ってたんだろうけど。
お母さんがいなくなることはものすごい恐怖だということと、小さくてもプライドはしっかりあることは、子育て中の今肝に銘じてる。 中学位の時に、背を下にして寝っ転がった状態のまま両手両足を天井に向けて上げて、ブラブラすると楽しい気持ちになることに急に気がついた。
不思議に思って母親に聞くと、私が赤ちゃんの頃、寝転がる私の両手両足を支えてブラブラとすると喜ぶので、良くやったと言われた。
その瞬間、畳の部屋(中学生の頃には改築されて畳では無くなっていた)で床に転がる私から見た母親の姿がフラッシュバックして思い出された。太陽の光が差し込んで、すごい幸せな気分だった。 わー、そんなことってあるんだね
なんだか胸がいっぱいになったよ 600さんの読んでて思い出した
小学低学年の頃お気に入りの濃いピンクの中綿布団に潜って手足上にあげて
脚を高速に動かして足の裏で歩いてるみたいにバタバタする遊びが好きだった
北海道で寒かったからか日中も布団出して明るい太陽の光の入る部屋で遊んでたら
姉が入ってきてママのお腹の中みたいーって言った時に赤ちゃん時代の記憶が突然蘇って
あ、ママのお腹の中濃いピンクでたまにオレンジぽくなったりしたなーとか
たまにピンクなのに明るくなったり暗くなったりしたなーとか
手足バタバタするのが大好きで布団みたいによく足でバタバタ蹴って遊んでたなーとか
もっと早くもっと早く脚をバタバタしたいのにーって思ってたの思い出したわ
多分お腹蹴ってた頃の胎内記憶かなと今になって思う 母のバッグの持ち手の匂いを嗅ぐのが大好きだった。お母さんのにおい〜と嗅いではやめてよーと言われてた
昔の化粧品の匂いなんだけど、当時は嗅ぐと幸せな気分になれたw
それで今の自分の匂いって?と思うと何もないなと気が付いた。香りって記憶が蘇るというから、今自分の子にとってのお母さんのにおいがないって寂しいな >>604
自分のだからわからないだけで、きっとあるよ >>604
今ならシャンプーの匂いとか洗剤の匂い、ハンバーグの匂いやカレーの匂いとか
母の匂いになりそうなものたくさんあるよ 2歳か3歳くらいの時
某魔法少女の変身ステッキが欲しくて親にねだったら「高いからダメ」と言われた
「高くないよ!高くないよ!」と一生懸命食い下がったけどダメだった。どうしても納得できなかったから今でも覚えてる
おもちゃ屋さんの下の方の棚にあったから
「高いところにあるから、取れないからダメ」という意味だと思ってたw
値段が高いって言葉を知ったときに衝撃を受けた
「高くないよ!低いよ!」って言えてれば良かったな、そうすれば意味の違いに気づいてもらえたのになって幼稚園くらいの時に反省した
だから、ガンコに訴えてくる意味の食い違ってそうな言葉はよく聞くようにしてる >>607
なるほどなぁ。
言葉の使い方としては親も子供も間違ってないけど
子供は語彙が少ないから理解のズレは有り得るよね。
気をつけてあげよう。
でもね、ここで「値段が高い。お金がないからダメ」と答えても、
財布の中の小銭とか見て「お金あるよ!」と抵抗するんだぜ。
(先週の週末に実際おもちゃ屋で攻防戦を繰り広げてしまったよ)
「このお金はほかの買い物のために必要なものだ。おもちゃ用予算はない」
を伝えるのはなかなか難しいw >608
そうですよね
私もちっちゃいとき「お金がない」と言われて「一万円払えばいいじゃん!」と抵抗する子供だったな。一万円は千円も五千円もカバーできるお金という意味だけインプットされてたみたい
お金の価値を伝えるって難しいね
お手伝い一回10円にされてから一万円って大変なことだったんだ!って思えたけど。小学生頃かな? 私は最初に「100円はすごく高い」と教えられてしばらく信じてたわ 文具用品売り場で小学生の女の子がお母さんにペンのセットを900円だよ!安いよ!とねだってて、「お母さんのパートの時給より高いわ!」と一蹴していた。 感覚的な事なんだけど、すごく小さい頃、これからどんな事が起きてどうする必要があるのか知っているというか本能で分かっていた気がする。
その他には3歳になる前には小さい頃の記憶を思い出せたのに、3歳前後に昔の事を思い出そうとしても思い出せなくてなんでだろうと歯がゆく思った記憶がある。
まるで記憶喪失になったようだった。 一人でベビーベッド的なところに寝かされてたからかなり小さい頃、昼寝から目が覚めると急に心細くなって、ポンキッキでやってた白い粘土のお面のやつとか思い出して怖くてあーーー!って大声で叫んで祖母を呼んでた
あなたは昼寝から起きるとあーあー呼んでたって言われて思い出した
あと幼稚園の入園式でまだ誰も知らないはずなのに隣の子に「まりちゃん(仮)どこ」ってきいて、あそこにいるよっていわれてまりちゃん見つけて、ああいたいたって思った。
なんでだろープレとかあったのかなあ… >>612
どんなことか起きるか知ってた…とは
自分の未来がどうなっていくか分かってたということ?
