公教育の中で障害児と仲良くすることをどんなに無理強いしていても、
その外に出たら、一般社会に出たら、“誰と仲良くするかは個人の自由、個人の権利”という
本当の意味での現実を突きつけられるので、そこで苦しむのは誰なのか?
という事を念頭にして、障害児教育というものはあるべきなんだと思う。

実際に今の社会で生きるいる皆は、嫌な奴に自分から無理矢理関わってる人なんていない。
そう、それは選択出来るんことだから。誰と関わるかの個人的権利は誰も阻害できないし、法でも規制できない。
そういう中を皆が生きている、だからこそ他者に必要以上の迷惑をかけないように皆考えながら必死に生きている。
それが出来ないような人は個人的意識の中から排除されて当然、しかるべき措置だと思う。
障害があるかないかを基準としているのではなく、人間の持つ自然の摂理、その対応。
人と共に生きる、社会の中にあるって事は、何よりも調和を持つことが大事なのです。