https://www.asahi.com/sp/articles/ASL9Z6JVVL9ZPIHB00H.html

障害児を「不幸な子ども」 強制不妊を推し進めた兵庫県


 今回の提訴に際し、県に保管されている昔の資料や文書を記者が閲覧した。

 「『不幸な子どもだけは、生まれないでほしい』という気持(きもち)は、お母さん方のみならず、みんなの切なる願いでございます」。
1966年に県が作成した資料集の冒頭には、当時の県衛生部長がそんな一文を寄せている。
この年、県は全国に先駆けて、「不幸な子どもの生まれない運動」を開始。

障害のある子や遺伝的な疾患のある子を「不幸な子ども」と位置づけ、母親の健康管理充実などと並んで、強制不妊手術を施策として推進していた。


 当時の知事は、旧内務省出身の金井元彦氏(故人)。施策の実施状況を5年の節目で振り返った県の冊子には、運動の端緒になったという金井知事のエピソードが紹介されている。
知事は65年に滋賀県の重度心身障害児施設を訪れ、「笑うことも、はいまわることも忘れ、喜びを奪われた(中略)悲惨な姿」を目にした。
その際、園長から「親のちょっとした注意や、医師の適切な処置さえあれば」と聞かされ、「深く感動」した――とある。



不幸な子供で間違ってないだろ。
誰が障害持って生まれたいんだ。