生まれる前の記憶とかで、自分の一生をすべて理解した上で生まれてくる、みたいなのを読んだことあるから興味深い。 >>614
既視感が赤ちゃんにも有るのかと思ってた。 >>614
私も>>612の言うことなんとなくわかる
>>615の言うように既視感なのかな
私はもう少し大きいころ(3歳過ぎ)で、最初保育園でみんなになじめなくて
保母さんが一生懸命働きかけてくれるんだけど
「明後日にはみんなと遊べるから心配しなくても良いのに」みたいに思って平然としてた
そして実際2日後に遊べるようになった
なんか未来は知っているから大丈夫なのに、なんで大人は心配するのかと思ってた
逆にこれは危険だからやめておこうとか、なんか予感めいたものがあった
内にこもる性格だったし、単なる思い込みで、自分が予想した通りに行動してただけかもしれないけど
そのときは信じていた 幼い頃は妄想とか記憶がごっちゃになりやすいのもあるかもな
私は空を泳いでた「記憶」がハッキリあるよ…
妄想が記憶になっちゃったんだと思うけどさ >>612だけど、自分の一生を全て理解するというか、大まかな流れは何故か知っていたような気がする。
いつかは今いる場所(お腹の中?)にいられなくなるとか、その時は大変な思いをするとか、同じ事を繰り返すんだなぁという思いが記憶にある。
一歳になる前の記憶もちょこちょこあってここにもいくつか書いたことがあるけど、記憶が点で散らばっていて、線で結びついた事をよく覚えているかな。 赤ちゃんは自分の一生(いつどうやって死ぬかまで)を知った上で、親を選んで産まれてくるって聞いたのはこのスレだっけ? 私、二択の人生を選ばせてもらった記憶があるわ
小さい頃の妄想かもしれないけれど、今実際に選んだような人生になっている 3歳のある日、はっ!と自我が芽生えた
3歳児ランドという未就園が通う教室の受付で、
母が妹の入ったカゴを受付の人に渡す瞬間だった
母の顔を見て「この人が私の保護者なんだな。この人を頼れば大丈夫なんだな」と認識した覚えがある
区切りがよいのでそれから、必ず右足から歩いて左足で止まる。歩数を数える。などの取り組みを色々始めてみたけど、父親にトランポリン付き遊具施設に連れて行ってもらって夢中で飛び跳ねたらわけわからなくなって止めた ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
https://www.youtube.com/watch?v=W92K6qIuZak京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足マイナンバー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格テレビ朝日対日本人高圧的偏向報道
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
関西弁不誠実コメント●テレビ(芸人)
トランプジョーカー切り(放送大学森有消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNA消費者せんター相談CNN向け原文ママニュース 預けられ母と離れるとき「おかあさんはわたしがいなくて泣いていないか」と心配で泣いていたことを思い出した。
寂しくて泣くというより、母がちゃんとしているか心配で泣いていた記憶。 >>624
面白いね。母の心配が子に伝わるってよく言うけど、こういう事なんだろうな。 5歳くらいだと思う
当時父と母は別居していた
母は夜の仕事をしていてお店の2階に母と年の離れた異父兄と私と弟で住んでいた
