天才棋士・永作芳也の30年後
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天才ってイメージはないけどな。棋力より口が立つ印象
先崎の方がよほど中身が伴ってた >>6
最後まで指したけど中尾先生も自分から去ったイメージを10年後くらいには持たれてそう 各種手当てが充実! しかも年金までついてきますよ♪ なぜ人は死ぬのに物事をおこなう気力が湧くのだろうか
それはやっぱり人は死ぬということを意識して生活をしていないからだ
身内親族が死んでも自分もいつかそうなるとは実感できない言葉としては理解できるけど体感はできない
死ぬから精一杯生きようという考え方はおかしい
札幌雪まつりは壊すから一生懸命作るだろうか、将棋は1局でその一連の意味を失うとくにアマチュアは
自衛隊員は皆に楽しんで欲しい、すごいものを作って見てもらいたい
将棋は勝ちたい、いい手を指したいと思って指す
終わりを意識して何か物事をする人は少ないそこに意味はない なにを仕事にして趣味にして生活して何をなすかそういうことを意識しながら生きている人はどれ程いるのだろう
漠然とした薄い欲求を抱きながらゆっくりとした時の流れに身を任せて流されていく日々
パイレーツオブカリビアンや何かしらの表現で死んだ人が船に乗ってゆったりと流されていくような描写がある
あれは生きていても流されるように生活している人は死んでいるも同じと言えないだろうか
必要なことは欲求をエネルギーに忍耐を浮き輪にし、流れに逆らいその先を目指すことではないのか 自分はまだ若いから、仕事についてないから、可能性が狭められてないからこのようなよくある綺麗事を熱弁できるのではないか
可能性はその事物が「良く」なる可能性、「悪く」なる可能性両方を秘めている
赤ちゃんなど新しいものは「良い」意味での可能性でしか語られないがもちろん犯罪者やどうしようもない人間になってしまう可能性も秘められている
どうして自分の人生は輝いていないのに赤ちゃんには輝く可能性を見ているのだろうか 熱く生きるべき!と思いながらどうせ名もない中小企業で平均以下の年収で結婚もせず生きていくのだろうと冷めている自分がいる
熱く生きることは大変だ思うような人生を歩むことは大変だ
少ない年収、結婚しない生活はある意味楽だ何もせず就職率の良さを利用し適当に就職活動して中小につとめ昇進を望まず仕事をしていけばいい
その仕事をやっていてもどうせ辛い
この適当な仕事のつらさは自分の欲求とは違うことをやっているからか
しかし生きていくためにはやりたくないこともやらなくてはいけない 生命を維持するための活動、(生命にかかわらない)欲求を満たすための活動、人間はなまじ考えるということができるためその欲求を満たしたいと思ってしまうのではないか。 子供の頃が楽しいのは生命を維持するための活動は親がしてくれているからだ。子供は欲求だけを考えていくことができるゲームをしたいならすればいいし、勉強をしたくなければしなくてもよい。 ほとんどの親はうるさくいっても生命に危険の及ぶ範疇までは到底達し得ない。注意の仕方は他の欲求を制限させるようなものがほとんどだろう(勉強しないとゲームだめ!と言っても殺すぞ!とは普通言わない 子供も親に言われたことなどをしたくなくてもしなくてはいけない頃がくる
そういう時に徐々に自分の欲求を見失っていくのではないのか
しかし親や学校に対しては反抗期によってまた自分の欲求を再確認?できる
だが大人、社会人になったらどうだろうか
会社に対して反抗したらクビにされ金を失い生命が危ういという意識を持つ
社会に対しても下手すれば逮捕、そうでなくても他人からの信頼を失う
制約が大きいこれが欲求を失い日々を流される原因
だからやりたいことを仕事にして反抗しなくてもいいような環境を求める? 人は変われる
と思わない人(私)は
変わることができた人はもともとその素質を持っていた人で変わりたい自分を見つけることができた
と思う 変わることができた人は人は変われるという
今変わることができていない人は変われないという
結局人は変われたり変われなかったりする
前の言い分は屁理屈では?実際変わっている人いるし、変わりたいと思えているなら変われていない人も素質があると言えまいか そもそも変わるとはなにか
なりたい自分になれたことを変われたというのか
変わりたいと思っていなくても変わってしまった場合なんというのか 将来のことばかり考えて今を生きることを放棄している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています