770 名無し名人 (ワッチョイ c223-nHV3) sage 2018/02/09(金) 10:14:48.41 ID:Kc0v/fNE0
>>767続き)
27期A級順位戦(1972年)挑戦1名降級3名(休場1)
08 加藤一二三 7−3 ◎挑戦
01 大山_康晴 6−4
03 米長_邦雄 6−4
04 二上_達也 5−5
05 内藤_國雄 5−5
07 丸田_祐三 5−5 ←やっぱり前期休場なのに順位7位据え置き
09 有吉_道夫 5−5
10 佐藤大五郎 5−5
12 灘__蓮照 5−5 ?残留←前期休場のため順位最下位
06 原田_泰夫 3−7 ▼降級
11 大内_延介 3−7 ▼降級
02 升田_幸三 休場

1970年当時、丸田は連盟会長として順位戦制度改革に尽力していた。
この公務に集中するため25期を休場。おそらくは「本人都合でない公務」という事情が考慮されて
翌26期の順位を据え置かれたと思われる。
ところがこの制度改革が遅々として進まず、71年度に入っても全く終結が見えない。
結局26期順位戦のB級1組以下は11月中旬に開幕し、3月までの4ヶ月間で全日程を終わらせる
過密スケジュールになった。
とはいえ、新聞に棋譜を掲載する以上A級だけは前倒しで開幕せざるをえず、当然丸田は
会長公務のために26期も休場。順位据え置き特例ももそのままだった。

そして迎えた27期。
もし25期と26期の丸田の休場に特例がなければ、26期の順位は灘7位丸田11位であり、それを受けて
27期は灘11位丸田12位だった。そして27期の5勝5敗勢の最下位は丸田になったはずだった。

もし規定通り下位3人を降級させると、特例で順位を保全された丸田の身代わりに灘が降級する。
連盟会長としてさすがに丸田がそれを忍びずに、特権で残留させたか27期限りの内規を付け足したか
したのだろうというのが、レーティングサイト管理人氏の推測。