明け方母が戻ってくると別室で寝ている兄に起こされ、財布を取ってこいと言われ枕の下に隠していた財布そーっと取って兄に渡していた
子供ながらに物凄く嫌だけど10程違う兄には逆らえず言いなりだった
いつも「お母さん起きないかな」と思っていた
日曜はお父さんに会える日で自分で電話をかけて父に迎えに来てもらい、当時の父の恋人と私の3人で遊んでいた
弟はまだ小さかったので母が面倒見ていたと思う
帰り際「おばちゃん(恋人)の事は内緒だよ」と言われるが、母は気付いていたのか「今日も○○さんいたの?」と聞いてくる
私は母に嘘をつくのも嫌だけど父との約束も守らなくちゃいけないから「分からない」としか答えられなかった
寂しかったのか父との別れ際は毎回泣いてたと思う
クリスマスの時に父とおもちゃ屋さんに行きリカちゃん人形をねだったけど、当時お金の無かった父はダメだと言った
私はむきになって駄々をこねた
人形が欲しかったと言うより父に甘えたかったんだと思う
結局買ってもらえたけど物凄く後悔してその夜は一人で泣いた 分からないと答えた意味も、駄々をこねた意味も、お父さんとお母さんは、きっと分かっているだろうね。というか伝わっていてほしいよ 3歳くらいのとき
オムツが外れて、自分ひとりでトイレに行けるようになった
でも毎回、「お母さんトイレ行ってきていい?」て聞いてから行っていた
毎回毎回言うので、母もうんざりして「いちいち聞かなくていいよ、行きたくなったら行っておいで」と言われたんだけどそれでも毎回聞いていた
なぜかと言うと、私はお母さんの姿が見えなくなると不安になるからお母さんも私が急にいなくなったら心配して泣いちゃう!だからトイレ行く時は言わなくちゃ!という考えだった
3歳なりに、母を悲しませたくなくて気を遣った行動だったんだけど、当時はしつこく同じことを言うことが母を
うんざりさせるって分からなかったんだよなあ やさしいw
あるよね、そういう子どもなりの伝わらない優しさって 何歳か正確には覚えてないけど、未就学児の頃
ファミレスに家族で行って、ソファーが珍しくて寄り掛かったり寝転んでみたりしてたら父に「そういうことするならもう連れて来てあげないよ」と言われた
「きちんと座って」って言われればそうできるし、めったに関わってこないくせに父親面してそんな言い方…って思った
あとそのとき父は真面目に働いていなかったから、連れて来てくれてるのは母なのに…とも思った
それからもうひとつ
私が何か失敗したときに、大人たちが寄ってたかって笑いものにして、言いふらして何回も言われるのが嫌で嫌で仕方なかった
子供を育ててみてわかったけど、あれは大人にとっては「可愛い微笑ましい話」だったんだな
子供には常にきちんと向き合うように気を付けてる わかる、大人に笑われるの嫌いだったの覚えてる。でもついかわいくてジジババに報告してしまう。1歳半くらいから恥ずかしい話はやめてほしそうな反応するようになったからなるべく子供の前で言わないように気をつけてるけどきっとあの頃の気持ちなんだろうなー。戒め戒め。 ここのスレを読んで、笑ってバカにするようなことはやらないぞと心に決めた1年前。
現在息子1歳になったけど、すっかり忘れて笑ったり夫に報告してたわ…
思い出したよ。笑ったりしてごめんよ。 >>631
あー自分も気を付けなきゃと思ってたのにすっかり忘れてた
微笑ましい話を周りにちょっと面白おかしく伝えちゃうんだよね
自尊心を傷つけないようにしないとな >>629
今3歳の娘がまさにそんな感じだw
いちいち「ママートイレ行っていいー?」と聞くので「ママに言わないで行っていいよ!」ってやりとりをしょっちゅうしてるわ
子供なりにそんな配慮をしてるのかもなんて考えもしなかったから目から鱗だわ 3歳から5歳くらいかな
