>>530
wikiで調べた範囲だが
1940年〜1942年は5段から名人挑戦への予選リーグに参加できる
1942年から1944年も同様に7段以下も予選を勝ち抜けば挑戦者トーナメントに参戦できる
このとき、挑戦者トーナメントを勝ち抜いた4人にすら大山は入れず、勝ち抜いた4人は木村名人に香落ち3番勝負で全員負けるという実力差

何が言いたいかというと大山名人は若いうちは良く言えば棋力上昇中の時期のためタイトルを取る力はなかったということ