江戸時代の将棋について語ろう part1
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江戸の将棋について自由に語りましょう
私が好きなのは二代大橋宗古(二世名人)、六代伊藤宗看(十世名人)、大橋柳雪(七段) よりによってソウコと松田インガが好きな理由がよくわからないので
2ch名人管理人が自作自演でたてたスレ認定 江戸の永世名人で最強は九世名人と言われてるけど、六代宗看のが好きだわ
序盤のスピード感、寄せの鮮やかさ、そういうものが抜きんでてる 好き以前の問題として、詳しく知りたい。
アマゾンでいろいろ検索しているのだけど、どうもパッとしない。
まず概略、系譜を知りたいんだけどどんな本がおすすめ?
ネット記事では頭に入らないの! 偶然ブックオフで見つけた日本将棋体系のうちの1冊は持ってる。
これを揃えるのが理想だろうけど、まず不可能。
本を!俺に本を! アフィ管理人がこんな人の来なさそうなスレ立てないだろw
30レス行かずに落ちそう 俺はウィキペディアで一通り永世名人の記事を読んだだけ。とりあえずはこれくらいだな あとは現存する棋譜があるから、国会図書館などでコピーするとか
まあネットに殆ど棋譜は落ちてるみたいだけど 素人の素朴な疑問。
そもそも、盤とか駒は今と同じ? 将棋の家元の初代大橋さんは織田信長に桂馬の使い方が上手いと言われて宗桂と名乗ることにしたんだよな >>14
「鳳凰」「横行」と読めるから、
もしかしたら、大将棋?大大将棋(にしては
コマ数が少ないけど)かもね。 宗英先生は現代に通じる
日本将棋体系で米長が解説してるが米長さんは宗英をわかってない
あと藤井君は宗英の生まれ変わりだと思う >>7
あれ面白いよね
駒がぶつかり始めると解説の調子が出てくるとかある >>20
第1巻の勝浦の解説読んでて勝浦が好きになった
加藤治郎もよかった 藤井や羽生の話はいくらも該当スレあるんでそちらでどうぞ 藤井や羽生に例えないとアフィブログにまとめられないだろ!
2ch名人管理人さんの身にもなれよ!! まずは日本将棋大系ってのを集めてみるか。全18巻あるみたいだ
江戸時代の将棋について書かれた良い文献ないかな。将棋世界で連載してた鈴木さんの記事は良かったけど 江戸の時代に中飛車は駒が分断されるからバランスが悪いと思われたみたいだよ
確かに左右の金銀の連結が悪くなる。中住まいみたいなイメージで指すならバランスとれるのかもしれんが
そういう意味ではツノ銀戦法ってのは江戸からすれば画期的だったのかもしれないね ありがとう
なるほど棒銀ほとんど指さないのは中央志向が強くて端を絡めた攻めをほとんどしないから何となく納得だったけど中飛車は謎だったんだ
そんな私は初代宗看の若い頃のやんちゃな将棋がけっこう好き 朝の忙しい時間に、日本映画チャンネルでカツシンの
「王将」を全部みてしまった。
江戸時代ではないけど、明治末期から大正にかけての
阪田三吉や関根名人の話でおもしろかった。 最初に57銀プラス47か67の銀で真ん中を固める布陣には衝撃を受けたな
良い形だろうけど、序盤については今の将棋と全然違うから変な世界だ
日本将棋大系は県立図書館くらい大きいとこなら置いてるかもしれんから、一回くらいは読んでみると面白いね
プロから見てどうかはわからんけど、江戸時代の将棋指しも戦いが始まると当然強い 詰将棋が書かれている本である将棋無双と将棋図巧は
プロレベル目指したいなら必ず読んでおきたい 「国会国立図書館デジタルコレクション」でググって「将棋」で検索するとかなりの古棋書が見られる。
「野田市立図書館 将棋関連」でググっも面白いのが見つかる。(リストはボチボチ書き込んで行こう)
最近、やっと振り飛車穴熊が「ほら(洞)」とあるのを見つけた。
「日本将棋体系」の棋譜だけなら、「将棋データベース」にほとんどあるんじゃない。
「ツノ銀」は二枚落ち上手の婦人「総行馬(そうやらい)」として出て来る。
米長九段は、銀多伝ならアマにも負けるが「総行馬」に組めたらプロ四段には負けない、と言ってた。