父がいつも家の前に頭から突っ込む形で車を停めてた
ちょっと物を取りに行く時とか助手席に私一人にされるんだけど、大昔でチャイルドシートとか無かったから車の中をあちこちいじっていた
覚えているのはルームミラーの角度を変える
ウインカーやワイパーを動かす
サイドブレーキを戻す
車を停めている場所は少し傾斜になっていたから、いつも車が下がって家の前の通りを塞いでやって来た車にクラクションを鳴らされ父が慌てて家から出て来た
通りはけっこう大きい通りで覚えてるだけで2、3回はあるから、今思えば事故らなかったのは奇跡だと思う
きっとあちこち触るのは父を見て覚えたんだろうけど、実際父が操作してた所は全く覚えてない 物心ついた時には、子どもだから子どもの振る舞いしないと変に思われるって思ってたけど、同じ人がいる事にびっくり
姉が私のおまた開いて、トイレにおしっこしーってしてくれてたんだけど、それもめちゃくちゃ恥ずかしかったの覚えてる 保育園にいってたんだけど、お昼寝しないと布団叩き?で叩かれてた(毎回)
その事を親に話したかは覚えてないんだけど、結局、保育園行こうとすると熱が出たりお腹が痛くなってしまい通えず祖母の家に預けられた
この事がトラウマで貧乏なのに専業やってる・・・ かつてここで「同じ手ばかりだとあげ続けるのが辛くて繋いだ手を離したくなった」と教えてもらって
できるだけ手を下げてつないだり、嫌がった時は反対の手を勧めてみたらちゃんと繋いでくれることが多かった
今は自分で「反対の手 つなぐ」と教えてくれて必要な時はずっとつないでくれている
教えてくれた人ありがとう 今、小学生の子供がいる。
TVをみながらポツリと「あかちゃんの時、タケモトピアノのCMキライだった。急に大きな音が出るから怖かった」と言い出した。
タケモトピアノのCMで泣き止む赤ちゃんがいる、と聞いて録画して見せたりしてたんだけど、確かに泣き止んだ事はなかった。
赤ちゃんと言えどもちゃんと物事を考えてるんだな、と思った。
あと、子供には「怖い思いをさせて悪かった」とちゃんと謝った。
若干スレチかも。ごめん。 羊水が腐ってきたので児童相談所に通報 沖縄ビッチ天国 ほうれいせん
モンスターペアレントとして連行 米兵さんのそそりたつ巨根 あと25年住宅ローンの奴隷
PTA当番さぼって村八分 発狂押しかけ義母つきまとい。
沖縄の基地はあと百年間戻りません 虐待通報
米兵さんのチンポによがり狂いわたくしたち朝鮮人だけ差別する卑屈なモンキージャップ。
パパ一緒にお風呂に入ってママとするみたいなことしよ 美白スキンケアはもう手遅れです
給食費は払いません 花王の正社員は20代で年収1千万
米兵さんとわたくし達はメス倭猿の青かびチーズまんこの共同所有者なのです
発達障害の疑い アンチエイジングに一ヶ月7千300円 06年にアメリカ軍曹に尻穴レイプされたビッチ幼女は今年で二十歳になりました
今年生まれてくる子も間違いなくモンキーと人の合いの子のビッチ害児です。 今やお前らのほうが従軍売春婦どものポン引きなww、買ってやってるのが俺達wwwwww
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/ ' ,イ /,ィャ、 ‐ュ 、 ヽ i l ヽ
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,' / ,' ゞリ ゞッ ,イj } i.
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(、-‐-、)' \ ,i `;" ~ /`>,ノ、ノ ,、 i ヽ!
