レポ【7】一日目大盤解説(4)

 古作教授の講演は続く

 次は将棋の原型が日本国内に入ってきた後の経緯を辿る。

 前述の通り、日本最古の将棋駒はこの興福寺で発掘されている。当時は飛車や角行等の攻撃力の高い駒が存在しなかった。

 将棋を嗜む人ならば分かるが、互いに飛角を抜いた駒落ちで戦ってみたとして、おそらくなかなか勝負が付きにくいであろうことは想像できる。
 古今東西において共通であるが、ゲームは引き分けばかりのものは何かしら改良が加えられていく。そこで世界各国のチャトランガ系ゲームはそれぞれ独自に進化を遂げていった。
 それが日本では「駒を増やす」ということだったのだ。

 駒を増やしていく経緯は同じく興福寺で出土された「酔象」の駒に象徴される。
 つまり、この興福寺で長い年月を掛け、将棋そのものが進化し発展していったと推測できるのである。


……この後、徳川家と将棋の繋がりについての講演が続くがこの辺りで筆者は中継動画の方に意識が行ってしまいあまり記憶になく申し訳ない。
恐らく連盟HPで見られるような内容のことを言っていたと推測する。
ttps://www.shogi.or.jp/history/story/

尚、最古の将棋駒と「酔象」の駒は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館にて13日まで公開されているとのことだ。