実際▲4六金戦法みたいな異形じゃなきゃ守りが固くて破れなかったからね。 江戸時代の将棋―将棋家と将棋の普及
http://www.ic.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2006/ohira.html
学生がまとめたようなものだけど… >将棋家の当主たちが代々使用してきた肩書きで「将棋所」がある。
>将棋所は幕府任命の官職だと思われていたが、実は将棋家の自称
>1764年(明和元年)、寺社奉行が大橋家の当主を呼び出して、
>「名人将棋所」の由来と官贈であったかを問うたところ、9代目大橋宗桂は、
>官職でなく自称であると返答した。
>同席した碁家の井上因碩もこれに同意しているようである。
>他に、幕府からの受領屋敷を一般に貸し出し、賃貸をとっていたことや、
>江戸城内での席順を医師と同等にするよう嘆願していたことが分かった。 将棋の段位
>数字の段位が書かれているのは1717年(宝永4年)発刊の将棋師名簿『将棊図彙考鑑』。
>江戸の初段の認定は厳しく、例えば、名人の香車落ちが七段、飛車と香車を落とした場合で初段と定められました。
名人に飛車香落ちで指してようやく初段であるのが江戸なわけですね… 御城将棋とは?
>将棋家の当主たちの重要な仕事のひとつであったのが、「御城将棋」に出仕することであった。
>しかし、これも「大橋家文書」から得られた事実であるが、従来まで伝わってきた評価・実状とはかなり異なっていたようである。
>将棋家では勝敗よりも出仕することの方が重要で、これは年末の褒賞にも影響していた。初期の頃は対局時間に制限がなく、
>城中では勝負がつかず月番の老中邸で指し継がれることが多かったようである。
>このため、1692年(元禄5年)から城中での対局時間を短縮するために、当日までに対局を済ませておく規定に変えられた。
>その結果、御城将棋当日は盤上に駒をならべ直すだけの作業となった。そのため、当日の対局時間が余るようになった。
>この余った時間を利用して行われるようになったのが、「お好み」と呼ばれる指導対局である。
>将棋の上達を希望する人たちへ御城将棋の出仕者たちが指導対局を行った。
>寛政の改革時、形式化した御城将棋が廃止されなかったのは、将棋の稽古を求める人たちのなかに大名や将軍の側近たちがいたからである。
>城中で終了しなかった指導対局は、後日、大名や城内勤務者宅で引きつがれ、城中での継続を記した棋譜も残されている。
>御城将棋が形式的な儀式に変わったあと、その日の黒書院の間は将棋サロン化し、この慣習は幕末まで続けられた。 二世名人の詰将棋集の象戯図式(将棋智実)はぜひ読んでおきたい
巻末で将棋の禁止ルールを明文化した初めての本だからね
・千日手の禁止
・行き所のない駒(を打つ、もしくは不成によりその状態にすること)の禁止
・二歩を打つことの禁止
・打ち歩詰めの禁止 ご苦労さま
すっげー労作じゃん
まあ論文は明らかにただのコピペで大学であれ出したら教授に叱られそうな代物だけどwww
図書館のアーカイブとか貼ってくれてマジ感謝 これから少しずつ江戸の将棋について調べていきたいね >>27
41玉型の力戦中飛車なら18世紀以降御城将棋で普通に指してるけど
日本将棋大系2巻しか読んでないとか? これだけアミューズメント施設が乱立されて、コンピューターゲームが
主流になって、娯楽が数限りなくある時代に
まだ廃れてない将棋ってすごいな。 >>46
ゲームセンターのおもしろさが伸びなさすぎだからね
昔のピンボールとかコインゲームの時代はほんとに面白かったが
今では進んでゲーセン行くまでもなくネットで対戦ゲームできるし
仮にカジノ解禁になっても本当に良いコンテンツを絞り込まないと楽しくないよ ピンボールは面白かったな
小学生の頃、一瞬で終わってベソかいたが、
色々なテクニックがあることをいつの間にか学んだ。
ゲーセンよりはバーにおいてあるやつをたまにやるくらいか