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あめりかのへいたいさん
これでこわいちゅうごくのひとたちからぼくたちおまもってね >>638
体罰まではされなかったけど昼寝しないと担任に睨まれてた
担任の怖い顔ばかり覚えていて笑顔を全く覚えてない
保育園の延長保育を利用しない年中年長は、迎え抜きで4時に自分で帰れの保育園だった
昼寝できない年長に体罰したり自力で空っぽの家に帰れとかありえない
自分も専業 >>638
子どもさんを保育に預けられないって意味かな? いくつかわからないけど、小さいときの話。
3人兄弟の真ん中だった私は明らかに母に構って貰えなかった。
よその人は、私をよく褒めてくれていたが母は絶対に褒めなかったし、認めてくれなかった。
お母さんはどう思っているのかな、お母さんにもっと褒めて貰いたいのにな、っていつも思っていたのを今でも覚えている。
古い日本家屋だったが、柱にマッキーで「なきたい」とデカデカと書いてしまったことは反省してる。
でも母は怒らなかったし、その落書きへの感想もなかったな。
ちなみに父は全然家に居なかったけど、その薄っぺらい存在感から兄弟への格差は感じず、好きだったし今でも仲がいいと思う。 年中さんのころ、お弁当にうなぎが入っててどうしても食べられなかった
普段からお弁当残しがちだったんだけど、その日に限って「今日は全部食べようね」と先生に念押しされてた
いやいや食べようとした時に箸から落ちて結局残すことに
先生に落としたから食べれないとも言えず、結局「この子は少食なのね」と思われてお弁当を少なくしてもらうことになった 泣き止んだあと、父に毎回「泣いてたカラスがもう笑った〜w」って言われるのがものすごく嫌だった
本当はもっと泣きたいけど頑張って泣き止んだのに!なんでからかうの!って怒りすら覚えた いつの記憶かわからないけど、ご飯食べたあと母に「お腹いっぱいだね」ってお腹ポンポンされるのが好きだった >>649
これ多いね。やっぱりみんな嫌なんだな。
可愛くてつい言ってしまいそうになるけど我慢してる。 わたしもいやだったなぁ
あと泣きそうな時に、『泣いちゃう泣いちゃう泣いちゃう〜』ってからかわれるのもいやだった
本とに泣きたいのに笑っちゃうか、我慢してるのに涙が出ちゃうかのどっちかだったから 自意識過剰だったら恥ずかしいんだけど、小さい頃かなり頭の回転が早かったんじゃないかと思ってる。
例えば「どうしてお月さまはずっと後を付いてくるの?」っていう定番の質問があると思うんだけど、誰に教わったわけでもなく理由を知ってた。
建物だって大きければ大きいほど追い越すのに時間がかかるかかるんだし、と。
更にそのことに関して他の子供を馬鹿にすることもなかった。
それと、私は飛蚊症で空とか見るとプランクトンみたいなものが視界にあった。
それに気付いたのは幼稚園の時で、なんだろうこれ?と思った。
目にゴミが付いているのかと最初思ったんだけど、目を擦っても消えないし視界をずらしても日をまたいでも定位置から消えないもんだから
あ、これ目の中にあるんだな、別に邪魔でもないしまぁいっか、と思った。
あまりにも日常だったもので、それが飛蚊症だという病気だと知った時はびびった。
この程度誰でも分かることだったらスルーして下さい。 飛蚊症が目の中にあるんだなと思ったなんて賢いね
私は「もしかして…私にだけ空気の粒が見えてるのかもしれない!」と思ってたよw 私は妖精だと思って名前つけて話しかけてた。赤ちゃん、青ちゃんとか色で見分けて。 物分りのいい子供だったなぁ。
うちの両親が教師なんだけど、災害や事件で夜中だろうがなんだろうが駆け付けるのね。
特に父親は生徒指導だったし。
それについて、両親にとっては大事な仕事だし姉もいたし、仮に1人でも寂しいとは思わなかったな。
なんていうか、自分の安全が担保されている状況なら、両親の緊急事態なら当然そっちが優先されるべきだって思ってた。
鍵っ子だったけど全く寂しくなかったなぁ。
両親が私(と姉)にメロメロなの分かってたからだと思う。 そうやって親からの愛情をしっかり実感できていたからこそ、情緒も安定していたんだろうね。いいなー
ちなみに、親御さんからの深い愛情を感じたエピソードや思い出など、もし覚えてたら教えてください。
自分自身、子供に愛情を伝えてられてるか、自信がなくて… 父母姉私、おでかけはいつも一家で行ってたんだけど
一回だけなぜか母が私1人をつれて小さな遊園地に連れて行ってくれたことがあった
(本当になんでだろ?姉が修学旅行とか行ってたのかな?)
私は母に愛されているんだと実感して
とても嬉しくて嬉しくて今でも強く覚えている 中学の家庭訪問の時、なんかの流れで私の情緒がとても発達していますみたいな話になった。
そしたら母親が「そうなんです!この子は悲しげな音楽を聴いて涙したり…」と言い、なぜか母親が泣いた。
それを見た私はちょwwwおまwwwと思った。
恥ずかしかったけど嬉しかったよ。 あと、両親はすごい甘かった。
お小遣いは少なかったんだけど、言えば大抵なんでも買ってくれたしよく褒めてくれた。
(今思えば図鑑や化石を欲しがったからかも)
門限だけは厳しかったけど。
でも両親は「厳しく躾けた!」って誇らしげ。
当の私はあれで厳しいとかwwwウケるwwwっていう思ってた。
かといって調子に乗れば本当に厳しくなるのが分かってたから無茶なことはしなかったけど。
でもその「調子に乗ると厳しくされるのが分かる」っていうのは両親がちゃんと躾けた結果なんだろうなぁと今は思う。
ある意味私を信じてくれたから甘くなったんだろうね。
ちなみにやはりそこは子供、目測を誤って調子に乗り雷を落とされたこと数十回… 3〜4歳くらいの頃、母親と祖母とスーパーに行った
母親だけ別行動で買い物して、その間に祖母に幼児向けの雑誌を買ってもらった
その雑誌の名前が『よいこ』(うろ覚え)で、合流した母親に「おばあちゃんに買ってもらった!」と見せに行った
でも母親はすごく冷たい目で「よいこ…?へえ、あんた全然良い子じゃないのにね」と言われた
それがもうすごくショックで、そこから「私は良い子じゃない」と思い込んでしまった
それまで甘えてた母親と距離を置き、中学生になって反抗期の勢いでこの記憶を話して、母が謝ってくれてようやくモヤモヤが晴れた >>663
モヤモヤが晴れてよかった!
悲しいよね、そういう事言われると。 >>661-662
親にされて嬉しかったことスレ向きかも >>665
同意。>>661-662は中学の話だからスレチ >>661は中学の時だけど、>>662は小学校低学年くらいからだよ。
ダメだったらごめん。 スレタイは幼児期となってるから未就学までだと思うよ 保育園に行ってる時。
具体的に何歳かは忘れたけど…
お昼寝の時間で眠れなかったので、自分の手をじっと観察してた。
そして初めて爪というものを発見した。
なのでとりあえず確認したくてカリカリ食べてみた。
その時から今までずっと爪を噛む癖が治らない。
なんで食べてみようなんていう発想になったんだ自分…!
という経緯があるから、爪噛みは愛情不足だとかいう話には懐疑的だった。
今の風潮はどうなんだろ? 親御さんから注意はされなかった?
私も爪噛み癖があったけど、親は私に無関心だから何も言われないまま育った。
愛情不足とは思わないけど、あまり注意を払ってはもらえなかったのかな しょっちゅう怒られたし注意されたし手袋とかたくさん試されたよ。
でも自分の意思を持って止めなかった。
愛情はすごく注いでもらったけどねえ。
もう成人超えたらほとんど何も言われなくなったけど、今はだいぶ我慢できるようになったよ。 たぶん幼稚園頃、寝る前の絵本読み聞かせが凄く嫌いだった。
寝る前は静かにして気分を睡眠モードに持って行きたいのに、読まれるとそっちに気がそれて邪魔になってイヤだったな。でも母がせっかく読んでくれてるから我慢して聞いてた。
我が子は読んでクレクレって持ってくるので人それぞれだなーと。 保育園の頃の、時々父親にギューっとされて、ただ痛かっただけの記憶が、
中学生位の頃に突如「ものすごく愛された記憶」に変わった瞬間がすごい衝撃だった。
それ以来、色々駄目な所のある父だけど好き。
反対に、母にギューっとされた記憶が無くて、もう亡くなったけどたまに恋しくなるくらい。
だから5歳の娘にはたまにギューっとするようにしてるよ。
その度に「グェッ」って言った後めっちゃ嬉しそうに笑っててかわいい。 いわゆるライナスの毛布を持ってた。
私の場合タオルだったけど、汗や鼻水やよだれがたーくさん染み付いて、自分的にはすごくいい香りに仕上がってたw
ミルクみたいな感じ。
それを母親が見かねて洗濯しようとするんだけど、絶対して欲しくなかったなー
幼稚園に行ってる間に洗われて、匂いが違うと言ったけど、洗ってないよと押し通された。
すごーーくがっかりしたなぁ。
あれだけ自分好みの匂いにしたのに一からやり直しか…って親にすごい不信感を抱いたし。
なのでもし我が子がライナスの毛布的なものを持ってたら、トイレに落としたとか以外は極力洗わないでおこうと思う。 子供の頃、理科が好きだったし成績もよかった。
だから高校大学は理科が学べる所に行きたかった。
そんな話をしたら「アンタ算数出来ないから無理!」と一刀両断。
今、子供と一緒に算数の問題を解いていると面白いし算数・数学は美しいと思う。
あの時「算数を頑張ればいいよ」とか言って貰えたら違ったんだろうな。
だから子供には「アンタには無理」とか「出来ない」とか言わずに、どうすれば出来るか、と言うようにしてる。
どんな可能性があるかわからない以上、それを潰さないようにしたい。 >>678
うわぁすごく切ない話。
数学を美しいと思うなんてそれだけで才能を感じるのに。好きな進路に進めなかったのかな、他人事なのに残念。 いい話なんだけど幼児期までの記憶じゃないんだよね
小学生〜思春期あたりの子供の頃感じてたことを語るスレって無いんだっけ >>680
親にされて嬉しかったことを語る
ってスレは? >>676
ライナスの毛布私も持ってた。
親が洗濯してしまうと、ベランダに干してあるのが乾くまで
その場に座り込んで端っこ握りしめて泣いてたってwww >>681
>>678は「親にされて嬉しかったこと」ではないだろう このスレを「自分の子供の時の記憶」にすれば良いのでは?
ただでさえ過疎なのに それじゃただの雑談スレになってしまう
中学一年生の頃のこと書かれたって、このスレの趣旨と違うじゃん
過疎ってても今のままでいいよ 親にされて嫌だったことスレもあったけど、落ちたのかな 1歳になる前の記憶
親が共働きで、産休明けてから祖母に預けられて育った
最初の頃、車から降ろされて無言で祖母の家の玄関まで連れていかれる時「私捨てられるんだ」と絶望していた
一生懸命泣いて抵抗するんだけれど無視されて、祖母に引き渡して母は仕事に行ってしまった
無視が何より辛くて、その後から今まで何とも言えない不信感を抱え続けている
送り迎えの合間にでも会いたかった気持ちや寂しい気持ちを共感する言葉があればなぁと思い出すたびに思う モヤッとしたり傷ついた話が多いのね
たぶんその百倍位たくさん面倒見て大事にされたんだろうけど、記憶に残っちゃうのはそういう話の方なんだろうな
自分も親にして欲しかった事、やめて欲しかった事、決定的に傷つけられた事たくさんあるけど、自分が産んでみてどれだけ面倒見てもらってたか分かった
でもそれでもほんの一回の行き違いで自分の子にもどっかでトラウマ植え付けちゃうんだな、って思うと怖いね 長くなっちゃうので連投スマソ
自分のは毒にも薬にもならない記憶だけど
いわゆる物心ってものがついたその日の記憶がある
それまでの記憶はゼロで、その日からきっちりひと続きで記憶が始まってるから、その日その瞬間に間違いなく物心ついたんだと思う
最初に見たのはグリーンのタイルの手術室みたいな部屋と、今まさに産まれましたって様子の産声あげてる赤ちゃん
画面変わって目が覚めるとそこは保育園
で、自分は3歳だった。ちょうどお昼寝のじかが終わって起きたところ
ああ夢見てたんだな、赤ちゃんだったなぁと思った
その夢の赤ちゃんが自分だったのかどうかはわからない
何故なら視点が赤ちゃん本人から見た映像じゃなくて、赤ちゃんを上から見下ろしてたアングルだったから
手袋をした手がその赤ちゃんを取り上げてるのは見えたけど、手の持ち主や赤ちゃんの母親は視界には入らなかった
その辺の意味は全くもって分からないけど、自分が自分として記憶が始まってるのがその夢からっていう不思議な話 すごいなぁ、私はいつだか覚えたないけど、ベビーベッドの中から天井見てたの覚えてる。
頭のところにメリーがかかってた。
それだけ。 そういえば私もメリーを見上げてる記憶があるな
もしかしたら2コ下の弟のメリーだったかもしれないけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています