うーん、俺も書道をそれなりにやってきたつもりだけど。
駒は実用品だからこそ、見易さ、特に書に精通してない人でも将棋やってれば直感で認知できるってのが結構大事なわけで。
書道を極めたような人でも、駒に合う書体とか、駒木地に合う字体の大きさや太さのバランスとか、草書でもこの程度の崩しなら実用的に大丈夫だな、とかその辺のバランスは分からない。
何十年も駒と向かい合ってきた駒師が、長年の経験や消費者の声を聞いて字母紙をイジったりするのは結構自然なことだと思うんだがどうだろう?
自分で彫ったり使ったりしないと、分からない境地ってあると思うんだよな〜

書を知らないのに、とか元の巻菱湖と全然違うから許せない、とか言う意見が多いのが不思議で。
正直それ言っちゃうと、王義之とかもっと酷いし…。
最終的に駒として、よく見えれば良いんじゃないかな?