コインゲームも面白かった。
枚数ですぎて、パチンコなら監禁だろうが、合法店なのでそれもできない。
店長さんが枚数証明書を作ってくれて、その後ずっとタダで遊んでたわ >>48
正倉院の双六版は、バックギャモンの盤だよ。 江戸時代の将棋は中終盤がすごい
序盤は飛ばして中終盤見ると今の棋士より強いかも
天野宗歩の棋譜をソフトにかけたら
宗歩の手は一致率が非常に高くソフト超えもあるようです
棋譜を落としてソフトで連続棋譜解析がいい
なおDB2の江戸時代の棋譜は「同 歩」となってエラーになるので
テキストエディタで同+漢字スペース2個を同+漢字スペース1個に
変換してから使用しています
天野宗歩の棋譜を並べると中終盤の力がつき筋がよくなる
平手の40局だけでも宗歩先手にして中終盤中心に
並べるといいですようです
なお宗歩本は中原本より内藤本が断然いい
高いけど全局だし解説が詳しいの価値あり 大橋柳雪もかなり華麗な棋譜残してると思います
彼は七段しか出ませんでしたが実力は八段とも言われていたようですし そりゃあ、江戸時代は時間無制限でがっつり考えまくって披露しますからね 天野宗歩内藤本では平手の将棋が久米可六戦からですが、データベースで検索するとそれ以前に11局あります。
なぜ、内藤本には掲載されてないのでしょうか? 江戸時代は無制限じゃないぞ。せいぜい一日制7〜8時間ってところだよ 明治時代初期でも勝田仙吉が小野五平相手に一手指すのに26時間かけたことあるから
この書き込み2ch名人転載禁止でおねがいします >>52
平手しかない現代では、香落ちの棋譜なんて見てないだろうけど、
香落ち上手の本定跡は、▲7五位取りの三間飛車で、
藤井猛九段が「さばき」を研究するのに役に立った、と言ってた(ニコ生)。
千田みたいに「、升田九段の手」で升田賞を取ってたりするから、、
思うほど将棋は「進化」していないのかもね。 >>58
持ち時間制度のない時代だっけ?
クリケットの試合並だったのかな。 ネットの無い時代の郵便将棋なんて一手に何日かかったか 在野の棋士宗歩は賭けてたから
生活のため1日に数番は指したろう
それでもソフトで見ると中終盤の悪手・疑問手が0から2、3個
少ない。
今のプロ棋士は悪手・疑問手が3から数個だから
いかに強かったかがわかる >>52
お前は馬鹿なのか?
一致率が高いのはソフトが参考にしてる棋譜が天野以外の他に棋譜が無いんだよ
昔は二度と無いような局面で指しててソフトが天野の真似してるから天野の一致率が高くなって当たり前 大山・升田は木見師匠が持っていた江戸時代の棋書で
宗歩・柳雪・宗英・宗看の棋譜で中終盤力と大局観を、
古典詰将棋で詰めの力と読みの力を学んだでしょうね
明治・大正時代には真に強い棋士がいなかったからね ソフトがプロや昔の棋譜を参考にして作られてると思ってんのかねえ 日本将棋大系の詰将棋の3冊が文庫版になったやつ
あれええな
寝転がって見れる
3冊のうち1冊目が手頃
1冊目は初期のやつ特に宗古のええわ
マニアックじゃなくて実戦さながらなんで
最後まで解けなくても練習になるわ 九代宗桂,五代伊藤宗印,六代伊藤宗看,大橋宗英の3家の戦いが
面白い。皆強くて
宗英の弟子が柳雪そのまた弟子が宗歩だっけ 将棋とは別の「取り巻き連中の派閥争い」があったのかも。
特に、残ってる柳雪の悪し様な内容は、将棋の話じゃないから。
それは、関根-阪田、木村-升田の頃まで残ってたのかも知れない。 派閥ってか江戸の頃は大橋と伊藤とでお家争いだからね 「徳川三百年の鎖国時代は、芭蕉およびその一門の俳句連句を生んだ。
私はそれだけでも十分存在理由があると思っているが、
それ以外にもう一つ、非常に貴重なものを生んでいる。
それは伊藤宗看、伊藤看寿兄弟の詰将棋である。」(岡潔『紫の火花』より)
岡潔(1901〜1978年)は数学者。奈良女子大学名誉教授。1960年、文化勲章受章。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています